3-2 執念=イドルム




 ――――ご機嫌いかが、と来たか。


 応接室に入ってきた酒匂を警戒しつつ、ふと気付く。

 庭で彼女と遭遇した時に感じた、背筋の凍るような感覚。あれが、今は無い。

 敵意も戦意もないのだろうか。幾分かリラックスしているようには見えるが……。


 ――――いや、油断するな。この女は俺の常識で測れるようなタマじゃない。


 用心を込めて睨みつければ、酒匂は呆れたように首を横に二度振る。肩に流したプラチナ色のサイドテールがさらりと揺れた。


「見たところ元気そうでなによりだけれど……そんなに警戒しなくてもいいのよ? 

 なにも取って食うわけではないのだから。――――リリアン、お茶の用意を」


「畏まりました、冴様」


 言って、部屋の外へと退出する赤毛のメイドを尻目に。

 酒匂は応接室の一番上手かみてにあるソファへとゆっくり腰掛ける。……俺と柳が座るロングソファと、テーブルを挟んで丁度差し向いの位置だ。


 俺、そして柳。ふたつの顔に一度ずつその碧眼の視線を遣った酒匂は、なにがおかしいのかくすりと含み笑って。でも一向に口を開こうとはせず。


 その奇妙な沈黙に耐えかねたのは、柳だった。

 つぶらな茶色の瞳を今は吊り上げて、凛々しくも険しい表情で彼女は問う。

 

「冴さん、事情を説明してもらえますか?」


「ええ、もちろん」酒匂はにこやかに返して。「あなたには今回いろいろと手間を掛けさせてしまったもの。英美里、あなたがそう望むのであれば私は全て説明してあげるつもりよ。けれど――――」


 と、酒匂はソファにゆったりと背を預け、足を組む。黒いスカートのチュールレースがふわりと動いた。


「今はご遠慮くださる? 私も久々にイドルムを使って疲れたの。ブレイクタイムが欲しいわ」


 そうのたまい、うなじから垂れているサイドテールの毛先をくるくると弄う酒匂。

 ……明らかにそれは、俺や柳を馬鹿にした、あるいは下に見た態度で。

 隣に座る柳の怒気が膨れ上がった気がした。しかし、そんなことなど一切気にせず、監獄の女王は気ままに振る舞い。


 そして、思い出したように俺へ言葉を投げてきた。




「ところであなた……紅茶はお好きかしら?」




 ◇




 少し経って。

 赤毛のメイド――――リリアンがティーポットと茶器類をワゴンに乗せ、応接室まで運んできた。……慣れた手つきの彼女が。各々の座る位置の前に紅茶を注いだカップを並べる様を見て、疑問に思い。


「わざわざティーセットを持って来なくても、夢で直接出せばよかったんじゃないのか」


「ディティールの問題よ。全くのゼロから生み出す妄想より、材料と手順を揃えた想像の方が精度が高くなるのは当たり前でしょう?

 私はよりを飲みたいの。お分かりかしら?」


 などという、酒匂の高慢さの一片が伺えるやりとりを交えつつ、奇妙な茶会は進んでいく。その様子を見るに、どうやら本当に酒匂は俺に対する害意は無いようで。


 ……まだ警戒は必要だ。ただ、過敏になる必要もない。そう判断し、酒匂の話に耳を傾けることにする。――――話のネタは、脱獄について。


 酒匂が語った内容は、ほとんどフェノが言っていたことや、俺自身が体験したことそのままで。……柳に全てを説明する、と言った彼女の言葉はどうやら嘘ではなかったらしい。

 

 顛末までを語り終え、ティーカップを空にした酒匂は、俺の方へと視線を遣って。


「それにしても……無事で済んだのね。一応殺す気でやったのだけれど、顔を焼く程度に留まったのは私としても予想外よ」


「冴さんっ――――」と憤った様子の柳の言葉を「英美里」と酒匂が遮る。


「口出しはお控え願えるかしら。今回の件は脱獄、つまり完全に私の管轄よ? 

 確かに、彼の治療であなたには世話をかけているし、それについて感謝もしているわ。だから本来無関係のあなたに、事の顛末を説明してあげたの。

 ……けれど、それ以上割り込もうとするなら話は別。分かるでしょう?」


「そ、れは……」


「理解したならしばらく大人しくしていなさいな」


 さらりと言い放ち、目を伏せる柳から視線を外して、手に持っていたティーカップをソーサーへと置いた酒匂。空になったそのカップへ、いつの間にテーブルの傍に来たのかリリアンが、静かに紅茶を注いでいく。


 酒匂の「ありがとう」という言葉に赤毛のメイドは深く一礼をし、すっと下がる。次がれた紅茶を一口味わった酒匂は、言葉なくにこりとリリアンへと笑いかけ。

 その一連のやり取りがやけに絵になるという事実に、釈然としない気持ちを抱いていると。

 では改めて、といった具合に、酒匂は俺の方へ向き直った。

 

「それで、だけれど。要太郎? 

 あなたにはまず、自分自身の立場を理解してほしいのだけれど」


「……立場?」


 俺の言葉に「ええ」と返した酒匂は、ソファの背もたれに体重を預けて足を組み。


「当然分かっているとは思うけれど、今回の脱獄の主たる原因はあなたにある。

 正確に言えば、あなたのイドルムに、なのだけれど。……そういえばあなた、イドルムについてはご存じなのかしら?」


 問われて「いや、わからない」首を横に振る。先ほども酒匂の口からその単語が出た時に、内心首をかしげていたところだった。

 説明してくれるのならば渡りに船だ、と酒匂の言葉を待つ。


「そう。なら説明してあげる。

 イドルムというのは、この世界で扱える夢の中でも少し特殊な部類のものよ。誰でも使える素質はあるけれど、誰にでもは使えない力のこと。

 ……ところであなた、こだわりはある方? 日々の生活とか、心情とか、なにに対するものでも構わないけれど」


 突然脈絡のない質問が飛んできて一瞬驚くも、すぐに考えを巡らせる。頭を回した結果、「まあ、無くはない」と返せば。


「それは、他人になにかを言われたり、他のなにかを見聞きしたりした後に、簡単に揺らいでしまうもの?」


「いいや。そもそも、そう簡単に変わらないから『こだわり』なんだろ」


 他人にどうこう言われてすぐ曲がるようなものを『こだわり』とは呼ばないだろう。そんな意図を込めた言葉に酒匂は、「ええ、その通りね」と、我が意を得たりと頷いて。


「つまりはそれが、イドルムの根源になるもの。

 信仰、信念、哲学。あるいは、偏見、妄執、先入観。……要は、あえて自分から妄想を描くまでもなく己の心にあって、深層心理まで強力に根付いている感情、思想。

 それらから生み出される、個々人それぞれにしか抱けない特殊な夢の名前を、私たちはイドルムと呼んでいるの。

 例えば――――――――」


 ぱちん、と右の手指を鳴らす酒匂。その直後、彼女の右手周辺の中空がぐにゃりと歪んで一瞬の渦を巻き――――。

 気付けば酒匂の右手には、見覚えのある黒色のマーカーペンが握られていて。


「私のイドルム、『悪戯書の徒欠マーダーインク・マーカーインク』。端的に説明すれば、マーカーで線を引いた場所を爆弾化して、木っ端微塵に爆破する能力なのだけれど。

 これを真似て、全く同一の夢を描くことは誰にでも可能よ。けれど、ただの夢とイドルムでは出力の桁がまったく違ってくるの。なぜなら――――」


「……イドルムの元となる願望は、深層心理に根付くくらいに純度と強度が高いから」


「そういうこと」


 にこりと頷いた酒匂は、現出させたペンを一瞬で手元から消失させた後、ティーカップへと手を伸ばし紅茶を口にする。

 ……今の説明で大体のことは理解できた。つまり――――


「つまり俺は、自分が知らない間に『夢を無効化するイドルム』を使ってた、ってことなのか」


「ええ、そうなるわね。だから英美里はあなたの傷を上手く癒しきれなかったし、監獄に働く夢が薄まって囚人たちに自由が与えられてしまった。

 そして、ついでに言えば私のイドルムも軽減ないし無効化されてしまったしね?」


 言って酒匂は、カップを置いて再びソファにもたれかかる。彼女の言葉には思い当たる節があった。


「……ああ。あの紙飛行機と、のことか」


 そう漏らせば、意外そうな顔で酒匂は「あら、服の仕掛けに気付いていたの?」と軽く首をかしげた。


「そんなもの、あんたのイドルムを見れば直で見れば大体のあたりは付く。

 全身無地の黒なんていう趣味の悪いツナギは、いつでも囚人を消し飛ばせるようにってことだったんだろ」


 そこまで言って、はたと思い出し、気付く。

 ……黒薔薇の庭での一件で、酒匂と一対一で対峙した場面。あの時彼女は一度だけフィンガースナップを打っていた。あれは――――俺の囚人服を起爆させようとしていたのか。

 結果、爆発はしなかった。だから酒匂ははっきりと夢の無効化に気付いたんだ。

 ――――しかも、酒匂が勘付いたのはそのことだけじゃない。


「……そういうことか。囚人服に付けたイドルムの効力が消えていたから、あんたはって気付けた」


「ふふ、ご明察ね」


 ぱちぱちぱち、と酒匂はゆったりとした柏手を叩いて。


「イドルムの強度はね、本当に図抜けているの。だから、ただの夢はイドルムに必ず競り負ける。

 なのに、服にべったりと付けていたマーカーは機能しなくなっているし、首から上を粉々にするつもりで飛ばした紙飛行機も思った威力が出なかった。

 これ以上明白な証拠はないわね? あなたのイドルムは、あらゆる夢を削ぎ取り減じさせ、最終的には無効化する」


「……事実だけを見れば、そうなるのか。そんな大層な能力を使ってる実感なんて少しも無いけどな」と、正直な気持ちを漏らせば。


「ある意味、当然だと思います。イドルムってそういうものなんですよ」と口を開いたのは、隣に座っている柳だった。


「イドルム能力の発現にあたって、意識や自覚の有無はあまり関係ないんです。そもそもの根源が、無意識下の深層心理に根付いているものですから。

 むしろ、気絶したり眠っていたりして自意識が無くなっているときのほうが出力が上がる場合もあります。表層意識にコントロールされていない分、相対的に深層心理が表に出やすくなるんですよ」


「つまり、あなた個人の認識がどうあれ『夢を無効化するイドルム』は今も働き続けている、というわけ。これがどういう意味か分かるかしら?」


 酒匂の問いの答えは、考えるまでもなく分かり切っていた。


「俺が『第二監獄』内に収監されている限り、『囚人たちの自由を奪う夢』ってやつがまた薄まっていくかもしれない、ってことか」


 こくり、と頷いた酒匂は、前髪をさらりと掻き分けて「そうなの、困ったものよ」と、して困ってなどいなさそうに笑んで。


「本音を言えばね、これ以上あなたを獄中に置いておきたくないの。

 一度管理下に置いた囚人を外に出すなんて本来は以ての外だけれど……ここまで致命的な不利益があると、例外措置を取らざるを得なくなる。

 この『第二監獄』は、『市街』で暮らす無辜むこの人々から犯罪者を隔離する重要な領域なの。その機能が失われれば、『市街』領域の秩序と平穏が乱れてしまうわけ。

 ――――――そこで、私から提案なのだけれど」


 と、酒匂は途中で言葉を切り、わざとらしく間を開けた後、ゆったりとたおやかな微笑を浮かべた。






「要太郎、取引をする気はあるかしら?」




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