4-2 柳英美里=善性
「なんですか、それ。今更揺さぶりを掛けようとでも?
まさかわたしが、ここに至ってそんなものに乗ると思ってるんですか?」
顔をしかめて警戒感を露わにする柳に、俺はゆっくりと首を横に振る。
「……本当、あんたは正直な反応するよ。しかも、嫌味も混じり気も感じない。こんな正直な奴、今時珍しいんじゃねえかな。
――――だからあんたは、不自然なんだよ」
改めてそう言えば、柳は眉をひそめて「……意味がわからない。煙に巻くつもりですか?」と怪訝な表情を浮かべる。しかし、反論らしい反論は返ってこず。
恐らく、まともにやりとりをする気はないのだろう。そして同時に、強引に事を進める気もない。
彼女の側にはこちらを真面目に相手する理由がない。その上、無駄な時間を使って困るのは俺の方だ。ぐずぐずしているうちにカナメが引き上げてしまったら、次のチャンスがあるかどうかもわからないのだから。
つまり柳は、俺が強引な行動を取らない限り動かない可能性が高い。このままずるずると時間切れまで粘る気なのだ。
それは恐らく彼女自身の温和な性格も影響しているのだろうが――――その隙、その甘さ、利用しない手はない。俺は言葉を続ける。
「夢の世界は異常だ、正真正銘狂ってる。それは別に俺の主観だけの話じゃなくて、れっきとした事実だ。なにせ、こんな場所がなににも抑制されずに平気で存在してるんだからな」
妙な薬を製造し続けばら撒き続ける、中毒者だらけの工場地帯。
その存在は明らかに
リリアンは言った。『悪行、非道、大いに結構』と。つまりはそれが彼女らの倫理観なんだ。自分たちの周り以外はどうでもいい、それこそ泣こうが喚こうが死のうが知ったことじゃない、と。
そんな倫理が平然とまかり通っている世界が、まさかまともであるわけもない。
「だからそう、こんな世界に長くいれば、誰だって頭がおかしくなる。
事実、俺が夢の世界で会った人間は、ほぼ全員が頭のネジをダースでどっかにやったような奴ばかりだった。
デバガメ幽霊、パーカーの大男、白髪のゴス女にあの赤毛メイドも。監獄の囚人共も、頭のトんだ異常者連中もそうだ。誰一人まともな奴がいなかった。……あんたを除いて」
柳の表情が動いた。眉がぴくりと吊り上がり、怪訝な色がさらに深まる。
そう、柳はまともなんだ。生死などの常識をやや夢側に囚われているだけで、その精神性は驚くほどにまっすぐだった。
それが俺にはどうにも不自然に感じられたんだ。……なぜ彼女だけが? と。
「これをどう考えるか。あんただけが例外だったのか? いや、そう判断ずるには少々証拠が足りなさすぎる。
だから俺は、ひとつ仮説を立ててみた。……ひょっとしたら、柳英美里もまともじゃないのかもしれない」
「っ……随分な言い草、ですね」
苛立ちなのか同様なのか、一瞬だけ目を見開いた柳は、震える声でそう言って。
――――なんにせよ、感情は動かせてる。……ってことは、あながち的外れなことも言ってないってことだ。
柳の正直な反応を答え合わせとして、俺はさらにその仮説について語っていく。
「あんたとしっかり喋ったのは、『第二監獄』での三日間だ。それを片っ端からよくよく思い出して、それについて考えてたんだけどな。
……どうも、引っ掛かるんだよ。不自然なことがあった」
「引っ掛かる……?」
「あの三日間、あんたがいない間はフェノが俺の近くに居た。
というより、あんたが俺の近くにいる間はフェノが寄ってこなかったって言うべきか。実際、今もそうだしな。
なんにせよあんたとフェノは、俺の目の前で一回も顔を合わさなかった。
……フェノ自身が言ってた通り、あんたがあの幽霊を嫌いってのは本当らしいな」
聞けば柳は、わずかに目を伏せて眉をひそめる。……それは、驚きや怪訝さから来る表情の変化ではなく、どちらかと言えば嫌悪に属するもので。
柳は、彼女にしては低めの声でぽつりと「……ええ」と漏らして。
「正直、顔も見たくありません。積極的に避けてはいます。だったらどうしたんですか? あの幽霊さんと私の仲が悪いからって、それがどうしたって――――」
「だったらなんであんたは、フェノしか知らないはずのことを知ってた?
チュートリアルで俺が傷を負った時の状況を、なんであんたは詳しく知ってたんだ?」
柳の言葉を断つように問うて、彼女へ迫るように一歩だけ前に出る。
そう、それが一番の疑問だった。……俺が怪我を負った時の詳しい状況は、フェノとあの黒パーカーの男しか知らないはずだ。
――――なら彼女は、いったい誰にそのことを聞いたのか。
柳は答える。その唇は、なぜか細かく震え出していて。
「そ、それは……あの時も言いましたけど、幽霊さんに――――」
「フェノはこう言ってたぞ。『こっそり近付いても強引に追い払われ』るから、『基本的にあの子の傍には近づかない』。それにあんたも今さっき『積極的に避けてはいます』って言ったじゃないか」
「で、でも、それは、仕事に関わることですから――――」
「なら逆のパターンはどう説明する?
あんたにしか話してないことを、なぜだかフェノが知っていた。俺が夢の世界に来た目的がカナメを助けることだって、あいつは知ってたんだよ。それはあんたが『話半分にしか聞いてなかった』ことなんだろ? さっきそう言ったはずだよな? だったら……あんたの仕事とどう関係がある?」
また一歩、前に出る。問い詰めて迫るように。柳の顔色が、だんだんと蒼白に近付いていく。
「それにな……あんたに俺の目的を伝えた後、フェノの口からそれを聞くまでの時間が短すぎる。間に気を失ってたのもあるけど、精々が数時間ってとこだろ。しかもその間のほとんどの時間、あんたかフェノのどちらか片方が俺の傍にいた。
合間を縫って情報を交換し合うこと自体は不可能じゃない。けど……あんたらはそんなに密に連絡を取り合ってるのか? 頻繁に顔を合わせてるのか? いいや、そんなことはないはずだ。なにせ仲が悪いんだからな」
フェノがいる場所に柳は来ない。柳がいる場所にフェノは来ない。これはよほどのことが無い限り崩れない大前提なのだと思われる。
実際、脱獄の件から今に至るまで、あの馬鹿騒ぎ好きでデバガメのフェノが姿すら見せてないのだから。
「あんたとフェノとはお互い嫌い合ってて、不干渉を徹底してる。それは簡単に予想が付くことだ。
――――だったら、という話になる。
だったらなんであんたとフェノは、碌に顔を合わせてもいないのにお互いが持つ情報を密にやり取りできていたのか。
……その理由としてひとつ、推論を立ててみた。間違ってたら否定してくれていいが――――」
また一歩、前に出る。同時に、柳がたたらを踏んだ。
「――――フェノはあんたのイドルムだ」
「ぇ……ぁ……」
柳のその声はひどく細く、かすれてほとんど聞こえなかった。
ただ、彼女の青白い顔色と震える唇から、俺の予測が的中したことは明らかで。
――――本当に、あんたは正直だよ。と、内心で同情を向けて。
……過去に一度、フェノは彼女自身を指して『
それを聞いた直後はなんのことかさっぱり意味が分からなかったが……今ならわかる、あれはイドルムの名前だったのだろう。フェノという名も、その短縮形だ。
「そう考えると説明はつくんだよ。なにせ相手は自分のイドルム、言ってみれば己の一部なんだからな。わざわざ言葉に頼らなくても情報のやり取りはできるだろ。
……ただ、この考えを採用して通したとき、もう一つ気になることが出てくる」
また一歩、前に出る。再び柳は後ずさる。
か細い「い、や」という声は、努めて聞こえない振りをして。
「フェノは、あんたのどういう妄想や欲望で生まれたイドルムなのか」
その理論でいくとあのひねくれデバガメのフェノは、正直者である柳の人格から生まれたということになるのだが……それは少々、不可思議なのだ。
「フェノは端的にクズだよ。覗き見デバガメが趣味の時点で最悪だし、人が苦痛にもがいているところを見て心の底から大笑いできるところなんか最低だ。
夢の世界に来たばかりで右も左もわからない人間に、チュートリアルとかいう胡散臭い名目ふっかけて突拍子もない目に遭わせて、その戸惑う様を見てにやにやしてやがるあたり性根が腐ってる。
そんな糞みたいな奴がどうして、あんたみたいな性根のまともで性格の真っすぐな人間から出てきたのか。あんなものは、一等ひん曲がった願いからしか生まれ得ないはずなのに」
……人の心の中なんてのは簡単に測れるものではないが、少なくとも俺は柳の性格の良さを本物だと考えている。だから、わからなかった。
柳とフェノとの関係が、どう考えても綺麗な形に収まらない。真っ当な奴からクズが生まれるもっともらしい理屈が、想像できなかった。
「……と、ここまで考えて気付いたんだ。前提が違う。
考え方が逆だったんだよ。順番を入れ替えれば納得ができた。
つまり、フェノみたいなのが出てきたからこそあんたの性格は真っすぐになった。そう考えれば全て筋が通るんだよ。要は――――」
言いながら一歩、一歩と距離を詰める。それに合わせて柳も後ずさる。
瞳を潤ませ怯える彼女へ、少しの罪悪感を抱きながらも――――容赦をするつもりは一切なかった。
「『
――――それこそが致命の事実。
性根からの善人である柳英美里が持つ、唯一にして絶対の悪。
「基になってる願いは『汚い感情を抱きたくない』とか、そんなところか?
……そりゃあフェノのことが嫌いで当然だ、顔も見たくないに決まってる。なにせあいつは、あんた自身の黒い部分が凝り固まった存在なんだから」
「ち、ちが……そんな、こと……」
「違うって言うんならもっと強く否定した方がいい。
これが仮に間違いだったら、俺はあんたにとんでもない無礼を働いてることになるんだからな。……ほら、どうした。反論してみろよ」
一歩一歩と詰め寄れば、柳は同じだけ後ろに下がっていく。涙をまなじりに溜めて、首を左右に振りながら。ちがう、ちがうと、口の形だけを動かして。
……柳英美里はきっと、自己矛盾を抱えている。
己のエゴによって
だから柳とフェノは別人を装い、互いを嫌悪しているのだろう。事実を真正面から突きつけられた時、彼女は自分自身の矛盾を処理しきれないから。
そこまで予測していたからこそ、俺はこの搦め手を使いたくなかった。
……俺の口にする言葉は確実に、柳英美里という少女の内心をズタズタに引き裂くだろうから。
「反論、しないんだな」と、冷たい口調を意識して言い。「つまりあんたは、自分の心の中にある悪感情を全部イドルムに押し付けて、ひとり善人面をしてたってことになる。……これで仮説は成り立ったわけだ、柳英美里もまともじゃなかった」
柳が息を呑み、つう、と涙を頬に伝わせる。その様子に胸の締め付けられる思いがして――――けれど、言葉を止めることはしない。
柳には恩がある。好意らしいものを抱いたのも事実だ。
でも俺は、それ以上に――――カナメを助けたい。助けなきゃならない。だから。
「『市街』の平穏? 生きてる人を守りたい? どの口が言ってんだ。
嫌な感情全部を夢に処理させて、自分自身をまともに見ようとしねえような半端な奴が、偉そうに正論語ってんじゃねえよ……!」
顔をしかめて、作り物の嫌悪を吐き捨てる。
それがあるいはとどめとなったのか……柳はとうとう後ろへ倒れ込み、尻餅をついて。それでもなお、一歩一歩近付いていく俺から逃れるように、手足をじたばたとさせて下がっていく。
「ち、ちがう、わたし、わたしは……っ」
涙と悲哀でぐちゃぐちゃになったその顔は、とても見ていられなくて。
歩幅を広げ、速度を上げる。それに合わせてじりじりと柳も後ずさっていくが、歩く速さには到底敵わず、見る見るうちに距離が縮まっていく。
未だ宙に浮く、大量の椅子や机。その真下からはとっくに逃れていた。
そのことに気付かない柳は、近付いてくる俺に対して酷く怯えた様子でいることしかできず。
やがて柳との距離はゼロになって――――俺は、なにも言わずに彼女の横を通り過ぎる。
後ろから「いや、いや」という上擦りが聞こえる中、それをかき消すようにがらがらと大きな音が鳴った。……例の浮いていたインテリアたちが、制御を失って全て落下したのだろう。
――――夢を維持する余裕もなくなったのか。そう感じ、思わずぽつりと呟く。
「……悪い」
その謝罪はきっと、柳には届いていない。
届いてはいけないんだ。これは単なる俺の自己満足なんだから。
俺は、俺自身の都合だけで一人の女の子の心を引き裂いた。どう繕おうとその事実は変わらない。
だからこの言葉は、誰にも届かない方がいい。そう思った。
けれど。
そういう時に限って聞き耳を立てている奴がいることを、俺はこの時すっかり忘れていたのだ。
「別に悪くないだろぉ~? 君の言ったことはれっきとした事実なんだからさぁ? もうちょっと胸張ってしっかりと言いなよ♪ ほらほら、大声出してはきはきと言いなって、柳英美里は自分の感情を自分で処理できない未熟なクソ女だ、ってさあ! ほらほら、早く早くぅ! あっはははははははァ――――!!!」
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