3-5 抜き足差し足=プランB
左右にプレハブの並ぶ無機質な通りを歩く。
歩調はいつも通りを意識して。極力前以外を見ないように。
視界の外から奇声が聞こえる。人が暴れている気配がある。誰かにじっと見つめられているような気がする。
ぱぁん、と銃声のような音が比較的近くから響いた。驚いて音の方へと振り返りかけて――――「見るな」と、隣からの冷たく鋭い声。リリアンからだった。
「興味を向けるな。目を合わせるな。あれらは獣と同じだ、目を付けられればなにをされるかわからない」
「っ……悪い、気を付ける」
奪われた注意を強引に前方へと振り戻し、平静を装って歩く。
左を見れば、やや硬い動きで歩く柳の姿があって。ふと目が合い、お互いぎこちなく引きつった苦笑を見せ合って。
右から聞こえてくるのは、先ほどから一切動揺を見せていないメイドの冷淡な声。
「ここにいる連中は、下手に刺激しない限りはトリップしたまま戻って来ない。
……ただ、全員が常時ハイになっている馬鹿共だ。なにがきっかけでスイッチが入るか分からない。それに、一度誰かのタガが外れれば、連鎖的に全員が暴徒化する危険性もある」
「だからなるべく冷静に、ですよね……! いつも通りに、いつも通りに……っ」
「失礼ながら柳局長、ご自身へ言い聞かせている段階ですでにいつも通りではありません。もう少し落ち着かれてはいかがでしょうか」
「ううっ……す、すみません」
リリアンからぴしゃりと忠告を受けた柳はしゅんと
――――おいおい、余計に調子狂わせてどうするんだよ。
と内心思いながら、これ以上柳に流れ弾がいかないようにと別の話題を口にする。
「で、俺たちはどこへ向かってるんだよ」
「……右前方五百メートル先、二十階建てのビルが見えるか」
言われた方向へ視線を向けると、やや遠目に建物が見えた。虹色の煙越し、工場地帯の光を弾き返しているガラス張りのビル。
「脱獄犯は今現在、あのビルの最上階北隅にいる。……どうやら奴、この領域の中ではある程度の地位を持っていたらしい。仲間数名に、『第二監獄』で体験した出来事を自慢げに吹聴している最中だ」
「……そこまでわかるのか」
「そういう能力だ。驚くほどのものでもないだろう」
顔色一つ変えず冷静に言ったリリアンは、歩きながらもさらに続けて。
「目標のビル付近まではこのまま接近可能だが、入口手前に守衛が常駐している。そのあたりからは別の方法を考えなければならない」
「で、目下の第一候補は?」
「正面突破。中まで入り込めればあとはどうとでもなる。帰路はより容易だ。わざと混乱を引き起こせば、頭の湧いた中毒者連中を肉壁にできる」
リリアンの言葉に耳を疑う。「真正面からって……あんた、本気で言ってるのか?」と問い詰めれば、涼しい顔で赤毛のメイドは「ああ」と返し。
「そもそも、見つからずに進むのがほぼ不可能だ。既に『部外者が領域内に侵入した』という情報が脱獄犯にまで届いている。奴の警戒度の上がり方から考えて、相手方へ発見されずにビル内に侵入できる可能性は極めて低い」
「だからって工夫も無しに行こうとするかよ普通……!?」
「その必要がない。ただそれだけの話だ」
淡々と応えるリリアンの澄ました態度がどこまで本物なのか、分からなくなってくる。……こいつ、本当に物事をしっかりと考えて行動しているのか?
冷静に見えるだけで、実は馬鹿なんじゃないのか。それともただの自信過剰なのか。
その頭の出来に疑いを抱きながら、怪訝な目付きでリリアンを睨んでいると、「ああ、一応のこと言っておくが」とその小ぶりな唇が動いて。
「強行突破はあくまで最終段階だ。警戒線の寸前までは慎重に進む。極力、無駄な戦闘は避けたい」
「ということは、ギリギリまではこの綱渡りが続くってわけか。
……なるほど、まるでどっかの監獄みたいだな」
その皮肉が口を突いて出たのは、ほぼ無意識のことだった。恐らく、ずっと続いている過度なストレス状態が不満となって零れたのだろう。
後から考えるに――――この言葉ははっきりと、失言だった。
「どういう意味だ」と振り返り、敏に反応したリリアンへ。
「そのままの意味だよ。デカい爆弾を抱えたまま周りの目を窺って慎重に動かないといけないところなんかそっくりだ。
それに、トップを始め中にいる全員の頭がイカレてるってのも同じだな」
半笑いでそう返せば、赤毛のメイドもまた口の端を吊り上げて「はは」と笑う。
「なるほど、笑わせてくれるじゃないか」というリリアンの目はしかし、ひとつも緩んではおらず。「なあ、囚人」と、友人でも呼びつけるような口調でメイドが言った、次の瞬間だった。
「――――――貴様、ここで一度死んでおくか?」
背後からの冷ややかな声。喉元に突き付けられる黒塗りの山刀。
いつ移動したのか、どうやって後ろに回ったのか、皆目見当がつかなかった。
発する気配は冷たく、鋭く。その鋭利な殺意は周囲に伝播し、柳の表情が一瞬で引きつる。
「く、口が滑っただけだ」と、額に冷や汗を浮かばせながら弁明するも。
「ほう、だったら喉に刃をやって正解だったな。その煩わしい声帯を喉笛ごと細切れにしてそのまま胃の中まで捻じ込んでやる。口元の滑りが良かろうが、そも言葉を発せなければ問題はないだろう。なあ?」
「ちょ、ちょっとリリアンさん、リリアンさんっ……!」と焦る柳はリリアンの腕をつかんで止めようとするが、そんなことなど気にもかけず、赤毛のメイドは殺意と激情を露わにする。
「失礼ながら柳局長。『第二監獄』、ひいては冴様への暴言は極刑に値するものです。苦痛を添えて十度殺してもなお足りない。そのあたりをこの囚人はまだ何一つ理解していない……!」
「で、でも、まずいんです、ホントにまずいんですってば……!」
と、必死にリリアンの腕を引っ張って声を張る柳は、全くと言っていいほど余裕がなく。なにをそんなに慌てているんだろう……と、周囲を見回してみて気付く。
なんの表情も浮かべず、ただただじっと見つめてくる男がいた。
ひとりでげらげらと笑いながら、近付いてくる女がいた。
鼻息荒く敵意をむき出しにしながら、食いしばった歯を見せる老人がいた。
――――目を付けられた。この、ずぶずぶにとち狂った連中に。
「……なるほど、確かにまずい」
先ほどとは違う意味の冷や汗を流す。「だから言ったじゃないですかぁ……!」と悲鳴に近い声を上げたのは柳だった。
そんな中でもやはり、赤毛のメイドは嫌味なほどに冷静で。
「仕方ない。プランBに移行する」
「ぷ、プランB、ですか……?」
正直に聞き返す柳へ、リリアンに代わり半ばやけっぱちで答える。
――――なにがプランBだ、ふざけるな。お前のせいでこうなったんだろうが……! と、赤毛のメイドへの苛立ちも込めながら。
「――――強行突破の前倒し、ってことだろ……!」
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