第27話恐怖に打ち勝て!

ひと際大きく足跡がして、俺たちは一斉に窓を見た。

 瞬間、息を呑む。

 ああ、そこにいるのだ。


 そのシュルトは、もはや巨大な壁のようだった。

 二足歩行で、がっしりとした体に、小さい頭。真っ黒な棍棒のようなものを持ち、さながらトロールだ。

 他のシュルトの例に漏れず、全身が影のように黒く、目は血のように真っ赤に輝いている。

 外が暗いせいで、その目だけが浮き出て、より一層腹の底から恐怖が湧きたつ。

 奴が窓を覗いた瞬間、サラさんがか細い悲鳴を上げた。

 慌てて口を手で押さえるも、後の祭り。


 その声を、シュルトは聞き逃さなかった。


 巨大な腕を振りかぶり、窓に突き刺す。

 甲高い悲鳴を上げながら、窓枠ごと飛び散る窓ガラスたち。

 その手は、真っ直ぐに俺たちを捕まえようと向かってくる。


「下がれ! 速く!」


 俺は半ば怒鳴るように叫ぶ。

 二人とも恐怖に顔が引き攣り、サラさんは腰が抜けてしまっている。

 俺は彼女を抱え込むように持ち上げると、なるべく遠くに退かせた。


 シュルトの手はすんでのところで届かず、空を握りしめて戻っていく。

 その隙に、へたり込む彼女をフェリクスに任せると、シュルトを睨みつけた。


 この小屋の入り口は一つ。シュルトのいる方向しかない。

 かといって、このまま手をこまねいていたら、小屋ごと潰されかねない。

 何とかして、シュルトを引き離さなければ!


 シュルトは黒板を爪で引っ掻いたような、鳥肌の立つ奇声を上げた。

 凄まじい嫌悪感を抑え込み、俺は吹き飛んだ窓枠を引っ掴むと、シュルトに向かって構えた。

 全く型も何もあったもんじゃ無いへっぴり腰だが、無いよりましだ。


「オスカー! 無茶だよ!」


 背後から、フェリクスの焦った声が聞こえる。

 だけど。


「無茶でも、やらなきゃいけねーだろうが!」


 シュルトは右手を振りかぶり、再び窓から腕を突っ込んできた。

 デカブツの癖に、中々のスピード。間一髪でよけられたが、風圧で髪が乱れる。

 犠牲になった木製の机が、断末魔の叫び声を上げながら破壊されていく。


 続けて、左腕!

 棍棒を持ったそれは、入り口の壁ごと俺を薙ぎ払おうとする。

 吹き飛んでくる木材が足に当たり、俺はすっころんだ。手に持った窓枠が、届かない場所まで飛んでいく。 

 ああ、足が死ぬほど痛い。破片が刺さってしまったのか?


「オスカー! 横!」


 悲鳴のような声に従い、横を向くと――。

 目前には、黒い腕。

 壁を破壊した威力そのまま、俺に迫ってくる。

 弾き飛ばされた木くずが、カラカラと音を立てたのを遠くで聞いて。

 俺の人生は終わる。















 はずだった。


「と、止まった?」


 俺に死を齎すはずだった腕は、ほんの数センチ前で止まっている。

 いや、これは――。


「あの時と、同じ?」


 そう、俺が最初にシュルトに襲われた時。

 あの時も、あいつは俺に触れられなかった。まるで、ゲームの『無敵モード』のように。

 理由は分からないが、今はそれどころじゃない!


 俺は足を引きずりながら立ち上がると、適当な木片を手に取った。

 痛む右足を無視し、外に向かって全力で走る。

 奴は俺を握りつぶそうと、両手で俺を掴もうとする。


 でも、無駄な行動だった。奴の力より、『無敵モード』の方が強かったから。


 自分を包み込む両手ごと、入り口に向かって全力疾走した。

 俺を止められないシュルトは、けたたましい怒号を上げる。

 堪え切れす、ついに隙間が開いた手の内から逃げ出し、もう一度、木材を構える。

 先ほどとは違い、堂々と。もやは、こいつに殺されることは無いのだ。


 そのアドバンテージは大きい。


「いくぞ、化け物!」


 ザリ、と地面を蹴り、シュルトに向かう。

 脳みそからアドレナリンが滝のように出ているのか、もはや痛みも感じなかった。

 木材を握りしめ、体を捻り。全体重をかけて、奴に突き刺した。

 手ごたえはあった! あったけど。


 シュルトは奇声を上げるだけで、全く効いている素振りも見せない。

 どうして、と思った瞬間。エルゼさんの一言が頭を過った。


 ――家法術を使えば、シュルトを倒すのは難しくありません。剣で何度切り付けても絶命しないシュルトが、家法術の一撃で沈黙することも多々あります。


 家法術。

 そうだ、家法術じゃなきゃこいつは倒せない。

 歴戦の勇者とかなら別だろうけど、少なくとも俺じゃ無理だ。

 なら、退治なんて贅沢言わず、ここから離せば。

 そう思った、瞬間。


 シュルトは俺に興味を失ったかのように、顔を背けた。 

 俺の攻撃が、自分を脅かすものではない。そう判断したのだろう。

 俺たちは、。いくら頑張っても。

 シュルトは、俺を無視する選択肢を取った。

 そうして、最早廃屋と化した小屋に目を向ける。

 

「まてよ! こっち、こっちだって!」


 慌てた俺はシュルトに呼びかけるものの、奴の興味を引くことは無い。

 奴は、むしろ恐怖を倍増させるような緩慢な動きで、棍棒を振り上げた。


「やめろ、やめろっつってんだろ!」


 シュルトの前に回り込み、『無敵モード』で押し出そうとするも、奴の棍棒は小屋をかすめて地を抉った。

 小屋の中から二人の悲鳴が聞こえる。


 ああ、どうしよう。どうしたらいい?

 このまま森へこいつを押していくか?

 でも、俺が戻ろうとした瞬間にこいつも付いてくるだろう。それじゃあ、元も子もない!

 ガラリ、小屋の屋根から木材が落ちていく。

 早くどうにかしないと、小屋が崩れてしまう!


 早く、こいつを。

 こいつを、倒さなくては!


 ジワリ、と何かが滲みる。

 俺のズボンのポケットから、何かが垂れていく。

 血か? ……いや、違う!


 俺はズボンをまさぐり、それを取り出した。

 ネックレス。俺たちを、こんな場所に連れてきた原因だ。

 それが、あの時のように水を滴らせている。

 俺はムカムカして、ネックレスに向かって怒鳴りつけた。


「おい、骨董品! お前のせいで俺たちこんな所に飛ばされて、こんな目に遭ってんだぞ!」


 物に当たってもしょうがない。

 分かってはいるが、止まらない。


「馬鹿やろー! 責任、取りやがれー!」


 そう言った、瞬間。


 ネックレスは青い光に包まれた。驚いて、思わず放り投げる。

 しかし、それは地面に落ちることなく、空中に浮いた。


 零れ落ちた水滴はターコイズブルーに輝き、連なっていく。

 ネックレスの部分は徐々に巨大化し、俺の顔ほどになった。

 呆然とする俺をよそに、完成したは、正しく剣であった。


 所謂バスタードソードと言うべきか。

 ターコイズブルーの刀身はまるで水面のように揺らめき、こんな状況でも美しいと思えるほど。

 柄となったネックレス部分は月の光のような銀。青い石は、柔らかな光を纏いっている。

 空に浮いたままのそれは、ふわりと漂い俺の目前へ。


 ああ、どうすればいいか、今ならわかる。

 

 俺は迷わず剣を握り、シュルトに向かって降り下ろした。

 刀身が柔らかいものに食い込む感覚。

 夜空に飛沫が舞い。

 この世のものとは思えない、最後の叫び声を全身で聞いて。


 恐怖の化身シュルトは月に融けるように消えていった。


 シン、と静まり返る空間。

 聞こえるのは、荒々しい俺の息づかいだけ。

 剣は役目を終えたかのように、元のネックレスへと戻っていく。

 それを首からかけると、俺は地べたに座り込んだ。


 今更ながら足が痛い。

 緊張状態から解放されたからか、ズキンズキンと響くように。

 全身も、絶えず汗が溢れてくる。


「ああ、オスカーさん!」


 声に振り向こうとすると、背中に抱き着かれた。

 この柔らかな感触。サラさんだ。

 「わたし、どうなってしまうかと……! ご無事で良かった」


 安心したのか、涙声の彼女に内心慌ていると、フェリクスもやって来た。

 その手には、小屋を漁ったのか大量の布が掴まれている。


「怪我は!? 無茶だって言ったのに」

「まあ、何とかなっただろ?」


 ニッコリ笑って見せると、気が抜けたように「そうだけど……」と言葉を濁した。

 彼は側にしゃがみこみ、傷の手当てをしようと試みた。

 ……大丈夫だろうか。すでに顔が真っ青だけど。


「なあ、無理しなくても自分でやるぜ?」

「み、見くびらないで」


 フェリクスは強めに言った。

 そうはいっても、血なんて見慣れないだろうに。

 たどたどしい手付きにこっちがヒヤヒヤしながら見ていると、サラさんが感激したように言った。


「オスカーさん。貴方はきっと、『神の愛し子』に違いありません!」

「か、神?」


 なんだその中二病みたいなネーミング。

 呆気にとられる俺を尻目に、彼女はますますヒートアップする。


「『神の愛し子』とは、神々より特別の加護を戴いた人のことです。わたしの故郷では、ずっと語り継がれてきました。世界が大きく変わるその時に、必ず現れるという存在。神の力を借りてアルトロディアを導くお方……!」

「いや、待って待って! 俺はそんな大層な」

「でも、シュルトの攻撃を防いだではありませんか!」


 たしかに、そうだが……。


 困惑する俺をスルーし、彼女はこう言いはなった。


「ええ、間違いありません! オスカーさん、よろしければわたしの故郷にご一緒しませんか? みな大歓迎です!」



いやいや、話を聞いてくれ。


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