第21話不思議な少女

 少女に案内されたのは、一軒の薬屋だった。

 薄暗い店内には所狭しと壺に入った薬草や、吊り下げられたトカゲの干物、いったい何なのか考えたくないような代物まであり、筆舌に尽くしがたい臭いで満ち溢れていた。

 鼻にちり紙が入ってなければ、真っ先に鼻を摘まんでいただろう。

 少女は怯むことなく奥に進むと、安楽椅子に座って眠り込んでいた白髪の老女に声をかけた。


 「いつまで寝ておる。早う起きんか。客が来ておるぞ」


 「ううん。何だい、騒々しいねえ」


 老女が目を擦りながら言う。

 結構恰幅のいい体系だ。下町の元気なばあさんって感じ。


 「あたしゃ遅くまで調合してたんだ。もう少し眠ったってバチはあたりゃしないよ」


 「ドロテア!」


 少女が鋭く名前を呼ぶと、老女――ドロテアさんはため息を吐いた。


 「仕方がないねえ。……ほら、こちらにおいでな」


 そう言って、彼女は手招きをした。

 迷っていると、少女が服の袖を引っ張った。


 「心配するでない。こう見えて、ドロテアは腕のいい薬師じゃ。わらわが知る中で一番の、な」


 そう言われると、もう行くしかない。

 こんな小さな子が言う「自分が知る中で」は少々不安だったが、怪我を放置していても痛いだけだし、腹を括ることにした。


 ドロテアさんは俺を椅子に座らせ、背中を見せるように言った。

 俺、どこが痛いか一言も言ってないのに。

 驚いていると、少女が胸を張った。


 「良い薬師じゃといっておろう?ドロテアに任せよ」


 「あはは! 褒めたって何も出ないよ」


 カラカラと笑って、服を脱ぐように言った。

 俺は「お願いします」と言ってシャツを脱いだ。

 「まかせな」と頼もし気に答えて、ドロテアさんが患部にを手触れた。


 「いってえ! も、もうちょっと優しく……」


 「おっと! 悪いね。――うん、少し腫れてはいるけど骨は大丈夫だね。打ち身の薬を塗っておくよ。分けたげるから、毎日塗りな」


 そう言って、ドロテアさんは立てつけられた棚の方へ行くと、瓶を手にして戻ってきた。

 どうやら塗り薬のようで、それを背中に塗ると、何かを張り付けた。

 

 「さ、これでいいよ。――ほら、これとこれ、持って帰りな」


 そう言うと、小瓶とガーゼのような布切れを俺に手渡した。

 

 「3日は使いなさい。晴れが引いて、痛みもないようだったらやめてもいいよ」


 「あ、ありがとうございます。――あの、料金は」


 そう言って、そういえば無一文だったと気づく。

 彼女は笑って、「いらないよ!」と言った。

 

 「この子の連れから金を取ろうなんて思ってないよ、わたしゃ! ああ、あんまり無理するんじゃないよ。治りが遅くなるからね」


 ドロテアさんはそう言うと、安楽椅子に座りなおした。

 ギシ、と椅子が鳴る。


 「さあさ、わたしゃ寝なおすことにするよ。また機会があったらおいでな」


 「うむ、感謝するぞドロテア。――さあ、行くとしようかの」


 少女が手を引く。

 俺はドロテアさんにお礼を言うと、玄関へ進む彼女に付いて行った。


 


 「そなた、そろそろ鼻の物を取ったらどうじゃ? もう血は止まっておろ」


 「ん? ああ。そうだな」


 少女に付いて大通りに出ると、一気に賑やかになった。

 どうやらさっきの通り――カメーリエ通りだったか――とは違うらしく、街路樹が整然と立ち並んでいた。

 行き交う人々も、何だか多国籍のような感じだ。

 

 「ここはマッセルのメイン通りの一つと言ってもよいじゃろう。この都に来た旅人の4分の1は、この道を歩くことになるのじゃ」


 「4分の1?」


 「うむ。マッセルは二つの城壁があるが、外側の城壁――つまり、この庶民街と外界を隔てる壁じゃな――には4つの門があって、そこからしか出られないのじゃ。」


 「じゃあ、この通りって」


 俺が聞くと、少女は「うむ」と頷いて右手を指さした。


 「あちらへ進むと門の一つ『ヴェスト門』じゃ。だから、旅人が多い」


 「へえ、良く知ってるんだな」


 ふふん、と少女が得意げに笑った。


 「もっと褒め称えるがよいぞ。わらわの知性、わらわの美しさ!余すことなくな」


 「ハイハイ。……そういえば君、名前は?」


 自己紹介をしてないことに気づき、尋ねる。

 少女は目を瞬かせると、ジト目になって口を尖らせた。


 「レディーに名を尋ねる前に、そなたが名乗るべきではないかえ? 紳士の風上にもおけぬぞ」


 「紳士って、そんな柄じゃねーけど。……まあ、そうだよな」


 少女に目線を合わせるため、しゃがみ込む。


 「俺、オスカー。助けてくれてありがとな」


 そう言って、手を差し出す。

 少女は俺の手を見ると、不敵な笑みを浮かべた。


 「ファリナセアじゃ。よい名前であろ?――そなたもよい名じゃ。大切にするがよいぞ」


 そう言って、手を重ねてくれた。

 本名じゃないけど、それを言っちゃあ無粋だ。


 (それに、結構嬉しいしな)


 お礼を言おうとして口を開くと、後ろから「オスカーさん!」と呼びかけられた。

 エルゼさんだ。

 立ち上がって振り向くと、エルゼさんが息を切らしてこちらへ走ってくる。

 俺は彼女に手を振った。


 「エルゼさん! こっちです」


 「こっちです、じゃありません!」


 彼女は俺の近くまで寄ってくると、肩で息をしながら鋭い声で言った。

 

 「あちこち探したんですよ、もう! 迷子になってしまったかと。……怪我してるじゃないですか! 何があったんです?」


 「す、すみません。ちょっと色々あって」


 そう言うと、そうだ、と思い付く。

 ファリナセアの事をエルゼさんに頼めないだろうか。どうやら憲兵にも顔が利くようだし、彼女を保護してもらおう。大人びてるけど、子供が一人で旅するのは心配だし。

 

 良い考えだ、と自画自賛しながら振り向いた。


 「ファリナセア、このお姉さんは――あれ?」


 いない。

 さっきまでここにいたはずの少女ファリナセアは、跡形もなく消え失せていた。


 「オスカーさん? どうしたんですか?」


 「いや、さっきまで小さな女の子と一緒だったんですが……。いなくなっちゃって」


 そう言って、辺りを見渡す。

 いない。

 「ファリナセア?」と呼びかけてみるが、返事もなかった。


 「おかしいな……。小さいのに一人で旅してるって言ってたんです。憲兵の人に保護してもらいたかったんですが」


 「一人で?」


 「はい。親もいないって」


 「それは――」


 「心配ですね」とエルゼさんも一緒に探してくれたが、結局ファリナセアは見つからなかった。

 仕方がないので憲兵の詰め所に行って、事情を話して保護を頼むことにした。

 その後、エルゼさんには怪我を心配されたが、もう治療したから、と庶民街の散策を続けて貰った。ちょっと時間を食ってしまったが、まだ昼過ぎだ。もう少しくらい大丈夫だろう。

 その前に、と俺はエルゼさんに尋ねた。


 「エルゼさん、ここってリサイクルショップみたいなのってありますか?」


 「リサイクルショップ?」


 彼女が首を傾げる。

 もしかしたらそういう店ってないのだろうか。

 いやでも、RPGゲームだと武器屋とか道具屋で物が売れたんだし、あるよな。多分。


 「えーと、持ち物を売れる所です。この国の金が欲しくて」


 「お金なら、私が――」


 「いやいや、俺の金じゃないと意味ないんです!」


 顔の前で両手を振り、拒否の意を伝える。

 エルゼさんは「そうですか?」と呟き――ちょっと納得いってない感じだが――少し考えて、言った。


 「どんなものを売りたいんですか?」


 「ああ、これです」


 そう言って、ポケットからネックレスを取り出した。

 改めて見てみても、身に覚えがない。

 シルバーのネックレスはいくつか持ってるけど、そのどれとも違う。

 羽の生えた生物――まるで、東洋の龍と西洋のドラゴンが混ざったような――が、青い石を守るように丸くなった意匠で、石には水が流れるような細工がしてある。

 結構高そうだし、買ったのなら覚えているはずだ。


 「これ、売ってしまうんですか? とっても綺麗なのに」

  

 エルゼさんが残念そうな顔をする。

 そう言われると惜しくなるが、背に腹は代えられない。


 「いいんです。――それで、心当たりありますか?」


 尋ねると、エルゼさんは「これなら、装飾店に行けばおそらくは」と言った。


 「分かりました。じゃあ、行きましょう?」


 そう言ってエルゼさんを促すと、彼女は「では、はぐれないで付いて来てくださいね」と言った。





 装飾店は、カメーリエ通りにあった。

 俺たちが最初に出てきた筋から外側の城壁側へ少し歩いた場所で、道に面して造られているショウケースには、バッジやネックレス、タリスマンなどが見栄えよく飾られている。

 扉を開けると、ベルの音がした。来客を知らせるものだろう、聞きつけた店主が店の奥から出てきた。

 彼はいかにも商人という風貌で、長く整えられたもみあげが特徴的だった。


 「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」


 「ネックレスを売りたいのですが」


 エルゼさんが答える。

 俺はポケットからネックレスを取り出して、店主に見せた。


 「こちらですか?……ははん、なかなか変わった意匠ですな」


 「いくらぐらいになるでしょう?」


 尋ねると、彼は少し悩んで「1000S《シャッツ》ですね」と言った。

 

 「1000ですか? 見たところ傷もありませんし、もう少し――」


 エルゼさんが言うと、店主は困ったように答えた。


 「『変わった意匠』と言ったでしょう? こういったものなかなか売れないんですよ。今の流行は、もっと洗練された、流れるような意匠でしてね。……これでも、高いほうだと思いますがね」


 「でも……」


 「エルゼさん」


 俺は小声で聞いた。


 「1000って、安いんですか?」


 「安物の服も買えませんよ」


 彼女も小声で答える。

 

 「じゃあ、菓子は買えますかね?」


 「お菓子? ええ、少しなら買えると思いますが」


 エルゼさんは、怪訝そうな顔だ。

 その答えを聞いて、「なるほど」と頷き、俺は店主に向かって言った。


 「それでいいです。お願いします」


 「オスカーさん、いいんですか?」


 彼女が問いかける。

 それに「いいんです」と笑って答えると、店主にネックレスを差し出した。

 彼はそれを受け取ると、満面の笑みで「では、1000Sです」と言い、俺にコインを渡して握らせた。

 

 「またのお越しをお待ちしております」


 その言葉を背にして、俺たちは歩き出した。

 コインは、俺の荷物が入っていた袋に入れた。簡易的な財布代わりだ。

 自分の財布に入れてもよかったが、小銭がジャラジャラと場所を取っていて混ざりそうだったので止めた。うっかり使えない金を出して恥をかくのは嫌だし。


 「オスカーさん、さっきお菓子と言っていましたが……?」


 「はい。――エルゼさんが昔よく行っていたっていう店で何か買おうと思って」


 「私が、昔行っていた……」


 「話してたでしょ?」

 

 「あの庭園で」と続けて、エルゼさんの顔を見た。

 彼女は、懐かしそうに微笑み、口元を緩めた。

 

 「ええ、いいですよ。ちょうど、ここから歩いてすぐですから」


 そう言うと、彼女は小走りで俺を追い越し、クルリと振り向いた。


 「こっちですよ、オスカーさん!」


 喜びに満ち溢れた笑顔だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る