手掛かりを求めて

第6話夢と現を彷徨って

 

 目を閉じて、うつらうつらとまどろんでいられる時が一番幸せだった。

 何も見なくていい。

 何も聞かなくていい。

 ただ、ずっと帰りたかった。あの、みんなが幸せだった頃に。

 こうしていると、心だけでも辿り着ける気がした。

 たとえ―――。











 「おい、何やってるんだ?熱くないのか?」


 「へっ?あ、あ、あっつううう!」


 目を開けると、どことなく馬鹿にしたような顔の冬彦が、俺の顔を覗きこんでいた。

 それと同時に背中やら首筋、頭なんかが焼けるように熱く、慌てて起き上がった。

 まだ座り込んだ状態の為、尻が熱かったが、さっきよりよっぽどましだった。


 そうだ、ここは……?


 「おーい、聞いてるのかー? おーい、……だめだ。心ここにあらずって感じだな」


 冬彦はニヤニヤとどこか腹の立つ笑顔のまま、俺の顔の前で2,3回ヒラヒラと手を振ると、諦めたように手を戻し、姿勢も正した。顔も無表情に戻っている。


 いや、諦めたというか、これは……。


 「お前、ちょっと飽きただろ」


 「おっと、ばれたか」


 冬彦がまたニヤリと笑った。


 「わからいでか! お前な、自分の友達が地面の上に転がってんだぞ!もっと、こう…なんかさあ!」


 「訂正していいか?地面じゃなくて、アスファルト――」


 「同じようなもんだろ!」


 「そもそも、何してるんだ?いきなり倒れこんだりして。僕は知らなかったが、もしかして趣味か?」


 「そんなわけあるか! どんな趣味だよ。唐突に道端で転がるような趣味持ってる奴がいる訳ないだろ!」


 俺が怒鳴ると、あいつは首を横に振った。


 「いやいや、世界は広い。いないとは限らない」


 「いたらぜひとも顔を拝んでみたいもんだ!……って、おい!」


 「どうしたんだ?」


 俺は慌てて立ち上がると、冬彦の肩を両手でつかんで揺さぶった。


 「何でお前ここにいるんだよ! つーかお前、人のこと後ろから突き飛ばしただろ! そのおかげでな、変なとこに飛ばされ、て…」


 そう、俺はさっきまで、異世界にいたはずだ。

 ハッとして、周りをキョロキョロと見渡した。


 アスファルトで舗装された道路。それを縁取るように等間隔で立つ電柱。どこか空を遮るように縦横無尽に走る電線。周りには民家が立ち並び、遠くには商業ビルが見える。

 間違いなく、市立図書館から自宅への帰り道だった。

 俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 まったく頭が追いつかない。


 やっぱり、夢なのか?

 異世界なんて無くて、ただ気絶して荒唐無稽な夢を見ていたってことか?

 ――それとも、さっきまでが現実で、「帰りたい」っていう俺の心が、都合のいい夢を見せている?


 俺は迷わず自分の顔を平手打ちした。自分でも混乱していたのか、思った以上に力が入ってしまい、バチンと派手な音が辺りにこだました。


 「いってー!」


 「何やってるんだ。暑さでとうとう頭がイカれたか?」


 冬彦の視線が痛い。

 心底呆れたような目だった。


 「うっせーな、ちげーよ!ちょっと夢かなーって思っただけだよ!」


 「ああそう。……とりあえず、間近で怒鳴らないでくれるか?唾が飛ぶ」


 「はあ?!」


 「それと、一つ訂正」


 「何だよ!」

 

 「僕は君を突き飛ばしたりなんかしてないぞ」

 

 あいつは真顔で言った。


 「何言ってんだ!現に、それで俺は変な世界に飛ばされて――」


 「君こそ何言ってるんだ」


 冬彦は腕を組んで、訝しげな目でこちらを見ている。


 「君は歩いている途中、突然転んだんだ。一瞬気絶したように見えたが、すぐに目を覚ましたぞ。まさか、あの一瞬で夢を見たのか?それとも、夢を見ながら歩いてたのか?」


 「そんな……馬鹿いうなよ」


 俺はそう言いながら、背筋に冷たいものを感じた。冬彦は珍しく、少し心配そうにこちらを見ている。

 そうだ、こいつは徒に嘘を吐くような奴ではない。こんな風に、俺を騙そうとするなんて――。


 さっき叩いた頬がじんじんと痛む。

 間違いなく、現実だった。

 だったら、本当に夢を見てたのか。


 いいや。確かに、現実だった。

 俺は頭をブンブンと振り、額を手で抑えた。

 何がどうなっているのか、さっぱり分からない。


 冬彦が何かを言っているが、その声はひどく遠くに感じた。






 なんとか家に帰り、俺は自分のベッドに横になった。

 ぐるぐると、あの世界での事やさっきの冬彦との会話が頭の中を回っている。

 さっきから何が起こってるのか自分なりに考えているのだが、まったく答えが見つからなかった。


 「なんなんだよ、いったい……」


 呟いてみても、さっぱり理解できない。

 思考に行き詰まり、頭をガシガシとかく。

 何だかだんだんイライラしてきた。


 「だーっ!もう!埒があかねえ!分からんもんは分からん!」


 俺は半ばやけになったように叫ぶと、目を閉じて深呼吸した。

 こういう時は、一度頭をリセットするに限る。頭がすっきりしている時こそ、いい考えが浮かぶものだ。


 だからちょっとだけこうして、また考えよう。


 だが、少しだけ目を閉じるつもりだったのに、今日はさんざん頭を使ったからか、逃れられないほどの睡魔に襲われ、結局眠ってしまったのだった。






















 「オスカーさん、そろそろ起きてください」























 「へっ?」


 「ああ、おはようございます。かなり疲れていらっしゃったんですね。ごめんなさい、気づかなくて……。屋敷に着きましたよ。書庫は明日にして、今日は休まれますか?」


 俺は目を開けると、向かい側の座席にエルゼさんがいた。エルゼさんはふんわりと微笑んで、俺に話しかけている。

 対する俺は、さっきまで確かにベッドに横になっていたはずなのに、何かにもたれ掛かりながら座っていた。

 視線を動かすと、焦げ茶色を主体としたシンプルながらどこか上品な内装が見える。すぐ外からは、馬の嘶きも。車――いや、馬車の中にいるようだった。

 がちゃり、と音を立ててドアが開かれた。エルゼさんは先に降りると、降りるように俺に呼び掛ける。

 だか俺は、その場から動けずにいた。そして、唇がわなわなと震えるのを感じながら、エルゼさんに問いかけた。


 「エルゼさん」


 「はい?」


 「俺、まだ寝てるんでしょうか。夢でもみてるんですかね……」


 エルゼさんは訝しげに眉を寄せると、こう答えた。


 「あなたは起きてますし、ここは現実ですよ。――やはり、休みましょう。きっとお疲れなんですよ」


 「いいえ!」

 

 俺は、全力で拒否した。


 「俺、早く帰りたいんです。だからお願いします。書庫に連れて行ったください!」


 俺の声に熱意を感じたのか、彼女は頷き、「分かりました。オスカーさんがそう言うなら」と言って、俺を屋敷の中へと連れて行った。


 エルゼさんの屋敷は、白と茶色を基調とした、落ち着いた感じのインテリアが主の、とても上品な内装だった。重厚な扉を抜けた先の玄関ホールには大きな階段があり、途中の踊り場から左右に分かれてそれぞれ別の廊下につながっているようだ。


 エルゼさんについて3階右側の廊下を進む。

 さすが貴族の館。高そうな壺や剣、甲冑などが、さりげなく飾ってある。

 やたらと武具が多いのは、彼女の言う「シュルトを討ち果たしてきた」家柄だからだろうか。


 「さ、こちらです」


 エルゼさんは突き当たりの部屋の扉を開くと、俺に中へ入るように促した。本を保護するためだろうか。室内は、明かりを点けても少し薄暗く感じる。

 足を踏み入れた瞬間、古い紙の臭いが俺を出迎えた。


 それにしても壮観だ。

 百や二百じゃない。もっとある。

 

 そこは、「書庫」と名乗るだけあって、いいや、もはやその名乗り以上に見渡す限り本の宝庫だった。 

 丈夫そうな書棚が、壁側はもとより部屋の中心にも置かれている。

 その中には、古そうな本から最近出版されたであろうものまで、所狭しと並んでいる。

 本を読むスペースだろう、ソファとローテーブルもあるが、周りの書棚に圧倒され、肩身が狭そうだ。

 

 「ここには、シュトラール家がこの国の貴族となった頃からの……。そうですね、おおよそ300年分の本が収められています。我らの家の記録から、子供用の絵本まで。代々の当主のコレクションって言ってもいいですね」


 「凄いですね……。個人の家で、こんなに本があるなんて。床とか、大丈夫ですか? 抜けたりしません?」


 俺は手近の書棚を覗く。

 ブックスタンドが挟んである箇所もあり、分類もきちんとされているようだ。


 「エルゼさんはクスクス笑って、「抜けたりしませんよ」と言った。


 「この屋敷を造るときから、この部屋を書庫にすると決めていたようです。設計図も残ってますが、この部屋の強度には特に気を使っていたようです。時代を経るごとに本も増えていきましたが、床の陥没も起こってませんよ」


 そう言って、エルゼさんは書庫の奥に進んで行く。

 その後を追うと、古そうな本ばかりが置いてある書棚にたどり着いた。


 「書庫では、その本の新旧を問わず、内容によって整理されています。200年前の地理誌と、最近出版された旅行本が隣り合っていたりするんです。――でも、例外が一つ」


 「例外?」

 

 首を傾げて尋ねる。

 彼女は書棚の本の背表紙をさすりながら続けた。


 「ええ。それは、初代シュトラール家当主が集めた書物です。我らの家門の根源ルーツとも言える特別な存在ですから。我らが何処から来て、何故ここにいるのか。その最初の記録を、すぐに閲覧できるように、ということらしいのですが……」


 エルゼさんは、困ったように俺を見た。

 

 「見ての通り、数が多いんです。今は失われた言語で書いているものもありますし、何故集めたのか分からない本もある。……例えば、当時流行していたと思われる絵本などですね。実際の所、分類できないものが多すぎて、一纏めにしてるんじゃないかと思います」


 彼女はため息を吐くと、書棚を見上げた。

 俺も、彼女の目線を追いかける。


 これは、一日二日で読み切れる量じゃない。

 しかも、あるかどうか分からない、異世界俺の世界についての記述を探すのだ。

 かなり大変な作業になるぞ。


 少し弱気になって、慌てて自分を叱咤する。


 何弱気になってんだ。

 本と格闘するのは慣れてるはずだ。

 第一、元の世界に帰るためなのだ。四の五の言ってる場合じゃない。


 俺は気合を入れると、エルゼさんにお願いした。


 「エルゼさん、どう見ても不審者な俺を助けてくれたこと、本当に感謝しています。お世話になりっぱなしで申し訳ないんですけど、力を貸して貰えますか?」


 「あら、オスカーさん」


 そう言うと、彼女は俺の手を取り、優しく握った。


 「もちろん、そのつもりですよ。――頑張りましょうね」


 「はい!」


 絶対に、家に帰るんだ。




 しかし、問題はすぐに起こった。

 いや、「判明した」だろうか。


 「うん? あ、ああー。そうか……」


 「オスカーさん?どうしたんですか」


 さあ読むぞ、と意気込み、最初の本を手に取った瞬間、俺の手は止まった。

 ヒクリ、と口の端が引き攣る。


 「いや、これ。何語、ですか?」


 「アルトロディア語ですけど……。あ、オスカーさん!」


 「はい……」

 

 言葉が通じていたから、大丈夫だと思ったのに。


 「全く読めません……。はあ」


 ガクリ、と肩が落ちる。

 せっかく手掛かりが掴めそうだったのに、まさかの展開だ。

 まあ、言葉が通じるだけ良いんだろうけど。


 そこまで考えて、気付く。

 何で言葉が通じるんだ?俺は日本語で話してるはずなのに。

 

 俺は「エルゼさん」と呼びかた。


 「俺、何語喋ってます?」


 彼女は不思議そうに言った。


 「もちろん、アルトロディア語ですよ。この世界の共通語です。オスカーさんの世界では、違う言葉なんですか?」


 「はい、日本語っていうんですけど……。何で?」


 日本語が、この世界ではアルトロディア語と呼ばれているんだろうか。

 それとも、日本語とは全く違う言語を、俺が話している?この世界に来た時に 自動翻訳機能でも搭載されたのか?俺は。

 都合のいい考えだが、摩訶不思議なことが起こったんだ。あり得ないわけじゃないだろう。

 それなら、文字も読めるようにしてくれたって良いじゃないか。ケチ。


 腕を組んで、床にへたり込む。

 せっかく頑張ろうと意気込んだのに、出鼻を挫かれた気分だ。

 はあ、とため息を吐いたところで、エルゼさんが慰めるように言った。


 「じゃあ、関係がありそうな文章を私が読み上げますね。オスカーさんの世界に関係ありそうだったら言って下さい」


 俺はか細い声で「ありがとうございます……」と答えた。

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