失意、そして新たなる絆

第16話呼べない名前

 どうして、と思う俺と、やっぱりと思う俺が同居する。

 俺だって、自分で名乗れなかったのだ。

 もしかしたら、この世界では元の世界の名前を名乗れないのかもしれない。

 それでも、まだ希望を捨てきれなくて、知っている人の名前を片っ端から言った。

 

 結果は、燦燦たるものだった。


 ノイズがかかるどころか、口に出せなかったのだ。

 たとえば、母さんの名前を言おうとすると、どうしても声にならなず、かすれたような息だけが出てくる。

 父さんも、ゼミの教授も、大学の友人達も、飼っている猫の名前さえ、呼ぶことができなかった。

 ガシガシと頭を掻く。

 

 二人が、気遣うような視線を向ける。

 心配してくれてるのは理解してるが、それさえも煩わしくて、「俺、疲れてるみたいです。ちょっと寝てもいいですか?」と尋ねた。


 「勿論です。この分だと王都まで半日はかかります。――どうぞ、ゆっくりされてください」


 トビアスさんが優しく言う。

 その言葉に甘え、エルゼさんとは逆方向に体を向けた。


 「おやすみなさい、オスカーさん」

 

 エルゼさんの声する。

 それを聞きながら、目を閉じる。


 名前を――。


 どうして、呼べないのだろう。

 どうして、俺の名前を口にできないのだろう。

 どうして。どうして。どうして。どうして。


 ひどく寂しい。


 俺は、まるで迷子の子供のような心境だった。

 まあ、ある意味世界を股にかけた迷子と言ってもいいし、これまでも心細は感じていたが、それらとは段違いだった。

 なんだか、自分の世界への縁が絶たれたような。親と手を繋いでいた小さな子が、いきなりその手を離されたような、寂しさ、悲しさ。


 それらが俺を飲み込んで、離れやしない。


 

 深呼吸する。


 この世界に来てから、俺は寝るたびに元の世界にいた。まるで、異世界なんて夢だったみたいに。

 だから、俺は起きたら自分の部屋にいるはずだ。


 目の前が暗くなってくる。


 ああ早く、俺の帰る世界はあるんだって証明したい。





 ふ、と目が覚める。

 かなり眠っていたようで、辺りは真っ暗になっていた。

 ぼんやりとする俺を、ガラガラという車輪の音が、現実に引き戻す。

 そこは王都に戻る、馬車の中だった。


 ――ああ。

 ちゃんと眠ったのに、俺は元の世界に帰ることが出来なかった。

 皆の名前が呼べなくなっていたことが原因なのだろうか?

 それとも、何か別の要因があるのだろうか?


 いや、何だって良かった。

 今までと違い、眠っても元の世界に帰ることが出来なかったのは、俺の精神にかなりの打撃を与えた。


 やっぱり、少し楽天的だったのだろう。


 エルゼさんも陛下も、とても良い人たちだし、明らかに不審者な俺にも優しくしてくれた。

 完全に元の世界に帰る方法も、ある種の希望が持てた。

 それに、眠れば一時的に帰ることが出来るのだ。ちょっとくらい変な現象が起きても、心の中では余裕もあったのかもしれない。

 

 だが、それも無くなった。


 眠る前の心細さは、減るどころかますます増えて俺と共にある。


「よく、眠れましたかな?」

 

 トビアスさんが、声をかける。

 起きていたのか。


 「ええ、最高の目覚めですよ」


 嘘だ。

 本当はその真逆だが、二人に心配をかけたくない一心で嘘を吐く。


 「……そうですか」


 どこか納得していないように言うと、トビアスさんは窓の外を見た。


 「じきに、王都へ着きます。エルゼお嬢様は報告のため、私と王城へ参りますが、オスカー様はシュトラール伯爵邸でゆっくりしてほしいと、お嬢様が」


 「そう、ですか」


 ちらり、とエルゼさんを見る。彼女は眠っているようで、規則正しい息遣いが聞こえてくる。


 本当は俺もいかなければならないだろうけど、俺を心配してくれてるんだろう。

 感謝してもしきれない。


 王都が見えてきた。

 城門を抜け、庶民街を突っ切っていく。

 人々がチラチラと見てくるが、ある種見慣れた光景なのか、直ぐに興味を失ったように目線を戻す。

 そうこうしているうちにエルゼさんも目覚めたようだ。

 「おはようございます」と律義に挨拶するので、少し笑ってしまった。


 二つ目の城門を越え、貴族街へ。

 ここまでくると、シュトラール邸は目と鼻の先だ。


 対して時間もかからずに、ギシリ、と音を立て、馬車が止まった。


 「じゃあ、オスカーさん。先に休んでいてください」


 エルゼさんが馬車をわざわざ降りて、屋敷の玄関まで送ってくれた。

 

 「明日はゆっくりしましょう。……いえ、良かったら庶民街を案内しますよ。興味深そうに見てらしたでしょう?オスカーさんに見てほしいところ、いっぱいあるんです」


 俺を元気づけようと、精一杯微笑んで言った。

 俺も、それに報いるべく、笑顔を浮かべた。


 「はい、ぜひ。楽しみにしてます」


 ああ、上手く笑えてるだろうか?

 彼女にはもう、心配をかけたくない。


 エルゼさんは俺を屋敷の中に入れると、扉を閉めた。

 バタン、と重い音がする。


 エルゼさんから俺の事を頼まれたアンナさんが、俺を部屋に案内する。

 到着すると、「お食事の用意もあるので、お召し上がりの際はお申し付けください」と言って、退出した。


 ふう、とため息を吐く。

 しばらく窓から外を眺めてみたが、どうにもじっとしてられない。

 俺は扉を開けると、部屋の外に出た。


 


 部屋の前の廊下を右に進む。

 階段を下り、1階へ。

 そのまま真っ直ぐ進もうとすると、右側に扉があることに気づいた。何となく開けてみると、どうやら裏庭に繋がっているようだった。

 外に出れるのか、と思うと、無性に外の空気が吸いたくなった。

 その感情に突き動かされ、裏庭へ足を進めた。

 

 夜のひんやりとした空気が俺を包む。

 庭にはいくつか明かりが灯されていて、その向こう側には平屋型の建物があった。

 周りを見ると、コの字の屋敷に囲まれているせいか、少し圧迫感がある。


 小さなベンチを見つけ、腰を下ろした。

 はあ、とため息をつく。

 背もたれにもたれかかり、空を見る。


 満天の星空だ。


 俺の住んでる町はそこそこ都会だったから、こんなに綺麗に星が見えたことがない。

 それでも、心が動かされることはなかった。

 いつもなら感動したり、スマホで写真を撮ったりしたかもしれない。だが、今は――。

 ぼうっとしていると、ガチャリ、と扉が開く音がする。

 そちらに顔を向けると、金髪の偉丈夫が立っていた。 


 ゲオルクさんだ。


 フェリクス君の護衛だという彼は、その手に何やら抱え込んでいた。

 俺に会うとは思わなかったんだろう。少しキョトンとしていたが、すぐに気を取り直したらしく、話しかけてきた。


 「これはオスカー様。お帰りになっていたのですか。このような時間にどうされたので?」


 「……ちょっと、歩きたくなって」


 そう答えると、俺は何だか悪いことをしたような気分になった。

 小心者と笑うがいい。

 だが、俺はエルゼさんの厚意で屋敷に置いてもらっているのだ。使用人の皆さんだって、エルゼさんの客人っていう設定だから色々面倒をみてくれたり、丁寧に接してくれたりしている。

 なのに人の家を、まるで自分の家の様に勝手に歩き回るなんて、失礼だろう。


 ただでさえ散々迷惑をかけたのだ。

 俺のせいで、彼女は死にかけた。

 エルゼさんに見捨てられたらどうしよう。

 

 先ほどから感じていた心細さに、罪悪感、不安感などが入り混じり、俺の精神をひどく揺さぶったのだろう。

 気づけば、頬に冷たいものが伝い始めた。


 ゲオルクさんはギョっとしたように目を見張ると、抱えていたものを降ろして、俺にハンカチを差し出した。

 見ただけで良い生地を使っているとわかる、淡い緑色のハンカチだった。

 

 「とりあえずこれをお使いください。――ああ、汚れちゃあいませんから、安心してください」


 差し出されたものを俺がなかなか受け取らないから、彼は気を回してくれたようだ。

 汚いなんて思ってない。むしろ、俺がこれを汚してしまうのが申し訳なくて受け取れなかったのだが。


 「ゲオルク?どうしたの」


 「イ……フェリクス様。いや、それが……」

 

 開けっ放しだった扉を不審に思ったのだろう、誰かが顔を覗かせた。

 どうやら、フェリクス君のようだ。


 前に会った時よりラフな格好で、髪は結んでおらず、服装も薄い水色のシンプルなシャツに白のカーディガンの様なものを肩に掛けている。

 ゲオルクさんに近づいてきた彼も俺を見ると驚いたように立ち止まり、目線をゲオルクさんに向けた。

 ゲオルクさんは俺にハンカチを握られると、困った顔でフェリクス君に事情を説明しだした。

 といっても、彼視点だと俺とばったり会ったら、いきなり泣き出されたとしか説明できないだろうが。


 ……というかこの状況、傍から見たらゲオルクさんが俺を泣かせたみたいに見えるよな。

 何とか止めないと、迷惑をかけてしまう。

 そう思えば思うほど、止まらない。どうしたらいいのだろう。


 ゲオルクさんと話していたフェリクス君が、こちらに近づいてくる。 

 俺の手からハンカチを抜き取り、そっと目に当てた。

 

 「――大丈夫?落ち着いて」


 あんまり表情は変わってないし、声色だって落ち着いているけど、その手つきはとても優しい。

 心配してくれているのだろう。

 お礼を言いたいけれど、喉が引っかかって声が出ない。

 フェリクス君はしばらく俺の様子を見ると、ゲオルクさんを呼んだ。


 「僕の部屋にお茶を用意して。あと、何か摘まめるものを」


 「かしこまりました」


 一礼すると、ゲオルクさんは置いていた荷物を抱えなおして元来た方向へ戻っていった。

 俺がその様子をぼうっと見ていると、フェリクス君が俺の手を引く。香水だろうか、花の香りがした。

 そのまま、扉に向かって歩いていく。


 「ここでは他に人が来てしまう。――あまり、見られたくないよね?」


 その通りだ。

 もうすぐ成人なのに、みっともなく大号泣。あまりお見せしたくない姿だ。特に、エルゼさんには。

 

 俺たちは屋敷に戻り、階段を上ると、俺の部屋を通り過ぎ、丁度玄関の上部分の部屋に来た。

フェリクス君は、その重厚な扉を開けると、俺を部屋の中に入れた。


  フェリクス君の部屋は、とてもシンプル――というか、殺風景だった。

 伯爵家の子息部屋が、こんなに物がなくていいのか、と思うくらい。


 俺が使っている客間でも、観賞用の絵画や壺なんかを飾り、、ここにはそういった物は一切ない。

 本当に、ベッドとデスク、椅子に、一応来客用なのかソファとテーブル。あとは小さなクローゼットしかないし、色味も派手じゃない。茶色と白、それだけだった。

 

 「どうぞ、そこに座って。今、ゲオルクがお茶を用意しているから。」


 彼はソファを指さし、俺に勧めた席の真正面に座った。

 続いて、俺も座る。華美な装飾は付いていないが、さすがに物は良いらしい。柔らかすぎず固すぎず、丁度いい座り心地だった。


 ……それにしても、空気が重い。

 フェリクス君は無言だし、俺もいったい何を話せは良いか分からない。

 彼の顔色を窺っても、ポーカーフェイスを貫いて、何を考えてるのかさっぱりだ。


 いや、迷惑には感じてるかもな……。

 結構ラフな格好だし、もう寝るところだったかもしれない。

 ああごめんな、フェリクス君。俺と遭遇したばっかりに。

 はよ閉まれ!俺の涙腺!


 袖口で目を擦る。

 この服は明日俺が責任もって洗いますので、どうか許してほしい。

 それよりも早く泣き止んで、フェリクス君を開放したい。

 ゲオルクさんが持ってきてくれるらしいお茶を飲んだら、とっととお暇しよう。……そういえば、今何時だろう?


 「あ……の、ゴホッ!――ブェリグスぐん……。フェリクス君、今何時……ですか?」


 思い切って聞いてみたら、盛大にむせた上に、すっごい声が出た。

 は、恥ずかしい。多分年下の前で何という体たらく。穴があったら入りたい、切実に。


 フェリクス君は俺の質問が意外だったのか、数回瞬きをすると「今……夜の10時かな」と答えてくれた。


 10時、明らかに寝すぎだ。

 エルゼさんにゆっくり休んでくださいとは言われたが、さすがゆっくりしすぎだろう。こりゃこの後眠れないな。


 「あ、ありがとう……ございます」


 「別に……。時間を教えただけだよ。お礼を言われるほどじゃない」


 彼はフイっと目線を逸らした。

 そうだ。やっと喋れたことだし、お礼も言わないと。


 「それと、すみません。こんな夜中に迷惑かけてしまって。俺、こんなつもりじゃー―」


 言いかけたところ、コンコン、とノックの音。

 ゲオルクさんだろう。入ってくるのに邪魔しちゃ悪いし、口を閉じる。

 

 「……どうぞ」


 「失礼します」

 

 がちゃり、とドアが開くと、トレイにティーカップとポット、それにクッキーが入ったお皿を手に持ったゲオルクさんが入ってきた。

 さっきはあまり気にしなかったが、ゲオルクさんも前よりラフな格好になっている。

 城で見かけた時や、この屋敷で会ったときは騎士服を着ていたが、今は俺みたいにズボンとシャツだけで、おそらくもう休む時間だったのだろう。

 彼にも迷惑をかけてしまった。


 「あの、フェリクス君、ゲオルクさん。すみません、俺のせいで迷惑を」


 「迷惑?」


 フェリクス君が聞き返した。


 「はい、だってもうこんな遅いのに。2人だってもう休むつもりだったんですよね?――それを俺が」


 「別に、迷惑とは思ってないよ」


 そう言って、フェリクス君はゲオルクさんを見遣った。

 当のゲオルクさんも、笑いながらお茶の準備をしている。

 

 「ええ、思っちゃあいませんよ。――まあ、多少は驚きましたが」


 「す、すみません……」


 「それより、お茶をどうぞ。この品種は淹れたてが一番おいしいですからね」


 そう言われて、お茶に目を向ける。

 濃い赤茶色のそれは、昼にトビアスさんに出してもらったものとはまた違った品種のようだ。

 砂糖を入れて一口。華やかではないが、どこかホッとする、素朴な味だ。

 さらに、出してもらったクッキーを口にする。

 マーブルクッキーのようだが、結構甘い。俺は冬彦の影響で甘いものもいけるが、どっちかと言うと女子向けのような気がする。

 フェリクス君を見ると、食べるスピードが速い。おそらく、夕食も食べているだろうに、全く手が止まらない。心なしか、表情が緩んでいる。どうやら、かなりの甘党と見た。


 そんな彼の様子を、ゲオルクさんは嬉しそうに見つめている。もしかしたら、このクッキーはゲオルクさんが作ったものかもしれない。だって、小さい頃、残さず食べられた弁当箱を見た時の母さんの顔にそっくりだ。

 

 しばらく無言で紅茶を飲んだりお菓子を摘まんだりしていたが、もうすぐ食べ終わるという頃に、フェリクス君が口を開いた。


 「……落ち着いた?」


 「え?」

 

 「もう、寂しくない?」


 思わず、手を止める。

 どうして。


 「君、凄く寂しそうな顔してた。何だか……迷子、みたいな」


 そんな顔、してたのか。

 何というか、顔から駄々洩れだな、俺。

 無言のままの俺を見て、気分を害したと思ったんだろう。ゲオルクさんが慌てて話しかけてきた。


 「フェリクス様はあなたを心配してるんです。決して、揶揄っているとか、馬鹿にしているわけでは……」


 「いえ、分かってます!」


 俺も慌てて首を振る。

 彼が俺を心配してくれているのはきちんと伝わってくる。

 じゃなきゃ、伯爵家の長男が自分の部屋に入れることはないだろうし。ましてや、妹の客とはいえ、どんな人物か知らないのだ。

 ……そう思うと、少し不用心では?

 

 「ありがとうございます、フェリクス君、ゲオルクさん。何というか、ナーバスになってたみたいで」


 「ナーバス?」


 フェリクス君が首を傾げる。


 「ええ。――実は俺、今まで暮らしていたところから……何というか、無理やりこの国に連れてこられたというか……」


 「連れてこられた?――誘拐された、ということですか?」


 ゲオルクさんが顔を顰めた。

 誘拐というには語弊があるが、異世界から来ましたとは言えない。


 「似たようなもんです。それで、エルゼさんが助けてくれて、この屋敷に置いてもらってるんです」


 「エルゼが……」


 「はい。でも俺、故郷とはすぐ連絡が取れると思ってたんです。だから、何というか楽観的だったんですけど。……無理になって。それが分かったら、物凄く寂しく――そう、寂しくなってしまって」


 「そう、それで……」


 「はい。――カッコ悪いとこ、見せちゃいましたね」


 そう言って、頭を掻く。

 何だか、だんだん恥ずかしくなってきた。


 

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