4-7 弥代カナメ=妹





 ――――気が付けば俺は、草原に立っていて。


 さらさらと草花を撫でる風の音。見上げれば、雲が浮かぶ青空。香る緑。

 ……基底領域ベース。夢の世界の基部。どこでもない場所。原風景。


 ここにいるということはつまり――――あの『ファクトリー』なる領域から俺は、いつの間にか弾き出された、ということ。もしくはそう――――フェノが言っていた通り、領域そのものがまるまる消し飛ばされたのか。


 呆然とする。眼前で起きた出来事の規模の大きさに、思考が上手く回らない。

 突然現れた白い少女の巨人が、杖を地面に突き立てただけで全てを破壊して――――――


「……なんなんだ、いったい」




「それはこちらが説明してほしいわね。――――あんた、いったい何者?」




 後ろから響いたのは、懐かしい声。反射的に振り返る。――――そこには、見慣れた姿があって。

 俺と揃いの茶色い癖毛に、ほんの少しまなじりの下がった円らな瞳。

 低い背丈に到底似合わない白のロングコートは見慣れないが……その程度の差異であいつを見間違えるはずもない。


 幻じゃない。偽物でもない。――――間違いなくあれは、カナメだ。

 そう感じた瞬間俺は衝動的に、一も二もなく駆けだそうとする。こみ上げる感情を止められず、思わず声が出る。


「カナメ、やっと会え――――」


「っ――――――動かないで! 上を見なさい!」


 切羽詰まった鋭い声に、視線を上にあげればそこには――――巨大な、

 いつのまにかそこに在った真白い手形は、青空を完全に覆い尽くすほどの大きさで。


「……少しでも余計な真似をしたら叩き潰す。言っておくけどこれ、加減効かないわよ」


 抑揚もなにもない冷酷な口調でカナメは、俺に脅しをかける。

 見たこともないほどに険しい表情でこちらを見るカナメに、俺は戸惑いを隠せない。信じられなかったのだ。カナメが……俺に、という事実を。

「そん、な……どうして」と、懇願するような声音を漏らせば。


 カナメはさらに目を細め、警戒と敵意を露わにして。


「どうして? よくもそんなことが言えるわね?

 あんたの行動は『市街』の秩序を乱すことに繋がる。『第二監獄』から脱獄犯を出しただけでも許せないのに……英美里や、高藤まで潰して。一体あんたはなにがしたいの? これ以上好き勝手にすれば『法典』が揺らぐかもしれないってわかるでしょ? 『市街』を前の時代に逆戻りさせたいわけ?」


「ち、違う! 俺はカナメ、おまえに――――」


「――――気易く呼ばないでっ! あんたみたいなのに名前を呼ばれるなんてぞっとする!」


 敵意の籠ったその叫び声が、俺の精神を抉る。――――なぜ、どうして、カナメ。俺のことが分からないのか、なんで俺を拒絶する?

 こんなこと、予想だにしなかった。ここまでの拒まれるなんて、ここまで……殺気を向けられるだなんて。

 戸惑いと心の痛みに苛まれる俺へ、追い打ちをかけるようにカナメは、表情を歪めて罵倒を吐く。


「『第二監獄』をめちゃくちゃにして、『市街』の平和を乱して、『法典』にヒビ入れようとして、それだけじゃ飽き足らずにまでして……!

 本当、悪趣味……! なにが目的かは知らないけど、あんたほど性質の悪い奴見たことない。言っとくけど、これ以上好きにさせるつもりなんてないから」


「待て、待ってくれ……! なあ、本当にどうしちまったんだよ……!? 俺のことがわからないのか?」


 絞り出すようにそう問えば、カナメはぴたりと表情を凍らせて。……次の瞬間には、穏やかな笑みを浮かべて、言う。


「……わかるわよ? ええ、とてもよく知ってる。忘れるはずなんてない」


 その言葉に安堵しかけてカナメの目を見つめた俺は――――すぐに、後悔した。

 見開かれる円らな両の目は怒気を孕んで―――――――


「――――だからあんたは悪趣味だって言ってんのよッ! そうまでして私の傷を抉りたいわけ? ふざけんじゃないわよ、勝手に土足で踏み込んでっ……! 馬鹿にするな、馬鹿にするなぁッ!!!」


 裏返った声での悲痛な叫びに、胸が張り裂けそうになる。

 ――――なんで、なんで、カナメ。どうしてお前は、そうまで俺を。

 理不尽だった。訳が分からなかった。だからこそ感情のやり場もわからなかった。


 ……悲しい、辛い、苦しい。胸が詰まる、呼吸が浅くなっていく。無意識にカナメへと近づこうとして――――左腕に激痛が奔る。肩の怪我すら、忘れかけていた。


 そんな怪我よりも、顔を焼かれた時よりも、心臓をブチ抜かれた時よりも……カナメの言葉が、感情が、敵意が――――痛い、苦しい。

 

 ――――なにがあった。なにがお前をそうさせてる。……俺が、悪いのか?


 請おうとして、声がまともに出なかった。かすれた音は言葉にならず、無意味な振動となって草原の風に呑まれていく。

 そしてカナメは、怒りのままに言葉を紡いでいって――――


「にいさんを真似て擦り寄れば私が折れるとでも? 生憎だけど逆効果よ。

 私の一番大切なものをここまで虚仮こけにして、馬鹿にして……絶対に、絶対に許さない」


 ――――……待て。

 カナメの言葉に引っかかりを覚える。――――? どういうことだ。沈みかけていた意気と心が反射的に浮かんでくる。

 

 ――――今のカナメは、俺のことを偽物だと思い込んでいる? どうして?


 カナメの言葉には堅い確信が感じられる。『かもしれない』程度の認識じゃない。

 俺が本当の弥代要太郎だとは、欠片も思っていないのだ。……なら、なぜ? どうしてそこまで信じられる?


は私の聖域なの。だから夢には縋らない。辛くても、苦しくても……そこから逃げたらおしまいだから」


 一切遊びのない真剣な表情で、俺の目を見つめるカナメ。

 ……その表情にはどこか、重い感情と覚悟が乗っていて。


 だからかもしれない。俺がようやく、に気付けたのは。

 あるいは。ここまで来て目を逸らす必要はないと、俺自身が無意識に判断したのか。


 ここに来る直前のフェノの言葉が思い出される。――――

 ……そうか、奴はこのことに気付いてたのか。あるいはその生まれから、直感的に察していたのか。


 全てのことに得心がいった。ああつまり――――カナメの拒絶を、この場で、どうにかして乗り越えなければ、俺は自分の目的を永遠に果たせないということだ。

 でなければ俺は恐らく――――カナメの認識によって、消えてしまうから。


 絞り出すように、カナメは吐き出す。まなじりに涙をため、悲壮に声を震わせて――――その事実を、語る。






「――――っ……!」





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