3-8 自由=自由
――――がしゃあん、とガラスの割れる音。
三人で硬いフロアに転がり出る。すぐさま立ち上がり、体に付いたガラス片を払って周囲を警戒する。見えたのは、長机とチェアの並んだ広めの部屋。
それぞれの席に座っている若い男女が、驚愕の目線をこちらへ向けている。どうやら会議室らしき場所へ入り込んだらしい。
「全員、動くな。少しでもおかしな真似をすれば首を
赤毛のメイドの鋭い声が会議室に響き、室内に剣呑な緊張が走る。
完全なる不意打ち。それに成功したのはいいが――――。
「……最上階までジャンプで直接突っ込むのは、さすがに予想外だ」
「これが最短ルートだ」
平然と言い切ったリリアンは、マチェットを両手に構えて周囲を睨んでいる。
――――いや、確かに最短は最短なんだろうけど。
やはりこのメイド、冷静に見えるだけで短絡的な性格をしているらしい。
「障壁、展開しました。出入口は完全に塞いでいます」と、柳。先ほどまで使っていた不可視の防壁のようなものを部屋全体に張ったらしい。
「結構。ご助力感謝します、柳局長。
さて、これで貴様らに逃げ場はなくなったわけだが。
私は無駄な争いを好まない。できる限り穏便な方法で事を進めたいが、いかがか」
言葉とはうらはらに露骨な殺気を飛ばし、会議室の面々を威嚇するリリアン。
彼女の気迫に圧されてか、誰も言葉を発しようとはしない。
――――いや、違う。……なにか様子がおかしい。
うなだれている女、眉間に指を押し付けている男、頭を抱えている青年。彼らから感じるのは、脱力と諦観だ。
緊張に口を閉ざされているというより、未来を失って呆然としている、という表現の方がしっくりと来る。
これはいったいどういうことなのか。
疑問に思う最中、気付く。足元のフロアに広がる、赤い水たまりに。
耳をすませば、ぽたり、ぽたりと雫の落ちる音。……その音の元を辿っていくと、机に突っ伏して眠っている、黒いツナギ姿の男が目に入る。
例の脱獄犯。その様子を見て一目で理解した。――――奴は、殺されたのか。
「好きにしろ。……ここまで来たら、なにをする気も起きねえ」
スーツを着た若い男――恐らくはこの領域の代表者だろう――が、気の抜けたような声でぽつりと言った。リリアンはそれを鼻で嗤って。
「諦めの早いことだ。原因を嬲り殺して憂さを晴らせたらそれで満足か? それとも……ここまでのことになるとは誰も思っていなかったか」
「っ……!」と、スーツの男は唇を噛む。
「貴様らはいったい誰の怒りを買ったのか。現状をもってよく理解しただろう? いい経験になってよかったじゃないか」
侮蔑を込めたリリアンのその言葉に違和感を抱いて。
……その疑問を口にしたのは、ほぼ反射的なことだった。
「ちょっと待て。ここまでのこととか現状って、どういう意味だ。なにを指して言ってる?」
現状、敵の中枢部らしき場所に俺たちが食い込んでいるのは確かだ。
ただ、かといってこの『ファクトリー』を追い詰め切れているかというと大いに疑問が残る。
なにせ、俺たちはたった三人だ。相手はここにいるだけでもその三倍はおり、部屋の外にはより多くの人員が控えているはず。
だというのにリリアンは、まるでチェックメイトが成ったかのような高慢さを見せており……その自身の根拠がなんなのか、俺には皆目見当がつかなかった。
だからこその先の質問に、リリアンは視線すらこちらにやらず、平然と応える。
「気付いていなかったのか。窓の外を見ろ」
言われるまま振り返り、大きく割れてしまった窓の外を覗き込む。
いくつかの鉄塔越しに、例のプレハブの街を見下ろす景観。メインの工場地帯は逆側にあるので、視界は大きく開けていた。
――――だから、その光景をはっきりと見て取ることができたのだ。
「これ、は」
飛び交うカラフルな光弾とビームは、連続的な銃声に掻き消される。
跳ね回り叫び倒す頭のおかしい連中が、次々と血塗れになって道端へ倒れていく。
異常者を殺して回るのは、夜闇に溶けそうな紺色の制服をまとった集団。
ひとりひとりが自動小銃を携えた彼らは、整然と隊列を組んで進み、次々に容赦なく発砲を続けている。
「『市街』の、警邏局員……?」と驚いたような声を発したのは柳だった。
「肯定です」とリリアン。「冴様が手を回したのでしょう。動員可能な警邏局員は全員召集されているようです。見る限り、様相は殲滅戦、といったところですか。
もうじき、この領域は終わりを迎えるでしょう」
「そんな……ここまでするなんて……」
柳は口元に手をやり、地上で繰り広げられる惨劇を呆然と見つめている。彼女の言葉に「必要な処置です。私たちにも、
その視線に堪えかねたのか、男は「くそ……!」と机を拳で叩き、リリアンをきっと睨み返す。
「お前ら、なんなんだ……! そりゃあ確かに俺たちは『法典』の決めごとに背いてるし、脱獄犯だって出しちまってる。だけどな、だからってここまで殺しまくるのはアリなのかよ? お前らの掲げるモラルとやらには反さないのか? 『法典』の正しさってのは随分とアバウトなんだな、おい?」
多分に挑発的な響きを含んだ、男の言葉。
それを受けてリリアンは、売り言葉に買い言葉と激情を露わにする……かと思いきや、目を丸くしてきょとんとした表情となり。
予想と違うその反応に、男も俺も身構えていると。
――――くく、とくぐもった笑い声。
赤毛のメイドは堪え切れないといった様子で含み笑って。
「貴様まさか、私たちが正道の道理や理屈で動いていると本気で思っているのか?
だとしたら、随分と幸せな頭をしている。それもなにか? そのグズグズに甘い物の見方も薬の影響というやつなのか?」
馬鹿にしたように語尾を上げ、これ以上なくせせら笑うリリアン。
その言葉は、隠し切れない剣呑さと狂気を
男の委縮した様子にリリアンはさらに嘲笑を深めつつ、言葉を続ける。
「『法典』の正当性や倫理道徳は、それに従う『市街』の人々へのみ向けられるものだ。彼らを律し、かつ守る。『法典』の役割とはそれに尽きる。夢の世界に善性を説こうなどと、そんな頭の沸いた考えをしているわけでは断じてない。
分かるか? 『法典』は『市街』のためだけにある。それはハルシオン行政府も『第二監獄』も同じだ」
「……なら、なにか。お前らは、『市街』の外の人間がどうなろうと知ったことじゃないって言いたいのか?」震える声で問う男に、リリアンはまたも嗤って。
「その通りだ。なんだ、よくわかっているじゃないか。
本音を言えば、貴様らの素行や態度などどうでもいいんだよ。悪行、非道、大いに結構。『市街』や『第二監獄』の外でやる分には私たちも関与しない。好きにすればいい。それこそ貴様らの願い通り、自由にな。
だが、貴様らの存在が『市街』にとっての害となるなら話は別だ。私たちは全力で貴様らを潰し、殺し、消す。それこそどんな手を使ってでも」
言って、赤毛のメイドはその表情に冷徹と殺気を宿す。
その気迫に唾を呑んだスーツの男へ、畳みかけるようにリリアンは言葉を重ねる。
「単純に言おう。貴様らが裁かれるのは、その行いが倫理道徳に反するからでも、社会的な悪だからというわけでもない。
――――私たちにとって都合が悪いからだよ」
強い思い一つで全てを変えられる。強靭な願いは万物を捻じ曲げる。
それはあまりにも無情で、しかしこれ以上ない真実。夢の世界の真理だった。
眼前にその事実を突きつけられたスーツの男は憎々しげに唇を噛み、再び机に拳を叩きつけて、どろりとした怨嗟を吐き捨てる。
「お前らは、腐ってる……!」
そして、その激情がなにかの琴線に触れたのか、リリアンは「くははっ」と吹き出して笑い。
「その通り、私たちの性根は腐っている。権威を笠に着て傍若無人に振る舞い、自己の都合だけで物事を見定めているんだよ。『法典』に従わない糞共を心底見下し、人としての扱いすらしようとしていない!
ああ、なんという
ついに堪え切れなくなかったのか、リリアンは腹を抱えて呵々大笑し始める。
マチェットを握る拳で
ひとしきり笑い終えた後、口の端を笑いの余韻に引きつらせながら、赤毛のメイドは冷酷な視線を周囲に遣って。
「――――しかし死ね。正しくとも死ね。問答無用に死ね。抗えもせず無残に死ね。私たちの都合だけであっさりと死ね」
なんの道理も通らない非道。理屈にもなっていない屁理屈。
しかしそれが、なににも邪魔をされずにすんなりとまかり通ってしまう。
一等悪辣な原理原則。こんなものに日常的に触れていて、頭がおかしくならないわけがない。
だから皆、イカレているんだ。フェノも、酒匂も、リリアンも……今まで会った人間全員、頭のネジがことごとく抜けている。それは、ある意味当然のことなのかもしれなかった。
赤毛のメイドの狂った言葉が響き、会議室が静寂に包まれる中。
『リリアン、そういう言い草はやめてもらっていい?』
その静けさを初めに破ったのは、聞き覚えのある――――しかしどこから響いたのかは判然としない――――優しい声だった。
『言葉自体を否定はしないけど、もう少し表現を考えて。私たちにもイメージというものがあるの』
そして、会議室の真ん中に、突如白い影が姿を現す。
女性らしい流線形を持つ小柄なシルエットは、徐々に輪郭を明確にしていき。
彼女がまとうのは、純白のロングコート。どこまでも穢れの無い、無垢な白。
「……来て、いたの?」と、呆然とした様子で口を開いたのは柳だった。
『まあね。今回の一件は、下手を打てば『市街』にまで影響するかも知れないし。
……それにしても、さっきからなんなの? このノイズは。妙に視界がちらつくし、貴方たちの声も妙に聞き取りにくいっていうか』
そして、顔の輪郭が明らかになる。
年齢よりも幼く見える丸顔は、記憶よりも少しやせているように見えた。
肌は瑞々しくあるが、その顔色は青白く、心配を掻き立てられる。
まなじりが少し垂れた丸い目にも、活気が足りないように感じる。
俺と揃いの癖っ毛は何故だか真っ白だが、その
……どうした、なにがあった。辛いことでもあったのか?
そう言おうとして、声が出なかった。
あえぐように、口元が動く。ぱくぱくとむなしく、しかし必死に。
『待って。……なにか、そこにいるの?』
そして、やっとの思いで声帯を震わせ、絞り出したのは。
直接呼びたくて呼びたくて、しかし今までそれが叶わなかった、たったひとつの名前だった。
「――――カナ、メ」
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