第26話迷い人、サラ

 それは、森の管理小屋の様だった。

 木造の建物は、幾分劣化している個所はあるものの、まだまだ使われているようだ。

 屋外には薪を保管する掘立小屋もあったし、窓ガラスなんかも割れている形跡はない。辺りの雑草も綺麗に刈られている。

 窓に近づいて、室内を見てみる。

 真っ暗で、人の気配はまるでない。

 扉に手をかけると、不用心にも施錠されていなかった。

 ここなら、フェリクスも思う存分休憩できるし、何か情報が見つかるかもしれない。

 俺はきびすを返し、フェリクスを迎えに行った。


                     ***



 「お邪魔しまーす……」


 ギイ、と扉が軋む。

 油が差されていないのか、金属製の蝶番が甲高い悲鳴を上げながら開いていく。

 真っ暗な室内のほんの一部が、開いた扉から差し込む月の光に照らされた。

 ぼう、と薄闇に浮かび上がる、家具や壁に掛けられた人物画。


 ゴクリ、と唾を飲み込む。 

 薄明りだからか、人物画と目があった気がしたのだ。

 不気味以外の何者でもない。


 「ねえ、入らないの」


 背後からフェリクスが声をかける。

 その言葉に押され、室内へと足を踏み入れた。


 まずは、明かりをつけなければ。

 扉を開けっ放しにして、少しでも光源を残す。

 幸いにも、扉から近いところでキャンドルと燭台、マッチを見つけた。

 マッチなんて、自分で擦るのは初めてだ。何回か失敗して、やっとのことでキャンドルに火を灯した。

 室内が明るくなり、ホッと一息つく。

 

 小さく、フェリクスがくしゃみをした。

 軽装で、風に吹かれながら歩いたのだ。放っておくと風邪を引くかもしれない。

 奥の壁側に暖炉があったので、申し訳ないが使わせていただくことにする。


 「ちょっと待ってな。今暖かくするから」


 平気だと強がるフェリクスを置いて、外の掘立小屋に向かう。腕に抱えられるだけの薪を持ち、小屋へ戻ろうと足を進める。

 すると、扉の前で足跡を見つけた。


 さっきはまるで気付かなかったけど、確かに足跡だ。

 まるで慌てて何処かへ行ったように、複数人のものが乱雑に付けられている。

 何かあったのだろうか? 

 若干の気味悪さを感じるものの、かといってすぐに出ていくわけにもいかない。

 少し休憩するだけだから、と自分を誤魔化し、室内へと戻った。


 パチ、パチと、薪が燃える音が響く。

 俺はフェリクスを椅子で休ませ、小屋を物色していた。

 いったいここは何処なのか、その手掛かりを掴むためだ。

 

 それにしても、この小屋の主たちは片付けが苦手なようだ。

 俺は半ば呆れながら部屋中を見渡した。

 壁に備え付けられていた本棚には、ほとんど本が入っておらず、床に置きっぱなし。

 一部は、乱雑にほおり投げられていた。

 机の上も、紙の資料が幾重にも折り重なり、椅子も倒れていた。

 まるで強盗にでも入られた様相で――強盗?

 俺は、入り口にあった足跡を思い出した。 

 複数人の、慌てたような足跡。

 そして、施錠されていない扉。


 「いやいや、まさか、な」


 「どうしたの?」


 「うおっ!」


 思わず跳び上がる。

 背後から、いきなりフェリクスが話しかけたのだ。

 物騒な想像をしていたからか、余計に驚いてしまう。

 彼はここまで驚かれるとは思わなかったのだろう。小さく謝ってくる。

 

 「いや、大丈夫だって。いきなりだったからちょっとビックリしただけで。ほら! ここの資料に手掛かりってあるか? 今いる場所とか、ここが何に使われてるかとか」


 フェリクスは眉を下げたまま頷くと、卓上の資料たちに目を向けた。

 あれこれ目を通している間に、俺も援護する。

 文字は分からなくても、地図みたいなものがあれば。

 

 数分後、フェリクスが「見つけた」と呟いた。

 彼の手には、一枚の地図。どうやら、この周辺のものらしい。

 彼は迅速に地図に目を通すと、眉を顰めた。


 「まさか、ここは」

 

 「分かったのか?」


 フェリクスはひどく難しそうな顔をして、もう一度地図に目を走らせる。 

 まるで信じたくないように、さらにもう一度。

 やがて諦めたように俺に振り向くと、ここがいったいどこなのかを告げた。


 「どうやらここは、ジャクロット帝国の領土、みたい」


 「ジャクロット帝国?」


 首を傾げると、フェリクスは世界地図を取り出した。

 どうやら、先に見つけていたらしい。


 「ジャクロット帝国は、僕等がいたグランツィア王国の隣国。広大な領土と、強力な軍隊を持つ、アルトロディア一の大国だよ」


 「隣国? なら、直ぐ帰れるかな」


 フェリクスは残念そうに首を振った。


 「ジャクロットから、直接グランツィアに帰ることはできない。今、この二国は戦争をしているんだ」


 「戦争!?」


 「休戦中だけどね」とフェリクスが補足する。 


 「国交も遮断中で、国境を越えられないんだ。帰るには迂回するしかないけど」


 「時間、かかるのか?」


 フェリクスが頷き、地図に指を滑らせる。


 「一度海に出て、南のミルシャ公国を経由して帰るのが最短だけど。僕たち、旅券も持ってないから」


 「旅券……。パスポートか」


 俺は腕を組み、考え込んだ。

 これじゃあ、何処に行っても不法入国者だな。バレたらかなり拙いかもしれない。

 

 「ねえ、オスカー」


 神妙そうな顔で、フェリクスが言う。

 俺は顔を上げ、彼と目線を合わせた。

 彼が口を開いた、その瞬間。


 コンコン、とノックの音。

 俺たちは、同時に扉を振り向いた。

 誰かが来たのだ。ここの住人か?それとも――。

 

 対応に悩んでいると、再度戸が叩かれる。

 もう、腹を括るしかないようだ。どうせ、明かりが点いているのだから、向こうだって誰かいるのは分かっているはずだ。

 俺は扉に近づき、慎重に開いた。


 「ああ、よかった! お願いです、助けてください!」


 そこには、腰まである若草色の髪を毛先で緩く結んだ美女が、ホッとした顔で佇んでいた。

 しかも、ナイスバディ。


 

 「私、サラと言います。商人の一団として世界中を周っていたのですが、仲間たちに置いて行かれてしまって。辺りを彷徨っていたら、ここにたどり着いたんです。ああ、本当に良かった……」


 サラ、と名乗った女性は、ホッと胸を撫で下ろした。

 そう、胸。

 俺も健全な大学生だから、うっかり目線が行ってしまうのも無理ないだろう。

 清楚そうな顔に似合わず、はち切れんばかりのバスト。黒いワンピ―スを着ているけど、前のボタンが飛んでいかないか心配なくらいだ。

 スカートも長くて、露出自体は少ないのに、辺りに漂う色気は何だろう。

 ワインレッドの瞳はたれ目がちで、右目には泣きぼくろ。

 うっかりガン見してしまうと、フェリクスが服の袖を引っ張った。

 振り返ると、不機嫌そうな顔で「不躾」とだけ言った。


 「ご、ごめん。――あの、サラさん? 俺はオスカー。こっちはフェリクス。初めまして」

 

 俺は自分とフェリクスを順に指し示し、次に椅子を指さした。


 「良かったらそこの椅子に座ってください。疲れているでしょうから」


 サラさんは感激したような顔で、「ありがとうございます!」とお礼を言った。


 そう言えば、と俺はフェリクスに耳打ちした。

 

 「さっき、何言いかけたんだ?」


 「……ううん、別に」


 そう言うと、フェリクスはサラさんの近くに寄り、「申し訳ないですが」と切り出した。


 「僕たちは、この小屋の住人ではありません。貴女と同じ境遇です。残念ですが、お力になれることはほとんど無いでしょう」


 「まあ、そうだったのですね」


 サラさんは少しばかり残念そうな声で言うと、小さく首を振った。

 

 「それでも、お二人にお会いできて良かった。一人では心細いですし、何より」


 サラさんは怯えたように、自分の体を抱きしめた。


 「この辺りには、シュルトが出ると聞きますから」


 「シュルトが?」


 フェリクスが驚いたように言う。

 サラさんは憂い顔で「ええ」と頷いた。


 「近くの村で聞いたのです。近頃、森に入った人間が遺体となって発見されることが多くなったそうです。最初は野犬か、はたまた盗賊の仕業ではないかと言われていたそうですが、それにしては金品も取られておらず、皆首を傾げていたそうです」


 「サラさん、もしかして」


 俺が口を挟むと、彼女は「サラで結構です」と微笑んだ。

 

 「ある日、木こりが命からがら逃げてきたそうです。彼が言うには、森でシュルトに襲われ、仲間たちは全滅。自分だけが生き残ったと。村は騒然として、すぐさま軍に依頼し、駆逐しようと試みましたが――」


 彼女は話していくうちに恐ろしくなってきたのか、涙目になりながら「全滅したといいます」と言い切った。

 俺とフェリクスは顔を見合わせた。

 軍がどれくらいの兵士を送ったか知らないが、それでも退治できるくらいの人数は出しただろう。それなのに、全滅した。

 よほどそのシュルトは強いのだろう。

 背に冷たいものが伝う。

 入り口の足跡。盗賊にでもあったかのような室内は、まさか。

 ――慌てて逃げ出した?

 何から?

 まさか。


 「ああ、オスカーさん。どうしたら良いのでしょう! もし、この裏の森が、そのシュルトが出る森なのだとしたら! 私、恐ろしくて仕方がないのです!」


 彼女は怯えながら、俺の右腕に抱き着いた。

 まさかのボディタッチに思考が四散する。

 だって、めっちゃ柔らかい。

 何が、とは言わないが、マシュマロのようだ。

 残念ながら、これまでの人生で彼女がいたことは一度もないので、初めての感触だと言ってもいい。

 もう頬は真っ赤だろう。断言する。


 フェリクスの視線が痛い。

 貴族だからか、こういうのには潔癖なんだろう。さっきも文句を言っていたし。


 彼女が潤んだ瞳で俺を見上げる。

 「ねえ、オスカーさん」と吐息のように囁く。


 「どうか、私を守ってください。あの、恐怖の化身から」


 「は、はい。それは、もちろん――」


 言いかけた、その時。




 地響きが聞こえた。

  

 

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