第3話王城にて
煌びやかなシャンデリア。真紅のカーペットの敷かれた階段。廊下の端々にいる、甲冑の騎士達。かなり値段が張りそうな、馬鹿でかい壷。
俺にとって、どれもこれもが見慣れないものだった。
そんな中を、俺はエルゼさんについて歩いていた。
彼女は紺色の軍服に着替え、慣れた足取りで先に進んで行く。
まったくもって現実感がない。やっぱり俺は夢でも見ているのかもしれない。
夢なら夢で、早く目覚めてくれればいいものを。
何てったって、俺にはレジュメ作成やら資料のまとめやら、やらなきゃいけないことがあるのだ。
そんなことをつらつらと考えていると、顔面に衝撃が走った。
「だ、大丈夫ですか? きちんと前を見て歩いてください。危ないですよ」
「は、はい……すみません」
現実逃避をしながら歩いていたら、いつの間にか曲がり角だったようで、思いっきり壁にぶつかってしまった。主に額と鼻の頭が痛い。赤くなっているような気がする。
エルゼさんは心配そうに振り返ると、まるで幼い子供にするような注意をして先を急いだ。
この年になってこんなことで注意を受けるとは。なんだか悲しくなってくる。
エルゼさんは時折こちらを振り向いて、俺がちゃんとついてきているか確認している。
その顔が「もっと速く歩いて」と言っているようで、俺はため息をつきながら、心なしか重くなっていた足取りを速めた。
そもそも、俺がこんなファンタジーの世界から飛び出てきたような城の中にいるのは、国王直々の出頭命令のせいだった。
エルゼさんの屋敷で――軽々しく家なんて呼べない。俺の実家の10倍はあったぞ!――色々と質問されたうえ、とても言いづらそうに「出頭命令がでている」なんて言われた時、見事に俺は混乱の極みに突入した。
彼女はそんな俺を落ち着かせて、俺が着ていた服(洗濯済み)を渡して身支度を整えさせた。
この王城に連れてくるまで、体感時間で一時間もかかってない。
エルゼさんの手腕もあるのだろうが、出頭命令が出ているとはいえ、こんなに簡単に不審者を城の中に入れていいのだろうか。ここまでほぼ顔パスで来てるぞ。
もしかしたら、と彼女をチラリと見る
こう見えて、かなり偉い人なのかもしれない。
だって、服装からして浮いているのだ。
俺は普通の青っぽいTシャツにジーパン。現代ならまだしも、中世ヨーロッパ風の人々に囲まれると、明らかに浮いている。
一回くらい呼び止められることだってあるはずだが、未だにそれがない。
たまにすれ違う兵士たちは、俺たち――というか、エルゼさん――を見ると、廊下の脇にそれて俺たちが通り過ぎるのを待ってくれるし。
すると突然、エルゼさんか立ち止まり、引き返してきた。
険しい顔で俺の手を引くと、曲がり角まで戻ってきて、豪華な壷の陰に隠れるようにして廊下の様子を窺った。おあつらえ向きに、この馬鹿でかい壷は俺達の姿をきちんと隠してくれているようだ。
息を潜めていると、俺達がさっきまで居た場所を、二人の男が通っていった。
一人は少し長めの銀髪を青のリボンでひとつに結んだ男。片方の男よりも少し前を歩いていて、なんだか偉そうなオーラを醸し出している。細身で、なんだか神経質そうだ。
もう一人はリボン男よりも背が高く、がっちりした体型で、金髪の短い髪の男。なかなかの美丈夫だが、若干顔が怖いし、圧迫感がある。たぶんこいつにカツアゲされたら泣くかもしれない。
二人は何か話しながら歩いているらしく、こちらにはまったく気づいていない。
エルゼさんは、どうやらこの二人を避けるために引き返したようだ。二人がこちらに気づかずに通り過ぎ、さらに奥の角を曲がって見えなくなった途端、安心したように息を吐いた。
「エルゼさん、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。有難うございます。急に引き返してごめんなさい。さあ、行きましょう」
俺がエルゼさんに話しかけると、彼女は少し顔を曇らせていたが、気を取り直しようにして、また歩き始めた。
俺はさっきの二人組について聞きたかったが、なんだか聞いてはいけない雰囲気だ。心なしかさっきより早歩きになった気がする。
結局なにも聞けないまま、俺は豪華な造りの城の中でもひときわ美麗な扉の前にいた。
扉の周りは鳥のような――いや、蛇? それともドラゴンだろうか。何か色んな生き物が混ざっているみたいでよくわからない――生き物の彫刻が施されていて、何かのシンボルのようだった。
ドアノブにも同じ生き物の姿が彫られている。
もしかしたら、この国のシンボルマークなのだろうか?
そうでなくても、王様の部屋に付けられているのだから、重要なものなんだろう。
どうでもいいことに夢中になっている俺とは対照的に、エルゼさんはくるりとこちらに向き直って、こちらを安心させるように少し微笑みを浮かべながら言った。
「さあ、こちらでお待ちです。入りますよ」
「いや、でもまだ心の準備が」
「なにも恐れることはありません。陛下は気さくで、とても話しやすい方です。それに、話もなにも聞かずにあなたを捕らえるなどといった横暴な方でもありません。急に王城まで連れてこられて不安かも知れませんが、あなたが知っていることを陛下にお話すれば大丈夫です。きっと、悪いようにはされません」
どうやらエルゼさんは、「陛下」に深い信頼を寄せているようだ。ただの臣下が主に寄せているものとは違う、もっと親しみをもっているような。もしかしたら、個人的に近しい存在なのかもしれない。
ここまで来ると、俺はなんだか開き直ったような不思議な気分になっていた。
心の準備とは言ったが、エルゼさんの屋敷にいたときよりも大分落ち着いていたし、ここまでで驚きすぎて逆に冷静になってきた気がする。
これは夢ではない。それは今まで自分で顔を殴ったり、壁に顔をぶつけても夢から覚めなかったことを考えると認めざるをえない。
オーケー、ここは現実。
では常識的に考えよう。ではこの中世ヨーロッパ感あふれる城や町並みはいったい何なのか。
俺は昨日まで日本にいた、それは間違いない。
冬彦と一緒に課題の資料集めをした帰り道だったのだ。それがいきなりヨーロッパ。どう考えてもおかしい。
さすがに人一人を気づかないうちに日本国外に移動させることは容易ではないだろう。つまりまだ俺は日本にいるのではないだろうか。日本国内でも、テーマパークなどにはヨーロッパ風の町並みはある。
つまりこれは――。
ドッキリだ。
そうに違いない。テレビ番組とかよくある、一般人を巻き込んだドッキリ。
だってさ、皆日本語喋ってるし。
俺は英語がダメダメで、大学に受かったのも奇跡だった――マークシートでなければ落ちてたかもしれない――し、火事場の馬鹿力で脳内翻訳してるなんてありえない。
冬彦はたぶん報酬かなんかをもらって協力したんだろう。スイパラ無料権一年分とかで釣ればむしろ率先して動きそうだ。昔からそういう奴だったし。
たぶんこの扉を開くとあの「ドッキリ大成功!」っていうプラカードが出てくるんだろう。
俺は自分で納得のいく理由を思い立って、かなり気分が楽になっていた。
あの花畑の中に出たとき、俺はどこから落ちてきたのかとか、シュルトとかいう影恐竜は何なのかとか、エルゼさんが出したビームは何だとか、他にも疑問点はあったが、あえて無視した。きっと俺の知らない技術とかがあるんだろ。
シュルトに関してはプロジェクションマッピングとかあるし、あれの応用とかかもしれない。あれは結局俺に触ることができなかったわけだし。
「では、行きましょう」
黙っている俺を見て、大分落ち着いたと感じたのか、エルゼさんはほっとしたような顔をして俺に声を掛けると、扉のそばにいた騎士に目で合図をした。
その騎士がノックをして俺達の来訪を告げると、奥から「入れ」という声が聞こえてきた。さすが王様役。なかなかの美声だった。
ギイイ、と音を立てて、扉がゆっくりと開かれる。
俺は少し下を向いてこのあとのリアクションについて考えていた。
俺の予想では、この先には芸能人がいてプラカードを持っている。
さて、気づいたことがバレないようにどう驚くか……。
エルゼさんについて部屋の中に入ると、バタンという音が聞こえた。どうやら扉が閉められたようだ。
とりあえずリアクションの方向性が決まった俺は、足元を向いていた視線を目の前に戻した。
そこで目にしたのは――。
「やあ!よく来たな!」
低音の美声で歓迎の言葉を述べる、ドラゴンが頭から生えたような珍妙な仮面をかぶり、仁王立ちをした、威圧感バリバリの大男だった。
とりあえず、驚いて叫び声を上げた俺は悪くないと思う。
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