3章 ヘッドタイプの行進、あるいは自由主義者たちのプリミティブな欲求

3-1 理屈=屁理屈





 


「なんとか治療できました。もう大丈夫です、目を開けていただいても構いませんよ」


 その声を聴いて、瞼を持ち上げる。――――目の前に居たのは、黒髪の少女。

 柳は心配そうな顔つきで俺を見つめていた。艶やかな黒髪はわずかに乱れ、ヘアピンは少し傾いている。白のシャツワンピースも、少し埃に汚れていて。

 彼女には、また世話になってしまった。


「……ありがとう」と、深く頭を下げる。


「無事で済んで良かったです。……相手が冴さんだったのなら、なおさらに」


 柳の声色は、安堵とともに真剣みを帯びていて。


 ――――結論から言えば、俺はあの時死ななかった。


 薔薇の庭での一件。眼前で起きた紙飛行機の爆発をまともに喰らいはしたものの、それで頭が吹き飛びまではしなかったのだ。

 ただ、顔を爆炎で焼かれたことには違いなく。

 視覚を潰され周囲が真っ暗な中、やけどの熱さと激痛にもがいていた時、遠くから焦燥した柳の声が聞こえてきて。


 体を持ち上げられて、運ばれているような感覚を味わった後、どこかに座らされ「急いで治療します」という柳の声を聴いて……今に至るわけだ。


 そういえば、と。思い出したように周囲を見渡す。


 小さめのシャンデリアが柔らかく照らす、白い部屋だ。

 壁や家具などには、所々に金をあしらった豪奢な装飾がなされていて。

 壁面には暖炉。橙色の炎がゆらゆら揺れ、ぱちぱちと薪の弾ける音が聞こえる。

 座るソファはやけに柔らかく、赤いベルベット地のカバーは艶めいていて。


「……ここ、は」


「『第二監獄』管理棟の応接室です。危急の案件でしたので、お庭から一番近い部屋を貸していただきました」


 と、変わらず真剣な表情のままの柳。

 その様子にふと違和感を覚える。……なにか、雰囲気が硬いような気がした。

 硬いというよりも、鋭い、という方が表現としては近いか。

 ……まるでそう、彼女はなにかに憤っているように見えて。

 その理由を聞こうと口を開こうとしたとき、先んじて喋ったのは柳のほうで。



「要太郎さん……脱獄、しようとしたんですね」



 その責めるような視線と口調に、思わず言葉が詰まる。

 彼女なりに思うところがあったのだろう。俺の行動が気に入らなかったのだろう。

 ただ、怒りの滲んだ柳の言葉には、真剣さとやさしさも感じられて。

 だから俺は、なんの言い訳もせず、真正面から彼女に相対して頷く。


「そうだ」


 瞬間、柳の白い肌が赤く熱を持って――――ぱしん、と音が響く。

 遅れてやってくる頬の痛みにようやく、俺は叩かれたのか、と自覚して。


「危険すぎます……! ここが異常な場所だということは『内覧』を見て分かったはずでしょう!? なのになんで、脱獄なんて危ない真似……っ。

 それに要太郎さん、あなたにはわたしの治療の夢がほとんど効かないんです! 信じられないくらいに効果がないの! だからもしかしたら……懲罰に掛けられて二度三度と死んでいけば、その内に! なのに、なのに……なんでですか!?」


 半ば涙を浮かべながら激情を露わにする柳。

 ……この子は本当に、信じられないくらいに優しい。会ってまだ数日しか経たない俺に、なんでここまでの情を向けられるのか。

 彼女の優しさは、本当に稀有けうだ。夢の世界という環境においては、特に。


 だからだろう、話したくもない本心を話してしまいそうになるのは。

 彼女は嘘偽りなく優しいから、その気持ちに報いたくなってしまう。

 言ったところでなんの得にもならない、むしろ自己嫌悪に陥ってしまうことが分かっていながら、それでも口は勝手に動こうとしていて。


 俺は首を横に二度ほど振り、感情の籠らない笑みを浮かべて。

 気付いてしまったその理屈を、言葉に出してしまう。


「この世界は、本当になんでも願いが叶う。それは比喩でもなんでもない。

 ……ついさっき、それが嫌ってほど分かったんだよ。


 だから多分……いや、絶対だな。と思う」


 ――――……最悪だ。糞みたいな理論だ。

 自分自身の言葉に嫌気が差すのを自覚しながら、それでも事実はなに一つ変わらないということにまた嫌悪を抱いて。


「柳さん、この世界は所詮夢だ。何度死のうが

 ただ死にたくないと思うだけで生き返ることができる。だったらもう、この世界の生死にしたる意味なんてない。

 人間の生き死にすら、夢なんだよ。ただの夢でしかない。

 だから目覚めた後にはなにも残らない。それは当たり前だ」


「でも、現実世界で人が死亡した例は確かにあるんですよ!?」


「それはたぶん、そいつが夢を信じきれなかっただけ。

 あるいは、そいつが生きたいと思うよりずっと強く、誰かが死ねと願っただけ。

 ……単純だ、思いの強い方が勝つ。夢の理屈なんて、突き詰めればそれしかない。

 だったら俺は死なない。目的を果たすまで、死ぬつもりなんてないんだから」


「っ……そんなもの、ただの思い込みです! 確証なんてなにもない、単なる推論じゃないですか! 絶対に死なない? そんなことあり得ないんですよ! 自分しか信じていない屁理屈に命を賭けるなんて――――」


「誰がどう思ってようと関係ない。思い込みでも推論でも命は賭けられるんだよ。

 俺がそう信じてる以上、それが俺にとっての真実であり事実なんだから。

 そうだろ? ……夢の世界ってのは、そういう理屈で回ってる」


 言いながら、誰へともなく嘲笑を浮かべる。

 ――――なんて薄っぺらくて、軽くて、詰まらない理屈なんだろう。


 思ったもん勝ち? 願ったもん勝ち? 感情だけで全てが意のまま?

 馬鹿馬鹿しいにも程がある。人間の社会が、世界が、そんな単純に回ってしまっていいはずがない。


 その理屈には努力がない。労力がない。蓄積がない。経験がない。

 積み上げなくても全てが叶う。壁や障害なんて生まれ得ない。頭で考えた瞬間にはもう、その結果が目の前に現れるのだから。


 労せず手に入れられることが悪だとまでは言わない。

 ただ……そんなに簡単に手の内へ収まるものに、お前らは情が込められるのか? 価値を感じることができるのか?


 ……俺には無理だ。受け入れられない。嫌悪感しか抱けない。

 けど、そんな理屈にも頼らなければ俺はこの世界では生きていけないし、あいつを助けることもできないから。

 自分で自分が嫌になる。……でも、そんなことは言っていられなくて。


「屁理屈も理屈の内なんていう屁理屈がまかり通るのが夢の世界だよ。

 柳さんも本当は分かってるんだろ? 新参の俺が気付けて、あんたが気付いてないわけがない」


「……そ、れは」


 目を伏せ、言葉を詰まらせる柳の様子に、また自己嫌悪が湧き上がる。

 傷つけるつもりは無かった。責める意図はなかった。けれど、彼女の心を追い込んでしまったのは確かで。


 ……もう少し、ましな言い方があったんじゃないか。

 そうは思っても、流れ出す感情はどのみち止められなかったに違いなくて。

 こんなやり方しかできない、こんな結果しか残せない時分に腹が立つ。


 思えば、と普段話している時もそうだった。

 自分は兄貴だから、なんでも妹に譲ってやらないといけないと思ってはいたんだ。

 けど俺自身、呆れるくらいに自分勝手で。どうしても譲れないことが多すぎて。それでいつもいつも喧嘩になっていた。


 風呂の順番、菓子の取り合い、チャンネルの奪い合い。くだらないことばかりでやりあってた。そうだ、最後のときのだって――――




 ――――待て……アレって、なんだ。




 自分で考えておいて、思い出しておいて、分からない。

 アレとはなんだ。なにか重要な思い出だったんだろうか。だったらなんで思い出せない。どうして、どうして。


 必死に記憶を探ろうとして、鈍痛。頭に刺すような痛みが走った。


 痛い、痛い、痛い。こめかみを抑える。これ以上は耐えられない。

 がんがんと痛みが響き、鈍っていく頭で……俺は気付く。



 そうか、これは――――――――んだ。


 

 そう腑に落ちた瞬間、頭の痛みはすうっ、と引いて。


 結果的にしばらくの沈黙が続いていた応接室。

 その静けさを破ったのは、こんこん、というノックの音。「……はい」と返事をしたのは柳だった。


 そして、ゆっくりと開いた扉の先に居たのは――――クラシカル・ゴシックを纏った白金髪の少女と、その一歩後ろに侍る赤毛のメイド。


 ――――酒匂冴。リリアン・ストレンジラブ。

 先に口を開いたのは当然、監獄の主たるプラチナブロンドの女王だった。



「ご機嫌、いかがかしら?」




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