第28話 彼らの行方

 太陽が眠りにつき、夕闇が辺りを支配してから数時間。静かな時を刻むはずであった王都マッセルのシュトラール邸は、混乱の渦に巻き込まれていた。 

 この屋敷の主であるシュトラール伯爵の長子フェリクスと、令嬢エルゼの客人であるオスカー、二人が忽然と姿を消したからだ。

 彼らが屋敷内から出た形跡は無く、最後に目撃された書庫内にも不審な点は見受けられなかった。屋敷を守る門番も、誰も通っていないと証言している。


 では、いったい何が起きたのか?


 唯一の目撃者であるエルゼ・フォン・シュトラールは、王城に使者を送った後、自室に籠ったままだ。

 ある使用人は、客人の失踪にお嬢様が心を痛めておられる、と同情し、またごく少数ではあるが、普段は忌避しているフェリクスの安否を案じる者も存在した。

 そして、ある使用人は――。


「失礼します! エルゼお嬢様、いったい何が起きたのですか!」


 扉を破らんばかりの勢いで、ゲオルグ・デューリングは主の妹の部屋に突入した。

 その顔には焦りが見られ、大股で部屋を横断してソファに座り込むエルゼに詰め寄った。

 俯き、その手を血の気が引くほど強く握りしめた彼女は、兄の従者の問いかけに答えることが出来ない。


 エルゼにだって、訳が分からなかった。

 

 若干不本意ではあったが、兄の言う通りに飲み物を持って書庫へ戻ったら、扉の向こうから悲鳴にも似た呼び声が飛んできた。

 何かあったのだ、と慌てて書庫に入ってみれば、沈みゆくオスカーとその手を引く兄。彼らの足元には水たまりが広がり、瞬く間に二人を飲み込んだ。

 エルゼがその場に着いた時には、水たまりの「み」の字もない。濡れた形跡すらないカーペットがあっただけ。

 もちろん、書庫内は虱潰しに探した。屋敷内も、庭にある植木の隙間だって。

 それでも、何処にもいない。

 

 十中八九あの水たまりが原因だが、そんな家法術は聞いたことが無い。少なくとも、この国には存在しない。

 よしんば、他国の家法術師による拉致であるなら、なぜこの屋敷で? 

 今回のことで、オスカーだけでなく、シュトラール伯爵家の一員であるフェリクスまで巻き込まれているのだ。

 グランツィア王国でも指折りの武門、シュトラール家。その長子を誘拐したとなれば、外交上の問題になることは想像に難くない。もしオスカーが狙いなら、わざわざそんな危険を犯さずとも城下に出た時に狙えばいいのだ。

 あの水たまりの家法術を使えば、証拠も残さず失踪扱いになっただろう。


 ――水たまり。

 エルゼは脳内に何か引っかかるものを感じた。

 ああ、そうだ。オスカーがこの世界にやって来たのは、水たまりに落ちたからだと言ってはいなかったか?

 なら、今回の事は。


 エルゼは思考の海に沈み、なかなか戻って来ないようだ。

 ゲオルグは一度だけ答えを催促したが、一言も発しない彼女に痺れを切らし、荒々しく退出した。

 最早この屋敷にはいないと分かっていても、探さずにはいられないのだろう。

 エルゼは足音が遠のいていくのを聞きながら、四散する思考をまとめ上げる。


 そもそも、オスカーは何故この世界に来たのか。

 リヒャルトは「誰かに呼ばれたのではないか」と言っていたが、その「誰か」とは?

 異なる世界を繋ぎ、人ひとりを移し替える。そんな大それたことができるのは、それこそ。

 エルゼはゴクリ、と唾を飲み込んだ。


 そう、それこそ――。


「そなた、エルゼ・フォン・シュトラール」


 エルゼは弾かれたように顔を上げた。

 まだ幼い少女の様な声。自分以外誰もいないはずなのに、ましてやこの屋敷には幼い子供など存在しないはずなのに。

 自室を見渡す彼女の視線は、一人の少女の姿を捉えた。


 その少女は、エルゼのベッドに腰掛けていた。

 白い異国風の衣装を身にまとった少女は、エルゼの記憶には存在しない、見知らぬ子供。

 いったい何時からいたのだろう? 一切気配を感じなかった。

 

 エルゼの狼狽をよそに、少女は「ちこう寄れ」と尊大な態度で手招きをしている。

 明らかにおかしい存在に、エルゼは警戒心も露わに睨みつけた。横目で自らの剣の位置を確認する。

 入り口の近くに立てかけてあるから、ここからだと5秒もあれば取りに行ける。子供に剣を突き付けるのは良心が咎めるが、やむを得ない。

 エルゼがタイミングを計っていると、少女は呆れかえった顔でため息を吐いた。

 

「そなた、わらわは良い知らせを持ってきてやったのだぞ。もう少しマシな態度をとってはどうじゃ?」

「良い知らせ?」


 エルゼは警戒を続けながら聞き返した。

 少女は「うむ」と仰々しく頷くと、ベッドから飛び降りた。


「そなたの探し人の、行方じゃ」


                      ***


「ゲオルグ!」


 ゲオルグ・デューリングが屋敷のあちこちを捜索していると、主の妹が凄まじい勢いで走り寄ってきた。

 その顔は険しく、しかもスピードを緩めないので、あわや衝突かと身を引き攣らせる。

 しかし彼女は素晴らしい運動神経で――彼の主人とは大違いだ――急停止すると、兄の従者の腕を掴み「王城へ行きます!」と宣言した。


「お、王城ですか? もしや、フェリクス様達の居場所が分かったのですか!?」

「話は後です! はやく!」


 期待を込めて尋ねると、鋭く返される。

 武門の家柄の跡取りとして、並の男には負けない力がある彼女だが、流石に身長190cmオーバーで筋肉質なゲオルグを引きずることはできないらしく、さっさと動かない彼を睨みつけた。

 ゲオルグはその視線に押される形で、彼女に従って歩き出した。

 はやる心を押さえて最初は早歩きで。しかし徐々にスピードアップして、結局二人して駆け抜けるように玄関までやってくると、すでに馬車が準備されていた。

 それに飛び乗り、馬車を飛ばして王城に着いても、彼女たちの足は緩まなかった。

 エルゼの顔パスを存分に使い、トビアスに連絡を取って数十分。

 結局、屋敷を出てから一時間ほどでリヒャルトと面会することが叶ったのである。


「ああ、シュトラール邸からの報告は聞いている。オスカーとフェリクスが行方不明だそうだな?」


 リヒャルトは自室のソファに深く腰掛けて言った。

 公務もすでに終わり、プライベートな時間だったのだろう。いつもの豪華な装いではなく、薄い赤のブラウスに茶色の革のズボンといったゆったりとした服装だった。

 彼はトビアスを背後に控えさせ、正面に座るエルゼとその背後に立つゲオルグを見比べた。

 

「屋敷中を隈なく探したが、影も形も見当たらないとか。――何があった?」

「何らかの家法術です」


 エルゼが語気も強く言った。

 珍しく荒々しい口ぶりは、彼女の内々の怒りを表している。

 リヒャルトは、憤怒の念を垂れ流す幼馴染に顔を引きつらせると、「家法術とは?」と聞き返した。


「陛下は、オスカーさんがアルトロディアに来た時の状況を覚えていますか」

「ああ、不審な水たまりに落ちたのだったな」

「その水たまりが、屋敷の書庫内で発生しました」


 リヒャルトが顔を顰める。

 

「その水たまりに飲み込まれ、二人は別の場所に転移したと考えられます」

「つまり、オスカーの世界へ?」


 エルゼは首を横に振った。


「いいえ、まだアルトロディアにいます。――ジャクロット帝国、エクラ=リラに」

「ジャクロット!?」


 思わず、と言った様子でゲオルグが声を上げる。

 彼はすぐに己の失態に気が付き、「失礼しました」と頭を下げた。

 リヒャルトはそれを許すと、その場にいる全員に自由な発言を許可した。

 

「それは何の情報だ? まさか、本人たちから連絡が来たなんてことは無いだろう?」

「ええ、情報提供者がいたのです」

「情報提供者?」


 トビアスが片眉を上げて聞く。

 

「誰だ、それは?」


 リヒャルトが金の瞳を細めて尋ねる。

 嘘や誤魔化しは許さない、そう訴えかけるような色。

 その瞳を受けて、エルゼは揺ぎ無く答えた。


「言えません。そういう約束です」


  

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