2-8 疾走=はばたき




「破られたことがないからねえ? 驕りがあるのさ。だから基本、見張りなんてのはいないんだよ。つーわけでほれほれ囚人諸君ん? ばれないうちにダッシュダッシュ! だよ!」


 走る、走る、走る。

 鉄扉とコンクリートばかりが見える殺風景な廊下をひた走る。

 足音は数えきれない。ばたばたと重なる靴の音は焦りを滲ませていて。

 ――――速く、早く。見つかる前に逃げ出せ、駆けろ。

 焦燥に追われながら、囚人たちの集団に混ざり、疾走する。


 息が荒れている。足がもつれそうになる。

 だが疲れを感じている暇はない。一度踏み出したからには後戻りできない。

 駆け抜けなければ。走り切らなければ。


 そうやって懸命に脚を動かす俺をにやにやと見ながら、フェノは紫髪をなびかせてつつ、同じスピードで空中を並走する。

 左右へ上下へ蛇行しながら、時折回ったり宙がえりを織り交ぜながら、余裕綽々に飛ぶフェノは、俺や囚人たちの必死さなどなにも考慮せず好き勝手に喋り出した。


「いろいろ不自然だなぁ、とは思ってたんだよボクも。そもそもなんでヨータローは有罪になっちゃたのか、とか。せいぜい心臓ブチ抜かれたの傷で、なんで完治まで三日もかかったのか、とかね?」


 角を曲がる。正面に大きな両開き扉が見えた。

 あの扉を抜ければ例の城のような建物に出る。あそこには窓が多く並んでいた。それを突き破れば、外に逃げることができるはずだ。


「特に、傷の治りが遅すぎるのはめっちゃ不自然なんだよねえ? キミは知らないと思うけどさ、あの似非ナイチン――エミリーね、治療の分野の夢に関してはずば抜けてんだよ。もう異常って言っていいくらい超ド級の天才なわけ。そんなあの子がたかだか外傷の治癒に二日も三日もかけるなんてことはまずありえないんだよ」


 走る、走る。囚人たちの必死な息遣いが響いている。皆必死だった。

 それも当然だ。聞く限り、『第二監獄』は正真正銘の地獄なのだから。

 拷問より悲惨な『懲罰』の恐怖に耐えながら、終わりのない日々を過ごすなど……考えただけで吐き気がする。

 理由はそれだけじゃない。なにより俺には助けたい奴がいる。だから――――


 逃げなければ、逃げなければ。

 全力で走るその傍で、フェノは変わらずにやにやと喋り続けて。


「で、気になっていろいろ嗅ぎまわってるうちに、『第二監獄』内で面白いことが起きてるって気付いたんだ。……囚人のうちの何人かが、ある程度だけれど、使のさ」


 ――――……どういう、ことだ。

 両開きの扉がこじ開けられる。わずかに光が差したその隙間を強引に押し広げるように、囚人たちが突っ込んでいく。

 その光景を見ながらも俺はいつのまにか、フェノの言葉に注意を奪われていた。


「きっかけはわからなかった。けれど、状況を見れば誰にでも原因の予想は付く。

 夢が使えるようになり始めたのはから。

 夢が使えるようになった囚人の独房は、ほぼ同じような場所に集中してる。

 ――――そう、だよ、ヨータロー。

 ここまで言えば、勘のいいキミならなんとなく気付いてるんじゃないかい?」


「なに突っ立ってんだ、走れ!」と誰かの声に背を押され、思い出したかのように走りながら俺は……気付く。




「――――無意識のうちに、俺がってことか」




 ――――そう。夢を無効化していた。

 その答えで、今まで不思議に思っていた点にある程度の説明が付いてしまう。


 人殺し扱いの理由。それは、あの血塗れの男が使っていた『瀕死の重傷を無視する夢』を、俺が完全に打ち消してしまったから。


 怪我の完治が遅かった理由。それは、柳が施していた治療の夢を、俺が無意識のうちに無効化してしまっていたから。


 囚人たちが夢を扱えるようになった理由。それは、『囚人は夢を扱えない』という『第二監獄』内に働く夢を、俺が掻き消してしまっていたから。


「まあ、それにしたってまだよくわかんないとこは残るんだけどそこはそれ。とにかくキミのユニークな特性のおかげでこうして脱獄計画がほいほいと進んで今に至るってわけさ♪ まったくもって幸運だねえ、キミは」


 ――――幸運? 本当に、そうなのか。


 今俺がその事実夢の無効化に気付いたのは、疑問に感じていた複数の出来事に片が付く答えがそれだったからであって。

 それを知らない他の囚人たちが、急に夢が使えるようになったことを単純に喜び、たったの二日三日で脱獄計画を立てるだろうか?


 それに……それに、だ。 

 夢を使えるようになった囚人は、なぜわざわざ俺の独房の鍵を開けたのか。

 普通に考えればありえない。逃げる時間が惜しいというのに、あえて無駄足を踏んで俺を逃がす理由が、他の囚人の側にあるとはどうしても思えなかった。


 もし、強引にその理由付けをするのであれば。例えば、そう。


 ――――囚人たちは、『第二監獄』の夢を打ち消していたのが俺だということを知っていた、のか。それも、


 そして悟る。理解する。脱獄の絵図を描いた存在に。

 その意図の読めなさに、得体の知れない思考と行動に、気味の悪さを感じて。


「――――――――お前か、フェノ」


「さて、なんのことやら♪」


 いつもの韜晦とうかい。しかしその態度は肯定に等しく。

 ――――なんだ、いったいこいつはなにを企んでる。

 強く疑いの目を向けるも、そんなことなど気にも留めず、フェノはくるくると飛び回っていて。


 ――――がしゃあん、と。ガラスの割れる派手な音。


 誰かが先陣を切って窓を突き破り外に出たのだろう。

 さらりとした風が頬を撫でた気がした。――――瞬間、我先にと囚人たちが割れた窓の方に駆けていき。

「あれあれあれ~? 出遅れたんじゃないのかい?」というフェノの煽りにイラつきながら、俺もその流れに続いて走る。


 張られたガラスがほとんど割れてしまった大きな窓から、次々に飛び降りる黒ずくめの囚人たち。

 それにならい、窓のサッシに足をかけて跳ぼうとして――――。


「――――――――ッ」


 高い。五メートルはあるか。思わず躊躇する。だがここで迷っている時間はない。

 背後が騒がしくなってきた。恐らくメイド看守たちが事態に気付いて追ってきているのだろう。ならばなおさらに、止まっている暇はない。

 どうする、どうすればいい――――と、視界の真下に刈り揃えられた植え込みを見つける。あれしか、無いか。


「ほらほら、覚悟決めなよヨータロー? ぼさっとしてると懲罰送りだよ?」


「言われなくても――――――――」


 サッシにかかった足に力を入れ、窓枠にかけた手をぐっと引き寄せる。

 さあっ、と外気が肌を撫でる。月の浮かぶ夜空はどこまでも冷たくて。

 でも、飛ぶしかない。行くしかないんだ。そんなことは―――――


「――――――――分かってんだよッ!」


 ふ、と浮遊感。直後に支えを失い、俺の体は地面へと加速して。

 ――――がさささっ! と葉や枝が激しく揺れる音。固いものがいくらか皮膚を裂いて突き刺さる感覚を味わいながらも、落下の勢いが殺されたことを感じ。

 直後、左肩へ衝撃が走る。しかしそれは、想像よりも軽いもので。


「ッつぅ――――――――い、けるッ!」


 痛みが鮮明になるその前に、勢いよく立ち上がって駆け出す。

 左の肩の違和感も、肌を撫でる風が鋭く感じるのも、一切合切無視して走る。


 降りた先に広がっていたのは、やたらに広い庭園だった。

 大きな円形の噴水池を要として、通路が十字を描いていて。その周囲には、綺麗に刈り整えられた浅い植栽が、市松模様に広がっている。

 月明かりに照らされるのは草葉の緑と、花の


 ――――これ、全部黒薔薇か……。珍妙な趣味だな。


 余裕のない心の中で悪態をつきながら、足を必死に動かして疾走する。

 前を見れば、庭園を抜けた先に真っ黒のブロック塀がそびえていた。先に駆けていた囚人たちとは、かなり水をあけられている。


「ほらほら急げ急げ~」とフェノの間延びした声が上から響いて。


「くっそ――――――――!」


 黒薔薇の庭をただただ駆け抜ける。

 鼻を付く妙に甘い匂いがただただ鬱陶しい。

 今は『走る』ということ以外の要素全てが不要だった。

 疲れも痛みも薔薇の香りも必要ない。走るんだ、逃げるんだ、外へ出るんだ。


 噴水池の真横を駆け抜ける。さらさらと水の流れる音が聞こえて。

 急がなければ。そう焦りを抱いた矢先。

 遠く前を走っていた囚人の一人が、明らかに人間離れした勢いで跳躍するのが見えた。夢の力を利用してのジャンプ。そして。


 ――――塀を越えた……! 成功したか?


 その瞬間、囚人たちの歓喜の叫びが聞こえた。

 この地獄の底に縫い付けられていた苦痛と恐怖、そこからの脱出と解放に、感情が爆発したのだろう。

 狂ったように喜びながら跳び上がった囚人。彼の体が重力に負けて落下し始めた、その時だった。

 



 ――――――赤火と、轟音。それはまるで花火のように。




 響いた爆音は耳をつんざき、炎は月夜を橙に照らす。

 なにかがこちらに飛んでくる。黒い煙の尾を曳いて。


 ――――それは黒い、ただただ黒いなにかだった。


 その黒の塊は俺の頭上を通り過ぎ、どぼぉん、と大きな音を立てて噴水池に落下した。


 そして、静寂。

 まるで時が止まったかのように、誰もが口を開かない。ぴくりとも動かない。

 つい先ほどの歓喜が嘘のように静まり返る。さらさらと、水の流れる音すらはっきりと聞こえて。


 だからだろう。

 かつ、かつ、と。誰かが一歩一歩、石畳を歩く音が嫌に響いているのは。

 焦らず、急がず、ただただ優雅に、落ち着いた足音。

 それはまるで、深窓の令嬢が庭園の散歩をしているかのようなリズム。

 そして、冗談のような、あるいは芝居のような、実にわざとらしい、典型的な言葉が響いた。




「――――――――ごきげんよう」




 振り返れば、そこには。

 月と城を背景に、白金の髪を艶めかせて笑う、少女の姿。

 漆黒のチュールレーススカートをつい、とつまみ、彼女は優美に一礼をする。

 

「酒匂――――――冴」


 監獄の女王は淑やかに、罪人たちに微笑みを向けた。





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