4-8 弥代要太郎=#N/A
猫がいた。可愛かった。だから助けようとした。
――――――だから、全部、私のせいだった。
私の不注意だった。私のわがままだった。私の考えが甘かった。
単なる交通事故。そう言ってしまえばそれまでだけれど。
私が遊びに誘わなければ。私が道路に寝そべる猫を見つけなければ。私が無理に猫を助けに行こうとしなければ。
……にいさんは、あんな目には遭わなかった。
巡り合わせ? 不幸な事故? そんなわけない、私が全部悪いんだ。
確かに、お父さんもお母さんも言ってくれたよ。『カナメは悪くない』って。
今わの際、ベッドの傍で泣きじゃくる私に向かってにいさんも言ってくれた。『だいじょうぶだ』って。
――――悪くないわけないじゃない、大丈夫なわけないじゃないっ……!
私の下らないわがままのせいで痛い目に遭って、苦しんで、未来が奪われて。それでだいじょうぶだなんて…………そんなわけ、なくて。
そうやって、最後まで守られてばかりで、気を遣われてばかりで。
だから、にいさんが逝ってからは強く生きようって、そう思った。
けど――――思い出してしまう。ふとした拍子に、何気ない日常に。
通学路で、学校で、お風呂場で、夕飯で――――気を抜いたら浮かんでくる、にいさんとの思い出。
その度に胸を苛む。脳裏をよぎる。――――全部、私のせいだった。
だから、耐えられなくなった。後悔に、自責の念に、やってしまったことに、日常の全てに……耐えられなくなった。だから私は全てのことから逃げ出そうとして、考えられる中で一番卑怯なことを選び取って――――
そして、気付けば、夢の世界に迷い込んでいた――――――――
◇
「私は逃げた、にいさんのいない現実から逃げたっ……! 今だって弱いまんまで、全然乗り越えられてなくて、情けないってのは分かってる……!
――――だけどッ! だからってにいさんの死を汚すような真似されて、黙ってなんていらんないのよ! 私を虚仮にするのは構わない、好きにすればいい! だけど――――私の思い出を踏みにじることだけは……絶対に、絶対に、絶対に! 許さないッ――――!!!」
カナメの悲痛な叫びが、苦悩が、心の中へと響いていく。
――――――瞬間に俺は、全てを理解していた。
死。死。死。――――俺は既に、死んでいる。
その事実が突き付けられたからか、体の感覚が少しずつ抜けていくのを感じる。
――――そうか。……否定できないのか、俺自身が。
どうやら俺は、どこまで行っても理屈屋らしい。死んだ人間は生き返らない、そんな当たり前の理屈を俺が肯定しないわけがなかった。
だから、ゆるやかに元に戻る。死んでいく。これはその予兆なんだろう。
――――……けど、すぐには死なない。
それがなにを意味するのかなど……もはや考えるまでもなかった。
一度死んだ俺がなぜここにいるのか。どうしてこの場所まで辿り着けたのか。
――――今、確信した。俺がなんのために、ここにいるのかを。
「カナメ」
呼びかけて、一歩踏み出す。一歩一歩、前へ歩く。その俺の行動にカナメは、目を見開いて激昂する。
「動かないでって言ったでしょ……!?」
「いいや、動く。お前のところに行く。誰に何をされようと、俺は止まらない」
覚悟があった。自信があった。俺はカナメのところに行く。
誰にも邪魔させない、止めさせない。それがたとえ、カナメ自身だったとしても。
言わなきゃいけない言葉があるから。伝えなきゃいけない思いがあるから。
「やめて、やめなさいよ……ねえ! 本当に潰すわよ、殺すわよ!?」
「やってみろ、出来るもんならな」
――――馬鹿じゃないのか、そんなへなへなした脅しに屈するかよ。
そう鼻で笑えるくらいには自信があった。確信があった。俺は絶対にカナメに辿り着くことができると。だから――――
「―――――――――っぅぅ、ぅうああああああアアアああああぁぁああああ!」
カナメの絶叫とともに巨大な掌が天から落ちてこようと――――なにも怖くない。
陽の光を完全に遮るほどに大きな手は、隕石染みた轟音を響かせながら俺の真上に落下してきて――――――
「っ――――――」
――――俺はそれを、掲げた両手でしっかりと受け止めた。
腕が血飛沫を上げた、脚が軋んで悲鳴を上げた。喰いしばる口の中には血の味が滲んだ。しかし――――ただの一ミリも押し負けない。
何倍どころか何桁もの質量差のある巨掌を俺は、たった一人で押し止める。
「そん、な――――なんで? あり得ない、あり得ないっ!?」
そうだ、あり得ない。考えられない。
カナメのイドルムによる規格外の攻撃。普通の夢なら一も二もなく吹き飛ぶし、イドルムを使ってもその出力差で確実に押し負ける。
ただ――――――だからどうした、と。これはそれだけの理屈だ。
「はは、なんだこれ……クソ重いじゃねえか」
重い、重い、ただただ重い。こんなものは人ひとりが支えられるものじゃない。
そんなものは見ただけで分かる。いや、いちいち見なくても分かる。自明も自明だ。だというのに、だというのにッ――――――!
「こんなもん、人の妹に、背負わせやがって。俺でも、こんだけ、重てえって思うのによ……それこそ、あり得ねえし……許せねえ」
許さない。絶対に許さない。こんな馬鹿でかい重石をお前らは、誰の妹に背負わせてる? ふざけるな、なんでも願いが叶う世界で好き勝手やりたいだけのイカレポンチ共が、責任だのモラルだのを俺の妹に押し付けるんじゃねえ……!
――――――お前らなんて所詮、ただの夢でしかないってのにッ!
「許せねえ、絶対に許せねえェッ……!!
たかだか夢の分際で――――――俺の妹に乗っかかってんじゃあ、ねえええええええぇえええッ!!!」
巨大な掌に光を遮られて真っ暗な中俺は、歯を食いしばりながら全身全霊を己のイドルムに込める。
そうだ、これは夢。たかだか夢。所詮は夢。どこにどう転んでも現実になんかなりはしない。そんな空っぽな場所で、そんな虚ろな世界で――――なにがどうなろうと、結局は無意味なんだ。
だから消えろ、消えろ、消えろ消えろ消えろ。――――――こんなもの、消えてなくなれ。
「消えろ、消えろ、消えろ、消えろおおおぉぉぉおおおおおおおおッ! ぁあああああああああアアああああああ――――――ッ!!」
全てを振り絞る気で放った叫び声は――――夢の草原に響き渡って。
――――両手に掛かっていた重みが、消える。遮られていた光が降り注ぐ。草原を走る爽やかな風が、熱の籠りきった頬を撫でた。
「あり得ない、あり得ない……なんで、なんで!?」
戸惑い取り乱しているカナメに向かって、俺は一歩ずつ踏み出していく。
体は既にボロボロで、少し動くたびにあらゆる部位が悲鳴を上げて痛み出す。
だが……体の感覚が鈍ってきているのが幸いした。零れ落ちるように薄れていく痛覚を味方に付け、必死に足を動かす。
俺が近づくにつれ、カナメの表情に悲哀が宿り始める。
涙は既にまなじりから零れ落ちて、頬を濡らしている。「いや、いや」と首を横に振ってカナメは、じりじりと後ずさっていく。
「やめて、やめて! そんなに私が憎い? 恨めしい? 苦しめたいの? だったらもう十分に私は苦しんでる、辛いよ、死にたくなってるっ……! あんたの目論見はもう叶ってる! だからもう十分でしょ? やめてよ、もうやめて――――!」
「カナメ、聞け……! カナメ――――」
「だから、その顔で! その声でしゃべるなあああァツ――――――!!!」
喉が壊れそうになるほどの叫びに俺は――――駆け出す。
途端に痛みを増す全身。刻まれた傷は深く、薄まった痛覚をも激しく揺さぶらせて。……それでも喰いしばる、耐える、そして走る。
早く、早く、早く、早く。なんとしても、早くッ――――!
ぼやける視界。止まらない耳鳴り。全ての感覚が薄れつつある。
――――だからこそ、走れると思った。死にゆく体に感謝する。
痛みが薄まれば――――その分俺は、早く走れるから。
そして――――
「カナメぇッ――――――――――――!!」
力を振り絞って、その名前を呼んで――――――全力で、抱き締めた。
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