第23話知りたがる少年

 夜、シュトラール邸。

 屋敷に戻ってきた俺たちは、夕食を取って休むことにした。

 エルゼさん曰く、明日は陛下が茶会に招待してくれるそうだ。

 何でも、遺跡での話を聞きたいとのこと。

 一応エルゼさんとトビアスさんが報告したようだが、俺からも話してほしいと言っていたそうだ。

 なので、明日は寝坊してはいけないのだが……。


 俺は、書庫にいた。

 シュトラール初代当主の書棚を、もう一度調べている。

 あの遺跡には手掛かりらしいものはなかった。

 だけど、もしかしたら同じような遺跡が他にもあって、そこに手掛かりがあるかもしれない。

 

 静かな書庫には、ページを捲る音だけが響く。

 この世界の文字は読めないが、日本語さえ見つければこっちのものだ。


 ――そう思って、もう3時間は書庫にいるだろうか。

 ふう、と一息ついて、ソファの背凭れにもたれかかる。


 流石に疲れた。

 開いていた本を閉じ、机の上に置く。

 手で米神をマッサージしながら、机の上のに目を遣る。


 あの、ネックレス。

 キラリ、と照明の光を受けて輝くそれ。

 あの商人の事は、エルゼさんにも言っていない。

 心配をかけたくなかったのと、何となく、――本当に何となくだが、言ってはいけない気がしたのだ。

 

 カチャリ、と音を立てながら、それを持ち上げる。

 こういう装飾品にはあまり興味がないが、とても綺麗だ。思わずため息が漏れるほどに。

それにこの石。

俺は龍のような生き物の目を、まじまじと見た。

どういうカットなんだろう。

この、石の中に星が散っているような、不思議な光沢は。


「あ……。ここに、いたの?」


扉を開ける音と共に聞こえる声。

ネックレスから目を離し、声の主を見る。

フェリクスだ。

もう食事を済ませたのか、昨夜同様、腕回りがダボッとした白いシャツに、黒いズボンというラフな格好。

  どうやら一人のようで、入り口でまごついている。


「どうしたんだよ、入らないのか?」


「えっと、入っても」


「いや、お前の家だろ」


「……そうだね」と呟き、扉を閉めて俺に近寄る。


何か言いたげだが、踏ん切りがつかないようで、口を開いたり、閉じたりを繰り返す。

こういう時は、急かしたりしたら余計に言いづらくなる。

俺はフェリクスの踏ん切りがつくまで、黙って待った。


「あの……。ありがとう」


長い時間をかけて、彼は一言そう言った。


「え、何が?」


「その、君が買ってくれたって」


ああ、ケーキのことか、と合点がいった。

屋敷に帰ったあと、ちょうど居合わせたゲオルグさんに託したんだが、きちんと届けてくれたようだ。

はたして、喜んでくれただろうか?


「好みが分からなかったからさ、エルゼさんにお薦めを聞いて選んだんだけど、どうだった?」


「……美味しく戴いたよ。僕があの店で一番好きなケーキだったから」


フェリクスが口元を綻ばせる。


「そいつは良かった!」と笑顔を向けると、フェリクスも笑い返してくれた。

 そのまま、俺の正面にあるソファに腰掛ける。

 卓上の本の山を一瞥すると、「調べもの?」と声をかける。


 「ああ。故郷に帰るための方法を探してるんだ」


 「この国と国交がないの?」


 フェリクスが不思議そうに聞く。

 ああ、フェリクスとゲオルグさんには、異世界から来たとは言ってないもんな。

 俺は頷くと、「帰るルートさえ分からないんだよ」と投げやりに言った。


 「だから、書庫で手掛かりを探し中なんだよ。――あ、エルゼさんにはちゃんと許可取ってるからな」


 「ふうん……。捗ってる?」

 

 「全然!」


 俺は嘆きの声を上げ、頭を抱えた。


 「俺、アルトロディア文字が分かんなくてさ。ぶっちゃけ、ただ眺めてるだけに近いかも」


 「分からないの?」とフェリクスが目をパチクリさせながら聞く。

 俺は頷くと、「だから休憩中!」と再び背凭れに全体重を預けた。

 フェリクスは俺の様子を観察していたが、おずおずと声をかけてきた。


 「何か、気分転換になるものでも持ってくる? それとも、ゲオルグに言って飲み物を用意させようか」


 「ああ、そうだなあ……」


 俺は頭を掻きながら、どうしようか考える。

 その時、ふと思い出したことがあった。

 

 「なあ、フェリクス」


 「何?」


 「『知りたがりのカスパル』って物語、知ってるか?」


 「ああ」と彼は呟くと、ソファから立ち上がり、背後の書棚へ向かった。

 戻ってきた彼の手には、一冊の古びた本。


 「これだね。古い御伽噺だ」


 フェリクスは背表紙を撫でながら、再び着席する。

 赤茶色のハードカバーは、本来白い筈のページ部分が変色してしまっている。

 まるで、その歴史を俺たちに見せつけるように。


 「君の故郷ではあんまり知られてないのかな。――この国では、知らないものはまずいない。それくらいメジャーな物語だよ」


 そう言うと、彼はペラペラとページを捲った。

 だが、フェリクス自分の膝に乗せてるせいか、かなり見づらい。

 俺はソファから立ち上がると、フェリクスの隣に腰掛けた。


 え、と驚いた顔をするフェリクスに、「いや、見えないだろ」と俺。

 机の上に乗せてくれと頼んでも良かったが、その場合既にある本を片付けなければならない。

 どうせ少し休憩したらまた読み始めるんだし、一々出したり直したりをするのは手間だった。

 なので、隣に座ったんだが……。

 ちょっと馴れ馴れしかっただろうか。


 固まっているフェリクスに、謝りながら立ち上がりかける。

 そう、が、何かに引っ張られるような感触に動きを止めた。

 ――左腕。

 見遣ると、フェリクスが遠慮がちに服の袖を掴んでいる。

 彼は気まずそうな顔で、「別に、嫌じゃない」と早口で言うと、もう一度袖を軽く引っ張った。

 どうやら、座れと言っているようだ。

 俺は素直に座りなおすと、本を覗き込んだ。


 その本は、一ページに挿絵と文章が入った、絵本と言ってよい代物だった。

 美麗に飾られた文字と、小さな少年の絵が描かれ、これなら文字が読めない俺でも少しは理解できるかもしれない。

 フェリクスはそんな俺の姿を見て、「読んで、あげようか」と少し硬めの声で言った。

 

 「いいのか?」


 「うん。そんなに長い話でもないから」


 彼はそう言うと、最初のページを開いて読み始めた。

 

 「知りたがりのカスパル」


 書庫にはフェリクスの涼やかな声が響く。


 「昔々、水平線の向こう側に、小さな島がありました。そこでは、人々が牛を育て、地を耕し、平穏に暮らしていました」


 ページを捲る。


 「そこに、一人の少年がいました。名前はカスパル。生まれた瞬間両親を失くした彼は、周りの人々に育てられ、スクスクと成長していきました」


 本には、少年が牛の世話をする様子が描かれている。


 「ある時、カスパルは思います。『どうして僕には、お父さんもお母さんもいないのだろう』と。周りの人間は誰も教えてくれません。カスパルは村はずれで、神様に祈りました。『どうか、両親の事を教えてください。そのためならなんだってします』と。」

 

 ――神様?

 挿絵には、天から降りてくる人物が描かれている。

 まるで、西洋の宗教画のようだ。


 「神様は、カスパルに言いました。『ならば、旅に出るがいい。私がお前を守ってやろう。お前の願いは、世界中を知ることで叶えられるだろう』と。カスパルは荷物をまとめ、すぐさま旅に出ました」


 おいおい、叶えないのかよ。

 本当に神様か?こいつ。


 「カスパルは、世界中で知識を得ました。ある時は、神様の神殿に通い、すべての本を読み尽くしました。またある時は、王様に会って、国一番の賢者の弟子になりました。そんなカスパルを見て、皆が言います。『なんて知りたがりな少年だろう!』と」


 挿絵のカスパルは、世界中を旅していくしていく。

 年月が経っているだろうに、少年のままの姿で。


 「ある時、カスパルは王様の頼みで、山賊退治に行きました。小さな村に、山賊の住処があるというのです」


 山賊。

 いきなりアクティブになったな。

 頭でっかちなイメージだけど、大丈夫か?


 「カスパルは、王様に頼んで、国一番の強者つわものを集めて貰いました。犬のように鼻が利くフント。猿のように身軽なアッフェ。雉のように麗しいファザーンです」


 「ちょっと待て」


 俺は思わず話を中断させた。

 山賊退治のお供に犬と猿と雉?

 どっかで聞いたことがあるとかいうレベルじゃないぞ。

 

 俺は、あの日記帳に書かれていた日本語を思い出した。

 デカデカと書かれた「ももたろう」。

 この話、明らかに桃太郎を知っている人物が書いたよな?

 ――もしかして、俺と同じ日本人が?


 思考の海に沈む俺に、フェリクスがおずおずと問いかける。


 「ねえ、続き……」


 「ああ、ごめん! 続き、頼むよ」


 フェリクスは俺の様子を窺ったが、俺が何も言わないと分かると、本に目線を戻した。


 「村に着いたカスパルは、村長と巫女に会い、話を聞きました。盗賊たちはひと月に一度、森からやってきて食べ物や飲み物、衣服に牛たち。更には子供たちまでもを取り上げてしまうというのです。今度は、村の皆が大切に守ってきた、『黄金の心臓』を奪うと言っていました」


 黄金? もしかして、クローデンだろうか。

 黄金の心臓なんて、影も形もなかったが……?


 「巫女が言います。『黄金の心臓は、代々我々が守り伝えてきた、大切な神様からの贈り物です。奪われるわけにはいきません』と。それを聞いたカスパルは、黄金の心臓を借り受け、三人の従者に命じて住民を避難させました。美しい三日月が夜空に昇りきった頃、八人の山賊は村へやってきました」


 本には、山賊だろう、もじゃもじゃと髭を生やした男たちの姿がある。

 それを、カスパルが一人で迎え撃っている。

 ――あれ、従者は?


 「盗賊たちはカスパルを見て、騒ぎ始めました。ある者は彼を侮り、ある者は罵倒し、剣を向けて襲い掛かってきました。しかし、カスパルは傷ひとつ付きません。なぜなら、彼は神様に守られているからです」


 盗賊たちの剣は、カスパルに届く前に弾かれている。

 彼の後ろには、光り輝くの姿が描かれていた。


 「カスパルが山賊を引きつけている間に、三人の従者は山賊たちの根城にいました。彼らは力を合わせて、村から奪われたものを取り返しました。牛も、衣服も、子供たちも。それらを村人に届けると、急いでカスパルの元に向かいました」


 小麦畑を走る従者たち。

 闇夜に輝く場所を目指し、一目散に。


 「従者たちがたどり着くと、盗賊たちは全て倒されていました。カスパルの足元には、砕け散った黄金の心臓が落ちていました。彼は従者たちに言いました。『これは真のではない』

と。彼らは帰ってきた村人たちの元に向かい、村長と巫女に会いました。」


 砕けた黄金の心臓を掲げるカスパル。

 巫女は泣き崩れるようにしゃがんでいる。


 「カスパルは言いました。『これはまがい物の黄金である。神が皆に託した黄金は、いつでも傍にあったのだ』と。そうして皆を村の入り口まで連れて行くと、こう言いました。『見よ。これこそが、この村の宝。失われることのない黄金である』と」


 クローデンへ向かう道中で聞いた一節だ。

 さほど経っていないが、色々あったからか懐かしく感じる。


 「そこには、見渡すばかりの小麦畑が広がっていました。月の光に輝き、黄金の絨毯のように皆を出迎えます。それは、村人の先祖たちが地を耕し、栄養を与え、親から子へと受け継いでいった、かけがえのない宝物です。さらにカスパルは言いました。『そして、皆の心こそが、真の黄金の心臓であったのだ』と」


 フェリクスがぺージを捲る。

 もう終盤の様で、残りのページもあとわずか。


 「カスパルは知りました。当たり前と思っていたことがどんなに輝かしい宝であったのか。カスパルは思い返しました。彼が皆に見守られ、時に優しく、時に厳しく育てられたことを。両親がいなくても、彼らも確かにカスパルの親でありました。その時、天から光が舞い降りました。神様が、カスパルの願いを叶えるために降臨したのです」


 光り輝く神が、少年の元に降り立つ。

 カスパルは、今まで自分を守ってきた神を見上げ、何かを訴えている。


 「神様は言いました。『カスパルよ、お前の願いを叶えるときが来た。もう一度、言ってみるがいい』と。カスパルは言いました。『神様、ボクの願いはもう叶ってしまいました。ボクの知りたかったことは、これまでの旅で分かってしまいました』と。『では、お前に願いはないのか』と神様が尋ねると、カスパルは一つだけ、と願い出ました。『ボクを、神様の元へ。今までに得た知識を使い、貴方のお役に立ちたいのです』と」


 最後のページだ。


 「神様は喜び、カスパルの願いを叶えました。カスパルは、神様の手を取って、天高く昇っていきました。――おしまい」

 

 

 




 

 

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