第4話王様が現れた!(装備:謎の仮面)

「はははは!どうだ?」


 仮面の男は両手を広げ、俺たちを迎え入れた。露わな口は弧を描き、不敵な笑みを浮かべている。


「かっこいいだろう?」


 低音の、滅茶苦茶良い声だった。

 

「陛下! お戯れはやめてください! ほら、彼も驚いているではありませんか!」


 エルゼさんがつかつかと早歩きで王様に近寄り、叱った。

 恥ずかしさか、怒りか。顔が真っ赤だ。

 王様はそんなエルゼさんをものともせず、右手を挙げて笑っている。

 その間に俺は部屋の中を見渡した。


 赤を基調とした室内は、国王の執務室でありながら派手過ぎず、暖かな印象を与えてくれた。

 石造りの壁には、深紅の旗が掲げられている。そこにも、ドアノブと同じ生き物の紋章。やはり、王家の紋だったのだろう。

 丈夫な造りの執務用机の後ろには、絵画。光に満ち溢れたそれは、宗教画のようだ。

 来客用の応接スペースもあり、全体の広さはちょっとした人気の講義で使う教室並。

 

 視界を遮るものは何もないのに、ドッキリのプラカードを持った人物はいない。

 カメラが隠されている様子も見て取れなかった。


 考えたくはないが、これは現実なのか?

 俺は本当に、違う世界に来てしまったのか?


 背筋が寒くなる俺をよそに、二人は口論を――まあ、一方的にエルゼさんが怒っているだけだが――を続けている。

 そろそろ話を進めたかったので、咳ばらいをしてみる。

 ようやく気付いたエルゼさんが、恥ずかし気にこちらを向くと、「失礼しました」と早口で言った。


「――この方がグランツィア王国の国王陛下です」

「リヒャルト・ヴァルター・フォン・グリッツェンだ。出頭命令と聞いているだろうが、実際のところは非公式の場なんだ。あまり緊張せず、楽にしてくれ」


 王様――リヒャルト陛下はそう言うと、仮面を外し、美しい金色の瞳を細めて笑った。艶やかな黒髪を肩まで伸ばし、右側の髪を一房とって、丸い金ぴかの髪飾りを着けた美丈夫だった。

 王様らしく、赤地に金の刺繍がしてある豪華そうな服を着ている。

 もし町を歩けば、すぐさまスカウトの嵐にあうような外見だ。


 王様という立場の人に会うのはもちろん初めてのことだが、イメージしていたような厳格で威圧感のある人物とは程遠い。

 笑顔は親しみに溢れ、学校とかによくいる、どのグループとも仲のいいお調子者。そんな感じだ。


 俺はなんだか気が抜けて、自分の名前を名乗ろうとしたところ、はた、と気づいた。

 俺は自分の名前を言えない――発音できないのだ。

 そのことをリヒャルト陛下に伝えると、彼は少し難しい顔をした。


「名前が発音できない?どういうことだ?」

「えっと、こうなるんです。――俺の名前は◆◆◆◆」


 陛下が眉を顰めた。

 「もう一度言ってみろ」と促され、さらにもう一回名乗る。 


「◆◆◆◆」


 それでも、全く伝わらない。

 たしかに声は出ているのに、金属音のようなノイズに遮られる。

 陛下は「なるほどな」と小さく言うと、再度俺に確認した。


「――確かに、君の名前を言っているんだな?」

「ええ、もちろんです」


 俺は頷きながらそう答えた。

 リヒャルト陛下は顎に手を当てながら、難しい顔をして考え込んでいる。同じように難しい顔をしたエルゼさんが、とにかく、と話を切り出した。


「私も、彼を保護してから話をしましたが、自分の名前が言えないを気づいた時の狼狽振りを見るに、どうも嘘をついているようには思えません。ですから――」


 必死に俺を弁護するエルゼさんを、「まあ待て」と陛下が手で制す。


「お前は相変わらず慌て者だな」


 陛下は少し呆れ気味に言うと、応接スペースにあるソファまで誘導した。

 俺とエルゼさんは隣り合って、陛下の真正面に座る。

 陛下は悠然と足を組み、静かに語りかけた。


「君、君が自分の名前を発音できないということは分かった。では、なぜネーベルの森にいた?」

 

 誤魔化しや嘘は許さないとでも言うような声。

 特段怒鳴ったり、強い語調でもないのに、逆らってはいけないと感じてしまう。

 これが、『国王』のオーラだろうか。


「あのシュルトどもが現れてからは森には一般人は入れないし、人避けの結界が張られている。無断で進入することは不可能のはずだ」


 あの森。あの、俺が落ちてきた場所。そんなに厳重に守られていたなんて。

 

「いや、俺、友人と外出していて……。その帰り道にその友人に突き落とされたんです、へんな水たまりに」


 俺は「これくらいの」と、手で円を描き、大きさを伝える。


「それで、気づいたら花畑にいて。あたりを見渡しても全然知らないとこだし、それでもなんとか家に帰ろうとして、歩き回っていたら」

「花畑?」


 陛下が俺の言葉を遮る。

 目を細め、興味深そうな声色だ。


「はい、なんか光る花が咲いていて、近くに泉がある」

「ゼーリッシュの花畑、か」


 エルゼさんが不思議そうな顔をし、何かを言おうとしたが、陛下に片手で止められる。


「名前は知らないですけど……。そこから森に移動して、少し休んでいたら」

「シュルトに襲われて、エルゼに助けられたということか」

「はい。あの、さっきから言ってるシュルトって何なんですか? あの影のやつですよね?」


 陛下は頷くと、訝し気に「知らないのか?」と言った。


「あんな化け物、見たことも聞いたこともありません! あんな、怪物……」


 思い出すと、恐怖がぶり返す。

 おぞましい口。人生で初めて、死を覚悟した瞬間。二度と味わいたくない感情だ。

 項垂れ、小さく震えると、俺の様子に気付いたエルゼさんが、「大丈夫ですからね」と背中を撫でてくれた。

 その暖かい手に、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


「――陛下」


 エルゼさんが陛下に呼びかける。 


「ああ、そうだな」


 「君」と陛下が俺を呼んだ。

 顔を上げると、彼は安心させるように微笑んだ。


「気づいたら花畑にいたのだな? では、君の故郷を教えてくれないか。どんな所だった?」「故郷……」


 俺の世界。

 俺の帰る場所。

 俺を、待っている人がいる場所。


「もっと、建物が多い場所です。地面は固められていて、自動車っていう、馬で曳かれない馬車みたいなのとか、空を飛ぶ乗り物もあるんです」

「ほう、空を?」

「はい、飛行機って言います。大きいものだと、何百人も乗せて海の彼方の国まで飛ぶんです」

「海の、彼方まで……」


 エルゼさんが夢見るような、ふわりとした声で言う。

 陛下はその様子を微笑まし気に見ると、「他には?」と促した。


「テレビっていう、ドラマ――えっと、お芝居とか、ニュースとか。色んな番組を見れる機械がありました。あと、遠くの人と会話ができる機械とかも」

「遠くにいる者と会話が?」


 陛下が興味深そうに尋ねる。

 

「はい。小さい機械ですけど、どんなに遠くても話ができたり、メール――手紙を送ったりできます」


「便利なものだな」と感心したように言った陛下は、俺に再び尋ねた。


「君は、どんな生活だった?」

「ええと、俺は日本って国で暮らしてて、学生でした」

「なるほど、真面目に勉学に励んでいたのだな?」

「真面目かどうかは分からないですけど」

 

 俺は笑いの混じった声で答えた。

 講義中に居眠りしたり、レポートの締め切りを過ぎて、教授に平謝りなんてしょっちゅうだ。

 

「でも、楽しい毎日でした。平穏で、ありきたりで。つまらないって思ったこともありますけど、かけがえのない日々だって、今なら分かります」


 『離れてみればわかることもある』。何処かで聞いた言葉が心に刺さる。

 こんなにも、俺の日常に帰りたくてたまらない。


「たぶん、ここは俺の世界じゃないんです。あのへんな水たまりの所為で、世界を越えてしまった。信じられないでしょうけど、全部本当の事なんです」


 俺は陛下に頭を下げ、「どうか信じてください」と訴えた。

 何とか信じてもらいたい。

 もしこれが夢でもドッキリでもない、本当の現実なのだとしたら、この国で一番偉いであろう王様に信じてもらえなかったら大変な事になる。

 そもそも、非公式と言っていたが、俺は陛下の出頭命令を受けてここにいるんだし、俺が最初にいたあの花畑は、限られた人しか入れない場所のようだ。万が一犯罪者として投獄されるようなことでもあれば困った事になる。


 それは駄目だ。

 俺は帰らないと。

 絶対に家に――。


 しばらくして、陛下がため息を吐いた。

 ああ、駄目か?


「顔を上げろ」


 陛下が優しい声で言った。


「話を聞いてると、君の話す世界と、この世界――アルトロディアはかなりの相違があるな。君の言うように、異なる世界のようだ」


「アルトロディア?」

「この世界をそう呼んでいるのだ」

 

 陛下はエルゼさんに命じて、一枚の紙を持ってこさせた。

 それをローテーブルに広げると、どうやら地図のようだ。

 中央には、二つの巨大な大陸が鎮座し、その周辺には小さな島が点在している。

 陛下は、二つのうち、東側にある大陸の東端を指さした。


「ここがわが国、グランツィアだ。そのほかに8つほどの国がある。君の世界では、どのくらい国家がある?」

「ええと、100以上はあります」

「まあ、そんなに?」


 エルゼさんが驚嘆の声を上げる。

 陛下は、「なるほど、多いな!」と笑った。


「聞けば聞くほど全く違うものだな、君の世界は。さて――」


 陛下は笑いを引っ込めて、真剣な表情で俺に問いかけた。

 

「君の言ったこと。嘘偽りはないな?」


 陛下の目が、キラリと輝いた気がした。

 空気が張り詰め、彼の雰囲気に圧倒されてしまう。

 それでも、俺は心から答えた。


「はい。嘘やでたらめじゃありません。――全部、本当の事なんです」


 しばらく静寂が続く。

 これで、俺の処遇が決まるのだ。

 手が、じんわりと汗ばむ。

 永遠かと思うほどの時間が過ぎて、とうとう陛下が口を開いた。

 ゴクリ、と唾を飲み込む。


「分かった。――君の話を信じよう」


 その瞬間、彼の背に後光が差した気がした。

 


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