1-7 無罪=有罪
「か、っは――――――」
熱い、気持ちが悪い――――痛い。様々な感覚が怒涛のように神経に流れ込む。総じて、あまりにも耐えがたい苦痛。
思わずふらつき、尻餅をつく。地面にどさりと倒れ込む衝撃が、腹に刺さった異物を揺らし、さらなる激痛を生む。痛みに身をよじればさらにナイフが腹の中でぐらついて――――最悪の悪循環。
「は、っぅ……ぐぅ、ぅ……!」
声にならない。言葉にならない。ただただ腹を抑えて唸り声を上げる以外になにもできない。痛い、苦しい、痛い、痛い。視界がぼやける。なにも見えない。
だがうずくまったままではいられない。立たなければ、逃げなければ。とにかくこの場から離れなければ。
気持ちばかりが
力が抜けていく。思考すらままならない。意識が薄れ始めていた。
「あ、ああ――――――」
そんな中、間の抜けた弱弱しい声が聞こえて。……あの血塗れの男のものか。
自分から俺のことを刺しに来ておいて今更驚くのか。意味がわからない、これはお前がやったことだろうが。
……そう、痛みにこらえながら苛立ちを募らせていた時だった。
「――――――――いたい、痛い、痛い痛い痛い痛い痛いぃィぃ!! う、ああ、ああああぁァァぁあああああああ!! ああ、おおあがあアあぁぁあアアああ―――――!!」
大絶叫。薄れかけた俺の意識が目覚めるほどの大声で、その男は狂い叫んだ。
なにごとだ、なにが起きている―――――突然の大声に、なんらかの異変が起きたことを悟って。
「あ、あああァあ!? なんだよこれ、なんなんだよォ!? ああアアアぁぁぁああああああぁぁァァ痛え、痛えよォ―――――が、っはァ!? ごぼ、がぼッ、ァぁ――――!?」
叫喚に湿り気のある咳が混ざる。明らかに常軌を逸した声音。張り上げる声に混ざって地面をのたうつような音も聞こえてくる。
いったいなにが起きているのか。激痛にかすむ意識とぼやける視界では、現状を把握することなど到底できず。
なにか、得体の知れない事態が起きている。そのことだけがわかるばかりで、戸惑いと恐怖が湧き上がってきて。
……そうしている間にも、時間と共に状況も変化していき。
「――――――あ、ああぁぁァ、ご、ァぁ……痛え、いてえ……さむい、なんなんだよこれぇ……? ちから、はいらねえ……っぐほッ……ごぶッ……」
男の声がか細く弱まっていく。その中に震えが混じり始めた。
のたうつ音もいつしかしなくなり、代わりに聞こえてきたのはもぞもぞとぎこちない衣擦れ。その音も、時が経つにつれどんどんと小さくなっていき。
やがて、声もほとんど聞こえなくなり。動く音も止まり。
人の気配、熱のようなものが極端に冷えていく感覚が、辺りの空気から伝わった気がした。そして。
「あ、ぁ―――――――――――――――――――」
男のその声を最後に、薄く残っていた熱がすうっと消え去った。――――おい、待て。まさか、これは……。
腹から来る苦痛に耐えながらであっても、その事実は俺にとって衝撃的であり。
加えてどうやら傍で見ていた二人にとって見ても、今の現状はひどく予想外であるようだった。
「ええと、これ、は……? なになに? なにが起こってるのかな? フェノちゃん初めての経験だよ? どゆことどゆこと? ねえねえリッシーリッシー、なんなのこれ? どういう現象?」
軽くふざけながらも戸惑いを滲ませるフェノの声。
「アホか、お前が知らねえのに俺が知ってるわけねえだろ」
パーカーの男の声は先ほどまでと同じく低く粘っこいものだったが、奴も現状の把握自体は出来ていないようで。
「それもそうだねなるほど納得♪ ていうかアホはどっちかってえとキミの方♪ じゃなくてじゃなくてちょっと待ってよ、マジで意味わかんなくない? いやね、あの子が急に叫び出したと思ったら死んじゃったのもそうなんだけどさぁ? それに輪をかけてなんだけど――――
――――なんで『法典』が出張ってきてんの?」
「だから、俺が知るわけねえだろうが」
――――瞬間、俺の体が勝手に浮き上がった。
同時に手足が中空に固定される感覚――――無理矢理体勢を変えさせられたことで、ナイフの刺さった腹部からさらに激しい痛みが奔る。
「ぐ!? ぅッ――――」
意識が眩む。最早まともな声は出なかった。
くぐもった低い悲鳴が、食いしばった歯の間から漏れて出る。
――――なんなんだ、さっきからなにが起こってるんだ。
そうやって戸惑う俺の耳に飛び込んできたのは――――
『律法への抵触を確認しました。律法への抵触を確認しました。
第一律「汝、人を殺めること無かれ」。強制拘束権の適用事案です。違反者の身柄を強制拘束します』
若い、女の声だった。とても無機質な、しかし澄み切った綺麗な声。
風鈴の音のように凛と穏やかでありながら、どこか芯も感じる音。……ずっと聞いていたい。ふとそう思う程度には、美しい声音で。
一方、声の凛々しさに反し、言葉の内容は嫌に事務的なものだった
――――律法、強制拘束、違反者。そして、人を殺める。聞こえてきた単語には物々しい響きがあって。
無機質な女の声にいの一番に反応したのは、やはりというべきかフェノだった。
「は? 殺人? 嘘でしょ? じゃあ今のあの血だらけの子が死んだのはヨータローがやったってこと? あの子が自滅したんじゃなくて? ……え? マジで? りありぃ? 本気?」
驚きながらもどこか道化染みた半笑いの声でフェノがまくし立てるも、それに対して誰ひとりとして反応を返す様子は無く。
澄んだ女の声は、変わらず事務的に淡々と言葉を発していく。
『罰則規定により簡易裁判を開廷、違反者の記憶探査による自動審議を開始。
――――審議終了。判決、有罪。懲役刑。収監先は「第二監獄」となります。簡易裁判、閉廷』
ぼやけた視界になんとか集中する。――――白い人影、のようなものが見えた。
髪も、肌も、服装も、恐らくは白いのだろう。体のラインには曲線が現れている。女性、だろうか。背丈は小さい。声の主も、恐らくはこの白い人影で。
その霞んだシルエットをじっと見ているうちに、俺は――――――
「――――――――ガっ!?」
瞬間、頭の中に濁流が流れ込んでくるような、あるいは間欠泉が吹き出すような、激しい感覚が脳を襲う。
感じたのは衝撃と痛み。
肉体的な外傷からではない、頭を内側から苛む精神の激痛。視界が一気にホワイトアウトする。
脳を苛む痛苦は、自分自身が自意識を保っていられることが信じられないほどに凄まじく。
――――頭を襲った痛みの波。……これは、情報だ。
根拠も無く、そう悟る。大量の情報が一気に流入してきたのだ。その処理に脳が耐え切れず悲鳴を上げている。それは確信に近い予測だった。
だが、そんなことを自覚したところで、事態は一切好転せず。
精神と肉体、双方を責めるそれぞれの強烈な痛みに呻きながら俺は、淡々とした女の声を聴き続ける。
その声音になぜか、得体の知れない心地よさと懐かしさを感じながら。
そして――――
『緊急連絡。緊急連絡。近辺の
「ちっ、面倒臭え」
重くて、粘性の高い声。パーカーの男か。そう判断した次の瞬間――――――
「とりあえずお前、さっさと死んどけ」
――――――どん、という衝撃が全身を叩き。
胸のど真ん中に突き刺さる人の腕を見て。
急速に意識が薄れていく。秒を数えぬ間に視界はブラックアウトするだろう。
その事実を認識しながら俺は、それでも勝手に整理されていく情報の奔流に突き動かされるように、無意識でひとつの言葉を呟いていた。
「――――――――――――――――みつけ、た」
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