3-4 潜入=ファクトリー




 基底領域ベース上に無数に存在するとされる、夢の空間。

 それらの総称を単純に領域、と言うらしい。例を上げれば『市街』や『第二監獄』などだ。

 

 これら領域は、『典型的な現代の都会』であったり『囚人を逃がさない巨大刑務所』という一定の先入観や想像が基となって構築されている。

 つまりは想像ありき、ということだ。領域があってそこに人が集まるのではなく、人が密集している場所に想像が充ちて領域が発生する。


 だからこそ、領域は無数に存在するとされている。

 人のコミュニティは複雑かつ多様だ。大多数の人間は『市街』に集っているらしいが、その『市街』の雰囲気に馴染めない人間だって当然いる。

 そんな奴は『市街』から基底領域ベースへと追い出されて流浪し、やがて同好の志を見つけて新たな領域を為す。


『その典型が、脱獄した囚人が逃げ込んだ領域、『ファクトリー』というわけ。『法典』の清きに住みかねて逃げ出したドブネズミ連中の住処。とっても薄汚い工場よ』


『逃げる、って……そんな簡単に『法典』から逃げられるものなのか』


『ええ、『市街』の外に出さえすれば問題はないわ。そもそも『法典』が司っているのは『ですもの。

 全ての領域に『法典』の効力が完全に広がっているなら、それこそ私やリリアンだって強制拘束されてしまうことになるわ。だって、たくさん殺しているもの』


 とは酒匂の言。ただ、それでも『第二監獄』は例外らしく、『法典』で裁いた違反者の受け皿として生まれた領域であるという側面から、『法典』の影響を少なからず受けるのだそうだ。

 例えば、取締りそのものは発生しないが、裁定として下った夢の使用制限や拘束は残り続ける、といった具合に。


『って、特例だけに言及しても仕方ないわね。

 共通して言えるのは、各領域ごとにルールや決まりごとがあるってこと。

 くだんの『ファクトリー』は、仲間以外の人間の立ち入りを禁じている。俗になんて言われてるわね。

 要は、単に行きたいと願っただけでは入れないようになっているの』


『……じゃあどうするんだよ』


『リリアンを行かせるわ。この子の能力があれば大抵は大丈夫だから。ねえ?』


 問われた赤毛のメイドは『はい、委細問題ありません』とはっきり言い切る。

 表情は冷淡だがその態度からは自信が満ち溢れていて。……ここまで堂々と言うんなら大丈夫なんだろう。


『まあ、そのあたりは信用することにするけど。

 ……それはそれとして、その『ファクトリー』とかいう場所にも、基となる想像なり願いなりがあるんだよな?』


『ええ、もちろん。……あら、知りたいの?』


 正直に頷き返せば、酒匂は穏やかな笑みを浮かべて――――



 ◇



「『なににも束縛されない場所』、ね。……なるほど、か」


 その光景を目の当たりにしてようやく、酒匂の言っていたことが腑に落ちた。

 ここにいる人間は確かに、なににも束縛されていないのだろう。

 ……というよりはむしろ、タガが外れている、とでも言うべきか。


 ――――闇夜に煌々と輝くのは、白の投光器や赤の回転灯の数々。

 そびえたつ数々の鉄塔。そこへ幾何学的に絡みつく様々な太さの配管類。

 煙突がもうもうと吐き出す虹色の煙は、強烈な人工光を受けてオーロラのようにきらめいている。

 読んで字のごとくの工場地帯。一等大きな建造物の壁には、巨大な赤字で『No.3』と書かれている。


「……なに、これ」


 ぽつりと柳が零したのは、夜の工場施設へ向けての感想、ではない。


 輝く鉄塔群を背景に並んでいる、仮設住宅染みたプレハブ小屋の町。

 歩く人々はほぼ全員背が曲がっており、目の下にはが目立っていて。

 別段なにもせず、ぼうっと道端に突っ立っている女がいた。

 道の真ん中で奇声を発しながら寝転んでいる男がいた。

 真上の空を眺めてげらげらと笑い続ける子供がいた。


 ――――その光景は一言、異様。柳が眉をひそめるのも無理はない。

 自由……捉えようによっては確かにそう言えなくも無いだろう。

 ……彼らは恐らく、理性のくびきを自らで外しているのだ。


 くわえ煙草をしながらふらふらと歩く男が、すぐそばを通り過ぎた。

 ふわりと香った煙の臭いは、明らかにただの煙草の臭気ではなく。

 ふと足元を見れば、割れたプラスチックの筒が転がっていて。


「うっ……」と、柳の声が上擦うわずった。


「おい、大丈夫か?」と彼女の様子を窺えば、ただでさえ白い肌から血の気が引いて、青白い顔色となっており。


「だ、大丈夫です……少し、驚いただけですから。大丈夫、大丈夫です」


「ならば先を急ぎましょう。勘付かれる前に標的を捕えなければ」


 その急かすようなリリアンの言葉の非情さに怒りを感じ、「おいあんた、もう少し言い方ってもんが――――」あるだろう、と続けようとして。


「――――この領域には『法典』の力が一切及んでいない。

 その意味を十全に理解していれば、こんな場所で無駄口を叩いている余裕などないことは自明のはずだが」


 そう突き付けられ、言葉を詰まらせる。

 正論を振りかざすリリアンはどこまでも冷徹で、かつ的確だった。

 そう、忘れてはいけない。ここは敵地だ。なにをされてもおかしくはないし、助けを求めたところで意味はない。その事実を改めて認識し直して。


 一方の柳も、うつむけていた顔をしっかりと上げていた。その顔色からは、いつのまにか具合の悪そうな青みが消えていて。


「すみません、もう大丈夫です。今、三半規管と嗅覚を少し麻痺させました」


「……そんなことできるのか」


「ええ。わたし、医療局長ですから」


 ――――それとこれとは関係があるのか? 

 と頭の中で首を傾げつつも、顔色が元に戻った柳の様子を見てとりあえず安心しておく。


「復調したのであれば結構」とリリアンは、「このあたりはまだ比較的安全ですので、今のうちに体調を万全に戻しておいてください」と冷たく言い放つ。


 ……正論は正論だが、もう少し相手へ気を遣えないのか。心の中でそう苛立ちながら同時に、リリアンの言葉に少し引っかかる点があり。


「なあ、ここは本当に安全……なのか?」と問えば。


「脱獄犯の視界情報で既に確認している。この周辺にいるのは前後不覚のだけだ。仮に襲ってきたとしても、私なら秒あれば二十は殺せる。……無論、警戒は必要だが」


 と、一切顔色を変えずに物騒な言葉で返してきた赤毛のメイドに「そう、か」と返事をしながら、頼もしさ以上の末恐ろしさを感じつつ。

 

「にしても……酩酊者、か」


 周囲を見渡す。挙動不審な男、ぴくりとも動かない女の子、明らかに情動が不安定な老人――――――どの人間も、まともな状態でないのは明らかで。

 ……『ファクトリー』とはその名の通り、なにかの製造をしている工場に違いないのだろう。


 ――――――なら一体、なにを作っているのか。


 背筋に悪寒が奔る。恐らく、俺の想像はさほど外れてはいない。

 だからわざわざ疑問としてそれを口に出したくない。確認などしたくもない。

 湧き上がるのは嫌悪と忌避。己の顔が歪んでいくのを止められない。


 赤毛のメイドが珍しく、その鉄面皮に表情を浮かばせた。

 吐き捨てるように鼻で嗤うそれは、心の底からの嘲笑、侮蔑。


「これが『自由』などと、よくも言ったものだ」


 リリアンの零したその言葉には、同調せざるを得なかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る