2-4 大監獄=西洋の城



 かつかつ、かつ、かつかつかつ、と。


 集団の靴音がまとまりなく響くのは、大理石張りの広い廊下。

 左右の壁際には、磨き上げられた白い石材の飾り柱が等間隔に並んでいる。右側の壁の柱と柱の間には、絵画や骨董品までもが飾られていて。

 そして左側には、枠に装飾の施された大きな窓が並んでいる。

 そんな豪勢な通路を、黒い囚人服の集団に混じって歩きながら、俺は内心で首をひねっていた。


 ――――……なんなんだ、いったい。ここは牢獄じゃないのか?


 重い鐘の音が鳴り、メイド服の少女――赤毛のメイドとは別人だった――が独房の鍵を開け、「時間です」と告げたのがつい先ほどのこと。

 先頭と最後尾をメイドに挟まれながら、囚人の集団とともに歩き始めて。

 独房を出てすぐしばらく歩いていたのは、無骨なコンクリート壁に鉄扉ばかりが並んでいる殺風景な場所だったというのに。

 途中、大きな両開きの扉をくぐった瞬間から、今のような景色へと様変わりした。


 まるで、城だ。ファンタジーモチーフのRPGの舞台にでもなりそうな内装。

 刑務所や監獄という環境には到底、似つかわしくない。

 見る限り扉の数が極端に少ないことから、独房として使われている空間ではなさそうだが……。

 などと考えながら、周囲をきょろきょろとしていると。

 

『変な場所っしょ? つーか悪趣味だよねー』と、聞き覚えのある声。

 悪趣味はどちらだと思わず言いたくなるような、しかしトーンだけは高く綺麗な声がして。


『一応ここって第二監獄の管理棟って扱いなんだけどさ、実際のとこは『女王様』の趣味全開なプライベート・キャッスルになっちゃってるわけ。いわゆる看守長権限ってやつ? 既得権益的な? よくわかんないけどお偉方って羨ましーよねー』


 どこだ、どこにいる。

 ……周囲を見渡しても姿はどこにも見当たらず、近くを歩いていた囚人の集団に怪訝けげんな表情で睨まれる。聞こえてくるひそひそとした話し声では、怪しい奴だとでも言われているのだろうか。

 それはそれとして。


 ――――おかしい。確かに今あいつの声が聞こえたはずなのに。


 平静を装いつつも心の中で首をひねっていると。


『あ、もしかしてボクのこと探しちゃってる感じ? だったらとっても申し訳ないんだけどここで姿を現すわけにはいかないんだよねー。諸事情あってさうんどおんりーなのさ。ごめーんちゃいっ♪』


 と、極めて鬱陶しい言葉が聞こえてきて確信する。

 今、俺のすぐそばで、あの紫髪幽霊フェノがへらへらと笑いながら浮いていやがる。


 ――――声だけでも鬱陶しいのはひとつの才能だな。器用なことで。


『いやいや、早々にボクの存在に気付いて思考での会話に切り替えるあたりキミもなかなか器用な方だよヨータロー? このままもっと手先を磨けばボクの足元かくるぶしくらいのレベルにはなれるんじゃない? ま、せいぜい精進したまえよ♪』


 なんでこの幽霊は、ここまで的確に人をイラつかせることができるのか。

 かりかりとした気持ちを抱きつつも、反論しては負けだと自制する。フェノの弁舌は恐らくペテン師並みだ。下手に相手をしても軽く流されるだけだろう。


 ――――で、何の用だ。


『いきなりつっけんどんだねえヨータロー。決まってるじゃないか、快気祝いってやつに来てあげたんだよお♪ 三日間も寝たきりだったみたいだけどそのわりに元気そうじゃん? フェノちゃん心配で心配で朝も昼も夜も眠れなかったんだよぅ? しかもよりによってあの似非ナイチンが君の傍でずっと看病してるから下手に近付けなかったしぃ? あー思い出しただけでぽんぽんがスタンダップしちゃうなー!』 


 ――――……えせ、ないちん?


『エミリーだよ、医療局長の柳サマ。あの子ってばボクのことすっげー嫌ってんだよねー。だからいくらこっそり近付いても強引に追い払われちゃうんだよ。ボクってば可憐でか弱いオンナノコだからさ、力任せにゴリゴリ来られちゃうと弱弱しくぴゅぴゅぴゅーっって吹き飛ばされちゃうわけ。あーカワイソカワイソっ』


 ――――別に可哀そうでも何でもないし、お前が他人に嫌われるのはある意味当然だ。処置無し。情状酌量の必要も無し。柳さんは別段悪くない。

 

『うーわ、柳さんは悪くないと来たか! ちょっと目を離したらもうだよ。あの子キレーだもんねえ? 優しいもんねえ? 看病されながらころころ撫でられちゃっらりしたらそりゃあ惚れちゃうよねえ? あーあーあー、俗だなぁ俗だなぁ! ヨータロー、キミはなんだかんだ根暗もとい硬派な感じだからあの似非ナイチンの色香には騙されないと思ってたのになー! 失望、幻滅、がっかり、期待外れだよ! やっぱキミもオトコだったわけだー!』


 ――――別に、そういうのじゃ。


『はい照れたー! デレ一丁頂きましたー! もうさー、単純すぎてやんなっちゃうよね。つーかチョロ過ぎないですか? 惚れるの早すぎませんか? 男の照れる顔なんて見れたもんじゃないんだよぅ? 知ってましたかヨータローくぅん?』


 その物言いにチッ、と思わず舌を打ってしまい、前を歩いていた囚人の男が貌だけ振り返る。小太りで人相の悪い男だった。


「んだテメェ」とガンを付けてくるその男に、さらに苛立つ。


 この手の人間は『舐められたら終わりだ』という謎のルールを自分に課して、周囲を威圧することしか考えていない。もっと言えば、己を大きく見せられるタイミングを常に探しているのだ。

 だから非常に面倒臭い。なにかあれば『喧嘩を吹っ掛けられた』と捉え、見栄を張るチャンスだと嬉々としてメンチを切る。鬱陶しいことこの上ない。


「悪い。今のはあんたにじゃないんだ」と、極力感情を出さずに言う。

 だからいちいち振り向くな、暇なのか? と続けそうになったのを堪えたのは、自分で言うのもなんだが敢闘賞ものだろう。……と思ったのだが。


「あぁ? 誰に口聞いてんだテメエ」


 なぜか小太りの男は、こちらに向き直ってヒートアップし始める。

 男はこちらに近付きながら、右の握り拳を構えていて。

 なんなんだこいつは。はやり過ぎだろう。この程度のことで怒っていて生きづらくないのか。そう考えながら男を見ていたその時だった。


 ――――ばぁん、と。

 パーティクラッカーのような音がして、小太りの男の右腕が

 

「――――ぎっ!? ぁぁああァあ―――――――!?」


 小太りの男は目を白黒させながら、肘から先が吹き飛んだ己の腕を抑える。

 肉の焦げた臭いが鼻を付いている。突如起こったその事態に驚いているのは、小太りの男と俺だった。

 周囲の囚人たちは冷ややかな目で、苦痛に顔をゆがめる小太りの男を見ている。中には視線すら遣らない人間もいた。


「獄中での暴力行為は禁じられています」


 そう静かに口を開いたのは、囚人の集団の最後尾に付けていたメイド――――の姿をした看守。彼女は、苦しんでいる小太りの男へと掌を向ける。


 その次の瞬間には、小太りの男の取れた右腕が宙を舞い、へと戻って来ていた。傷一つなく、完全な状態で繋がったのだ。


「収監日より数えて五日にして、貴方への忠告はこれで二度目です。その態度は反抗的と言わざるを得ません」


 汗だくの顔で「わ、悪かった」と息絶え絶えに言う小太りの男の様子には、少なくない恐怖が滲んでいて。

 そんな男の様子などそ知らぬ顔で、メイド看守は淡々と告げる。


「謝罪は不要です。『第二監獄』の罰則規定に従い、貴方を懲罰対象に指定します」


 ぱんぱん、と二度ほど手を叩く音。

 それと同時にどこからともなく新たに二人のメイドが現れ、小太りの男の両腕をそれぞれが抱え、通路の奥へと引きずっていく。


「お、おい! なんなんだよこれ!?」と喚き続ける小太りの男の声はだんだんと小さくなっていき、やがては聞こえなくなって。

 呆気に取られている間に起こった一連の出来事に、内心で首をかしげる。


 ――――なんだったんだ、あれは。


『心配しなくてもそのうちわかるよ。もう数分もすれば、嫌ってほどにねえ?』


 持って回ったフェノの言葉に、言いようの知れない不安を掻き立てられつつ。


 にしても。と、考える。

 ……今の瞬間、あの小太りの男はなぜ自分で治療をしなかったのか。夢が扱えるのなら自分の腕の治療くらいできそうなものだが。

 なにかそれができない理由でもあったのか。あるいは、個人個人で使える夢と使えない夢が存在するのか。


 その疑問に答えを求めてしまったせいだろう。頼んでもないのに、奴が再びるんるんと口を開き始める。


『向き不向きなんて誤差だよ。自分の怪我の治療くらい自分で出来て当然さ。『五体満足の健康な体で居続けたい』なんてヒトの根源に根差してる願望だからねえ? なんだったら気を失ってても勝手に働く類の夢だよ。そんな夢があのデブに使えなかった理由は単純明快。だって、考えてもみなよ? 囚人ってのは基本的に危険人物じゃん?

 ――――使?』


 ――――……なるほど。理屈は『法典』と同じ、か。


『そういうこと。モラルに反した犯罪者に自由に夢を使わせるなんて恐ろしい、認められないと、みんなだいたいそう思ってる。だから彼ら囚人は夢を使えない。『法典』の拘束とは別口で、夢の無力化が働いてるのさ……流石はヨータロー、理解が早いねえ?

 この『第二監獄』は『法典』の影響をモロに受けてる場所だからね。そういうきっつい縛りが働くのも当然ってこと。手錠とか掛けてないのもそれが理由だよ。

 必要が無いんだよ。手錠があろうと無かろうと関係が無いんだ。

 それを知るのに一番手っ取り早い方法が……ってわけさ』


 気が付けば囚人たちは足を止めていて。

 目の前にあるのは、木製の大きな両開きの扉。それは、独房の棟を抜けるときに通った扉とよく似ていて。


 ぎぎぃ、という重い音とともに、扉がゆっくりと開いていく。

 その奥に見えたのは――――煌々と輝く巨大なシャンデリアと、艶やかな大理石で出来た豪奢な柵。

 視線が高い。テラスだ、と直感的に悟る。囚人たちの流れに合わせてそのテラスへと歩を進めていく。そして、柵越しに目に入る階下。


 そこには――――円形の、大きな大きな舞踏会場が広がっていて。

 ホールの中心には、黒ずくめの男十人――――囚人たちの姿があって。


 なんだ、これは。ここでいったいなにが始まるというのか。

 驚きと不安に掻き立てられる俺の心を知ってか知らずか、フェノは嬉々とした声を俺の耳にだけ響かせる。


『会場はお城のダンスホール。叫び声のBGMとともに始まるショーの名は『定期懲罰内覧』! 『第二監獄』における一番の目玉イベントさ!


 ――――さあて、ここが地獄の一丁目だ。

 今のうちに精々、高みの見物を楽しむといいよ、ヨータロー?』






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