第25話転移、ふたたび

「ありゃりゃ、寝ちゃってる」


誰かの声が聞こえる。

女性のようだけど、少し低い、落ち着いた声。


「さすがに、オールナイトババ抜きはキツかったかー」


「まだまだお子ちゃまね」と、からかうように弾むハスキーボイス。

それを聞きながら、俺は堅い何かに突っ伏している。

今すぐ起きて反論したいのに、体も、瞼も重すぎる。


「ババ抜きのどこが大人だ」


呆れた声色で、誰かが言う。


「だいたい、もう5時間は続けてるぞ。誰だって飽きる」


足音が近づき、ギイ、と何かを引く音。

続けて、物を置くような……。

いや、座ったのか。

どうやら俺は、机に突っ伏して眠っているらしい。


カラカラと、女性が笑う。


「なあに? あんたはすぐに飽きたわね。まったく、堪え性がないんだから!」


「30分も付き合ってやったんだ、ありがたいと思え」


机の上で、ガサガサと何かをまとめる音。

トランプだろうか?

俺は、彼らとババ抜きをしていたらしい。

……おかしいな、俺はさっきまで。


「みなさ……。皆さーん」


今度は別の女性の声。

少し高めで、可愛らしい。

彼女は俺たちに呼びかけようとして、眠っている俺に気付いたらしい。すぐに小声に切り替えた。

こちらに近付くのも、そろりそろりと忍び足だ。


「……お夜食ですよー。はい、しゅーちゃん」


「ありがとー、あーちゃん」


カチャリ、と食器が置かれる。

途端に、充満する良い匂い。

 焦げたチーズに、トマトの甘酸っぱい、食欲をそそるそれ。

 ……ピザ、だろうか。


 「章子あきこ、あれは?」


 男の声が急かすように言う。

 章子と呼ばれた女性は、クスクス笑いながら何かを机に置く。


 「もちろん、あるよ。黒瀬君は本当に甘いものが好きだね」


 「僕のすべてだからな」


 ふふん、と得意げな声で、男は言う。

 甘ったるい匂い。チョコレートだ。


 「うわあ…」と、ドン引きする声が近くでする。

 

 「あんた、こんな時間によく食べるわね。胸やけしないの? 今、午前三時よ?」


 「そっくり返すぞ。お前こそ、こんな夜中にピザなんて。胃がもたれないのか?」


 からかうような応酬。

 剣呑さはなく、仲の良さが窺える。

 

 もう一度、椅子を引く音がする。

 「章子」が座ったようだ。


 「ねえ、起こしたほうがいいかな?」


 章子が伺うように言う。

 少しの沈黙の後、「そうねえ……」と考え込むような声。


 「やっぱ起こさないとまずいかな? 『食いっぱぐれた』って怒る?」


 「……まあ、そうかもな」


 男はため息を吐くと、「朱夏しゅか、隣だろ?起こしてくれ」と気だるげにいった。

面倒ごとには関わりたくない、とでも言いたげだ。


「あら、親友でしょ? ふうちゃんが起こしたら?」


「その呼び方は止めろといっただろ」


男が苦々しく言うと、女性――朱夏は、猫なで声で「いいじゃない」と笑った。


「かわいいでしょ? あんたの仏頂面も、マシになるわ。――ほら、さっさと起こして」


有無を言わさぬ雰囲気に、男は諦めたようだ。

席を立ってこちらに近付くと、俺の肩を揺すり始めた。


「――ほら、起きろ。いつまで寝てるんだ? さあ――」


ゆさゆさと、乱暴に揺さぶられる。

ああ、うるさいな。俺は眠いんだ。

もう少し眠らせてくれたってバチは当たらないだろ?


「……ねえ、起きて」


往生際が悪いってか?

……わかったよ、起きるよ。


「ねえ、――――? 早く、目を覚まして」


わかったってば!


「聞こえてるよ◯◯! 起きるっ……て……」


勢いよく起き上がると、目の前には驚いた顔のフェリクス。


 ――あれ、どうしたんだろう。俺は……?

 それに、何でこんなに暗いんだ?


 瞬間、俺たちを吹き飛ばすかのような突風。

 思わず目を閉じて、やり過ごす。

 冷たい風だ。長袖を着ているのに、少し身震いする。

 フェリクスも同じだったんだろう。小さくくしゃみをした。


 「さ、さむ……。ここは?」


 周りを見渡しても、見渡すばかりの草原。

 明かりもなく、俺たちを照らすのは、夜空に煌めく星の光と、銀に輝く月の光だけ。


 「……オスカー? 大丈夫?」

 

 フェリクスが座り込む俺に寄り、自分も同じようにしゃがもうとして、止まる。

 どうやら直に座るのに抵抗があるようだった。

貴族だし、こんな野っ原に来るなんて、滅多に無いだろう。

エルゼさんのように、シュルト退治もしていないなら尚更だ。


 俺は立ち上がり、手足を動かしてみた。

 指。問題なく動く。

 腕。ぶん回しても大丈夫。

 右足。うん、上がる。

 左足。曲がる曲がる。


 一通りの確認を終えると、ふう、と安堵の息を吐く。

 あの、金縛りみたいなのは何だったのだろう?

 そして――。


 「なあ、フェリクス?」


 「なに?」


 「ここ、何処だろ……」


 今度は軽い風が、俺たちを撫でるように吹き、夜空へと還っていく。

 フェリクスは一瞬の沈黙の後、力なく首を横に振った。

 

 「分からない」


 「だよなあ……」


 俺はガックリと肩を落とした。

 どうやら、また転移してしまったらしい。

 あの、のおかげで。


 「ごめんな、フェリクス。巻き込んじまって」


 俺は眉尻を下げ、申し訳なさで溢れた声で言った。

 彼がこんな目に遭っているのは、明らかに俺が原因だ。

軽率にも、あんな不審者に物を貰うなんて。

 落ち込む俺に、フェリクスは「ううん」と小さく首を振った。


 「僕が勝手にやったことだから。気にしないで」


 「でもさあ」


 なおもくどくどと謝罪をしようとする気配を感じたのか、フェリクス右手を伸ばし、俺の顔の前へ。

 『黙れ』というジェスチャーだ。


 「いいよ」


 有無を言わさぬ、強い語調だ。これ以上の謝罪は受け取ってもらえそうに無い。

 フェリクスは俺の答えを待たず、「ここから離れよう」と提案した。


 「人家があれば、ここが何処か分かるかも。このまま止まっていたら、シュルトや野犬に遭うかもしれない」


 たしかに、武器も武術の心得もない状態で、あんな化け物に遭うのはごめんだ。

 犬だって、本気を出したら俺より強いだろうし。

 

 俺が頷いたのを見て、フェリクスは歩き出した。

 俺の横を過ぎ去り、真っ直ぐ進む。

 慌てて振り向き、「どっちに行けばいいか分かるのか!?」とその背に問いかけた。

フェリクスはチラリと俺を見ると、夜空を指さした。

 厳密には、いっとう輝く青い星を。


 「あれ、ポラールっていう星。何時もああやって、北の空で青く煌めいてる。――自分が何処にいても」


 まるで北極星だな。

 感心する俺をよそに、フェリクスはどんどん先に進んで行く。

 俺は駆け足で、その背に並んだ。


この辺りは丘陵地帯のようで、緩やかな上り坂や下り坂が交互にやってくる。

背の低い雑草たちを踏みしめ、虫の涼やかな歌声を楽しみながら、先へ進む。

頭上には、満天の星空。

今まで生きてきて、見たことの無いような輝きに、足を止める。

「どうしたの」と、フェリクスが振り返った。


「いや、綺麗だなって思って」


俺は星空を見つめながら言った。


「故郷じゃあ、こんなにくっきりと見えないからさ。珍しいつーか」


赤、青、黄、白。

小さく、大きく。

弱く、強く。

夜空に目を滑らせて、絵画のようなそれらを見る。


その中で、最も力強く、美しい星が目に留まった。

「なあ、フェリクス?」と、彼を手招きする。


「あれ、何て星だ?」


青く、清廉な光。

周りが暗く、空気が澄んでいるのを考慮しても、強い輝き。

何でか気になって、名前が知りたくなった。

俺の側に寄ったフェリクスが、「どれ?」と俺の目線を追う。


「あれ」


指で指し示す。

その先を辿ったフェリクスは、「ああ」と合点がいったように頷いた。


「ファリア、だね」


「ファリア?」


「そう。ーー別名、運命の星」


運命。

例のファートゥス様関連だろうか。


「あの星を掴むことができたら、自分の運命は思うがまま。そういう言い伝えがあるらしい」


「へえ……。思うが、まま」


俺は少しの間ファリアを見つめると、おもむろに右手を空に向けた。

そうして、ファリアを捕まえるように、手を握る。


「……何してるの」


フェリクスが呆れ顔で聞いてくる。

「いや、その」と頭を掻きながら答える。

少し、照れくさい。きっと、顔も赤くなっているだろう。

俺は今、子供っぽいことをしたのだ。


「『運命は思うがまま』って言うんならさ、あれを掴めばすぐにお前を屋敷に帰せるかなって……。きっと、エルゼさんもゲオルグさんも心配してるし」


「……僕だけ?君は?」


「俺は、まあ何とかなるだろうし。お前だけでもーー」


瞬間、強く腕を掴まれた。

そこまで握力がないのか、痛みはあまり感じなかった。

それよりも、と彼の顔を見る。


眉をひそめ、その目は不機嫌な色をたたえる。

口は真一文字に閉じられ、静かな怒りを訴えてくる。

彼は俺の腕を引っ張ると、足を先に進めた。


「フェ、フェリクス……」


「帰るよ。君も」


ずんずんと歩調を速め、突き進んでいく。


「なあ、フェリクス……」


「黙って」


「いや、でも」


「でもじゃない」


「いや、そうじゃなくて、あんまり早く歩くとーー」


「うわあ!?」


ずるり、と草で足を滑らせる。

そのまま転倒するフェリクスに引っ張られる形で、俺も地面と仲良くすることになった。

フェリクスの足に引きちぎられた雑草が、宙を舞う。


「転んじまうんじゃ、ねーかなー」


「……早く、言って」



***


 「フェリクスー。大丈夫か?」


 俺は、息切れしているフェリクスに問いかけた。

 彼に付いている、草や埃を掃ってやる。

 フェリクスは青白い顔で、「ちょっと……」と消え入るように言うと、深呼吸した。


 「休憩、していい?」


 「ああ、もちろん」


 フェリクスは物凄い運動音痴だった。


小石に躓き、陥没した穴に足を取られ、草に滑って転んだ。

体力もあまり無いらしい。

 あれから一時間ほどしか歩いてないが、かなり疲れているようだ。


 彼はぜえ、と乱暴に息を吐くと、可能な限り地べたに付かないようにしゃがみ込んだ。


 これじゃあ、全然休憩できないだろ。


 何か敷くものを、と思ったが、残念ながら二人ともシャツ一枚。

 羽織るものか何か持っていたら、それをシート代わりに提供したのだが。

それか、いい加減村の一つくらい見つかればいいのに。


進行方向にある、小高い丘が目についた。

あそこなら、周りがよく見えるかもしれない。

もしも人家があれば、こんな時間だ。明かりをつけているはず。

俺はフェリクスに一声かけて、丘陵を登り始めた。

中々急勾配で、昔校外学習で行った奈良を思い出す。

弁当を食べていたとき、うっかりおむすびを転がしてしまったものだ。


若干息を乱しながら、頂上へと到達する。

しかし、残念ながら明かりの一つも見つけられない。

右も、左も。そのまま一周ぐるりと回っても。

肩を落とし、諦めて下ろうとした時。視界の端に、何かが見えた。

そちらを向き、必死に目を凝らすと……。


「建物だ!」


そこには、暗闇のような森の側に建つ、小屋の姿があった。


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