第29話 情報提供者
「言えないとは、どういうことだ」
「そのままの意味です。これは、匿名での情報提供ですので」
訝しげな視線をその身に受けながら、エルゼは堂々と言った。
勿論、エルゼにだって分かっている。目の前の幼馴染は、この国で最も高位の人間であり、自らが仕える主であることを。
本来なら、どうして情報を知りえたかをすべて白状するべきなのだ。それでも、エルゼは彼女との約束を守りたかった。
***
「私の探し人? 何のことですか」
エルゼは慎重に口にした。
できるだけ表情を変えないように。自分の弱みを相手に知られないように。
目の前の少女は、そんなエルゼの様子を見て侮るように口角を上げた。まだ10歳にも満たない少女の顔ではない。まるで、あの城にいる海千山千の老人たちのような。あるいは――エルゼの父親のような。
幼い少女に老獪な表情。そのアンバランスさに不気味さを感じながら、エルゼは彼女から目を離さなかった。
しかし、少女はエルゼの警戒をものともせずにベッドから飛び降りると、軽い足取りでエルゼに近づいた。
そして、歌うように語りかける。
「おや、違ったか? わらわはてっきり、探し求めていたと思っておったぞ」
彼女は猫のような瞳を細める。
「そなたの友人と、兄を」
そこまで聞いて、エルゼは限界だった。
この少女は、確実に何かを知っているのだ。いや、それどころではない。もしかしたら、彼らが姿を消した原因かもしれないのだ。
エルゼは弾かれるように入り口まで後ずさると、立てかけてあった剣を握りしめた。
細身で軽いショートソード。エルゼの愛剣だ。
エルゼは躊躇なくそれを少女の首に突き立てた。もちろん殺すわけではない。彼女から情報を聞き出さなくては。
エルゼの魂胆が分かっているのか、少女は余裕の表情を崩さない。その白い首から赤い一筋の線が引かれていっても、口も目も弧を描いている。
「無作法であるぞ。か弱いレディに剣を向けるなど」
「あなた、何を知っている」
からかうような少女を黙らせるように、エルゼは強く、冷徹に言った。
もし、この場にオスカーがいたら、その声に驚き、震え上がったことだろう。
「何を知っているか、とな。わらわは何でも知っておるぞ」
「とぼけるな。あなたは」
「とぼけてなどおらぬ。事実じゃ」
少女は真顔で言ってのけると、淡々と続けた。
「エルゼ・フォン・シュトラール。16歳。シュトラール伯爵家の長女。代々続く家法術の使い手にして、当代グランツィア国王の幼馴染」
「いったい何を……」
「家族構成は父と二歳年上の兄。幼少期には兄にくっついて遊んでいたが、3年前兄がそなたのメイドに大怪我を負わせたうえに屋敷から追放したことで――」
「黙れ!」
エルゼはまるで悲鳴のように叫んだ。
剣を掴む手に力がこもる。
ああ、思い出したくもない。むせ返るような血の臭い、月に照らされた兄の背中。足元には大好きだった
自らの恐怖に溢れかえった呼吸音。ゆっくりと兄が振り返って――。
気が付いたら、ベッドで横になっていた。
あれ以来、彼女の姿を見ていない。父に聞いても、暇を与えたとしか教えてくれない。
恐る恐る兄に問いただしても、夢でも見たのではないかと言って頭を撫でられた。
まさか、夢であるものか。
夢ならば、彼女はまだここにいるはずだ。
夢ならば、微かに残った血の跡は何だ。
夢ならば、夢ならば、夢ならば――。
どうして、こんなにも兄に恐怖するのか。
それ以来、できるだけ兄を避けるようになった。どうしても会わなくてはいけない時は、身構えてしまう。
使用人たちも、消えた彼女の消息に兄が関わっていると感づいた様子で、まるで腫れものを触るかのように接するようになった。
家法術が使えないと
兄は最初不思議そうにしていたが、何かを感じ取ったのか、弁明も釈明もせず黙り込んだままだ。
ああ、どうして何も言ってくれないの。
いいえ、何も言わないで。
相反する感情が、エルゼの心をかき乱す。
せめて何か言ってくれたら、感情の行き場があるのに。でも、それで彼を憎むことになってしまったら? いっそそれなら、今のままでいいのでは?
エルゼの瞳が動揺で揺れる。
少女は面白そうに、クスクスと笑い声を漏らした。
「言ったであろ? わらわは何でも知っている。そなたの過去も、あやつらも行方もな。――信じる気になったかの?」
確かに、あの一件は決して口外しないように父が口止めしてるはずだ。
それでも、とエルゼは首を振った。
「あなたが、屋敷の人間から聞いたということもあります。人の口に戸は立てられませんから」
「なるほど、それもそうじゃな」
少女はうんうんと頷くと、ならば、とエルゼに請うた。
「わらわを、書庫へ連れて行ってたもれ」
使用人たちが総出で探した書庫は、今は静まり返っている。
少女は書庫に入るなり、破顔した。
「うむ、なかなか素晴らしいものであるな。本は知識の泉であるとともに、人が紡ぎし歴史そのものであるぞ。大切にせよ」
「なんとも、偉そうですね」
エルゼが冷ややかに言うと、少女は上目遣いに微笑んだ。
「『偉そう』ではない。『偉い』のじゃぞ?」
そう言うと、少女はスタスタと書庫の奥へと進む。
その迷いのない足取りは、二人が消えた場所を知っているようだった。
彼女は書庫のソファの前まで行くと、小さな手を頭の上に掲げた。
その手を中心に、黒い光が集まっていく。
「まさか、家法術?」
「まあ、似たようなものじゃな」
光は徐々に弧を描き、丸い陣になっていく。
それを床に投げ落とすように放つと、二つの影が現れた。
それは光に照らされるように色を変え、エルゼの知る二人に変化した。
ソファに座るオスカーとフェリクス。エルゼが瞠目すると、
『どうしたの、それ』
『今日、行商人に貰ったんだ。綺麗だろ?』
談笑する二人。心なしかオスカーの顔色が悪く、兄が気遣うような視線を送る。間違いなく、失踪する直前の様子だろう。
オスカーがネックレスを掲げると、そこから雫が滴り落ちる。それは量を増し、彼らの足元に大きな水たまりを作ると、オスカーを飲み込んでいく。助けようと、その手を引くフェリクスを巻き込んで。
エルゼは思わず二人に手を伸ばした。しかし、その手は彼らをすり抜ける。
「残念ながら、ただの映像じゃ。過去を切り取り、映し出しておるからの」
少女がエルゼを見遣って言う。
その間にも二人は沈み続け、とうとう誰もいなくなった。
それを少女が確認すると、水たまりのあった場所に手を当てた。
「家法術やその類のものは」と少女が口を開く。
「どんな高度な使い手でも、残滓というものが発生する。それが残る時間の程度はあるがの。それを辿れば」
「二人の居場所が、分かると……?」
「まあ、そう言うことじゃ」
少女が軽く言うのを聞いて、エルゼは信じられない気持ちで一杯だった。
家法術の残滓を辿る。簡単に言うが、そんな事ができる人間をエルゼは知らなかった。
少女は彼らが消えた床をしばらく見つめると、ため息を吐いた。
「やれやれ、厄介な場所に呼ばれたものじゃな」
「厄介……?」
エルゼが少女を見下ろすと、彼女は頷いた。
「そなたらにとっては厄介じゃろう。――こ奴等は今、ジャクロットのエクラ=リラにいるようじゃ」
「ジャクロット!」
エルゼは驚愕の声を上げた。
ジャクロット帝国。グランツィア王国の北西に位置する、アルトロディア一の大国。グランツィア王国とは隣国であるが、二国間の行き来は困難だ。
なぜなら、この二国は20年前から戦争状態にあるからだ。
現在は休戦協定が結ばれ、小康状態を保っているが、何がきっかけで再び戦闘状態に陥るか分かったものではない。
万が一、グランツィアの貴族、しかも武門の家柄の一族が侵入していることを敵国に知れたらどうなるか。十中八九、間者の疑いをかけられるだろう。
「それで、どうするのじゃ? わらわの言うことを信じるかの?」
少女は、品定めするようにエルゼを見つめた。
その視線を受けて、エルゼは迷わず口を開いた。彼女の中で、答えは決まっていたから。
「あなたを、信じます」
「ほう……? わらわは賢く、可憐であるが、見ての通りただの子供じゃ。子供の出鱈目かもしれんぞ?」
「どの口が言うのですか」
今更子供ぶる少女に、エルゼは冷ややかに言った。
「ただの子供が、貴族の屋敷に忍び込めますか。しかも、私は曲がりなりにも武官。その私に気付かれずに室内に侵入するなど、幼子のすることではありません。大体、先ほどの家法術と言い、術の残滓を辿る力と言い、見たことも聞いたこともありません。が、見てしまったものは仕方がありません。信じましょう」
「力は本物でも、言ってることは嘘かもしれんぞ?」
少女はからかうように言った。心なしか、声が笑っている。
エルゼはため息を吐いた。信じてほしいのか、そうでないのかどちらなのだ。
「どちらにせよ、私にはあなたを信じるしかありません。彼らの消息に一切の情報が無い今、手掛かりはあなたしかいないのですから。――それに」
「それに?」
「私は、私を信じます。あなたを信じることにした、私を。必ず、彼らを探し出せると」
「ほう」
少女はニヤニヤと頷いた。
その様子を見て、エルゼは眉尻を吊り上げる。
「彼ら、彼らの。なるほど、フェリクスはそなたの兄。しかも、このままではつかの間の平和を崩すことに成りかねない存在となった。早く探し出したいじゃろう。でも、オスカーとやらは?」
「オスカーさん?」
「あの小僧、そなたとは何の関係もないじゃろう? フェリクスのついでに助け出すならそれもよいが、一緒に行動しているとは限らんぞ?」
「もちろん、オスカーさんも連れ戻します。二人がはぐれているならば、草の根を分けてでも探し出します」
「なぜ?」
少女はとても静かな声で言った。先ほどまでのからかいも、笑いも無く。感情に惑わされない、風のない日の湖面のような、そんな声で。
「そなたの家族でも、友人でもない。ただ、保護し、保護されるだけ関係じゃ。そなた特有の奉仕精神かもしれぬが、危険を犯してまで助けるような者では無いじゃろう? むしろ、厄介ごとをもたらす存在になろうぞ」
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