3-3 取引=追跡





 要太郎、私はあなたのことをよく知らないけれど、少なくとも『懲罰』のリスクと脱獄を天秤にかけられるくらいには、外に出たいと考えているのでしょう?


 だったら、その望みを叶えてあげる。

 私の言うことを聞いてくれるのなら、ここから出ることを許可してあげるわ。模範囚の仮釈放、という形でね。言っておくけれど、特例中の特例よ?


 もちろん、移動や行動に制限は付けさせてもらうし、こちらの指示には従ってもらう。その代わり、こちらが指図する以外のことについて、ある程度の自由は保障してあげるわ。

 ……どう? 悪くない取引だとは思わない?


 もちろん、断ってもいいのよ。それはあなたの選択次第。

 

 ただ、断った場合にどうなるか、だけれど。


 その時は、独房棟とは別に『離れ』の檻を作って、その中にあなたを入れるつもりよ。あなた専用の隔離独房ね。そして、その檻の中へは三十分おきにを飛ばしてあげるの。

 アラーム代わりよ。ほら、独房の中って時間感覚が狂いがちでしょう? だから。


 


 ――――それで要太郎、お返事はいかがかしら?




 ◇




 なににせよ、監獄の中に居てはなにもわからない。外に出なければなにも始まらない。そう考えた俺は、酒匂の脅迫――――もとい、取引を受けて。


 終わりのない空を眺めながら、終わりのない草原を三人で歩く。

 この風景を見るのはかれこれ数日振りだった。……基底領域ベース。全ての夢の土台である場所。


 この草原、外観上は解放感や清々しさがあるのだが。

 ……どこかしら、違和感がある。言葉にはし辛いが、端的に言えば気味が悪い。

 明らかに自然の風景であるはずが、どうしたってそうは思えない。そんな奇妙な印象が、この場に降り立った時からずっとあって。


「なんというか……ここにはあまり長居したくないな」


 正直にぽつりと漏らせば。喉元に突き付けられたのは、マチェットの切っ先と、赤毛のメイドが放つ殺気。


「文句を言うな。きびきびと歩け」


 こちらを一切見ることなく刃の位置を喉元一センチで寸止めできるあたり、刃物を振り回すことに慣れているのだろう。……血なまぐさいメイドだ。

 などと感じながらも、艶めく黒塗りの山刀に冷や汗を流していると。

 慌てたようにそのメイド、リリアン・ストレンジラブの手元を抑えにかかる人物がいた。


「ちょ、リリアンさん、仕舞ってくださいっ」


 長い黒髪をやや乱しながらリリアンのマチェットを下ろさせたのは、柳英美里だった。「乱暴はやめましょ? ね?」と若干焦り気味に言葉を掛ければ、リリアンはごくごく冷静にそれに返して。


「失礼ながら柳局長。囚人が反抗的な態度を取れば容赦はせずとも良いと、冴様からお達しを頂いております。そして、先のは十二分に反抗的です。割腹かっぷくに値するかと」

 

「かっぷ……!? け、刑罰が極端すぎますっ! やるにしてももっとやさしく、といいますか……! そ、それにですね、要太郎さんは体質上なかなか生き返れないんですよ? そんな簡単にお腹を掻っ捌くなんて……!」


「問題はありません。腹を裂くだけで意識はしっかりと残します。認識と自覚さえあればイドルムはコントロールできる。この男が『柳局長の治療夢を受け入れたい』と意識する余地があれば無力化能力も抑えられるでしょう。

 しかるに、なんの問題もありません」


「ありますよ!? とっても、倫理的にっ!」


 どこまでも冷淡に喋る赤毛のメイドと、彼女を必死で説き伏せようとする柳との温度差は、見る限り極めて激しいものがあり。

 ……のれんに腕押し、というやつか。突っかかっては冷たく打ち返される柳の目は、微妙に潤み始めていて。


 流石に可哀そうに感じた俺は、話を逸らすついでに少し気になったことを尋ねるため、リリアンに視線を合わせる。


「あ、っと……副看守長さん? あんた今『当て擦り』とか言ってたけど、俺なんか気に障ること言ったのか?」


 問えば、赤毛のメイドはすうっと目を細めて明らかな不快感を示し。

 聞こえてきたのは、ちっ、という大きめの舌打ち。

 ――――露骨に不機嫌だな、おい。育ちが知れるぞ。

 と怒りを込めてこちらも目を細めて睨み返していると、リリアンはぱちん、と右手の指を鳴らして。


「映せ――――――相老い侍り今傍にセカンドサイト・パラサイト


 ぼそりとそう言った瞬間、俺の目の前に半透明のウィンドウが現れた。

 ……いわゆるヘッドカメラの映像、だろうか。ブレる視界の中、見覚えのある草原と空の景色が奥から手前へと流れている。


 これは、まさか。そう考えた丁度その時、リリアンが冷淡に口を開く。


の視界情報記録だ。奴が『第二監獄』を抜けて本拠である領域へ戻るまでのな。この記録から割り出したルートを基に、現在標的の追跡を行っている。

 ……辿り着くのが、遅くなってしまっており、誠に、申し訳、ございません」


 わざとらしく言葉を区切りながら、ありありと分かる不機嫌さのままに頭を下げるメイドの様子に若干の苛立ちを抱きつつ。

 しかしそれ以上に俺は、目の前に現れたものに注意を奪われていた。


「……これ、あんたのイドルムか。特定の相手の視覚情報を盗み取ってる、のか?」


「そこまで親切に教えてやる義理はない。見せてやっただけ感謝してむせべ、屑」


「あーはいはい、どうもどうも」


 ――――ったく……なんだってこう刺々しいんだ、この赤毛ちびは。

 と、苛立ちをなんとか己の内に抑えて、皮肉っぽい溜息を吐いてやる。……もの凄い形相で睨まれたが、知ったことかと無視を決め込んで。


 ――――それにしても。


 と、考える。あいつの――――酒匂冴の目的が、今のところ全くわからないのだ。

 今回、外に出られるからと一も二もなく取引とやらに応じたはいいが……肝心の『取引の中身』は、俺からしてみれば全く意味不明だった。



『実はね……脱獄、防げていなかったのよ。庭でのお遊びの時、ひとりだけ取り逃がしてしまっていたみたいでね。

 だから、その逃げてしまった脱獄犯を、あなたになんとかしてほしいわけ』



 ――――要は、脱走した囚人を追跡して捕まえろ、ということらしいが。


 なぜ俺にそれを依頼したのか、という点がまず不可解だった。

 曰く、囚人が酒匂のイドルム――――『悪戯書の徒欠マーダーインク・マーカーインク』の効力範囲外まで逃げてしまったから、というのが主な理由らしいが。


 ――――正直なところ、信じられないし信用できない。


 俺は酒匂冴のことを然程知っているわけではないが、それでも奴の精神性と頭の回転速度がイカレてることくらいは察せられる。だからこそ、信用ならない。


 ――――防げなかった? 取り逃がした? あの化け物染みた女が?


 にわかには信じがたい。……『能力の効果範囲』なるものが本当にあるのかどうかすら怪しいところだ。


 加えて、先ほどリリアンが使ったイドルム。他人の追跡をするにはまさにうってつけの能力だろう。……リリアン自身の戦闘能力のことも加味すれば、あらゆる意味で俺の存在は不要になる。

 もしもの時の治療役として柳に付いてきてもらってまで、俺がこの追跡に加わる意味なんてあるのだろうか。


 ……わからない。今はなにもわからない。

 酒匂の思惑に踊らされている、という事実以外は、なにも。


 ――――……くそ、気味が悪いな。


 得体の知れない不安を抱えながら、どこまでも続く草原とただただ歩いていく。

 先にはなにも見えない。後にもなにも見えない。周囲にもなにも見えない。

 開けているはずの視界が、どう見たところで五里霧中にしか感じられず。


 行き詰った感覚。それはまるで、目の前に厚い壁が立ちはだかったような――――


「――――止まれ」


 リリアンが発したその声に、俺も柳も立ち止まる。

 何事だ、と視線を遣れば、ただでさえ普段から冷徹な雰囲気をまとうリリアンの表情が、さらに冷え切っており。

 常よりも幾分か低い声で、リリアンはぽつりと言う。


「到着だ。ここでを言えば、目的の領域への侵入が可能になる。

 ……柳局長、心の準備は出来ていますか」


「は、はいっ、いつでも大丈夫ですっ」


「なら結構。……囚人、貴様もせいぜい覚悟しておけ」


 言われ、なにに覚悟すればいいのかわからなかったが、とりあえず頷いておく。

 それを確認したリリアンは、真正面を向いてすっと目を細めて。

 永遠に広がる草原と空を睨みつける赤毛のメイドは、なんの抑揚もなく、合言葉とやらを口にする。




「――――『彼女は言った。彼女は言った。ダイヤを持って空を飛べ』」




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