第7話遭遇

 静かな部屋に、紙を捲る音が響く。

 時折手を止めると、彼女は美しい声で音読してくれた。

 その声が止むと、翠の瞳がこちらを見る。

 その視線に答えて、俺は首を横に振るのだ。


 「……これも外れ、ですか」


 「いやあ。異世界と言えど、空を高速回転するマンボウは流石に……。それ、いったい何の本なんですか?逆に気になりますよ」


 俺たちは書庫の一角、ソファがあるスペースに本を運んで、音読大会を繰り広げていた。

 このやり取りを何度しただろう。外れの本はもう10冊を超えていた。

 先ほどまで茜色に染まっていた空は、満天の星を携えた月が我が物顔で陣取っている。

 俺は背伸びをすると、「新しい本を取ってきます」と言って立ち上がった。


 書棚に戻り、あれこれ物色する。

 書いている文字が分からないため完全に勘になるが、どこに手掛かりがあるか分からないのだ。

 それっぽいものは――たとえば、神話や地誌など――は一番最初に当たってみたが、かすりもしなかった。

 一冊読むごとに落ち込む俺を、エルゼさんは優しく宥めてくれたが……。絶対うざかっただろうな、俺。

 人差し指を背表紙に走らせ、目ぼしいものを引き抜いていく。

 5冊ほど腕に抱えたところで、ソファの方から「オスカーさん」と呼ばれた。


 「はい、何ですかー?」


 「その本で今日は終わりにしましょう。もうすぐ夕食の時間ですし、オスカーさんもお疲れでしょう」


 「……はーい」


 俺としては早く手掛かりを見つけたいが、我儘に付き合わせては申し訳ない。

 返事をしながら書棚に背を向けた、その時。

 何かが落ちる音がした。


 不審に思って振り向く。

 書棚の前には、一冊の本が落ちていた。

 物色しているときに引っかかったのが、時間差で落ちてきたのだろうか。

 元に戻そうと、その本を拾う。


 「オスカーさん?どうしたんですか?」


 エルゼさんが寄ってくる。

 返事をしたのに帰ってこないから、様子を見に来たらしい。


 「いや、本を落としちゃって……」

 

 言いながら、彼女に本を渡す。

 エルゼさんはパラパラとページを捲ると、「日記ですね」と言った。


 「日記? もしかして、エルゼさんの祖先の?」


 「ええ、その様です。……この屋敷を立てた時のこだわりとか、家族の話が書かれているようです」


 なるほど、私的な日記というわけだ。

 エルゼさんの先祖も、この日記を書いたときは子孫が真顔で読んでいるなんて思いもしなかっただろう。

 俺が万が一同じことをされたら、赤面ものだ。


 「あら? これは……」


 エルゼさんが読み上げる内容に集中していると、彼女が読むのを止めた。

 どうしたのか、と彼女を見ると、何か困ったように瞬きをしていた。


 「この文字、アルトロディア文字とは違いますね。何と読むのでしょう……」


 「どれですか?……えっ!」


 思わず大声で叫ぶ。

 エルゼさんが持つ日記には、でかでかと「ももたろう」と書いてあった。















 あの後、思いもよらぬ形で日本語を見つけた俺は、喜びのあまりガッツポーズを取ったところ、間抜けにも腹の虫が鳴いてしまった。

 恥ずかしくて固まる俺に、エルゼさんは笑って、「夕食にしましょうか」と言った。

 俺は本を早く確認したかったが、日本語が書かれているページがそこそこあったため、先に夕食を、ということになり、日記は書棚に戻した。

 エルゼさんも服を着替えるとのことで――そういえば、ずっと軍服のままだった――、俺も準備をするために泊まらせてもらう部屋に案内してもらった。

 

 

 エルゼさんに案内された部屋は、2階の端っこにあった。

 客間として使われているようでベッドにソファ、テーブル。衣装ダンスには替えの服が有った。

 この屋敷に滞在している間、自由に使って良いらしい。

 粗方部屋を物色し終えて、俺はソファに腰を下ろした。

 そうして、一息つく。


 今日だけで、色々あった。

 信じられない出来事ばかりで、滅茶苦茶疲れたけど。

 

 少しの間くつろいでいると、コンコン、とノックされた。


 その音にハッとして辺りを見渡すと、窓の外はもう日が落ちきっているようだ。日本の夜みたいに、あちこちで色とりどりのネオンがキラキラと輝いたり、車やバイクなどの走る音が聞こえてくる事は無く、とても静かな夜だった。

 するとまたノックの音が聞こえ、俺は慌てて返事をした。


 「失礼いたします、オスカー様。お食事の用意が整いましたので、こちらへどうぞ。エルゼお嬢様もお待ちです」

 

 さっき俺をこの部屋へ案内してくれたメイドさんだ。食事、と聞くとなんだか腹が減ってきた。さっきまでそんな気分じゃなかったのに、現金なもんだな。


 「はい、今行きます」


 「こちらでございます」


 メイドさんは俺を食堂まで案内してくれるようだ。営業スマイルってやつなんだろうけど、ふわりとした笑顔がなんだか眩しい。まだまだ気持ちは落ち着かないが、それでも少しホッとした気分になって、俺は彼女の後をついて行った。


 

 やっぱりエルゼさんの屋敷は広い。


 外から見たところ、たぶん3階建てで、正面の庭園を囲むように「コの字」になっているようだった。俺は2階の屋敷に向かって左側の「コ」の部分の部屋に通されたらしい。部屋を出ると少し先に曲がり角が見えた。メイドさんによると、食堂は1階の右側の「コ」の所にあるらしい。階段は左右の先と中央部分の三箇所にあるので、2階を横断して右の先にある階段を使うようだ。


 それにしてもすごい屋敷だ。いったい何LDKなんだろう。廊下には、上品な壷や絵画があちこちに飾られて、エルゼさんの実家がとても裕福なことがよく分かる。

 そもそも王都にこれだけの敷地を持っているのだから、きっと貴族ってやつなんだろう。城も顔パスで入ってたし、結構すごい家なのかも知れない。

 そんなことを考えながら角を曲がると、少し先に2人の男の姿が見えた。

 

 見覚えがある。


王城で見かけた2人組だ。この2人を見たとき、エルゼさんは少し挙動不審だったが、やっぱり関係者だったのか。

 メイドさんは慌てて立ち止まり、綺麗にお辞儀をした。


 「お帰りなさいませ、フェリクス様。お食事のご用意ができております」


 「……いや、今日はいらないよ」


 フェリクス、と呼ばれた少年は興味なさそうに言った。

 王城ではちらっとしか見えなかったが、目が覚めるような美少年だ。肩より少し長い銀髪を、青いリボンでくくっている。瞳は青空をそのまま写し取ったような青だ。

 黒いズボンと薄い水色のベスト、真っ白なシャツを着て、ザ・貴族という雰囲気。あれこれを青系統のもので固めているので、もしかしたら青が好きなのかもしれない。

見かけは俺と同じくらいか、少し年下だろう。


 「フェリクス様、そう言っておられたらいつまでも細っこいままですよ。男子たるもの、食べて食べてでかくならねば」


 フェリクス君の少し後ろにいた金髪の大男が笑いながら言った。フェリクス君は少しムッとしたが、「……じゃあ、後でいただくよ」と言うと、ちらりとこちらを見た。

 

 「……こちらは?」


 「エルゼお嬢様のお客様です。しばらく、お屋敷に逗留されます」


 「ええと、初めまして…オ、オスカーです」


 なんだか、純日本人顔なのに横文字の名前で名乗るのは少し照れる。


 「そう、エルゼの……フェリクス・フォン・シュトラールと申します。妹がお世話になっております。こちらはゲオルク。僕の従者です」


 フェリクス君がそう言うと、大男――ゲオルクさん――は見かけによらず、優雅に一礼した。


 「ゲオルク・デューリングでございます。お見知りおきを」


 「よ、よろしくお願いします」


 こちらは黒の騎士服を着ていて、おそらくフェリクス君の護衛も兼ねているんだろう。腰には、サーベルっぽい剣を佩いている。まさしく黄金って感じの短髪で、くせっ毛なのか、少しウェーブがかっていて、こちらも青い目をしている。フェリクス君が女子に黄色い声援を贈られるタイプだとしたら、彼は野郎どもに人気があるタイプだろう。

 城で見かけた時も思ったが、かなりの大男だ。フェリクス君が俺よりちょっと小さいくらいなのに対し、彼は俺より頭一つ分くらい大きい。190㎝は越えているだろう。身長差から、どうしても見下ろされることになるためか、迫力が凄い。


 挨拶が終わると、フェリクス君はメイドさんを見て「エルゼは彼とゆっくり話したいだろうから、僕はもう少し後に行くよ」と言って、俺の横を通りすぎていった。どうやらすぐそこの部屋が彼の自室のようだ。


 「それではオスカー様。失礼致します」


 ゲオルクさんも後に続き、部屋の中へ入っていった。

 メイドさんはふう、と思わずと言った感じにため息をつくと、俺の存在を思い出したようで、慌てて食堂への案内を再開した。

 どうやらフェリクス君の前ではよほど緊張するようで、少し汗もかいている。


 自分が仕えている家のお坊ちゃんとはいえ、何でそんなにビクビクするのだろう?

 そんなに悪そうな感じでもなかったのに。


 エルゼさんもあの2人を見たとき様子がおかしかったし、何かあるんだろうか。数年前まで壮絶な反抗期で、散々荒れてたとか。そんなタイプには見えないが、人は見かけによらないとも言うし。


 そんなことを考えていると、どうやら食堂に到着したようだ。メイドさんが扉を開けてくれた。 

 中に入ると、結構な広さだ。四方の壁には、絵画や美術品が飾られていて、部屋の中央には長いテーブルがあった。いったい何人座れるんだろう。


 エルゼさんはもう座っていて、彼女がいる席とその前の席に食事の支度がされていた。これまた高そうな食器だ。それにテーブルマナー!自慢じゃないが、俺は生まれてこのかた本格的な洋食を食べたことがないから、マナーも曖昧だ。


 「オスカーさん。どうぞ、こちらへお掛けになってください。お腹、空かれましたでしょう?」

 

 「あ、はい。もうペコペコで」


 「ふふ、そうでしょう。うちの料理人はとても腕がいいんです。昔から美味しいものばかり作ってくれて」


 「へえ……」


 確かに、とても美味しそうだ。まだ前菜とスープしか置かれていないが、とてもいい香りが漂っている。腹の減り具合と相まって、口の中に唾液が溜まるのを抑えられない。さっそくいただこう。



 前菜、スープ、魚料理に肉料理。和食党の俺にとってはあまり馴染みのない料理だが、とても美味しかった。特に肉料理は、この辺りのブランド牛を使っているらしく、あまり濃い味付けにしなくても、肉の味だけで楽しめるものだった。

 それにしても良かった。世界が違うから、食文化も俺の世界とかけ離れたものだったらどうしようと思っていたのだ。


 「オスカーさん、明日のことなんですが」


 食事が終わり、紅茶を飲んでいると、エルゼさんが話しかけてきた。

 

 「明日は朝から王城に行き、これからのことを陛下と相談することになっています。――過去、オスカーさんのように世界を越えてきた人間がいるのは、間違いないでしょう」

 

 あの「ももたろう」がその証明だ。

 俺はコクリ、と頷き同意した。


 「それでも、かなり特殊なケースですので、公表などはせず、あくまでも内密に事を進めたいとのお考えです。ですのでオスカーさんも、もし素性を尋ねられたら、私の友人だと言ってください。私が任務中に知り合ったと」


 「あ、分かりました」


 そう言ってから、先ほど会った2人も事を思い出した。


 「あの、さっきエルゼさんのお兄さんに会ったんですけど…」


 「……お兄様に、ですか」


 エルゼさんは少し言葉に詰まったようだ。やはり、お兄さんと何かあるんだろうか。

 

 「ここに来る時に会って…。軽く挨拶したんですけど、ここでお世話になるなら、きちんと挨拶がしたくて。あ、エルゼさんのご両親にも」


 「父は今領地の視察に行っていて当分帰ってこないんです。母は……随分前に亡くなったので」


 「それは……。すみません」


 「いいえ、本当に大分昔のことなので。気にしないでください。それに兄には……あまり、人付き合いのする方ではないので、それだけで十分だと思います」


 「え、でも」


 「大丈夫です。オスカーさん」


 強く言い切られてしまった。どうやらお兄さんとはあんまり上手くいってないみたいだ。まあ、このくらいの年だと、兄なんかは鬱陶しく思うんだろう。

 

 「ではオスカーさん、着替えは部屋に用意させています。どうぞ、自分の家だと思ってお寛ぎください。また明日、朝食の支度ができたらアンナがお知らせに行きますので」


 俺をここまで案内してくれたメイドさんはアンナと言うらしい。

 エルゼさんはすっと立ち上がると、「それでは、おやすみなさい」と言って食堂を出て行ったしまった。どうやら地雷を踏んでしまったみたいだ。


 ここにいても仕方がないので、俺も部屋に戻った。


 ふう、とため息をつく。馬車の中でも眠ったのに、なんだか眠くなってきて、俺はベットに倒れこんだ。フカフカだ。


 眠ったら、俺はどこにいるんだろう。この世界?それとも――。


 目を閉じて、深呼吸する。

 ベッドに体が沈んでいくのを感じながら、意識も遠のいてゆく。


 俺のいるべき世界に、帰るのだろうか。

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