3-ex 『ファクトリーNo.3』:会議室
――――雑音が聞こえる。視界がざらついている。
この領域を管理していると思しき場所へ『分体』を飛ばし、こちらから攻撃勧告をしようとして。
飛ばした『分体』を具象化し、五感の情報を取り込もうとした瞬間から、それは始まった。
――――ざあざあ、ざらざらと。
年代物のブラウン管テレビよろしく、視覚と聴覚に鬱陶しいノイズが乗り始めた。灰色の砂嵐が視界を満たして、耳障りな音が鼓膜を震わせる。
他の誰かの夢に干渉されているのだろうか。そう予測した私は、『分体』の夢の出力を徐々に上げていく。
すると、目と耳を苛んでいたざらざらとしたノイズがだんだんと薄まり、感覚が晴れてくる。
そこは、会議室のような場所だった。
ぱらぱらと席に座っているのはおそらく、この領域における管理者の集団だろう。
彼らの視線の先には、リリアンと英美里がいて。……あと、もうひとり? ――――
――――ざざっ、ときついノイズが乗る。
――――なんなの、これ。
眉をひそめ、さらに夢の出力を上げていく。
途中、リリアンが身も蓋も無い露骨な表現と言葉で理論展開をしているのが聞こえてきて、思わず頭を抱えた。
そうこうしている内に『分体』の具象化がほぼ終わり、こちらからも言葉を送れるようになって。すぐに私は、赤毛のメイドへ向けて言葉を放った。
「リリアン、そういう言い草はやめてもらっていい?
言葉自体を否定はしないけど、もう少し表現を考えて。私たちにもイメージというものがあるの」
『……来て、いたの?』と、呆然とした様子で口を開いた英美里の声にはやはり、ざらざらとした雑音が混じっていて。
「まあね。今回の一件は、下手を打てば『市街』にまで影響するかも知れないし。
……それにしても、さっきからなんなの? このノイズは。妙に視界がちらつくし、貴方たちの声も妙に聞き取りにくいっていうか」
そこでふと。ようやく気付く。
あるいはそれを私は、努めて見ないようにしていたのかもしれない。
耳を突く雑音の中、ざらざらと視界に走る荒いノイズ。それは、リリアンと英美里のそばに集い、人の形を為していて。
――――心臓が跳ねる。精神がざわめき始める。
「待って。……なにか、そこにいるの?」
その問い掛けに答える人間は、誰もいなくて。
私の感じているものがきっと、他の人には見えていないし聞こえてもいない。
だから反応も何も返ってくるはずが無くて。その代わりなのか――――強烈なノイズが耳に届く。
『――――■■、■』
――――ざざざ、ざざざ、と。ただただ耳障りな雑音の塊。
だというのに、それを聞いた私の心臓は、うるさいくらいに早鐘を鳴らし続けていて。どくん、どくん。胸打つ度に心が乱れていく。口が乾いていく。額に汗が浮き始める。
「なにがいるの、ねえ」
『■■■■■、■■……! ■■、■■■■! ■■■■■■■――――!』
ノイズの塊が、少しずつ近付いてくる。ざらざらと、ざあざあと。
迫ってくる人の形の雑音は、こちらに手を伸ばしているようにも見えて。
感情がかき乱される。平静を保てない。息が荒くなっていく。
「なんなのこれ、なに……? なんの音なのよ、これはっ」
『■■■■■■!? ■■■、■■■! ■■、■■■――――――――!』
――――手を伸ばしてきた。そして、触れられた。
そう気づいた瞬間、ぶつりと視聴覚が切断されて。
はっ、と気づいたときには、目の前には夜の工場地帯が広がっていて。
――――『分体』を、消された?
呼吸が乱れる。汗が止まらない。なにが起こったのか理解できなかった。
あれは、あのノイズはなに? いったい私にはなにが見えていたの?
なんで、なんで私は――――こんなにも、怯えているの?
唾を呑む。膝に手を吐く。頭がくらくらと回っていた。
「おい」
と、頭上から声がかかる。
はっとして顔を上げれば、そこには目付きの悪い巨漢が立っていて。
目深にかぶったパーカーのフードの下から冷たい眼光を覗かせ、こちらを見るその男――――
「なにがあった」
低く粘ついた口調で短く問われ、焦燥していた精神が冷め始める。
――――そうだ、今は動揺している場合じゃない。
私はハルシオンの主席なんだ、こんな場所で平静を失ってはいけない。その義務感が、私の心に立った波を強引に打ち消していた。
「飛ばしてた『分体』を消された。たぶん、例の無効化能力」
「そうか。…………そうか、そうか」
なにかを深く確認するように二度三度と頷いた高藤は、こちらに背を向けて工場地帯へと視線を向け直した。警邏局長として、現状を正確に把握したいのだろう。
「で、どうする。このまま局員全員で潰すか」と、背を向けたままに高藤が問うてきて、私は首を横に振り。
「いいえ。私のイドルムの『分体』がああもあっさり消されたってことは、通常の夢は一切通用しないと思った方がいいわ。
……この場を完全制圧するには、私たちで対処する必要がある」
今連れてきている人員の中でイドルムをまともに扱えるのは、私と高藤の二人だけ。本当は、私たち指揮系統の人間が直接出張る事態は避けたかったけれど……この際、四の五の言っていられない。
「……一応、聞いとくが」と、高藤は再び口を開いて。
「そいつは今『第二監獄』預かりだろ。で、お守りにはあの猫も付いてる。そんなやつに手を出していいのか」
「構わないわ。事ここに至って、冴の息がかかった人間なんて誰一人信用できない。後々あの子からケチ付けられようがこの際関係ないわ。いざとなったら、私の権限で全部ひっくり返す。
だから今は、この領域を完全に潰すことだけを考えて。こんなくだらないことで『法典』を揺らがせるわけにはいかないの……!」
「そうか。……それ聞いて安心したわ」
と、最後に付け足した言葉のトーンが、いつもの粘ついた声とは少しズレていたことに気付いて。
違和感。普段のあの、諦観に腐って淀んだ高藤じゃない。
今あいつの表情は見えないけれど、まとう雰囲気がわずかに変化していることだけはわかった。……いったい、どんな心境の変化があったのか。
「……頼むから余計な事だけはしないでよ?」と、釘を刺すように聞けば、無言の
――――信じるしか、ないか。
あとはもう、なるようにしかならない。そう思い、煌々と輝く工場を眺める。
……制圧自体は着々と進んでいる。このまま行けばなんの問題もなく、領域内の人間のほとんど全てを無力化することができるだろう。
――――ただ、問題は……彼。
思い出した瞬間に、心が再び波立ち始める。
駄目だ、今精神を乱すわけにはいかない。と、己の立場にのしかかる責任感だけで強引に、内心に荒れる波をせき止めて。
まだ息は荒い。脈も速い。汗も浮いている。けれど耐えなければ、耐えなければ。
――――落ち着いて、落ち着いて。まだ彼が私たちに抗ってくると決まったわけじゃない。それに……仮に彼が私の方へ来たとしても、こちらには高藤がいる。
警邏局長、高藤立志。その戦闘能力はハルシオンの中でも上位に位置している。高藤なら十分、止められる。
そう自分に言い聞かせて、必死に心の中を落ち着かせて。
でも、精神は完全に落ち着く気配を見せてはくれない。
なにも、否定できない。拒絶できない。だから安心できない。
彼はここまで辿り着かない、と――――そんな可能性を欠片も信用できない自分が、なぜだか心の中に居て。
前兆が、予感が、絶えず私の心を揺さぶっている。恐らく――――
――――彼からは絶対に、逃げることができないのだろう。
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