2-3 目的=手段





 あんたは今、現実でなにが起こってるか知ってるか?


 日本を中心に、『新いばら姫症候群』ってのが流行ってる。

 症状は名前の通りだ。

 元々いばら姫症候群って病気はあったらしいんだけど、それとは少し違った症状らしくてな。だから頭に『新』が付いてるんだそうだ。

 ……そのあたりのことは、まあどうでもいいか。


 重要なのはその新いばら姫症候群ってのが、原因どころか治療法すらわかってない奇病だってことだ。


 患者は日本で二万人強。全世界で数万人。その中で完治した例はたったの二十二件だ。しかも治った患者は全員、別の病気にかかって死んでるんだと。


 ……そんな厄介な病気に、一年前か。妹が罹った


 ネットに医学書に病院に、あげくは海外の医療機関。父さんや母さんと必死で治療法を探したけど、手掛かりは見つからなかった。

 当たり前だよな、完治する確率が何千分の一ってレベルの難病なんだ。素人の俺たちが探したところで、意味のある情報なんて得られるはずがない。


 ただ、眉唾物まゆつばものの話は拾えた。


 一つは『新いばら姫症候群に罹ってる人間は、夢を見てる』ってこと。それと、『新いばら姫症候群は、死にそうな奴にしか罹らない』ってことだ。

 精神面・肉体面のどちらでもいい。とにかく今にも死にそうな人間しか発症しないんだと。……言っても、噂程度のレベルの話だけどな。

 逆に言えば、それくらいしか意味のある情報が掴めなかったんだ。


 だったらもう、と思った。


 一度罹ってみて、その共有してる夢とやらに入ることができたなら、もしかしたら妹を助けられるかもしれない。その可能性に掛けたんだよ。

 噂話を信じるなら、死にそうになりさえすれば新いばら姫症候群に罹れるはず。


 だから、一度死にそうになってみることにしたんだ。それも、極力緩やかに。

 少しでも罹患りかんの可能性を上げるために、『死にそうな期間』を長くとらなきゃいけなかった。


 で、俺が考えたベストな方法は、絶食と絶水と絶眠だった。


 なにも食わない、なにも飲まない、一切眠らない。

 自発的に死ぬ方法の中では比較的時間がかかる上に、瀕死の期間も長くなる。それに、運が良ければ死ぬまでいかないかもしれない。


 だから、試したんだ。



 ◇



「正気、ですか」


 柳のつぶらな目が、また見開かれていた。今度は「信じられない」という色合いの強い驚きで。


「はは。そんなわけないだろ」


 端的に返す。そう、正気の沙汰じゃないことは俺自身がよくわかってる。

 頭がおかしい。確かにそうだ。ただ――――


「逆に聞くけど、まっとうな方法で治すことができないものに対してまっとうな理屈で考えて、どうにかなるとでも思うか?」


「っ…………それ、は」


 焦げ茶色の目を伏せ、柳は言葉を詰まらせる。はらり、と前髪が力なく流れた。

 ……困らせる意図はなかった。ただ、この問題に関しては俺も感情的にならざるを得ないから。

 誰になんと言われようと、俺はあいつを助ける。その決心は揺らがない。だから。


「……正気を失って正解だったと今は思う。

 結果的にここに来れたし――――カナメも見つけられた」


 第一段階はクリア、というところだろう。

 後はあいつに会って、叩き起こしてやればいいだけ。

 手掛かりも無くやみくもに病気のことを調べていたあの頃よりよほど楽だ。なにせもう、カナメのことが見える位置に来ているのだから。

 ゴールは近い。そういうことだ。後は――――


「――――差し当たって、この監獄の外に出なきゃならないわけだけど」


 そう言葉をこぼした瞬間に、独房の鉄扉がぎぎぃ、と開いて。



「目が覚めた途端に脱獄の算段か? 随分と反抗的な態度だな」



 やけに高く可愛らしい声色に反し、冷たい視線を投げる、ひとりの少女が現れた。

 切りそろえられたショートボブの赤毛にはヘッドドレスが乗っている。

 エプロンドレスと黒いワンピースの組み合わせはさながら……そう、メイドだ。

 メイド姿のその少女は、丸い猫目をすっと細めて俺を一瞥した後、柳へと視線を移して。


「柳局長。囚人が目覚めたらこちらにご一報願う、と申し上げたはずですが?」


 冷たい視線を向けられた柳はしかし、にこやかに笑んで答える。


「彼は今しがた目覚めたばかりです。心身の状態を確かめるために軽い検査と問診を行っていたところでした。一通りの確認を終えれば、ご連絡を差し上げるつもりでしたよ?」


「そうですか……であれば結構」


 言って、再びこちらへと目線を向ける赤毛のメイド。

 猫を思わせる愛らしい見た目ながら、その目付きと声は零下ほどに冷たく。


「早速だが囚人、自立歩行は可能か」


 言われ、答える代わりにベッドから立ち、その場で二度ほど軽く飛んでみる。

 長く寝たせいもあるのだろう、体の調子は万全だった。


「ならばいい。本日一五〇〇より『定期懲罰内覧』を行う。

 定刻十分前の予鈴とともに独房が開錠されたら、看守の指示に従い移動するように。それと」


 メイドがその小さな手をぱんぱん、と二回手を叩くと、なにもない中空から真っ黒のツナギが一着現れ、ばさりとベッドの上に乗った。


「囚人服だ。私が独房を出たら着替えろ。……柳局長も、ご退室願います」


 促された柳は「はい。それでは、失礼します」と俺とメイドにそれぞれ頭を下げ、独房の扉をぎいと開いて外に出る。

 それに続いてメイドもまた、ぴんと伸ばした背筋はそのままに踵を返し、柳の後ろについて出ようとして――――


「念を押しておくが」


 顔だけをこちらへとむけた。細い赤毛が一瞬ふわりと浮いて。


「当監獄の看守は全員婦女子である。

 乙女の清らなる瞳にその汚らしい肌を晒さぬよう、ゆめゆめ留意せよ」


 そうぴしゃりと一方的に言い放つと、メイドは綺麗な姿勢を崩さずにそのまま退出し、重々しい鉄扉をばたん、と閉じた。

 ――――まさか、メイド姿の看守が出てくるとは。


「……中々、個性的な監獄だな」


 苦笑とともに詰襟つめえりを脱ぎ、着替えを始める。


 ――――振り返れば、この時はまだ気が緩んでいた。


 一風変わった牢獄だなと、半ば他人事のように考えていたことは否めない。

 結果として、その判断は間違いだった。

 俺はこの場所を甘く見ていた。夢の世界を甘く見ていたのだ。


 ――――そのことに気が付くまで、さして時間はかからない。






 ◇






 ……なんだ、これは。なんなんだ、これは。


 見知らぬ誰かの首が飛ぶ――――戻る。

 見知らぬ誰かの腕が千切れる――――戻る。

 見知らぬ誰かの脚ががれる――――戻る。

 見知らぬ誰かの臓物ぞうもつがぶちけられる――――戻る。


 分厚いガラス越しにくぐもった絶叫が木霊する。言葉にならない悲痛のわめきが響き渡る。

 吐き気がして、思わず口を押えた。――――まともじゃない、普通じゃない。


 目の前に広がる惨状は、この世のものとは到底思えなかった。


 ……これが、夢の世界の『監獄』。

 モラルに反する欲望を抱いた人間が置かれる末路、だとでもいうのか。

 この凄惨な光景に俺は、怖気と嫌悪感しか抱けない。



 ――――舐めていた。甘かった。間違っていた。



 ――――この場所は、こいつらは、誰の目から見ても明らかに、狂っている。


 




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