4-6 弥代カナメ=支配者




 鉄骨に串刺しとなった高藤の骸が動かなくなったのを確認し、俺は立ち上がる。その瞬間。


「っぐ……!」


 電流が奔ったような激痛が肩に響き、息を呑む。左腕がぴくりとも動かない。

 ――――くそ、ちょっと掠っただけでこれか……っ。

 外れたのか、どこかが折れたのか。ずきずきと痛む左肩を抑えながら、しかし俺は前に歩を進める。

 ――――怪我がどうした、今の俺には立ち止まっている暇なんて、ない。


 極度の緊張が続いたことによる疲れに肩の怪我が重なり、足取りはひどく重い。

 でも、前に進まなければならない。早くいかなければならない。カナメに会うために、あいつを叩き起こすために。


 そうやって必死に歩き続ける俺をあざ笑うかのように空から舞い降りて来たのは、紫髪の幽霊だった。「すごいねえ、すごいねえ!」と嬉々とした表情でフェノは、鬱陶しくくるくると俺の周囲を回り始める。


「まっさか、リッシーまで殺っちゃうとは思ってなかったよ! フェノちゃんびっくり仰天だね、マジに。あいつアレでも『市街』の中じゃあ強い方なんだけどなあ? いやあ、機転が利くねえ? 勘が冴えるねえ? まるで未来を予知してるみたいだ! はっはぁ、すごいすごいっ♪」


「うるさい、黙れ……!」


「のんのんのん! あいきゃんのっとびーくわいえっとだよっ! 言ったでしょ? フェノちゃんは喋ってないと死んじゃう系女子だからそういう頼み事は死んでも聞けませんのであしからずっ♪ 

 にしてもキミ、マジにすごいよ? 最初にバトった相手をやり込めた時から思ってたけどさあ? あの鬼畜女王のサエっちと戦って生き延びて、頭ぱっぱらぱーの連中を根こそぎブッ殺して? エミリーを言葉でやり込めた後にリッシーを殺しちゃうんだよ? ホントヤバいわ、マジ信じらんない。いやガチでさ、奇跡レベルのこと起きてるからね?」


 ひとりべらべらと喋り倒すフェノに対し露骨に舌打ちをくれてやるも、そんなことなど知ったことではないと言わんばかりに、紫髪の幽霊はへらへらと笑って。


「そして晴れて邪魔者はいなくなって、トントン拍子にカナメとご対面ってわけだ。

 いやあ、あり得ないよね? とんでもないよね? ホント、キミのために世界が回ってるんじゃないかって錯覚するくらいには順調だよね? そうは思わないかい、ヨータロー?」


「……なにが、言いたい」


「あれあれあれ? ここまで言ってもやっぱり気付かないんだ? 思い出さないんだ? あとは接触してのお楽しみってこと? 引っ張るねえ、焦らすねえ! うんうん、フェノちゃん俄然わくわくしてきたよっ♪ 楽しみ楽しみっ♪」


 言って思わせ振りににやつくフェノに、再び舌を打つ。

 なにが腹立たしいかって……ふざけた様子の奴の言葉を、真っ向から否定できない自分がいることにだ。


 ――――順調過ぎる。……確かに、そうなんだ。


 ここに至るまで困難はあった。ただ、明らかにその道のりが短過ぎる。

 俺が夢の世界に来て、まだ一週間と経っていない。だというのに俺は、最終目的の寸前まで辿り着いている。

 これは、この世界が『なんでも夢がかなう場所』だから、なのか。あるいは……


「……くそ」


 考えそうになった頭を激しく横に振る。今はそんなことを考えている時じゃない。

 早く行かなければ。カナメの元に向かわなければ。鬱陶しく飛び回りながらも俺を先導するフェノに付いて、ただただ前に歩を進める。


 耳障りな戯言を聞き続けるのは癪だが、それでも俺はフェノに付いていくしかない。だから――――と、苛立ちを抑えて無心に足を動かしていた、その時だった。


 フェノが急にこちらを向いて、満面の笑みを浮かべた。そして。



「――――予定が変わっちゃった♪ 案内はここまでね♪」



 あろうことかこの糞幽霊は、考え得る限り一番最悪な言葉を吐いて。



「――――――は?」



 もはや、怒りを通り越して唖然となった。……こんな前振りの無いはしご外しなど、まさか予想だにしていない。


「いやさ、カナメちゃんが存外に性急だったというべきかな? まああの子の心情からしてリッシーが殺された段階でなんかするんじゃないかとは思ってたけど……いやはや思い切るねえ、この踏ん切りの良さこそハルシオンの主席たる所以なのかもしれないなあ? ううん、感服感服っ♪ あ、心配しないでヨータロー、案内は出来なくなるけどキミの目的自体は叶っちゃうから」


 喋り倒した最後、ついでのように付けたされたその言葉に、俺は内心首を傾げた?

 ――――案内をやめるのに、俺の願いは叶う? どういうことだ、いったい。


 その疑問は、次のフェノの言葉をきっかけにして、氷解する。


「ではではお客様、前方のお空をごらんくださ~い?」


 言われるがままに視線をやや上げて俺は――――言葉を失った。


 それは、白い影。やや遠くの夜闇にぼやりと浮かぶ、もやのような塊。驚異的なのは――――その


 白い影の天辺を見るためには、目一杯空を仰ぐ必要があった。『第二監獄』で巨人化した囚人がいたが……あんなものとは比較にならない。


 数十メートル……いや、そんなレベルじゃない。


 あまりにも巨大に過ぎる白の影は、だんだんとその輪郭を明瞭にしていく。


「あははは、すごいっしょ?」とフェノが珍しく、ほんの少しだけ声を震わせて喋る。「イドルムってのは基本、個々人が持つ妄想が具現したものなんだけどさ? カナメのは違う。『モラルを守るべきだ』っていう自分の妄執に、他者を従わせてるんだよ。エミリーから聞いたでしょ? 『法典』は『市街』の人の願いを集積してるって。

 つまりなにが言いたいって、カナメのイドルムには『市街』の人々の願望やら信仰も乗っかっちゃってるってことさ。で、その結果としてなにが起こるか? 

 ――――――答えが、


 白の影はいつしか、巨大なの形を為していた。


 円らな白い瞳、無垢な白い肌、跳ね気味の白い髪、仰々しい真白の外套。


 その手には、金色の天秤を頭に据えた巨大な白い杖が握られていて。


 どこかで見たことがある。――――そう感じた瞬間に、思い出す。


 ――――――まさか、あれは。


 信じがたいほどの巨体を真上に仰ぎ、俺は目を見開く。

 ぱくぱくと、言葉を紡げず口があえぐ。驚愕と恐怖に体が固まる。

 そんな俺の代わりに口を開いたのは……声をわずかに震わせる、フェノ。



「あれがカナメのイドルム、『法典』の本体。――――『慨する大衆の怪物フロウレス・シビルロウ』。

 あれを見るといっつも思うよね。……さすがは『市街』の支配者だ、ってさ」



 巨大な白の少女は、手に持った長大な杖を高く掲げる。

 巨体ゆえにその動きすらも空気を切り裂く轟音を生み、周囲に振動を響かせて。


 次の瞬間――――どおぉん、と杖の先が地面に突き立てられる。


 大地が内から跳ね上がった――――――そんな錯覚を起こすほどの衝撃に、バランスを崩して倒れ込む。

 周囲からなにかが軋む音が聞こえて――――見渡せば、工場地帯の建物が軒並み傾き始めていた。まさか、そんな……あれ一発で、全部、壊した――――――?


 驚愕に白の巨体を見上げて俺は――――――さらに驚愕する。



「――――――空が、?」



 濃紺の夜空に、漆黒のヒビ。みしみしと、びきびきと、音を立てて亀裂が進む。

 なんなんだ、あれは。一体なにが起きてる、なにが――――――!?



「あーらら、ご愁傷様。この領域ももう終わりだねえ? だいじょぶだいじょぶ、建物に潰されて死んだりはしないよ。

 ――――どうせここ、跡形もなく消し飛ばされるし」



 そのフェノの言葉を聞いた瞬間――――――ガラスが割れるみたく、空が完全に壊れて、砕けて。

 ――――星空の破片ががらがらと無遠慮に、工場地帯へと降り注いだ。

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