こんにちは、異世界

第2話運命の出会い

 巨大な影が俺を見つめている。


 はまるで恐竜のシルエットような形をしていて、けれども目も、口も、鼻もなく、まさに恐竜の影絵のようだった。

 それなのに、は厚みがあって、立ち上がって歩いている。


「な、なんだよ……あれ」


 俺は座り込んだまま、視線をあの影に向け、掠れるような声で呟いた。

 本能が「危険だ、逃げろ」と命令しているのに、まるで金縛りにあったかのように手足はピクリとも動かない。


 影が近づいてくる。


 地響きが体を伝って、ビリビリと頭に響いてくる。

 近づくにつれて、影の足元などがはっきりと見えるようになったが、やはり黒一色で、影の癖に影があるのが分かる。


 影は、これまで以上に大きな音をたてながら俺のすぐそばに足を踏み下ろすと、顔の部分をゆっくりと近づけてきた。

 鼻は無いように見えるのだが、顔に生暖かい風がかかるので、呼吸らしきものをしているらしい。

 変に生暖かく、生ごみが腐ったような臭い。思わず吐きそうだ。


 未だに手足は動かない。


 影はとうとう俺の顔のすぐ近くまでくると、息を吹きかけながら口を開いた。

 全身が漆黒の闇のようなのに、口の中だけは血塗られたように深紅に染まっていた。まるで目の前で肉が捌かれているような生臭さと相まって、生理的な嫌悪感は凄まじい。


 ──ああ、食われる。


 俺、こんなとこで死ぬんだ。

 せめて、畳の上で死にたかったな。

 目を閉じ、震えながらその時を待つ。


 その時、声が聞こえたのだ。「大丈夫ですよ」と俺を励ます声が。


「大丈夫ですよ、だってあなたは……」


 美しい、女性の声だった。

 全く知らないけど、何故だろう。どこか安心する。

 その声に導かれるように恐る恐る目を開けると、奴は口を開いたまま時が止まったかのように停止している。


 ……いや、違う。


 奴は動いている。正に俺を食おうとしているのだ。

 だが、俺に触れることが出来ないようだった。

 まるで対戦ゲームとかにある、無敵モードになったかのように。


 怪物はしばらく俺を食い殺そうと試みたが、とうとう焦れたのか地団駄を踏み、奇声を上げた。

 先ほどよりも近くで足を踏み鳴らしたため、体に伝わる衝撃はずっと強い。

 この短い間に俺は幾分冷静になってきたものの、この衝撃と声にはたまらず悲鳴をあげてしまった。


 その時、遠くで騒めきが聞こえた。

 蹄の音。

 大勢が走ってくるような、足音。

 怪物が、何かに気づいたように顔を上げた。


 瞬間、閃光が奴を貫いた。


 奴は苦しそうな声を上げながら、後ろによろめいた。


「一番隊、前へ!」

「はっ! ──いくぞ、この機を逃すな!」



 俺の後ろから、鋭く、勇ましい声が聞こえた。

 思わず振り向くと、剣を持った兵士のような人がこちらへ向かってくる。


 ひえ、と情けない声が出た。


 彼らは俺を追い越すと、怪物に襲い掛かった。

 一人が奴の足を切りつける。

 動きが鈍くなった怪物は、彼らを振り払おうとしても避けられている。


 さらに俺の背後から矢が飛んできた。

 それは空気を切り裂き、奴の顔へと突き刺さる。


 度重なる攻撃に怯んだ怪物は、僅かに動きを止める。


 その隙。ほんの一瞬を「彼女」は見逃さなかった。

 赤い髪をたなびかせ、怪物に向かって走り、その剣で切りつける。

 動きの鈍った怪物には、彼女から逃れる術はない。

 彼女は何事かを呟くと、開いた傷口に向かって光線を発射した。

 瞬間。凄まじい光と、この世の物とは思えない絶叫。

 チカチカする目を擦り、何とか見えるようになると、あの怪物の姿はどこにも見当たらなかった。


「え……? 何で?」


 いったい何が起こっているのか。

 混乱する俺に、少女が近づいてくる。


 彼女は、日没の光を反射して赤く輝く髪をポニーテールに結い上げ、女性でも装備できる軽量の鎧を身に纏い、美しく微笑んだ。

 まるで、天使みたいだ。


「そこのあなた、大丈夫ですか? 怪我などはありませんか?」


 そう言いながら、俺の様子を見るためかそばに寄って膝を折った。

 近くで見ると、本当に綺麗だ。

 ワインレッドの髪は、夕焼けに煌めいて、深い翡翠の瞳は、テレビで見たエーゲ海の色のよう。

 顔立ちも整い、肌も透けるように白くて、その上声も鈴が転がるかのような美声。誰がどう見たって完璧な美少女だった。


「あ、あの……」


 俺は少し吃りながら言った。


「ありがとうございます。あの化け物から……、助けていただいて。──あの、あなたは」

「しっ!静かに──早く、こっちです」


 彼女は俺の言葉を遮ると、俺の手を引いて、彼女の仲間たちのところに連れていった。

 とはいえ、俺はまだうまく歩けなかったため、ほとんど引きずられたのだが。


 この子、可愛い顔して力が強い。


 俺を引きずった彼女とその仲間たちは一ヶ所に集まると、なにやら言葉を口にした。すると、あたたかな光が俺たちを包み込んだ。

 その瞬間、遠くに巨大な影が横切った。さっき俺に襲いかかったやつとは違い、まるで巨大な風船に小さな足がついたような、不気味な姿をしていた。


 影はこちらに気づかず、そのまま歩いてどこかへ消えてしまった。


「……もう、大丈夫なようですね」


 彼女は小さくつぶやくと、こちらを振り返り、心配そうに顔を顰めながら「怪我はありませんか」と尋ねた。俺は間抜けにも震えながら答えた。


「は、はい。何とか。あの、あれはいったい?それに、ここはどこなんですか?俺、気づいたらまったく知らない所にいて、それで──」

「落ち着いてください」


 彼女が俺を宥める。


「あなたは遭難していたのですね? とりあえず、怪我はないようなので移動しましょう。ここにいては、またシュルトたちに見つかります。」


 冷静にそう言うと、彼女は落ち着かせるように俺の背中を擦り、歩くように促した。

 その手はとても暖かくて、思わず泣きそうになった。

 安堵の感覚と共に、足から力が抜けていく。短期間に色々なことが起こりすぎて、キャパオーバーとなったのかもしれない。遠くで彼女の呼びかける声を聞きながら、俺の意識は真っ暗闇へと落ちていった。






 ──暑い。


 背中からジリジリと焼けているような感覚。まるで鉄板の焼肉になった気分だ。

 背中が痛い。どうも硬い場所に転がっているようだ。


 馬鹿みたいに太陽がよく照っているから、背中だけでなく顔も、胸も、腹も熱く、とんでもなく居心地が悪い。

 目を刺すような日差しに目がくらんでいると、少しだけ影ができた。


 俺のそばに誰かが立っている。


 あまりにも体がだるかったから、目線だけそちらに向ける。

 ちょうど太陽の方向にいるからか、顔が良く見えない。


 だけど、何故だろう。


 あいつが誰だか、わかる気がする。

 そう、あいつは──。

 






「ああ、よかった! 目が覚めましたか?」


 ふっと目に飛び込んできたのは、青い色。天井ではなく、布のようだ。


「あれ、なんで、俺……。外にいたんじゃ……?」


 そう、俺はついさっきまで外で転がっていたはずだった。たぶん、アルファルトの道路の上に。

 前に道端で転んだ時があったが、その時もちょうど真夏の昼間で、あんな感じにジリジリとした熱を持っていたはずだ。


 それが今はふっかふかのベットらしき場所で寝ている。


 何がなんだかわからずに混乱していると、俺のそばに誰かが立っているのに気がついた。それは、あの森で会った女の子だった。あの時とは異なり、緑色のお嬢様風のワンピースを着ている。

 彼女は、綺麗な翠の瞳で俺を心配そうに見やると、静かに声を掛けてきた。


「外? あなたはずっと、この部屋で眠っていましたよ。──よほど疲れていたのですね。無理もありません。たった一人で、あのシュルトたちから逃げてきたのですから」


 そう言うと、彼女は「本当に良かった」と胸を撫で下ろした。

 よほど心配してくれたようだ。


 シュルト? もしかして、あの怪物の事だろうか。

 俺は頭を掻きながら訳を話した。


「いや、あの……。俺、なんであんなとこにいたのか分からなくて、気がついたらめちゃくちゃ綺麗な花畑にいて、どうにか家に帰ろうと」

「花畑、ですか? あの森に? ――いえ、とにかく。よくぞ、私と出会うまで、無事でいましたね。しかし、それでは……」


 彼女は真剣な顔をして俺の話を遮ってきた。どうやら、あの花畑のことを知らないらしい。そのまま、顎に手を当てて何かをブツブツと言いながら考え込みだした。

 その顔も、凛々しく、美しかった。


「あの、助けてくれてありがとうございました。俺、何がなんだか分からないままあいつに襲われて…。ここはどこですか?」


 俺が彼女に声を掛けると、彼女は思考の海から戻ってきて、自分がブツブツと独り言をしていたのに気づいたのか、ほんのりと顔を赤く染めながら、「王都マッセルの私の屋敷です」と答えた。


「あなたの?えっと……」

「申し遅れました。私はエルゼ・フォン・シュトラール。どうぞエルゼとお呼びください」


 俺が言いよどむと、彼女ははっとして、手を左胸の位置に持ってくると、そのまま名乗った。どうやらあのポーズは敬礼みたいだ。


「エルゼさん……。俺は◆◆◆◆……あれ?おかしいな」


 エルゼさんは不思議そうな顔をしている。


「すみません、噛んじゃったのかな……。俺は◆◆◆◆いや、◆◆◆◆。くそっ、何だよ◆◆◆◆!」

「お、落ち着いてください!その、今の言葉はあなたのお名前なのですか?私には、なにやらノイズがかかったように聞こえましたが」

「はい……。俺の、俺の名前なんです。――なんで、言えないんだよ。俺、ちゃんと言ってるんですよ。からかってるとかじゃない! どうして」


 意味が分からなかった。俺は今までエルゼさんと話ができている。なのに、俺の名前だけがノイズがかかったみたいに伝わらない。それどころか、俺にもエルゼさんと同じように聞こえる。


 そもそも、今日――厳密にいえば昨日からか――は分からないことだらけだ。今まで見たことないような冷徹な顔の冬彦、底なし沼みたいな水たまり。見慣れないどころか日本国内とは思えない風景、そもそもエルゼさんだって日本人には見えないし、王都マッセルなんて俺は今まで聞いたことがない。


 もしかして、誘拐だろうか。


 俺は知らないうちに攫われて、見たことも聞いたこともない外国に連れてこられたのか。


 どうして?


 俺の父さんは平凡なサラリーマンだし、何か借金を抱えてるなんてこともない、普通の家庭だ。俺だって、変な「おともだち」もいないし、誘拐されるような心当たりは全くない。断じて。


 じゃあ、この状況はなんなんだ?


 俺は真っ青になって頭を抱えた。頭の奥底で、グワングワンと音が反響しているような頭の痛みや、耳鳴りがしてきた。とてつもなく家に帰りたい。

 そう、大学の課題をやらなきゃいけないんだ。教養科目じゃなくて必修科目だから、万が一単位を落としたりしたら後々面倒だ。それに、2回もあの教授の講義を受けるなんてまっぴらだ。

 あぁ、頭が痛い。早く、早く帰らないと。


「大丈夫ですか? 顔が真っ青……」


 エルゼさんが俺の顔を覗き込みながら心配そうに言った。


 それでも俺が頭を抱えたままなのを見ると、落ち着かせるように俺の背中をなでながら言った。


「とにかく、お話を聞かねばなりません。立ち入り制限のために結界が張ってあったネーベルの森にいたこと。あなたが自分の名前を言えない理由を」


 そして俺の手を取ると、心配そうに眉尻をさげたまま、「お疲れのところ申し訳ありませんが」と前置きをしてこう言った。


「貴方が目を覚まし次第、王城へ出頭せよとの国王陛下のご命令です。どうぞ、私と共に王城へお越しください」


 ああ、と喉の奥に溜まった唾を飲み込む。

 まだ、夢でも見てるのだろうか。


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