4-3 フェノ=悪性




 紫髪にベレーを乗せたオーバーオールの少女は、ふわふわと宙を浮きながらにやにやと八重歯を見せる。

 その歪な笑みは、夢の世界へ初めて来たときからずっと変わらない。

 変わらず不気味で、変わらず鬱陶しく、変わらず癇に障る。


「いやはやまったく本当に驚いたよヨータロー♪ やるやるとは思ってたけどまさかボクの正体にまで気付いちゃうなんてさあ? カマかけがたまさか当たった感じはあるけど運も実力の内ってやつかな? 一応ボクとエミリーのことはハルシオンの上層部しか知らないトップシークレットだったんだけど――――」


「邪魔だ」 


 目の前でふわふわとしているフェノの顔面へ向け、容赦なく拳を向けた。そのよく動く口ごと消し飛ばしてやろうとして――――しかし当たらない。

 ひらりと身をかわして口笛を吹いたフェノは、両掌を前に突き出して焦るようなポーズをし。


「どうどうどうどう! いやだなあ、勘違いしないでよね? ボクは別にキミの邪魔をしようなんて思ってるわけじゃないんだよ。むしろ逆! 応援、補助、サポート、手助け、なんでもいいけどボクはキミのために動いてあげるつもりだよう? ほらほら、『第二監獄』でのこと、忘れたのかい?」


「……脱獄の件か」


 そう。理由は分からないが、囚人連中に情報を撒いて脱獄を扇動していたのはフェノだ。状況的に見てそれは間違いないだろう。


「そうだよそれそれ! ちゃんとした実績があるんだから信頼くらいしてくれてもいいんじゃない? 確かにボクはあそこで伸びてるエミリーの悪いところを集めて固めて人の形にしたようなサイテーな奴だよ? でもそれはそれ、これはこれ。ボクはキミのやりたいことを応援してるし補助もしてあげたい。これは事実なんだよ? そしてキミは、果たすべき目的のために清濁併せ呑む必要がある。違うかい?」


 語尾を上げてにたにたと笑うフェノにいちいち神経を逆なでられるも、その言葉には反論できなかった。

 カナメはこの領域の中にいる。そのことは恐らく間違いないだろう。

 ただ、具体的にどこにいるかまでは分からない。その上、いつまでこの領域に留まってのかもわからない。

 今この瞬間にも、カナメはどこかへ行ってしまうかもしれない。


 俺が抱くその焦燥を理解した上で、フェノは言っているのだ。お前に選択肢なんて残されていないのだ、と。

 舌を打つ。同時にフェノが心底愉しそうにけらけらと笑って。


 ――――それにしても。

 ……脱獄の手引きにせよ、このタイミングでの接触にせよ、確かにフェノは俺の手助けをする気のようなのだが。

 チュートリアルや『第二監獄』での会話から察するに、この幽霊はハルシオン行政府側の人間――あるいは存在と呼ぶべきか――であるはずだ。


 はっきり言って、俺が目的を果たせばハルシオンとっては大打撃だろう。だというのになぜフェノは俺に力を貸そうとするのか。


「お前は……いったい誰の味方なんだ」と怪訝に問えば、返ってきたのはまたしても嗤い声。どことなく小馬鹿にしたような口調で、紫髪の幽霊はさえずる。


「味方? ボクが誰かの味方なんてするわけないじゃないか。ボクはね、言ってみたら悪感情の塊なわけ。そういうイドルムとして生まれてきてるんだから、性根が腐ってて当然なのさ。つまりは『ナチュラルボーン嫌な奴』ってこと。そんなやつが、ホントの意味で誰かの味方なんてすると思う? 利用はしても献身はしない。全ては私欲に基づく打算の上にあるってこと。ボクはボクのためにしか動かないんだよ。

 だからこそ敢えて言っておこうか。――――ヨータロー、


 口角を吊り上げ歪に笑み、最上級に胡散臭い表情を浮かべるフェノ。

 その自覚の仕方、振舞い方に怖気と狂気を感じた俺は、嫌悪に眉をひそめて。


「……どこまで腐ってんだ、お前」


「そう望まれたんだ、そうなって当然だろう? 全ては夢の世界の仕組みがゆえさ。悲しいかなボクたちには、そういった人々の私利私欲に鎖でつながれて哀れに生きるしか道が残されていないってことだよ。悲しいねえ、辛いねえ、無情だねえ? キミもそう思うだろう、ご同類?」


「……同、類?」


 思わず語尾を上げ、眉間にしわを寄せる。同類、とはどういう意味なのか。

 少なくとも俺は、フェノにシンパシーを感じたことなど全くないが……と、内心首をかしげていると、当の紫髪の幽霊はぽかんとした表情を浮かべて。


「あれ? あれあれ? あれあれあれあれえ? キミひょっとして……まだ気付けてないわけ? 思い出してもないわけ? 全く理解してもいないわけ?」


「……なんの話だ」


 聞き返せば、フェノは呆気にとられたような顔をして――――直後、盛大に吹き出した。


「あは、あっははははは! え、嘘、嘘だよね? 気付いてないの? 気付いてないんだ? ……くふ、くふひひっ、あはははははっ! そっかそっか、こんなこともあるんだねぇ? まさかまさか、自分のことをなにも分かってないのにここまで来れたなんて……あははっ、逆にすごいよヨータロー! っはは、あっはははははははっ!」


 宙をくるくると飛びながら、一人で腹を抱えて笑うフェノ。

 なんだ、なにをこいつはそんなに笑っている。同類とはどういう意味だ、俺はなにに気付いていないというのか。

 かき乱される心のままに「おい、なにがおかしいんだよ……!?」と口にすれば、フェノは輪をかけて笑った後、こちらに背を向けて。


「知りたかったら付いてきなよ? 鬼さんこちら、手の鳴る方へっ♪ あっはは、あっはははハハはははは――――!」 


 投光器を夜闇に輝かせる鉄塔を背景に、紫髪の幽霊は笑って飛んでいく。

 反射的に、脚が動いた。意識するよりも早く体が動く。本能が、心の底からその答えを欲していた。

 走る、疾走する。空を駆けるフェノを必死で追いかける。


「キミさ、そもそもおかしいと思わなかったの?」と、上空からこちらを見下ろしてフェノは言う。「順調すぎるよね? 障害が無さすぎるよね? キミがこの世界に入って今何日目? それでもう自分の目的を達成できちゃうのって普通に考えておかしいと思わない? 相手は『市街』のトップに君臨する支配者だってのにさあ?」


「それは、お前や酒匂が、俺を利用して――――」


「そうだよ、そうなんだよ! ボクはボクの都合で、サエっちはサエっちの都合でキミの味方をした! そして、それ以外の人間はほとんどキミの邪魔をしていない! 唯一敵対したエミリーは、偶然知られてしまった急所を突かれて精神がボロボロ! そしてあれよあれよという間に妹のすぐ近くまで辿り着いて! っくくく、なんて幸運なんだろう? なんて僥倖なんだろう? まるで運命がキミに味方してるみたいだ! っははは、あははははははっ!」


 夜空をぐねぐねと蛇行するフェノは、紫髪をなびかせながら下品に大笑いしている。なにも理解していない俺を見下し、あざ笑うかのように。


「夢を否定して一切信じないキミの願いが、ここまで容易に叶うなんてねえ? 自分の夢を馬鹿みたいに狂信してる人は他にたくさんいるってのに! キミの言う通り、やっぱり夢の世界は狂ってるよ! まともな場所じゃあ断じてない! あっはは、おっかしい! おかしくて仕方ないなあ! っくくくひひ、っはははははは! あはははははハハハはは――――――!」


「だから、なにがおかしいって聞いてんだよっ……!?」


「ていうか逆に、本当に気付いてないの? 自分のことなのに? それがボクにはてんで分からないんだよなあ。だってさあ、動機からして不自然じゃん? いくら妹を助けるためだからって、キミみたいな現実主義者の理屈屋が眉唾のオカルト話信じ込んで自殺スレスレの真似までする? 自分で考えてみなよ、ありえなくない?」


 そう問われた瞬間、心臓を掴まれたような感覚に陥る。

 ――――言われてみれば……なぜ俺は、あそこまで思い切れたんだろうか。

 カナメは大切な存在だし、命に代えても取り戻したいと願ってはいる。

 だが俺の性分を考えた時、『死にかければ夢の世界に行ける』なんていう馬鹿話を頭から信じて命を懸けるのは確かに……ありえない、のだ。


 あらゆる手段を講じ、手を尽くした。でも結果は芳しくなかった。だからオカルトに頼らざるを得なかった。そういう理屈で事を進めたはず、だが。


 改めて目の前に突き付けられた事実に、頭の奥が鈍く痛んだ。

 俺は確かに自分の意志で行動していたはずなのに、記憶を掘り返して思い出した自分自身の動機が、腑に落ちない。


 ――――なんだ、なんなんだこの違和感は。


「で、こうやってヒントを与えればなにかに気付きそうになるのに、勘がいいはずのキミは未だ答えに辿り着けない。不思議だねえ、ホントに不思議。まるでわざとらしくアタリを避けてるみたいに――――――って、ああ、そういうこと?」


 その瞬間、フェノの表情がすっと変化する。含みのあるにやけ顔が一瞬のうちに冷めた真顔になり――――それから徐々に、再び喜色ばんでいって。


「敢えて気付かないようになってるわけか。――――そのほうが。そっかそっか、そういうことね、なるほどなるほど。

 っくくく、あは、あっははははっ! これは一本取られたねえ! そりゃそうか、余計な事に気付かないほうがいろいろとスムーズに進むもんねえ? あははっ、っはははははは!」


 再びの大笑。空を舞いながら愉しげに笑うフェノを必死で追いかける。呼吸を乱され、精神を掻き回され、体力をすり減らされ、いら立ちを掻き立てられて。


「勿体ぶりやがって……! なんなんだよ、さっきから! なにがそんなに面白いってんだ、答えろぉッ――――!」


「あっははは――――――教えてあげなぁい♪ っていうか、今のキミになにを教えたところで多分聞き流されちゃうと思うしぃ? でもでも、なんにも教えてあげないのは流石にフェノちゃん忍びないから、代わりにとっときのマル得インフォメーションをプレゼントフォーユーしちゃうっ♪」


 相変わらずの鬱陶しい口調で、フェノはべらべらと言葉を回す。くるくると夜空を飛び回りながら、心底愉快そうな嗤いを浮かべて。


「これチュートリアルの時も似たようなこと話したけど、RPGの序盤ってさ、はなっから負けが確定してるタイプのイベントバトルとかよくあるじゃん? そんときに出てくる敵って、終盤の大事な場面とかで大抵もう一回出てきたりするよね。改めて雌雄を決する~みたいな感じで。いわゆるお約束、テンプレート、あるある展開ってやつ。ベタだけど盛り上がるよね、テンション上がっちゃうよね? 

 ってことでさ――――――」


 その言葉を区切るように――――ばごん、と硬い物が砕ける音がして。

 直後、ぎぎぎという耳障りな軋みとともに、前方に立っていた鉄塔が傾いていく。

 こっちに倒れる――――そう悟った瞬間急ブレーキを掛けて全力で反転。元来た方向へと必死で駆ける。

 背後に大きなものが倒れ迫る気配。焦燥が募る。間に合え、間に合え―――――

 

 そして、なにかが背をかすめるような感覚がした直後――――巨大な地響き。


 振り返れば、ぐにゃりとへしゃげて倒れた鉄塔があって。

 壊れた投光器が発する火花に照らされて、現れたのは――――曲がった鉄骨の上に立つ、大柄の男。


 黒いパーカーのフードを目深に被ってなお、その視線の鋭さと剣呑さを隠し切れていない。男が漂わせるのは、酷く淀んで粘ついた、暗い気配。

 記憶がフラッシュバックする。衝撃と痛みがぶり返す。思わず心臓の位置に手が動いた。奴は、奴は――――――


 慄く俺に、フェノは嗤って言う。その光景は、いつかのことによく似ていて。





「――――――テンプレ通り、再戦といこうか?」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る