第3話 空虚な者たち
卯之介の言葉には、緊張がありありと読み取れた。
一瞬にして、場の雰囲気が糸を張り詰めたように緊迫した。小典は、浅く腰を落とし、柄に手をかける。素早く左右を確認する。燦々と降り注ぐ陽光と時折聞こえる小鳥のさえずり、さわさわとそよぐ風。そして目の前に浮かぶ得体のしれない赤い物体。それ以外、動く者はなかった。だが、何かが違っている。そう強く小典は思った。しかし、何が違っているのかはまったくもってわからなかった。チラリと隣にいる桃鳥のほうを眺める。桃鳥は、あるかなしかの微笑を浮かべて立っていた。両手は、腕組みして黒羽織の中に入れている。卯之介も腰を落とし、懐に片手を入れて身構えていた。
呼吸にして、五つほどくり返した頃だろう。中空に浮かぶ、朱色の暖簾のような物体から、半透明の何かが猛烈な速度で飛び出してきた。半透明な板塀のようなものだ。そしてそれは、小典たち三人がいる場をぐるりと取り囲んだ。
小典たちは空を見上げた。半透明の板塀が空まで覆っていっているのを感じた。ほとんど一瞬といっていい時間の間であった。
「これは、逃げ場がなくなったようだねぇ」
空を見上げながら桃鳥がどこか楽しげに言った。
逃げ場がなくなった、というのはどうやら本当のことのようだ。小典たち三人は、いわば半透明なお椀にスッポリと被されたようになってしまった。
いったい何が目の前で起こっているのか。小典は、卯之介をみた。卯之介も小典をみて、わからないという風に首を左右に振った。
異様な気配は益々濃くなるばかりだ。
「卯之介、小典。側に来るのよ!」
珍しく桃鳥の言葉も緊迫していた。
「互いの背を守るように陣取りなさい」
小典も卯之介も互いの背を向け合った。桃鳥もいるので、上から見るとちょうど三角形のようになる。
「卯之介、武器はあるか?」
油断なく周りに目を配りながら、小典は聞いた。桃鳥と自分には、太刀があるが、目明かしである卯之介には、これといった武具を帯びることが許されていない。
「へぇ。あっしへの心配はご無用ですぜ、旦那」
小典は、頷くと口の端が上がるのを感じた。そういえば、卯之介はこれまでの幾つもの修羅場を経験しても傷一つおったことがなかった。
「どうやらお出ましのようだね」
桃鳥の言葉が終わらぬうちに何かが降ってきた。
一番早く反応したのは、卯之介であった。
懐に入れていた手を目にも留まらぬ早さで抜いた。その手から、何かが猛烈な速度で飛んでいく。それが降ってきた何かに見事に当たった。
「
桃鳥が感心したように呟いた。飛礫、つまり、石を投げたのだ。古来より戦場での武器としても、はたまた、村の祭りや子どもたちの遊びとしても飛礫は行われてきた。
卯之介の得意業の一つだ。しかも、ただの石ではない。飛距離が出やすいように加工している。もちろん、飛距離だけではなく殺傷能力も増すように作られていた。
「旦那、あれを」
卯之介の言葉に、小典も桃鳥も視線を移した。
卯之介の飛礫に当たった得体のしれないモノが、ゆっくりと泡立ちはじめると溶け出していた。しまいには、地面に吸い込まれて消えた。
「どうやら、私たちにも勝機はあるみたいね」
桃鳥の言葉に小典は頷いた。腰の太刀をスラリと抜いた。左青眼に構える。その時、
「な、なんと奇っ怪な……」
小典の口から思わず声が漏れた。
目の前に降ってきた、半透明の塊たちが、異常な早さで変化していたのである。それは、
「〝人〟だわ」
桃鳥の言葉通りであった。目の前に降ってきた半透明なモノたちは、人になっていたのであった。いや、正確には人型になっている。胴体も手足も半透明のままである。まるで寒天で出来た人形だ。しかも、ご丁寧に、手にこれまた半透明の太刀まで持っている。それが、ざっと見積もっても、十数人はいる。
「どこぞの手妻使いか、はたまた妖術使いかは知らないが、のぞむところだ」
小典は、丹田に意識を集中させた。心根がぶれればやられる。
「小典、卯之介。なるべく待ちの姿勢で迎え撃つのよ。この場から離れるのは駄目よ」
桃鳥も太刀を抜いた。脇差しだ。
桃鳥が実際に太刀を抜くのをはじめてみた。しかも、中太刀ではなくて、脇差しのほうである。小典が不思議に思う前に、半透明なモノたちがいっせいに襲いかかってきた。
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