第9話とある「キョウダイ」の憂鬱

 何とか着替えを終え、食堂へ向かった。昨夜同様エルゼさんと食事を取ると、今日も城へ行くことを告げられた。


 「では、昨夜言っていたとおり、今日も王城へ参りますね」

 

 食後の紅茶を飲みながら、エルゼさんはそう言った。

 俺はというと、若干もたれる胃を擦りながら、「分かりました」と答えていた。


 この世界の食事は、なかなか量が多いのだ。


 昨日は夕食だから多少量が多くてもこんなものか、と思っていたから、朝食の量を見て驚いた。朝っぱらからフルコースかってくらいの品数だったからだ。

 おまけにずっしり来る肉料理もあって、朝食はシリアル派の俺としては、なかなかのダメージだ。何とか完食したものの、胃袋はギブアップ寸前だった。


 「昼前には登城するようにとの事です。……オスカーさん?体調が優れませんか?」


 エルゼさんが目をパチクリさせながら聞いてきた。

 仕草はとっても可愛いが、彼女は「あの」朝食を涼しい顔をして食べきった上にデザートまで追加したのだ。全体的にスリムな体型なのに、いったいどこに入ったんだ。


 「い、いや……大丈夫です。それより、昼前って事はもう準備したほうがいいですか?」


 若干引き気味なことを悟られないように、話を元に戻す。

 俺は今、首元にフリルがついた白いシャツに、黒いズボンという、選ばれたイケメンしか着こなせないような服装だ。

 俺にはまったく合ってないが、それを置いてもラフすぎる。登城するなら、それなりの服装じゃないと失礼だ。


 「ええ、そうしていただけると幸いです。服はアンナに用意してもらいますので、部屋で待っていていただけますか?準備ができ次第、出発しましょう」


 俺は「分かりました」と答えると、早速部屋へ戻った。ちょっと、一瞬だけでも寝転びたい。せめてアンナさんが来るまでの間だけでも。


 せかせかと廊下を歩き、廊下の角を曲がると―――。

 

 ドン、とした衝撃。俺は弾かれて、尻餅をついた。

 誰かにぶつかったのだ。

 

 「す、すみません。ちゃんと前、見てなくて…」


 尻を擦りながら慌てて立ち上がり、ぶつかった相手を見た。

 瞬間、やばい、と思った。


 フェリクス君だ。


 起きてまだそんなに時間がたってないんだろう。彼もラフな薄い水色のシャツと黒いズボン姿だった。フリルも着いている。この服装はこの世界の貴族の標準的な部屋着なのかもしれない。

 俺が思いっきりぶつかったため、フェリクス君も尻餅をついていた。痛そうに顔を顰めている。俺は真っ青になりながら彼に手を差し出した。


 「ごめんなさい、い、痛かったですよね。ほんと、すみません!」


 フェリクス君は、無言で差し出された手をじっと見つめると、ふっと目を逸らして自分で立ち上がった。


 や、やばい、どうしよう。


 フェリクス君にぶつかるなんて。エルゼさんのお兄さんなんだから、この家の跡取りってやつだろう。

 そんな彼に怪我でもさせたら、この家を追い出されるかもしれない。

 昔読んだことのある小説では、貴族というのは中々理不尽なものだった。もちろん、フィクションと混同してはいけないだろうが。

 なんせ、本物の貴族に出会ってから少ししか経っていないので、彼らがどういう存在なのかまだ掴めていないのだ。


 必死に顔色を伺うが、彼がどう思っているのかはよく分からない。怒っているだろうか、それとも――。


 「なぜそんなにビクビクしているの」


 彼は平坦な声で言った。


 「へっ!いや、あの……け、怪我は」


 「こんなことで怪我なんてしない」


 「は、はあ……その、怒ってないですか?」


 「なぜ?」


 「いや、だって、俺の前方不注意でぶつかったので」


 「別に怒ってない」


 フェリクス君は、心外だ、というような顔をした。本人が言うように、怪我とかはしてないようだ。

 それにしても、なんだか昨日より口調がラフだ。昨日あったときは、エルゼさんのお兄さんだけあって敬語で話しかけてきたけど、こっちが素の口調なんだろう。

 そりゃあ、妹の客という知らない人間に、いきなり素の口調で喋る奴なんかいないだろうが。


 「僕も考えごとをしていたから、別に君だけが悪いわけじゃないよ。……そっちは?」


 「へ」


 何を聞かれているか分からず、フェリクス君を見返すと、彼は若干呆れたような顔をして、「怪我」と言った。


 「あ、ああ!大丈夫です!尻餅ついただけだし!ほら!」


 心配してくれたみたいだ。俺は慌てて、身体を捻ったり飛び跳ねたり、全身を使って怪我をしてないことをアピールした。

 だが、調子に乗りすぎると良いことはない。腰を捻った瞬間、普段の運動不足が祟ったのか、思いっきり引きつってしまった。


 「い、いって……!」


 「何してるの」


 「い、いや、あの……は、はは」


 フェリクス君は、呆れた顔を通り越して可哀想な奴を見るような目になってきた。最早なんと返したらいいか分からなくなってきた。とりあえず笑って間を持たせる努力をする。若干引きつってしまったが。

 フェリクス君はジッとこちらを見ると、はあ、とため息をつき、口を開いた。


 「オスカーさん?」


 が、言葉を口にすることはできなかった。フェリクス君は俺の背後を見つめると、少し眉をひそめた。

 この声はエルゼさんだ。

 エルゼさんもフェリクス君に気づいたんだろう。「……お兄様」と小さな声でつぶやくと、つかつかと近づいてきて俺の隣に立った。

 

 「お兄様、私の客人がなにか?」


 エルゼさんは険しい顔で自分の兄を見ている。まだ出会ってそれほどたっていないが、彼女のこんな表情は初めて見た。

 あのシュルトという怪物に向けていた視線よりももっと鋭く、刺す様な視線だった。彼女はあきらかに自分の兄を警戒している。

 その後ろには、アンナさんとは違うメイドさんが一人。エルゼさんの荷物らしきものを持って、付き従ってきたようだ。彼女は少し青ざめた様子で、フェリクス君を見ている。まるで怯えているようだ。

 フェリクスもエルゼさんを見つめると、「別に何も」と答えた。こちらはまったくの無表情で、何の感情も読み取れない。この兄妹は、思ったより険悪な関係なのかもしれない。

 

 「エルゼさん。俺、よそ見しててお兄さんにぶつかってしまって…それで」


 「それで?」


 「いや、あの…謝ってたところで」


 「本当ですか?」


 「は、はい。もちろん」

 

 俺はこの険悪なムードに飲まれて、冷や汗を掻き始めた。俺に非があることを説明しても、エルゼさんはまったく警戒を解かずにフェリクス君を睨みつけているし、フェリクス君も底冷えするような目でエルゼさんを見つめている。

 まったくもって、どうしたらよいか分からずにオロオロしていると、ふ、とフェリクス君の視線がそれた。

 

 「この後用事があるんだ。部屋に下がらせてもらうよ『エルゼ様』」


 そう言うと、フェリクス君は俺たちの横を通って、エルゼさんの横に来た時に何かを呟いた。彼女はその瞬間、苦虫を嚙み潰したような表情で、自分の兄を睨んだ。それを横目で見ながら、彼は自分の部屋へと入っていった。

 エルゼさんは、バタンとしまったドアを少しの間睨み付けると、俺の方に振り向いて、さっきまでの険悪さを一切感じさせないような微笑を浮かべた。メイドさんは明らかにホッとした様子で、深い息を吐いている。

エルゼさんは俺に城に向かう準備をするように言うと、自分も用意があるからとメイドさんと共に去っていった。


 俺は早足で部屋に戻ると、ベットの上に腰掛けた。

 なんだかドッと疲れたような気がする。昨日のエルゼさんの反応から薄々気がついていたが、あの兄妹は相当仲が悪いらしい。

 それにしても。


 なんで自分の妹に様付けしたんだ?自分の方が兄貴なのに


 もしかしたら、かなり強い口調だったエルゼさんへの皮肉かも知れないが、なんだか少し引っかかった。








 部屋に戻った俺は、アンナさんに頼んで、なるべくシンプルな服を用意してもらった。あんまり華美なものだと、服に着られている感が半端ないからだ。


 そんな俺の頼みを聞き入れ、アンナさんが持ってきてくれたのは、派手すぎないが地味すぎることもない、ちょうどいい服だった。

 ズボンにシャツ、白いベスト。その上から着るこげ茶色のコートは、美しい銀の刺繍が入っている。ズボンの丈が短く、脛のほとんどが見えることや、生足を見せないように白いタイツをはいていること、首のところに、なにやら昔のヨーロッパの貴族が着けているような白い布を巻かれたこと以外は完璧だった。

 あんまりシンプルにしすぎると、かえって不敬に当たる為、これがギリギリのラインだったようだ。

 ちなみに、俺の服は洗濯してくれるらしい。至れり尽くせりである。


 アンナさんに手伝ってもらいつつ、何とか着替えを終えた俺は、準備が出来次第玄関ホールに来るようにというエルゼさんの伝言を聞き、急いで玄関へと向かった。


 玄関では、既に支度を終えたエルゼさんが、老齢の執事さんとなにやら話し込んでいたが、俺が来たことに気がつくと、会話を止めてこちらに向かって話しかけた。


 「オスカーさん、準備はよろしいですか?」


 「はい、遅くなってすみません」


 エルゼさんに近づくと、彼女はにっこり笑って、「遅くなんてないですよ」と言った。フェリクス君と遭遇した時のピリピリとした雰囲気はかけらもなく、いつもの彼女に戻っていた。まあ、まだ会ってから数日しか経っていないし、どちらが素なのか分からないが。


 できれば、こうやって笑っている方が素ならいいのに。


 「さ、オスカーさん。これを」


 彼女が俺に手渡したのは、昨日見つけた日記だ。

 結局昨日は読めなかったから、道中確認しよう。

 そう思いながら受け取ると、執事さんが近づいてきた。


 「エルゼ様、馬車の支度も整いました」


 「ありがとう。――では、参りましょうか、オスカーさん」


 「わかりました」


 執事の方に玄関の扉を開けてもらい、表に止めてあった馬車に乗り込む。


 昨日と同じ馬車で、昨日と同じように城へ向かう。ただ、訳も分からず多少なりとも混乱した状態で、まさしく「連れて行かれた」感のあった昨日とは違い、今日は余裕を持って移動することができた。

 

 ついつい外を見ていると、色々な発見があった。


 どうやらこの町は、ゆるやかな丘の上に造られたようだ。

 王城を中心とし、放射線状にいくつかの大通りが延びている。その周りには、エルゼさんの屋敷のような立派な家々が立ち並び、美しい町並みを形成している。どうやらこの国の貴族達が住んでいるらしい。


 また、聞くところによると、貴族街の外側には一般庶民の住む住宅街が広がっているが、それらの間には堅牢な城壁で区切られており、さらに庶民街の外側にも城壁があるという。王城から延びる道の中で、主要な4つの道にのみ外に出る門が設けられ、毎日決まった時間――朝の9時から夜の6時まで開門、それ以外の時間は閉まっているらしい。

 さらに、貴族街から庶民街に行くのは簡単だが、その逆はかなり難しく、身元がしっかりしていて、なおかつ許可状がないといけないらしい。なかなか、しっかりと身分を区切っている国のようだ。


 自分の住んでいる町なのに、好きな時間に好きな所へ行けないなんて、俺の世界とはまったく違う。この世界のことなんだから、否定するようなことでもないけど、なんとなく窮屈に感じてしまう。


 馬の蹄の音、石畳の上を通る馬車の軋む音。美しい庭園のある屋敷。どれも今までの人生で見たことも、聞いたこともない事柄だ。

 馬車は車ほど速くないから、外の風景もすぐに過ぎ去ったりはしない。とある屋敷の門の隙間から、誰かが庭を手入れしているのが見えた。また、どこかの家に仕えているんだろう、メイドさんが荷物を片手に歩いているのも。自分の世界との差異を見つければ見つけるほど、現実感が欠けていくように感じた。


 それでも、ここは現実なのだろう。俺は昨晩や朝の食事の味を覚えている。ナイフやフォークを持ったときの感触も、フェリクス君とぶつかったときには痛みだってあった。決して夢なんかじゃない。


 馬車が止まった。


 物思いに耽っていたら、いつの間にか城に着いたようだ。結局、日記も読めなかったし。

 ガチャリ、と馬車のドアが開けられる。

 エルゼさんの後について降りると、ふわり、と花のいい香りがした。思わず足が止まる。


 「――オスカーさん?どうかしましたか?」


 俺が止まったのに気づいたエルゼさんが、振り返って言った。


 「あ、いや、なんだかいい香りがして…。何かの花、ですかね?」


 俺は何の花か気になって、スンスンと匂いを嗅いだ。

 エルゼさんはそんな俺の様子を見てクスリ、と笑って言った。


 「これはフェリシアの花の香りですよ」


 「フェリシア?」


 「ええ、手のひらくらいの大きさの、とても優美な花なんです。種類によっては赤や黄、白、青、様々な色の花を咲かせますが、特に白で花の縁が薄い青のものは、グラン・フェリシアという名前で、この国の国花とされているんです」


 そう言うと、彼女は城の東側を指し示した。


 「あの辺りには庭園がいくつかあるんです。私も幼少の頃は、陛下の話し相手として登城していたので、陛下に連れられてよく行きました。庭の最奥には、大きなフェリシアの花壇があるんですよ。その東側の別の庭園には、植え込みで作られた迷路もあって、かくれんぼや鬼ごっこなどで遊んだものです。そう、昔は皆でよく…」


 そう言うと、懐かしむように、それでいてどこか寂しげに目を伏せた。

 俺は、何だか彼女のそんな顔が見たくなくて、ことさら明るい声で言った。


 「――じゃあ、エルゼさんの思い出の場所なんですね。俺も見てみたいな。あ、でもお城の庭だし、許可とか要りますよね?無理かなぁ」


 エルゼさんは大きな目をパチクリさせると、ニコリと笑った。


 「陛下の許可があれば入れますよ。お話の後に聞いてみましょう。――さあ、行きましょうか」




 


 昨日と同じように、エルゼさんの後についていく。


 やはりこの国の王の居城だけあって、内装も豪華だし、何より広い。何階建てか知らないが、陛下のいる部屋まで階段を上ったり下がったり…。昨日はまだ緊張していたからほとんど感じなかったが、入り口からものすごく遠く感じる。屋内でこんなに歩いたのは、去年家の近くにできたショッピングモールに行って以来かもしれない。あの時はオープンしてすぐだったから、もの凄い人ごみで散々だった記憶がある。


 そういえばあの時一緒に行ったのは――。


 「きゃっ」


 「わあ!ご、ごめんなさい。よく見てなくて!」


 考えごとをしていたからか、エルゼさんが立ち止まったことに気づかず、ぶつかってしまった。

 エルゼさんは少しよろけはしたものの、こけることはなかった。良かった。こんな美少女に怪我でもさせたら大変だ。誠心誠意謝ると、「大した事じゃないです。大袈裟ですよ」と少し笑いながら許してくれた。


 「さ、着きましたよ。陛下はこの部屋でお待ちです」


 そう言うと、コンコン、と扉をノックした。

 次いで、「入れ」という声。

 陛下だ。

 「失礼致します」と言うと、エルゼさんが扉を開ける。


 そういえば、昨日の陛下は変な仮面を着けていた。あれにはかなり驚いたが。――まさか、今日も着けてたりして。まあ二回目だとそんなに驚きはしないだろうが。


 ギィ、と音がして、扉が開いた。

 そこで俺は――。




 





 





 「よっ! 昨日ぶりだな。……うん? 何をしている。早く入ってこい」




 フリッフリのフリルが大量に付いた、どピンクのケバケバしいドレスを着た陛下の姿だった。ご丁寧に扇まで持っている。

 隣のエルゼさんが絶句しているのを横目で見つつ、俺は心底「早く家に帰りたい」と思ってしまった。

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