2章 羽無しヤードバード、あるいは閉鎖領域におけるサディスティックな支配者

2-1 不死=治療





 困った。……これは困った。

 コンクリートむき出しの天井をながめながら、俺はとても困惑していた。


 固いベッドに寝かされ、詰襟つめえりもシャツもはだけさせられて。

 むき出しになった俺の胸部には、白く柔らかな掌が乗っている。

 しなやかで細い指はそれこそ白魚のようで。時折さらさらと動いては俺の肌をでる。……そのこそばゆさと恥ずかしさと言ったら、それはもう困りもので。


 なんというか、まともにその手の主と目線を合わせられる気がしない。

 これは、どうしたものか。考えながら、顔が少しずつ紅潮こうちょうしていくのを自覚する。

 ……とにかく、声を出さなければ。喋らなければ。この沈黙は俺にとって毒だ。

 

「あの」


「静かに。わたしの手に集中してください」


「あ、っと……わかった」


 ……集中しろと言われても。いや、集中してしまってはいるんだが。

 ちらり、とベッドのかたわらに視線をれば、そこには真剣な面持ちで目を閉じ、俺の胸に手を添えている少女の姿があって。


 その容姿は一言、美少女だ。均整がとれている、という表現が的確だろうか。

 やや大きめの両の目、通った鼻筋、小ぶりな唇が、収まるべきところに寸分の狂いも無く配されているような顔立ち。


 髪色は黒。背まで伸びた艶やかなからすの濡れ羽色に、白いヘアピンのアクセント。

 ゆったりとしたシルエットの白いシャツワンピースは丈が膝上までしかなく、パイプ椅子に座るその裾からは、黒いタイツに包まれた太腿がちらりと覗いている。


 ……目の遣り場に困り、視線を天井へと戻す。

 なんとも気恥ずかしい微妙な居心地のままに五分か十分か三十分か、体感ではわからないがとにかくそこそこの時間を過ごして。


「ふう」と少女が一息をつき、そっと手を引っ込めた。


「……終わったのか?」


「ええ、もう動いてもらって大丈夫ですよ」


 にこやかに笑んだ少女のその言葉を聞いて、俺は内心ほっとしつつ上体を起こす。

 制服のボタンをとりあえずいくつか留め、軽く服装を整えてから「ありがとう」と頭を下げれば、黒髪の少女は「いえいえ、どういたしまして」と、恐縮しつつ口を開いて。


「一通り体を検査しました。怪我そのものは完治してますけど、体力の方は戻り切ってませんね。精神状態も少し不安定みたいです。しばらくは安静にしててください」


「なんか、悪いな。いろいろとやってもらったみたいで」


「いえいえそんな! これもわたしのお仕事なので、お気になさらず。

 それより、こちらこそすみません。思いのほか治療に時間がかかってしまって。まさか、意識を回復させるまで三日もかかってしまうなんて……本当にごめんなさい」


「それこそ気にしなくていい、俺は単に寝てただけだし。

 それに俺、結構な大怪我だったんだろ? だったら治りが遅いのは当たり前だ」


「大きなけがと言っても、胸部を貫通する刺杭創しこうそうと腹部の刺創に、右腕および右肋骨の粉砕骨折です。現実ならいざ知らず、ここは夢の世界ですから。この程度なら一日どころか数時間で蘇生と治療ができる……はずだったんですけど」


「その辺のことはよく分からないけど……なんにせよ、あんたのおかげで傷が塞がったのは事実なんだろ? なら、ありがとう。本当に助かった」


「いえいえ、とんでもないです! なんとかお力になれてよかったです!」


「で、だな」


 先ほどから平然と会話をしている俺たち二人ではあるが、お互い肝心なことをし忘れていると彼女は果たして気付いているのだろうか。

 まあ、気付いていないんだろうな。という少しばかりの諦めを込めて、俺はひとつの提案を口にする。




「そろそろお互い、自己紹介した方がいいと思わないか?」




 ◇




 目が覚めたのは、つい数十分ほど前。

 気付けば俺は、一面コンクリート打ちっぱなしの部屋に居て。

 現状が今一つ把握できず、少しでも心を落ち着かせるために気を失う以前の出来事を回想している最中だった。


 重厚な鉄の扉がばん! と勢いよく開き、「目が覚めたんですか!? よ、よかったです……!」となにやら安堵した様子の彼女が駆け寄ってきたのは。


 そのまままくしたてるように彼女は、俺がかなりの重傷だったことや、その傷が癒えるまで丸三日かかったこと、まだ容体が安定しているかどうかがわからないということをざっと説明し、「起き抜け早々もうしわけないんですが簡易検査をさせてもらいますっ!」と宣言したのだった。


 で、その簡易検査が終わるまでの結構な間、俺はこの少女の名前や素性を全く知らなかったわけで。……思い返せばなんとも奇妙な数十分間だった。


 先ほどの俺の提案に酷く慌てたような反応を示した少女は、わたわたとしながらぺこりと一礼する。


「も、申し遅れました……! わたし、やなぎ英美里えみりっていいます! ハルシオン行政府医療局にて、局長の席を預かっている者です! よ、よろしくお願いします!

 あ、あなたのことは事前に聞いています。弥代やしろ要太郎さんですよね?

 ……要太郎さん、とお呼びしていいでしょうか?」


 いきなり下の名前で来るかと少し驚きつつも、彼女の言葉の中に聞き慣れない単語を認め、そちらに意識を持っていかれる。


「ああ、呼び方は好きにしてくれて構わないけど……その、ハルシオン、行政府? っていうのはなんなんだ。初めて聞いたぞ」


 そう疑問を返すと、黒髪の少女――――柳は、ぽかんとした表情で無言となり……ややあって、小首をかしげて「え?」と語尾を上げた。


「あれ? あの、幽霊さんのチュートリアルはひととおり受けたと聞いたんですけど……もしかして、聞き覚えありませんか?」


「ああ、聞いてない」


「少しも、ですか?」


「まったく。これっぽっちも」


 正直にそう答えると、「そ、そうですか……」と柳は口元を引きつらせた。

 そのままふい、と俺から顔を背けると、ごくごく小さな声で「……まったく、あの幽霊さんは本っ当にもう……! 説明不足にも程がありますっ……!」とフェノに対する不満を呟いて。


 ……さほど周りからの雑音も無い環境で、しかもこの距離。うん、丸聞こえだ。

 思いつつ、これは敢えて言わない方が親切か、と考えて聞こえないふりをすることにした。


 さほど待たずして調子を取り戻した柳は、やや乱れてしまった前髪をさらりと直し、姿勢を正してこちらへと向き直った。


「え、ええとですね、ハルシオン行政府というのは、『市街』領域に住む人たちの安全と権利を保障するという名目で成立した政府機関の名前、なんですけど。

 ……えと、『市街』についてはどこまでご存知ですか?」


「あんまり理解はしてない。ただ、フェノが話してたことから類推はできてる。

 ……あの基底領域ベースとかいう原っぱの上に創られた妄想の街、っていうイメージで合ってるか?」


「ええ、ほとんど正解です。正確に言うと、夢の世界の人々が持つ『一般的な近代都市』のイメージが折り重なって発生した空想都市ですね。

 ハルシオン行政府は、その『市街』の自治体みたいなものです」


「なるほど」と得心する。要は夢の世界における役所のようなものか。


「行政府にはそれぞれ分野別に部局がぶら下がってまして。

 例えば、治安維持の役割を持つ警邏けいら局とか、『市街』外の領域との折衝せっしょうを担当する領域外交局とか。

 その部局のうちのひとつが、わたしが所属する医療局です。読んで字のごとく、治療とか衛生方面のお役目をもらっている局でして」


「そこの責任者が、あんたなのか」


「ええ。……荷が勝ちすぎているのは自覚してるんですけど、ね」


 柳はそのやわそうな頬を細い指でき、苦笑いで謙遜けんそんする。

 俺が気にしているのは柳個人の役職への向き不向きではなく、なぜこんな若い人物が行政府なる組織の部局長――明らかに上級の役職だろう――を務めているのか、という点だったのだが……。

 いや、それよりも。

 そんなことよりも先に、俺には聞いておかなければいけないことがあった。


「ここは、どこなんだ? あんたが言った医療局とかいう部署の施設なのか?」


 そもそもこの場所はいったいなんなのか。

 四方をコンクリートに囲われた究極に簡素な部屋。入り口はやたらに重厚な鉄扉ただひとつ。明かり取りの窓すら見当たらない閉鎖空間。

 この異様な場所は、なんだ。いったいどういう施設なのか。


「それは、その……ですね」


 俺の問いになぜか、柳は顔を引きつらせて言いよどむ。

 ……直接答えは言いづらい、のか。あまり良い場所でないのは確かだろう。


 と、そんな彼女の反応があったからなのか。あるいは目覚めた直後に考えていたことが今更になって実ったのか。


 ――――思い出した。気を失う直前のことを。


 腹部の激痛、突然叫び出した血塗れの男、流れ込んできた情報の波。

 そして――――なぜだか心地よく感じた女の声。『法典』。事務的に告げられた『有罪』の宣告。

 連鎖的にが呼び起こされる予兆を感じながら、俺はこの場所の正体を察する。


「そうか、ここは――――、か」





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