4-4 高藤立志=膿腫






 黒いパーカーを着た大柄な男は、ひしゃげた鉄塔から身軽に飛び降りると、いつかに聞いたような粘っこい声を低く響かせて。


「よう、癖毛。何日か振りだな」

 

 気軽な言葉に反し、フードの奥にぎらつく両目は薄気味悪く、かつ剣呑で。

 唾を呑む。心臓を抉られた時のあの感覚が、蘇る。上擦りそうになるのを必死でこらえて。


「高藤立志。顔は覚えてるでしょ?」と浮かぶフェノが勝手にしゃべり出す。「こないだ『市街』でキミを殺した張本人。実はハルシオン行政府の警邏局長っていう身分なんだけど、見た目も中身もこの通りのイカレポンチヤンキーでねえ。いくら実力があるからってこんなイカレたやつを警邏局のトップにするのは正直間違ってると思うんだけどそこはそれ面白人事だからフェノちゃん的には別にオールオッケーっていうか――――」


 ――――瞬間、フェノの顔面を折れた鉄骨が貫いた。

 しかし血は飛ばず、潰れたものもなにもなく。「うわーお」とおどけた様子でフェノは半笑いを浮かべて。

 いつだったかの投石の時と同じだ。フェノは物理的な干渉を受けない。なにせ彼女は幽霊――――柳から切り離された悪感情の塊――――なのだから。


「お前は喋んな、糞幽霊」と、パーカーの男――高藤と呼ばれていた――が粘性の高い声で低く脅す。鉄骨を投げたのは恐らく奴だろう。


「おお、こわいこわい」フェノは竦み上がるようなポーズをしつつもへらへらと笑い。「こいつぁ逃げるに限るね。というわけでボクは高みの見物でもしときま~す。そんじゃあヨータロー、あとはせいぜい頑張ってねっ♪」


 言い捨てて夜空へと消えていく紫髪の幽霊は、どこまでも勝手で、だからこそ腹立たしく。……しかし今はそんなことを気にしてもいられない。


 ――――こいつを抜かないと、カナメまで辿り着けない、か。


 暗く淀んだ空気を漂わせ、高藤はぼそぼそと低くしゃべり出す。


「俺ぁよ、人の顔覚えんのあんまり得意じゃねえんだわ。一回二回会っただけのヤツの顔なんて大抵は欠片も覚えてねえ。無駄なモノを頭ん中に置いときたくねえ性質なんだよ。

 、お前の顔は覚えてた」


 フードの奥の目が見開く。殺気が圧となって俺の総身を襲う。そして――――



「全部砕け――――――単弾衝撃耽溺症フォスタースラッグ・ドラッガー



 瞬間、高藤の両腕あたりの空間がぐにゃりと歪んで――――奴の両肘に、歪な形の突起が現れる。爪のような、あるいは角のような形をした、金属の塊。

 ――――なんだ、あれは。

 初めて見るその形状を訝り、思わず顔をしかめれば、俺の内心の疑問に応えるかのように高藤は口を開く。


「見たことねえか。だよ」


「撃鉄……銃の、か?」と問えば、高藤は口の端をほんの少し、ほんの少しだけ吊り上げて。


「こいつで自分の腕をブッ叩いて、その勢いで殴んだよ。そうすっと相手は死ぬ。下らねえ理屈回すより単純で簡単だ。そう思わねえか?」


 そう聞かれた瞬間、思考を高速で回す。――――これは、好機だ。奴が自分自身で夢の理屈を語ってくれたのなら、それを否定しさえすれば無力化ができる。

 幸いにも否定材料はすぐに見つかった。……いける、と内心で口角を上げながら俺は、冷静を装って言う。


「お前、作用反作用って知ってるか。それで肘叩いたところで殴る力は強くなんて

――――」


 と、言葉の先を続ける前に高藤は、「なる」と一言ぴしゃりと言い切り。


「なるんだよ。てめえの屁理屈なんて知るか。こいつを使えばすげえ力でぶん殴れる。そういうもんなんだ、分かれ」


 その粘ついた言葉を聞いた瞬間俺は舌を打ち、悟る。

 ――――こいつに下手な理屈は通用しない。

 高藤は恐らく、他人の話をまともに聞いていない。理解する気が初めから無いのだろう。己の考えや欲以外のことに目線を向けすらしないのだ。


 イドルムは単なる夢に揺らがない、というそもそもの性質を考慮してもなお、その思考の頑なさは図抜けている。あまりにも視野狭窄が過ぎるのだ。


 ――――俺のイドルムで、どこまで抗えるか。……そこが肝か。


 他人の夢を掻き消せることが、俺の最大の武器だ。

 直接俺へ作用する類の夢は意識せずとも無力化できるし、それ以外に関しても『消えろ』と意識するだけで消し飛ばせる。理屈と言葉を足せば、同時に広範囲の夢も消滅させられる。


 しかし、それ以外のアクションは起こせない。なぜなら俺は、夢を消す以外の夢を扱えないから。最大の武器は同時に唯一でもある。


 酒匂の一件で、俺の無力化能力は他人のイドルムにも一定の効果があるとわかってはいる。……それが高藤に対してどの程度働くのかが肝要だった。


「にしてもてめえ、全然動かねえのな。俺がいなくならねえと先にいけねえって分かってんのかよ、おい」


 問われるも、返しはしない。そんなことは聞かれるまでもなく承知していた。ただ、ここで安易に動いても状況は有利になどならない。


 ――――消せる夢がない以上、俺にはなにもできない。

 それに……こっちの動きに合わせて身体強化の夢を使われたら、それこそどうしようもない。


 身体強化みたいな夢は、俺の側が一度それを認識しなければ消せない。つまり、俺が反応するまでの数瞬の間は普通に行使されてしまうことになる。加えて、無効化は原則一時的なものに過ぎないため、繰り返しの夢の行使を止めることも難しい。

 それを防ぐには、理屈と言葉で相手の認識を変える必要があるが……果たしてその手が、視野狭窄の高藤に通用するのか。実に不透明だった。


 だからこそ俺は、待つしかない。

 高藤がどう戦うのかを理解した上で戦術を練り、無効化能力と奴自身の夢を上手く利用する以外に、勝つ道が無いのだ。


 緊張に喉が渇いていくのを感じながら俺は、高藤の動向をじっと見つめる。

 筋肉の動きひとつ、見逃す気はなかった。気を抜いて反応が遅れればそれだけで死ぬ。神経を研ぎ澄ませて、奴の動きを見続ける必要があった。


 ……だからこそ、高藤が発した言葉の意味が一瞬、理解できなかったのだろう。

 

「俺ぁ今な、自分の体を強くしてんだ」


「――――――は?」


 思わず声が出た。――――こいつは今、俺になに言った?


「倍じゃ効かねえくらいに力を強化してんだよ。筋肉も金属並みに硬くなってる。特に腕周りだな。お前を派手に殴り殺したいからよ、夢で糞ほど力強くしてんだわ」


 低く粘ついた口調で、わざわざ説明臭いセリフを吐く高藤。その意図が全く読めず混乱する。――――こいつ、分かってるのか? 今使ってる夢を俺に教えるってのがどういうことなのか。と、訝れば。


「おら、どうした。夢消すの得意なんだろ? やってみろよ」


 その言葉が疑問の答えになる。が、それが更なる疑問を呼ぶ。

 ――――分かっててやってるのか? ……なんで、そんなことを。

 頭の中を疑問符が飛ぶも、強化を許しておいていいことなどなにひとつないのは確かだ。

 戸惑いながらも、自分の内にあるイドルムを意識して思考する。――――夢で力を強化するなんて妄想に過ぎない。

 すると高藤は、フードの下から覗く目を驚きに見開いて――――


「おお……マジで全部抜けやがった。マジかよ、ありえねえ。ってことは、ってことはだよ――――」


 がちり、と重い金属音。高藤の右肘に生えた撃鉄が起きる。

 ――――イドルムを使う気か。警戒感を高め、奴の動きを見逃すまいと集中する。

 だからこそ、高藤の表情の変化が、よく見て取れた。


 暗く粘つき、淀んだ空気を漂わせていた奴の顔に――――笑顔が浮かんだのだ。


 その笑みはどこまでも深く、暗く、沸き立つなにかを堪えるようなもので。

 ――――それはまるで、膿みの塊が怒張しているようにも見え。


「これで、こいつを、こうやって――――――――」


 己の右拳を見て語尾を弾ませながら、高藤は後ろを振り返った。

 そこには、倒壊して大きくひん曲がった鉄塔が、残骸たる鉄骨を突き出していて。


 ――――おい、待て、なにする気だこいつ……!?


 今の高藤には夢の強化が一切効いていない。力として働いているのは、奴曰く『殴る力を強化する単純なイドルム』のみ。つまり、高藤の身体能力は『殴る力』を除いて常人並みなのだ。

 顔が引きつるのを自覚する。恐怖にではない、その行動の異常さにだ。あり得ない、理解できない。まさか、まさか――――――


 俺の困惑を他所に、全力で拳を振りかぶる高藤。

 その視線の先には――――ちょうど胸の高さあたりに突き出た、鉄骨の先端があって。


「思いっきり、殴れば――――――――っ!!!」


 ――――ごぎん、と酷く鈍い音。それと同時に、なにかが潰れたような水音。夜闇に黒い飛沫が舞う。

 

「――――――痛っ、てえ」


 粘ついた声がぼそりと漏れた。――――当たり前だ、あんなことすれば。

 どんな馬鹿にだって想像は付く。普通の人間でも鉄塊を殴れば手を痛めるのだ、イドルムで強化された状態で拳を打ち付ければ――――そんなもの、ばきばきに壊れて当然だろう。

 ――――意味がわからない。こいつはいったい何がしたいんだ……?

 右の拳を抱えるように背を折って、高藤はくぐもった苦悶を漏らし続ける。


「痛え、痛え、痛え――――っく」


 ついには喉を詰まらせて、体を痙攣させ始める高藤。

 俯いてかたかたと震える大柄な男の様子は、明らかに尋常ではなく。

 それでも油断はできない、気を抜くわけにはいかないと、奴の様子をじっと観察し続けて俺は――――ようやく気付く。


 高藤は決して、苦しんでいるわけではなかったのだ。







「―――――――くっ、ひひひひッ」




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