第5節…ロベリア

春とは雪がほんの少し地面にちらつき、未だふきとうが頭を出していない頃から始まる。4月の始め。窓は霜に覆われ吐く息はガランサスの様に白む。


雪解けと春一番。私の命はその間。

きっと私は目覚めの時を少し間違えた様だ。

次は来年の雪が降り終わる頃にまた…。




細い視界が途切れ、再び光が射し込んだ其処は、青と白の可愛らしい花の飾りがぶら下がった天井の下。


「…んん…もう冬なの…?」


窓から刺す日光が眩しく、脳がチカチカしていて思考が定まらない。


「……。はッ!?」


身体を勢いよく起こすと手のギシリとした感触に驚き床を見やった。何故か自分の下には葉の付いた木々がひしめき合っている。


自分が寝ていた現状に手の違和感。リンカは目を見開いたまま忙しなく辺りを見回した。はっきりとした手の感触とまだ霞んだままの目との差異に、一瞬夢かと錯覚させられる。

今…自分の部屋で寝ていた感覚があったが…あれこそが夢なのか…?


しかし自分が何にせよ状況が一変するくらいには寝ていた事に変わりはない。足が動かし難い事から察するにきっと先程の危機は夢ではないのだろう。


自分の状況が最悪なのか最高なのかそれは周りを見れば一目瞭然だった。わたの詰め込まれた掛け布団に寝心地の良い木々のベッド。


側の枝には湯気が煙るマグカップが引っ掛けられていた。


そして、飾りが柔らかい風にぶつかり合って鳴らす子守唄以外に音は無く、人気も無い。


一先ずほぅと気を緩めた。


そろそろ目が乾いていた所だ。


足をベッドの淵から放り、腰掛け直す。

そして目を閉じて指を組む。


「天にまします我らの父よ

願わくは

御名みなをあがめさせ給え

御国みくにを来たらせ給え

御心おこころの天に成る如く地にもなさせ給え

我等の日用にちようの糧を今日も与え給え

我等に罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦し給え

我等を試みに遭わせず悪より救い出し給え

国と力と栄えとは限りなく汝のものなれば成り」


これは私の現世にいた頃に学び舎で毎朝行われる朝礼の祈り。

その後は聖書を一節読み、賛美歌を"賛称"する。


こういう毎日の習慣を行う事で少しでもすさぶ心を鎮めるのだ。


組んでいた手を解きそのまま幹に触れる。

自分の掌に集中してみると、魔力の流れが寄ってきているのが感じられた。こういう植物に魔力が宿るのは何処も同じ様で安心する…


近くの地面に足を降ろそうとベッドの淵に足を掛けると、周囲の枝が手足元に寄り集まってくる。手を掛け一歩一歩進む度、同じ速度で葉を擦り合わせながら支えようと足場が形成された。真冬の冷たさを帯びたフローリングの床に裸足で乗ると、水の波紋の様に魔力がシンと広がる。


当たり前の現象にこうも一々心安らいだ。

生きるとは漠然とこういう事なのだろうな。


こじんまりとした部屋の端にあった木目の扉に手を掛けると、手汗が滲んだ。

床よりも冷えたノブがリンカに緊張感を訴える。


ゆっくりと捻り徐々に隙間を作っていく。

流石に1センチくらいの間では覗いて見ても外の現状は把握出来なかった。


心を決め、ギィと蝶番を勢いよく鳴らしながら扉を全開した。


「わ…」


自分は確かにドアを開いた筈。

しかし壁だと思っていた布や天井の突出した構造の部屋が花弁となって開花したのだ。


何を言っているか伝わるだろうか。

自分でも何が何だか分からない。

つまりこの部屋全体が花弁をじた一輪の花の中だったのだ。


壁が消え、天井も消え、開けた扉さえも消えて居る。


恐らくいや、まさしく聖声だ。


視界の端々限界に広がったにあったのは、自分のいる場所と同じ花弁を優雅に垂らしたが他に5輪程。

彼等の花弁は一枚一枚が可也かなり大きく、私の足元の真っ青の花弁は自分の重力で全体がほんの少し沈んでいた。


後ろにはすっかり花粉を纏った雌蕊と雄蕊の集合体しか存在していない。


私は只々大きな花の花弁にポツンと居た。


この大きな花々は一体どこから生えているのか。先のギリギリから下を覗き込むが霧がかかって居て霞んでいる。


遠い花でざっと30メートルは離れているであろう所々点在した花は青と白のみの二重奏。


中心には他が単色に対し此方は二色が交互に交わる一回り小さなオダマキが咲いていた。


その中心に例に漏れず頭が花の生物が2体立っているのがぼんやりと見える。



このまま何もかもが謎に包まれた状況で、ただ突っ立っていても始まらない。

よし。近づいてみよう。


"Leidend. Stratos eerlijke reus. Convergentie van een danser. Einde van herten hoorn. Vijfenveertig kinderen om hun stem te laten horen als ze voor de mensen vallen."…「先導。 成層圏の巨人。ダンサーのコンバージェンス。鹿の角の終息。 人の先に立つなれば45人の子供たちが彼らの声を上げ、人々の元へ降るだろう」

「聖声"謙虚への招き"」

<マルコの福音書10章43-45節>から引用。



ジクジクと傷からは手の輪郭を伝って血が滴り落ちる。

それと同時に額に痛みか緊張か、汗が滲んだ。


ふぅと息継ぎの瞬間、足元の花弁から之また青と白の花弁が道を形作る様に先へ伸びている。

一歩一歩重力を感じながら進む。

不安からリンカの手は胸の前に組まれていた。神前に祈る姿が其処にあったのだ。


コートはいつの間にか脱いでいる。顔もきっと人間のままだろう。

然し、自分をこんな閉鎖的で居て安全を此れ見よがしに示す場所に連れてきた人物を、彼女は危険を顧みずに確かめずには居られないのだった。


近づく度輪郭がはっきりとしてくる。

頭の花はこの空間に咲いたオダマキと同じ青一色と白一色の二体。


座っているのかその背丈は小さく、寄り添っている事で若干二体の頭は傾斜していた。


手前の花弁が互いを覆っており、その全貌は確認できない。


もっと、もっと近く。


もっと…もう少し…。


花弁が目の前にまで近付いた。

重なり合う其の何枚かを掻き分けて進む。


最早好奇心しかリンカを動かす物は何も無い。彼の存在も世界の終焉もとうに頭から消滅していた。


「もっと…………!」


掻いて居た手が止まる。花びらの縁の感触が手の平から薄くなるのが分かった。


目の前のオダマキ達は初めから二体では無かったのだ。いや、正確には二体に


足を外側に投げ出しぺたりと座った足、青と白に映える黒の短パン。そこから花の枝分かれの様に生えている小柄なの上半身。


二枚のシャツは、綺麗に仕舞われて居た。


彼等はまさに所謂人間にも言えるなのである。


其の一つの下半身から二つに分かれたはその場でスッと音もなく立ち上がり、何もかもが急転直下な現状に最早驚きも薄れて満身創痍なリンカの目の前で、彼等は軽やかに振り向いた。



「「やあ、リンカ。君は何を問う?」」



少年独特の声変わり前の音が二重に重なり合う。

彼等は外側の腕を胸の前に掲げ、互いの指を絡ませた。

その仕草は、今の不安に襲われたリンカの癖にそっくりだ。


「…此処は、何処なの」


子供だとおもう手前、相手のペースに飲まれてはいけないと毅然きぜんとした態度で問い返す。



「此処は僕達の棺桶だよ。」

「此処は俺達の監獄だよ。」


「…つまり君達の居場所ではあるけど、意思では無いという事?」


不思議な返しをしてくるが、何とか意図は読み取れた。

彼等はただでさえ分かれた身体を余計に伸ばして見合う。

そして彼等は指を解き、その手を伸ばし、とっくに存在を忘れて居たリンカの手の傷に触れた。


「ッつ!」


親指でぎゅうと塞がって居た傷を抉られる。

彼等の嵌めていた白い手袋に映えた赤がジワリと滲んだ。


まるで傷口に薔薇の棘を押し込まれた様な痛みに過去の惨状が思い浮かぶ。


脳には過去の自分が茨に首を締め付けられている映像が閃光の様に走った。


「「それは違うよ我等が血縁者」」


少年の声にハッと目の前が明るくなる。

今の映像に覚えは無かった。

しかし確かに自分だと認識出来た。


「此処は僕達の」「此処は俺達の」

「「"胎動"であり、"庭"なんだよ」」



手のジワジワとした痛みと、中身のない会話に悪意が刺さる。

意味は分かるが意図が分からない会話。


脳の中で砂嵐の様に記憶が乱れる。目の前の光景に頭が追い付いて無いにも関わらずリンカの脳は勝手に思考を遮断する。

そして又、彼女の眼前は暗くなっていった。


目の前が空を仰ぎ、視界の端にふと左手の傷が見える。



其処には、一輪のロベリアが咲いていた。








第5章-fin-


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