2-5 懲罰=私刑
妙な静けさの漂う、大理石のダンスホール。
二階のテラスから階下を見下ろせば、十人の囚人が怯えたような表情で佇んでいて。……よく見れば、先ほどメイドに連行されていった小太りの男の姿もあった。
テラス上、周囲にいる囚人たちもまた、神妙な面持ちで下を覗き込んでいる。
異様な静寂。それを破ったのは、愛らしくも冷たい声だった。
「ではこれより『定期懲罰内覧』を始める」
声のする方向に視線を遣れば、こちら側のテラスの丁度真向かいに、
その椅子の傍らには、独房で見た赤毛のメイドが立っている。猫目を細めて声を張っていたのは彼女だった。
その一方で俺は、特別製の椅子に座る少女に目を引かれていた。
白金色の髪をした、恐ろしく容姿の整っている少女。西洋人形のような、とでも言うべきか。日本人離れしたスマートなその相貌は文句なしに美しく。
彼女の服装はゴシック調、とでも言うのだろうか。黒を基調とした、過装飾気味のクラシカルなジャケットとスカート。サイドテールをまとめている大きな髪飾りは、黒薔薇、だろうか。長い丈のブーツも妙に仰々しい。
――――誰だ、あれ。
と、今もどこかでふわふわとしているであろうフェノに尋ねるつもりで思考する。……しかし。
――――おい、どうした。
返答がない。先ほどと同じように呼びかけているつもりだが、それでも一切の反応が無かった。……居ない、のだろうか。
意味がないと分かってはいるが、周囲を見回してしまう。……また、囚人の集団がひそひそと話しているのが目に入った。
――――あれだけやかましく騒いでおいて、消えるときは無言か。
何の断りも無くいつの間にか消え去ったフェノに対して、少しの苛立ちを抱きつつ。
赤毛のメイドが、再び声を張る。
「内覧を始める前に、看守長の
ざっ、という揃った靴音がホールに響く。
なにごとかと周囲を窺えば、俺たちを案内していたメイド看守数人が、足をそろえて背筋を伸ばし。凛とした姿勢となっていて。
さらによく見れば、階下のホールの壁際にも、綺麗に姿勢を整えたメイド服姿の看守がずらりと並んでいた。その服装は階上のメイドたちと微妙に違い、エプロンとヘッドドレスが黒く塗りつぶされていて。
――――……なんなんだ、ここは。
その異常な空気に戸惑いを隠せないでいると、例のプラチナブロンドの女が、豪華なチェアからゆっくりと優雅に立ち上がって、浅く一礼をする。
「ごきげんよう、皆さん。毎回の足労、感謝しているわ」
響いた声は柔らかく、とても穏やかなものだった。御令嬢、という代名詞が良く似合う。それほどに淑やかな言葉と、所作。
「今日は新来の方がいらっしゃるようだから、この『内覧』についてほんの少しだけ説明させてもらうわね」
笑みを絶やさず、囚人ひとりひとりの顔を確認するように視線を配り、悠々と言葉を紡いでいく彼女の姿につい、見惚れてしまって。だからだろうか。
「まず前提として。私は
その言葉を聞いた瞬間、背筋にぞくりと悪寒が奔った。
「この『第二監獄』は、『法典』が定める『律法』において特に重大な違反をした人間――主に殺人者――を収容する監獄なのだけれど。
そもそもの話、別段『法典』のルールを守るのは難しいことではないはずなの。
人を殺すな、
その語り口は
だというのに俺は、心のうちから湧き上がる畏怖を止められない。
言葉尻は柔らかくとも、その一言一言には精神を握り潰すかのような重圧があって。
「ましてこの世界にはストレスがない。縛りがない。だって、できないことがないのだから。
人間関係に多少のしがらみはあるかもしれないけれど、それにしたって現実世界の社会と比べれば何十倍、何百倍も精神的負担は軽いはず。だから、日々の生活で溜まりに溜まった心労が溢れて過ちを犯す……なんていうこともあり得ない」
穏やかな笑顔のままに、冴と呼ばれた少女は語り続ける。
いや、語るなどという表現は生ぬるい。これは侮蔑、そして威圧だ。
「そんな環境にもかかわらず、貴方たちは罪を犯した。なぜ? どうして? 私にはそれが理解できない。
もっと言えば――――どんな馬鹿でも守れるルールを平然と破って厚顔を晒す貴方たちを私は、ホモ・サピエンス・サピエンスの種に足る知恵を持つ存在だとはどうしたって思えないの。犬猫の方が余程分別を弁えているわ」
明日の天気の話でもしているような感覚で、その少女は平然と囚人たちの尊厳を
……まともな精神構造をしているとは、とても思えなかった。
「つまりこれは躾。体罰。わかるかしら?
人間未満の貴方たちの中から尚出来の悪い屑を選別して、徹底的にかわいがるの。そしてそれを、こういう機会で定期的に公開する。
そうすれば少なくともこの監獄の中では、悪いことをしたくなくなるでしょう?
言って理解できるような頭の構造をしていない貴方たちには、丁度いい仕組みだとは思わない?」
――――狂ってる。
夢の世界に来て何度目かになる、その人物評。思えばこちらに来ていわゆる『普通の人』とほとんど会っていないことに気付く。
柳が唯一まともだと言えるくらいで、その他は頭のおかしい人間しか見ていない。
なんだってこの世界は、ここまで歪んだ人間しかいないのか。それもこれも、夢という特異な環境のせいなのだろうか。それとも――――
「とまあ、貴方たちの頭でどれほど理解が出来たかはわからないけれど、一応のこと礼儀としてこの『内覧』の説明をさせていただいたわ。
じゃあこの先は、副看守長のリリアンに譲るわね」
そう言って少女はにこやかに笑むと、白金色の髪にさらりと手櫛を通し、豪奢な椅子へゆっくりと、流れるように腰を預ける。
――――それがあるいは合図だったのか。猫目のメイド――リリアンと呼ばれていた――が
「では、早速ではあるが懲罰を開始する」
その言葉が耳に届いた時にはもう、赤毛のメイドの姿は消えていて――――
「は?」
という誰かの声とともに、生首が五つほどホールの宙を舞っていた。
息を呑む。目を見開く。声は出ない。シャンデリアの間近まで
今なにが起きたのか――――驚愕と怖気が浮かぶ前、その束の間の意識の
――――どさ、どさり、と。重いなにかが床に落ちる音。
はっとして下を見る。そこには、腰から上を失くして血を溢れさせている誰かの下半身が二つと、仰向けに地面に倒れてじたばたとしている誰かの上半身が二つ、あって。
視界の端に、動く影。目で追えないほどの速さのなにかがホールを駆ける。
――――ぱぁん、と音がした。誰かの頭が木っ端微塵に弾け飛んでいた。
――――ごう、と風が吹いた。吹き飛ばされた誰かは勢いよく壁にぶつかって、赤い模様と肉塊に変わった。
「なんだよこれ、なんなんだよ……!?」
怯え切った声音でそう叫んだのは、先ほどの小太りの男。
周囲で突如として起こった惨劇に恐れ、
「くそ! くそがァ――――――!」
汗だくになりながらがむしゃらに走る小太りの男。
その体が急にかくん、と沈んだ。なにかにつまずいたのか、姿勢を崩した男は走っていた勢いのままにごろごろと転がって――――
「あが、ぁぁああアアぁああ――――――――!?」
叫ぶ、もだえ苦しむ。明らかに転倒の痛みによる声ではなかった。
よく見れば、男がバランスを崩した場所から、いびつな軌道の赤黒い線が
……違う。丸太、じゃない。あれは――――脚だ。
小太りの男は、先が無くなり血塗れとなった太腿を抑えて、苦痛に叫び転がりまわる。
のたうつ度に脚から血を撒き散らすその哀れな姿に、さらなる追い打ちがかかる。
――――どう、という鈍い音。
いつの間に現れたのか、男の傍に立つ赤毛のメイドが、腹を思い切り蹴り上げた。同時に「――――ゴはっ!?」という苦悶が響く。
佇む赤毛のメイドは冷徹な空気を纏っていて。
その右手には、片刃の刃物を握られていた。
血に濡れたその刃は幅広で薄い。刀身は五、六十センチほどか。取り回し易さを重視して造られているものだということは一目でわかった。……
その凶器の切っ先を赤毛のメイドは、地面でもがく小太りの男へと向けて。
それに気付いた男は、痛みに表情を歪めながらも這いずって逃げようと、懸命に腕を動かす。
――――その背の真中にざくり、と。メイドの山刀が突き立った。
絶叫。もはや言葉にすらなっていない苦悶の音が、男の喉から吐き出され。
「……貴様、今誰に向かって『糞』と吐いた」
山刀を突き刺したまま、男の残り一本の脚を思い切り、低いヒールの靴で踏みつけて。赤毛のメイドは淡々と言う。
その声はどこまでも冷酷……というわけではなかった。
表向きの冷淡さは変わらない。しかし、先ほどまでとは明らかになにかが違っていた。
「答えろ。誰に向かってその暴言を吐いた? 言え。言え」
ゆら、ゆら。ぐず、ぐじゅ。
男の背に刺さったマチェットが揺れる。その度に男は涙交じりの悲鳴を上げる。
メイドの声色はなにも変わっていない。だがその言葉には、あからさまなまでの激情が
彼女の小さな両の手は、山刀の柄をしっかりと握り込む。
「人の道理も碌に知らない屑風情が、どの口でもって、誰に、何を吐いた」
ぐらぐら、ずっ、ずっ。ずず、ぐずず。マチェットがゆっくりと動き出す。
突き立った角度はそのままに、刃が頭へ目がけて進んでいく。
男の血肉を、骨を、のろりのろりと割きながら。
「言え。聞こえているだろ。お前は、誰に、なにを、言ったんだ?」
ずず、ぐぐ。ごりゅっ、ぐちゅっ。
言葉を区切る度にマチェットは進み、メイドの声も圧を増していく。
隠し切れない怒気と殺気はいつの間にか、息苦しいまでにホールの中を満たしていて。
瞬間に、ふっ、と。メイドの総身が脱力した。
怒りが収まった――――わけではない。これはそう、単なる嵐の前の静けさだ。
「答えろと――――――――言っているだろうがァァァ!!!!!」
怒りの発露とともに、男の背から脳天へとマチェットの刃が一気に駆け抜けた。
振り抜いた刃の先から大量の血液が飛び散り、真白の大理石を赤黒く汚していく。
そして……腰から上を縦に割かれ、漫画のような死にざまを
「貴様は追加だ。その罪は重いぞ」
殺意に
――――狂ってる、狂ってる……! なんなんだこれは、正気じゃない……!
転がる死体と刃物を振るメイドの姿に、最早俺は恐怖しか覚えなかった。
頭がおかしい、イカレてる。恐れに単純化された
精神の限界は近かった。――――だというのに、悲劇はこれで終わらない。
「さて、これで全員一度目だ。――――一人を除き、あと九回」
――――ぱちん、と赤毛のメイドが指を鳴らす。
すると、階下の壁際に控えていた黒づくめのメイドたちが反応し、一斉に掌をホールの中心へと向けた。……これは、まさか。
つい先ほど、通路での出来事がフラッシュバックする。突如爆発して吹き飛んだ男の腕は、メイドが掌を向けることで元に戻って――――
――――おい、まさか……一度目、って……そういうことなのか……!?
刎ね飛ばされて転がっていた首が、戻る。
分かたれていた上半身と下半身が、戻る。
爆発四散した頭部が、壁に叩きつけられて挽肉となった体が、戻る。
そして――――腹から頭へかけて縦に割かれた無残な死体が、戻る。
時間にして七秒。たったそれだけで、全てが元に戻っていた。
磨き上げられた大理石の床には、血糊の一滴も付いておらず。
当然のことのように、そこには死体など転がっていない。
……つい一、二分前となにも変わらず、十人の囚人が、まったくの無傷で、ダンスホールに立っていて。
「おい、やめろよ、嘘だ、冗談だろ……!?」
小太りの男の悲痛な叫びに、くぐもった笑い声が響いた。
可憐ながらも冷淡を極めるその声の主は――――赤毛のメイド、リリアン。
「『どうせ皆生き返るんだ。ならちょっとくらい殺したって構わないだろ?』
……貴様、拘束前にそう言ったと聞いているが」
マチェットの刃がぬらりと輝き、猫目が
「その言葉、そっくりそのまま返してやろう。
――――どうせ生き返る。なら何度死んだところで同じだろう?」
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