第8話いったいどちらが
鳥の声が聞こえる。ふと目を開けると、柔らかな光が辺りを包んでいた。俺は寝呆け眼を擦りながら天井を見上げた。
……隅のほうに蜘蛛の巣が張ってる。そういや最近掃除をサボってたしな。そろそろきちんと片付けなきゃ、例のあの虫も出るかもしれない。それだけはごめんだ。
今度新発売のデザートかなんかで冬彦釣って手伝ってもらうか。
そう考えて、気付いた。
勢いよく起き上がる。
今まで寝ていた寝具からは、昨日のフカフカ感はかけらも感じられない。辺りを見回しても、昨日までいた部屋の半分以下の広さ、若干汚れた――前に俺が飲み物をこぼした――襖、大学に合格した時、お祝いに買ってもらった机など、間違いなく慣れ親しんだ俺の部屋だった。
枕元の目覚まし時計を見ると、7時5分前。最近の俺にしてはなかなかの早起きだった。
それにしても――。
頭をガシガシと掻きむしる。
前は俺の願望が映し出した夢かとも思ったが、こうも続くと本当なのだろう。
俺は、眠るたびに世界を越えている。
意味が分からん。あの水溜まりを通るとかなら納得できるが、俺がしたことと言えば寝た。それだけ。
ちゃんと帰ってこれることは嬉しいが、何の解決にもなっていない。結局、ここで眠れば
いったい俺に何が起こっているのか、それを突き止めなければ。
考えながら、箪笥を開ける。
やはり、冬彦に探りを入れたほうがいいだろう。本人は否定してたが、あいつが何か知っているのは間違いないだろう。あの水溜りに落とされてから、こうやって世界を行き来するようになったのだから。
早速パジャマを着替えて、充電していたスマートフォンをコードから引き抜く。そのまま操作して、冬彦に電話をかけた。もしかしたら、まだ寝てるかも知れないが……。
耳元でコール音が鳴り響く。それを聞きながら、俺はドタドタと階段を駆け降りた。そのままダイニングに入ると、電話をかけながら朝食の準備をする。パンをトースターに入れて、冷蔵庫には昨日母さんが作った夕食の残りがある。これをレンジで温めて………。
そのとき、ブツリ、と音がして電話が切れた。
あいつ、切りやがったな!
くそ、もう一回!
耳元でなった呼び出し音は、たったワンフレーズで途切れてしまった。
ワンコールで切ったのだ。
俺はなんだか意固地になってきて、また時間を置いて掛けなおせばいいものを、さらに電話をかけるという暴挙に出てしまった。
すると、とうとう諦めたのか、冬彦が電話に出てきた。
『やかましい!今何時だと思ってるんだ!7時だ、朝の7時!電話をかけてくるような時間じゃないだろう!お友達の家に遊びに行くのは10時以降にしろと小学校で習わなかったのか!?』
「いや、家に行ったんじゃなくて電話」
『電話も同じだ馬鹿!僕の睡眠時間を返せ!いつになく素晴らしい夢を見てたっていうのに、お前は……!』
「そんな、大袈裟な……」
『大袈裟じゃあない!』
「うわっ」
『ああ、僕の愛しいパフェ達……。あの艶やかな生クリーム。瑞々しさで溢れ、光り輝くフルーツ達。全体の味をすっと引き締めるソース……』
どんどんテンションが高くなってきている。このままでは長くなりそうだ。
「あ、あのさ……」
『そう!硬すぎず、軟らかすぎず、ちょうどいい口当たり…。食べても食べても飽きのない色とりどりの――』
駄目だ、聞いてない。こうなったら満足するまで話し続けてもらうしかないな。俺はスマートフォンをダイニングテーブルの上に置くと、朝食の準備の続きを始めた。
『――それでだな、僕はケーキの食べ放題もプラスして……。うん?おい、聴いてるのか?』
「ああ、聞いてる聞いてる。悪かったよ、良い夢みてたのに起こして。お詫びに何か奢るよ、今日時間あるか?」
『今日?――特に用事はないが……君、発表のほうは大丈夫なのか?』
発表。すっかり忘れていた。しかし、今はそれどころじゃ……。
『僕なら君みたいに単位を落としてないから、今期の授業は少ない。君、とりあえず発表の準備をしたほうが良いんじゃないか?来年は就活もあるし、取れる単位は取っておいた方が身のためだぞ』
「いや、そうだろうけどさ。とにかく、緊急なんだって! 俺のこれからの生活に関わるんだよ。頼むからさあ!」
電話口でも、俺の必死さが伝わったのか、はたまた勢いに引いたのか、冬彦が押し黙った。
俺はもう一押ししようと口を開いたが……。
『駄目だ』
強い語調で言い切られた。
硬く、冷たい声。さっきまでとは全く違う。
俺は、背中に冷たいものを感じながら、それでも言い募った。
「た、頼むよ……。俺、何かとんでもないことに巻き込まれてる気がするんだ。一生のおねが」
ブツリ、通話が切断される。
スマホから流れる話中音が、俺の心に虚しく響いた。
俺は力なくスマホを持った手を下げると、床に座り込んだ。
あいつは何を知ってるんだろう。
どうして、俺に教えてくれないんだ。
そんな思いが、腹の底でグルグルと回る。
自分が置かれている状況が分からないことほど、気持ちの悪いことはない。
落ち込みそうな自分を、いや、と奮い立たせる。
あいつが会わないって言うなら、探し出して問い詰めるまでだ。
俺は勢いよく立ち上がると、階段を駆け上がり自室へ向かう。
襖を開けた時、力を掛け過ぎて物凄い音がしたが、無視した。
今はそんなことに構っている場合じゃない。
俺は机の上にある鞄を取ろうと、駆け寄った瞬間――。
「へっ?」
ベコ、という音と、何かを踏んだような感触。
そのまま天井が目に入って――。
コンコン、ドアをノックする音がする。
「おはようございますオスカー様。朝食の準備が整いました」
アンナさんの声がする。どうやらまた世界を越えたらしい。
と、いう事は……。
「俺、転んで気絶したのかよ……。はあ、かっこ悪りい……」
思わず額に手をやって、落ち込んでしまった。多分空のペットボトルだろう。片付けてなかったつけがこんなところで……。
「オスカー様?」
「あ、はい、今行きます」
まあ、起こってしまったことは仕方がない。次に帰れたときに部屋を片付けるとして、とりあえず今は着替えよう。あの箪笥に着替えがあるって言ってたし。
箪笥の扉を開ける。どんな服があるんだろう。
中には、着心地のよさそうな白いシャツと黒いズボンが入っていた。思ってたよりシンプルで、俺は正直、ホッとした。町並みは中世のヨーロッパだし、城ですれ違った人たちも派手な服装だったからだ。
取り出すと、さわり心地もいい。きっと高いんだろう、と思っていると。
首元にある、ヒラヒラしたもの。
フリルだ。まさかのフリル。
シンプルだがそこそこ存在をアピールしているヒラヒラが、首元と袖口についていた。
これは、俺みたいな奴が着てもまったく似合わない。もっと選ばれし顔面の奴が来たほうがいい。
そう思っても、お世話になってる身で服を取り替えてほしいなんていえない。しかも破れているとか、汚れているとか、そういう不備ではなく、自分の好みの問題ならなおさら。
外ではアンナさんが待ってる。エルゼさんはもう食堂に来ているかも知れない。これ以上、考えている時間はなかった。
こうなりゃ、やけくそである。
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