第22話謎の商人
「そんなに遠巻きにしてたら、なあんにも見れないでしょう。さあさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」
小男――失礼、中年の商人――は、顔の皺を倍増させて笑っている。
ズボンにシャツ、なぜか三角の帽子をかぶって、西洋風の
青いテント型の店舗の中でしゃがみ込み、その足元には、古ぼけた装飾品が並べてあった。
俺が彼を観察している間も、商人は手招きを止めない。
まるでロボットのように、同じ動作を続けている。気味が悪い。
俺は顔が引き攣るのを感じながら、後ずさりした。
早急にここから離れたい。
いやほんと、マジで。
そんな俺の心境も露知らず、商人は客引きを続ける。
「いらっしゃい、いらっしゃいませえ。さあ、あなた様のお気に召す、選りすぐりの逸品でえす」
キンキンと高い声。
いくら無言を貫き通しても、表情一つ変えずに話し続ける。
恵比寿顔って、本当はおめでたい筈なのに、薄気味悪さしか感じない。
「スミマセン。間に合ってますんで」
俺はそう言うと、踵を返して走り出した。
ちょっと走れば。それこそ、ものの数十秒で戻れるはずだった。
だって、さっきの所からちょっと裏手に行っただけなのだ。
それなのに。
それなのに、いくら走っても誰もいない。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、同じような無人の店舗があるだけ。
皆、いったいどこに行ったんだ?
エルゼさんは?
「さあさ。いらっしゃいませえ」
嘘だろ。
俺は身の毛がよだつのを感じた。
「必ずや、あなた様のお眼鏡に適う、とっておきの逸品ですよう」
あいつがいる。
斜め前にある、青いテント。
あそこに座っている。
ほら、テントから骨ばった手が伸びてくる。
俺は出そうになった悲鳴を慌てて抑え込み、回れ右をして再び走り出した。
きっと、走っているうちに道がカーブしているのに気付かなかったんだろう。
今度こそ、真っ直ぐ進まなくては。
運動不足からか、わき腹が痛い。
ひ、ひ、という苦しげな息が、喉から漏れていく。
足元が縺れる。
額から汗が伝った。
もうすぐだ、ほら――。
「いらっしゃいませえ」
あいつはテントから出て、道の真ん中に立っていた。
「ひ……!」
堪えきれなかった悲鳴が、喉を通り抜ける。
あいつは怯え切った俺の腕を掴むと、信じられない強さで引きずった。
「や、やめ……」
何とか踏ん張ろうとしても、ズリズリと店の方へ連れて行かれる。
あいつは笑顔のまま、後ろ向きに歩いて行く。
「さあさ、ご覧ください。オスカーさまあ。こちらは、他の商店では決して見かけることのない、珍品ですよう」
背筋に冷たいものが走った。
「な、何で俺の名前……?」
「さあさあ」
あいつは俺を商品の前まで連れてくると、再びしゃがみ込んだ。
腕を掴まれたままの俺も、自動的に座り込む。
仕方なく、小さく震えながら、商品を見た。
腕輪、ネックレス、指輪、チョーカー。
髪飾りに、用途の分からないものまで。
骨董品屋か何かなのか、すべて古ぼけた、それこそ博物館とかで見るような代物だった。
この世界の文化に詳しいわけじゃないし、物の良し悪しだって分かるわけじゃない。
そんな俺でも、価値があるものだって感じた。
何故、俺に見せるんだ?
商品を見るふりをしてあいつを盗み見るが、ニコニコと張り付けた笑顔のまま、俺をジッと見ている。
ゾッとするものを感じ、慌てて商品に目を戻す。
その時だ。
「……あ」
商品の中に、見覚えのある意匠があったのだ。
それを手に取り、まじまじと見る。
少し替わったデザインのネックレスだった。
Tの字に、あの遺跡の彫像と同じ、翼の生えた龍っぽいものが巻き付いている。
龍っぽいものの目には宝石がはめ込んであるんだろう。青く
「お気に召しましたでしょうかあ」
商人が言う。
俺は彼に感じていた恐怖が四散したように、「はい」と普通に答えた。
いつの間にか、体の震えも止まっている。
「お代は結構でえす。どうぞ、大切になさって下さあい。――あなた様の、行く末に幸せがあらんことを」
「え……?」
ふ、と顔を上げると、商人の姿も、青いテントも、他の商品さえ無くなっていた。
あるのは、がやがやとした騒めき。
俺は広場の中心部から少し離れたところで
まるで、白昼夢だ。
そう思った俺の手には、あのネックレス。
「ああ、オスカーさん!」
ネックレスをポケットに突っ込むと、声のする方向へ振り向いた。
息を切らしたエルゼさんが俺に呼びかけている。
彼女は綺麗に整えた髪を乱して俺に近づくと、隣に座り込んだ。
「も、もう。何処にいって、たんですか? 捜しましたよ」
「ご、ごめんなさい」
随分捜してくれたみたいだ。
慌てて謝る。
彼女は上から下まで確認して、俺が無事だと分かると、ホッと一息ついた。
「もう、これっきりにしてくださいね。――さ、そろそろ時間です。帰りましょう」
そう言って立ち上がると、彼女は俺に手を差し伸べた。
有難く、その手を取って立ち上がる。
「ごめんなさい、エルゼさん」
「はい?」
「ちょっと、寄りたい所があるんですけど……」
***
その菓子店は、カメーリエ通りの一等地にあった。
他の建物と同じ赤い三角屋根に黄色い壁の店の周りには、プランターに植えられた花々が来客を出迎えていた。
イートインもできるのか、テラスにテーブルとイスがあり、エルゼさんと同じくらいの女の子たちが楽しそうに会話しながら菓子を食べている。
ファミレスでこんな女子高生見たことあるな、と思いながら、エルゼさんと店へ入っていった。
菓子店の扉を開けた時って、どうしてこんなにワクワクするのだろう。
一歩足を踏み入れれば、そこは甘く蕩けるような世界だ。
鼻孔を擽るクリームの、バニラビーンズの、甘い香り。
クッキーが焼き立てなんだろう、店の奥からは香ばしく、食欲をそそる香りもしていた。
そして三段構造のショーケースには、色とりどりのケーキが並んでいた。
赤に黄色、紫に桃色。多種多様なフルーツが、それぞれの舞台の上で胸を張って輝いている。
滅茶苦茶菓子が好きってわけではない俺だって心躍るのだ。冬彦みたいな根っからの甘党からしたら夢の世界そのものだろう。
実際店は盛況しているようで、さほど広くない店内に客が溢れかえっていた。皆、連れや店員と会話しながらショーケースを眺めている。
エルゼさんもあれこれ目を輝かせながら見ている。
しかし、こんなに種類があったら目移りしてしまうな。どれがいいんだろう。
悩んだ俺は、エルゼさんにどれがおすすめか聞くことにした。
「エルゼさん、どれがお勧めですか?」
ショーケースを夢中で見ていたエルゼさんは、我に返ってこちらを見た。
「あ、ごめんなさい。何ですか?」
夢中になってみていたからか、俺の言葉がうまく聞き取れなかったようだ。
彼女もそれを自覚してか、少し顔が赤い。
「えっと、どれも美味しそうだから決められなくて。どれがおすすめかなって」
「そうですね……」
そう言うと、エルゼさんは小声であれこれ呟き始めた。
「ビーネンシュティッヒ? いえ、ケーゼクーヘンも捨てがたいですね。……モーンシュニッテ。キルシュザーネトルテ。いいえ、やっぱり――」
彼女はショーケースのケーキを指さした。
「オープストトルテ! これがおすすめです」
「これですか? ――へえ、美味そうだな」
彼女が指さした先にはタルトがあった。
木苺や無花果といった果物が所狭しと乗っていて、タルト生地も見た感じサクッとしてそうだ。
俺がタルトを見ていると、隣でエルゼさんが説明してくれた。
「ええ! オープストトルテは、ブリューテの看板商品なんです。いつもお昼過ぎには売り切れて」
そう、今俺たちがいるのは『ブリューテ』。
朝、フェリクスが教えてくれた「おすすめスポット」だ。
昨日も思ったけど、やっぱり甘党だな、あいつ。
「でも、オスカーさん。どうしてブリューテを? 誰かから聞いたんですか?」
エルゼさんが不思議そうな顔で聞いてきた。
まあ、確かに。異世界人の俺が、マッセルの菓子店を知っているわけないもんな。
せっかく異世界から来たって信じてもらったのに、このままでは誤解を与えかねないと判断し、訳を話すことにした。
……ただし、本人の名前はぼかして。
フェリクスの口ぶりだと、
「友人から聞いたんです。今日城下に行くけど、おすすめスポットないかって。そしたら、ここを」
「ご友人、ですか?」
「はい、エルゼさんも知ってると思うんですけど。甘党で、この店を気に入ってる奴」
「え……」
「昔、エルゼさんたちと来たことがあるみたいなんです」
「まさか」
彼女は目を見開くと、消え入りそうな声で何かを呟いた。
「たぶん、想像通りです。――昨日、友人になったとこなんですけど、中々どうして、良い奴だと思いますよ」
「何も、されてませんか」
彼女が震える声で聞く。
その言葉には少しカチンときて反論しようとしたが、彼女の声色に感じるものがあって、やめた。
彼女にはあいつを馬鹿にしたり、貶めるような意図を感じない。
何かを怖がっている。そんな気がした。
「何も。――むしろ、俺が迷惑をかけたくらいです」
周りの客たちは、立ち止まる俺たちを邪魔そうに見たり、完全に無視したりしながら、この店の「世界」に吸い込まれるように没頭していく。
「それで、お礼がしたいんです。――あいつは、別にいいって言ってたけど。でもやっぱり、俺の気が済まないというか」
俺はショーケースの前でしゃがみ込み、下段にも目を遣った。
彼女は、そんな俺の後ろで立っている。
「だけど、よく考えたら好みが分からなくって。菓子が好きだってのは知ってるんですけど、特に何が好きかはさっぱり。だから、おすすめを――」
「ヒンベアートルテ」
エルゼさんが、中段のケーキを指さす。
磨かれたショーケースに僅かに映る顔は俯いていて、表情を窺い知ることはできない。
「これが、一番好きです。――私たちが、同じ人物を思い描いているなら」
声も、少し硬い。だけど。
「……そうですか」
彼女は教えてくれた。
心底嫌っているのなら、拒否すればいいのに。
そうしないのは、つまり。
「ありがとうございます。――すみません、これとオープストトルテを一つ」
俺は立ち上がって、店員さんに注文した。
「はい、ただいま!」と声が上がった。
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