第15話危機

 は、巨大な金魚と言ってもいいような姿だった。

 飛び出た目、赤い体に、尾びれは薄く、軽やかに。

 祭りの出店でよく捕った、出目金のような姿は、懐かしささえ感じる。

 ――ただし、その体長は三メートル近くあり、だらしなく開いた口にはサーベルタイガーのような鋭く巨大な牙が生えている。


 固まる俺を不審に思ったのか、エルゼさんが振り向こうとする。

 その瞬間、金魚の口に青いものが見えた。


 「あ、危ない!」


 咄嗟にエルゼさんごと横へ転がる。

 そんな俺たちの横スレスレに、青いビームのようなものが走った。

 ――いや、ビームじゃない。水だ。

 凄まじく圧縮された水が、勢いよく放たれたのだ。


 「これは……! オスカーさん、下がって」


 エルゼさんは素早く立ち上がると、俺を下がらせて剣を構えた。


 「我、汝がともシュトラール。彼の敵を滅するため、そのよすがを我に」

 

 エルゼさんの腕が光り、やがて収束する。

 家法術だ。


 「放て、閃光。焼き焦がせ」


 背後に現れた魔法陣から、金魚に向かって光線が放たれる。

 標的は、まるで水面を揺蕩うような軽やかさでかわすと、胸びれを震わせた。

 金魚の頭上にはいくつもの水球が現れ、それがエルゼさんに向かって襲い掛かった。


 「輝け、光よ。わが盾となりて!」


 エルゼさんは光の盾を作り出し、水球を受け流しながら金魚に向かって走っていく。

 剣を振りかぶり、捉えたと思った瞬間。


 彼女の周りに、青い壁が出現した。


 「が……!?」


 「エルゼさん!」


 彼女がもがく。

 壁の正体は、巨大な水球だ。

 碌に息継ぎもできずに水に囲まれたエルゼさんは、何とか出ようと剣で切ろうとするが、歯が立たない。


 早く、何とかしないと。

 そのためには――。


 俺は腰に手をやる。

 そこには、護身用に貰ったダガーがある。

 勢いよく引き抜くと、俺は金魚に向かって走り、その巨体に突き刺そうとした。

 しかし、金魚が体を回転させ、その尾びれで俺を吹き飛ばす。


 「いっ……て」


 飛ばされた俺は、反対側の壁に激突した。

 衝撃で、パラパラと石が崩れた。


 死ぬほど背中が痛む。

 苦しくて、ゲホゲホと咳き込んだ。


 あんな化け物、俺が倒せるのか?

 でも、やるしかない。


 エルゼさんはまだもがいているが、さっきよりも力が抜けている。

 もう、時間がない!


 「くそ、エルゼさんを放せ、金魚野郎!」


 俺は崩れた石を左手に、ダガーを右手に持つと、金魚に向かって行った。

 もちろん、金魚も反撃してくる。

 だから、拾った石を最初に投げ、金魚がそれを水で打ち抜いているうちに腹の下へ滑り込んだ。

 そして、ダガーを突き立てる。


 《《そう、突き立てたはずだ》 》

 

 「嘘だろ、何で……」


 ダガーは、全く歯が立たなかった。

 金魚が固すぎるのか?――いや、違う。


 「模造刀……?そんな」


 呆然とする俺に、小型の水球が襲い掛かった。

 それは俺の体に触れると、水風船のように破裂した。


 「が!……あ」


 痛みで倒れこむ。

 呼吸が激しく、浅くなっていく。

 目が、霞んでいく。

 視界の端で、エルゼさんが剣を落とした。

 ぐったりと、その目を閉じていく。

 ――ああ、嫌だ。


 嫌だ。嫌だ。駄目だ。嫌だ。そんなこと。ああ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだだめだやめろやめろやめろやめてよしていやだいやだいやだいやだいやだころさないでいやだいやだいやだ。








  











 絶対に、嫌だ。























 薄れゆく意識の中、断末魔の叫びを聞いた気がした。


























 ふ、と目が覚める。

 俺は原っぱに寝っ転がって、空を見上げていた。

 飛行機雲が青い空に伸びていく。


 「やあ」


 視界に、缶ジュースが飛び出した。

 すぐそばに人の影ができる。

 

 「こんなとこで昼寝か? レポートはどうしたんだ?」


 答えない俺に飽きたのか、彼は隣に座って缶ジュースを開けると、自分で飲みだした。

 果汁百パーセントのオレンジジュース。あいつの好物だ。

 

 「いい加減無視はやめたまえ。そうそう、この間の奢りだけど――」


 「戻らなきゃ」


 ぽつり、と呟く。

 あいつは驚いたように体を揺らした。

 

 「何だ、いきなり。戻るって何処に? 家か? 図書館か?」


 「異世界」


 「は? 異世界?」

 

 あいつは馬鹿にしたように復唱すると、鼻で笑った。


 「中二病に目覚めたのか? それとも日射病で幻覚でも見たのか? そんなものあるはずない」


 確かに、そうだろう。

 俺だって、今までそう思って生きてきたんだ。

 昔は空想もしたけど、所詮ゲームや小説、漫画の世界だって。

 ――でも。


 「俺、戻らなきゃ。死にそうなんだ。おれ、俺を助けてくれた子が。死なせたくない。助けたいんだ」


 話すうちに涙が溢れて、こめかみを伝う。

 声が震えて、うまく話せない。

 それでも、必死に思いを出す。

 投げ出していた手で、生えていた雑草を握りしめた。


 そんな俺の様子を、冬彦は無言で見つめる。

 俺がいったい何を話しているのか、こいつには分からないだろう。 

 それでも、話さずにはいられない。

 とうとうしゃくりを上げ始めた俺に、冬彦が口を開く。


 「ちなみに、どうしたら戻れるんだ?」


 「ね、眠る。そうしたらあっちで目が――」


 「なるほど」


 冬彦は頷くと、立ち上がった。

 そして片方の手をポケットに入れて、俺を覗き込んだ。

  

 「これは貸しだぞ。――報酬は、ワンダフルストロベリーパフェ、生クリームマシマシでいい」


 そう言うと、彼は全体重をかけてエルボー・ドロップを仕掛けてきた。

 ぐえ、と潰れた声を上げて、俺の視界は暗転した。








 ――水の臭いがする。

 何日も変え忘れていた、花瓶の水のような、腐った臭い。

 冷たく硬い石の上で、俺は目覚めた。

 全身ぐっしょりと濡れている。

 いったい何が、と思ったところで、思い出した。


 「エ、エルゼさん! いって……。 エルゼさん!」


 痛む腹を押さえながら立ち上がろうとして、失敗した。

 あちこち怪我していたのか、腕や足から血が流れている。

 だけど、そんな事構っていられなかった。


 体を少しだけ起こして、必死で探す。

 顔に張り付く髪を払い、流れる血を拭って。

 そうして、やっとのことで見つけ出した。


 「エルゼさん!」


 うまく立ち上がれないので、這って進む。

 彼女は床に力なく横たわっていた。

 よほど暴れたのか、ポニーテールに結っていた髪は解け、赤い髪が床に広がっている。

 全身は俺と同じく水浸しで、固く目を閉じている。


 俺は、震える手で肩を揺する。

 最初は小さく、徐々に大きく。


 「エルゼ、さん。起きて。なあ、エルゼさん! エルゼ! 頼むから、起きてくれ。寝るにはまだ早いよ。まだ真昼間だ! エルゼ、エルゼ……」


 涙が滲む。

 視界が揺らいで、慌てて手で拭う。

 そうしてもう一度、肩に手をかける。


 ピクリ、と彼女の睫毛が揺れた。

 咳き込んで、水を吐き出す。

 そうして、その瞳を開けた。

 美しい、翠の瞳。

 そこには、ボロボロに泣いた俺の顔が映っていた。


 「オスカー、さん。どうして……? あの、怪物は」


 何か話そうとした彼女を抱きしめる。

 驚いたのか、あ、だのえ、だの言っていたが、子供のようにワアワア泣いて縋りつく俺に何を思ったのか、頭を撫で始めた。

 

 それは、ジャンが呼んできたトビアスさんが助けに来るまで続いた。







 「それで、何か私に言いたいことは?」


 トビアスさんが静かに聞く。

 いつもニコニコと微笑んでいた彼が、この瞬間だけは口を真一文字に結んでいる。


 「ごめんなさい……。無茶、しました」


 俺は、村の宿屋の一室で、ベッドに寝っ転がりながら答えた。


 俺たちを救出したトビアスさんは、俺とエルゼさんをまとめて抱え上げ、宿屋に運んだ。

 彼を案内してきたジャンは、俺たちの惨状を見て泣きべそをかきながら後に続いた。

 今は、家に戻っているらしい。

 ――あとで謝らなくては。


 「オスカー様。帰る手立ての手掛かりを前に、逸る気持ちも分かります。危険を賭してでも、帰りたい気持ちも。――ですが、勇気と無謀は違います」

 

 トビアスさんは鋭く言うと、ふ、と息を吐いた。

 

 「たとえ帰れたとしても、その命が失われていたとしたら、貴方のご家族はひどく悲しむでしょう。――身内の遺体ほど、見たくないものはありません」


 彼は拳を固く握り、そして解いた。

 そうして、俺のベッドのそばに跪く。


 「ですが、貴方の護衛という任を陛下から託されたにも関わらず、目を話してしまったのは私の落ち度。どうぞ、お許しください」


 そう言って、頭を垂れる。

 俺は慌てて手を横に振った。

 

 「いやいやいや! 自業自得ですから。トビアスさんの所為じゃありません。――それより、エルゼさんは? 具合、どうですか?」


 「お嬢様は先ほどまで手当てを受けていましたが、もう元気になられて、あちこちに礼を言いに行っております。オスカー様は、もう少しゆっくりされてください。――ちょうど、近くを警邏中だった部隊が王都に帰還するとのことで、彼らと共に戻ることになりました」


 「え、戻るんですか?」


 「ええ。聞くところによると、目当ての「失われた文字」も発見し、目的は達成されました。――手掛かりが得られなかったのは残念ですが――陛下に報告したところ、たいそう心配されて、今すぐ戻るように、と」


 「陛下が……」


 迷惑をかけてしまった。

 俺は俯き、掛け布団を握りしめた。

 コンコン、とドアがノックされる。

 俺に代わって、トビアスさんが「どうぞ」と答えた。


 「失礼します。――オスカーさん、大丈夫ですか!?」


 「エルゼさん……」


 エルゼさんは誰かに借りたのか、村娘のような恰好をして、ホッとした顔で俺を見た。

 後ろ手にドアを閉めると、俺に近づく。


 「ごめんなさい、オスカーさん。私のせいであなたを危険な目に」


 彼女の瞳が悲し気に揺れる。

 

 「そんな、エルゼさんの所為じゃ……」


 「いいえ、私がトビアスに知らせず遺跡へ行こうと言ったから……。それに、あなたのダガー」


 「ダガー?」

 

 トビアスさんの眉が上がる。

 エルゼさんは小さく頭を振ると、「本当にごめんなさい」と言った。


 「あなたのダガーをすり替えたの、私なんです。あんなもの持たなくても、私があなたを守れる。逆に、素人のあなたが持てば、怪我をしてしまう、と」


 「お嬢様……。それでは」


 「結果的に、あなたをもっと危険な目に遭わせてしまった。謝っても、謝り切れません」


 エルゼさんは唇をかみ、黙り込んだ。

 俺は彼女を安心させるように笑うと、「謝る必要、無いです」と言った。


 「エルゼさんは、俺を思ってしたことなんですよね? じゃあ、謝罪なんていりません。俺が素人なのは事実ですし。――まあ、ちょっと焦りましたけど」


 そうはいっても、エルゼさんの気が済まないようだった。

 暗い顔で、俺が責めるのを待っている。

 俺は少し考えて、閃いた。


 「じゃあ、もうちょっとこっち来てください」


 手でエルゼさんを呼ぶ。

 彼女は素直にもっと近づいてきた。

 俺は手を伸ばして――。


 「い、いたっ」


 エルゼさんが小さく悲鳴を上げて額を押さえる。

 俺のデコピンが直撃したのだ。

 俺はいたずら小僧のように笑う。

 

 「じゃあ、これでチャラってことで。――そう言えば、その部隊っていつ来るんですか?まだ時間ありますかね?」


 俺は、トビアスさんに尋ねた。

 彼は微笑んで――ようやく笑ってくれた――、「もう着いております」と言った。


 「え、もう? 滅茶苦茶早い……」


 「本当にすぐそばに来ていたのです。お二人が手当てをしている間に、到着しました。オスカー様の準備ができ次第、帰還します」


 「ですので、お召し替えを」と言ってエルゼさんに退室を促す。


 だが、彼女は額を押さえたまま、その場を動こうとしない。

 

 「お嬢様?」


 不審に思ったトビアスさんが、エルゼさんに呼びかける。

 彼女は勢いよく俺に背を向けると、「宿の外で待ってます」と早口で言い、スタスタと部屋から出て行った。


 しまった、怒らせたか。

 俺はさっきの行動を、少し後悔した。

 さすがに馴れ馴れしかったかな。友達によくやるけど、まだそこまで仲良くなってなかったのか。

 肩を落とす俺に、「やりますな、オスカー様」と声をかけた。

 

 「はあ?」


 いったい何が。







 


 着替え終わると、あれよあれよという間に出発の準備が整っていく。

 ジャンに謝りたかったが、その時間もないくらいに急かされた。

 その部隊は、二十人ほどの歩兵部隊だった。宿の外に武骨な馬車が停めてあって、これに乗って帰るらしい。

 あまりの威圧感に、村の人々も遠巻きだ。

 ぶっちゃけ、俺もそうしたいくらいだが。

 

 「あの、俺ジャンに」


 「ジャン君には、私が謝りました。さあ、早く帰りましょう」


 エルゼさんがすかさず言う。

 早い。いったいいつの間に。


 エルゼさんとトビアスさんの圧に押されて、仕方なく馬車に乗り込む。

 俺たち三人が乗り込むと、ガチャン、と大きな音をたてて扉が閉められる。

 

 馬の嘶きが聞こえ、馬車が動き出す。

 俺は外を眺めながら、遺跡の事を思った。


 あの遺跡は、俺と同じ日本人が造ったんだろうか。

 何のために?

 あの怪物な何だったんだ?

 この世界は、シュルト以外にも化け物がいるのか?


 物思いに沈んでいると、トビアスさんが「帰ったら、陛下が茶会を催すと仰っています」と言った。


 「お茶会?」


 馬車と共に揺れながら、エルゼさんが言う。


 「ええ。結果はさておき、お二人とも無事に生還されました。そのお祝いに、と」


 「お城で、ですか?」


 俺が尋ねると、「ええ」と頷いた。

 お茶会。なかなか馴染みのない言葉だが、詰まるところお茶を飲んでお菓子を食べる会だよな。

 そう言うのなら、散々冬彦に付き合わされた。


 「いいですね。陛下のお誘いなんて、光栄です。いやあ、あいつが聞いたら羨ましがるだろうなあ」


 「あいつ?」

 

 隣のエルゼさんが、俺を見てくる。

 

 「ええ、俺の友人です。ひどい甘党で、甘味と聞くと飛んでくる」


 「……女性のお友達ですか?」


 何故かジト目だ。

 心なしか、口も尖がっているように見える。

 

 「いや、男ですよ! 女友達って全然いなくて。あいつ、〇〇って、え?」


 俺は今何て言った?

 二人が不思議そうな顔で俺を見る。

 

 「つ、疲れてるのかな。口が回らなくて。ええと、〇〇〇〇です。〇〇……」

 

 二人の顔がどんどん険しくなる。

 エルゼさんが、「オスカーさん」と呼びかけた。


 「今、何て言ったんですか?」


 俺は俯いて、太ももに乗せた両手をじっと見つめた。

 いやに、車輪の音が大きい。


 「名前です。――親友の、名前なんです」


 俺は、冬彦の名前を言えなくなっていた。

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