第4節…オダマキ


「要は今から僕達は館長の元へ本を取りに行くって訳。」


そう子供をなだめる様に換言かんげんしたシロツメクサの声にハッと目を覚ますと、またあの時の様に人差し指を頭の横でくるくると回していた。


ふと夢から覚める想いで目を向けると、彼は自分の小さな花弁の突先とっさきを1枚摘んだ途端彼の分体は小さな音を立てながら萼片がくへんから裂断れつだんする。


その音はリンカを現実と思わせる為に生々しく残響として脳裏に焼きついた。


するとその花弁は寸裂しパラパラと床に落ちて粉末になって風に消えて行く。


その現象がとても胸を騒つかせる光景で、つい呆気にとられていると彼は手を二回叩き、呼吸一つ吐いた。

そして其の儘リンカに背を向けて歩き出す。


また置いていくつもりなのね。と声には出さず、ただリンカは決意するかの様にキュッと口を結び、後を小走りで追いかけた。



「リンカさん、先程ぶりですね。」



優しくそう告げられて、素っ気なく会釈する。



「あれ、いつ会ったの?紹介してなかったよね。彼は僕の唯一の幼馴染。一緒に産まれたんだ。」


「どうも。お嬢さん。」


シロツメクサを追いかけて辿り着いた入口のカウンター。そこに鎮座していた胡散臭い例のアネモネ館長が優雅にこちらに手を差し出してくる。


先程の嫌な感じが今は消えていた。


この花の花粉には呪いがある。目に触れた途端人を動けなくする。


お嬢さんなんて紳士に振る舞うが、彼に好奇心で触れれば最後、自らの身を滅ぼして来るのだ。


差し出した手をじっと見てからシロツメクサの言葉の続きを待つように目線だけを彼に向ける。


「あーえっと、彼は見ての通りアネモネなんだけど、仇名あだながあるんだ。”Vloek van schoonheid”

フルックって呼んであげて」


美の呪い…アメリカンネームのつもりだろうか。


「この子はビー。ミツバチって事のね。」


私に仇名が付けられた訳が理解出来た。どうも本名というものは明確にしない暗黙のルールという物があるのだろう。


「ふふ。よろしくお願いします。ビー」


「どうも。フルックさん。」


今度は差し出された手にしかと返した。

優しく握られる手に体温は感じない。

ただ其処に踏み入れてはいけない何かの重さだけを感じたのだ。


早々に手を離し、その様子を只じっと凝視みつめるシロツメクサの返事を待った。


「ああ、そう言えば僕の名前言ってなかった。」


「間抜けな所はあいも変わらず、ですか」


「”Sadness lot”シェッドだよ。」


「シェッド…ね。」


悲しき運命。意味を知って名乗っているのだろうな。普通こんな仇名を付けられたら不愉快になっても可笑しく無いが、この花達に其れは通用しないんだろうな…

嬉々として自己紹介している素振りを見て、何故か此方が呆れる。


蔑称か通称なのか誰が名付けるのか。

新しい謎が増えた。

未だ私はこの世界の一片も知らないのだ。


「ね、次は街を案内してよ。シェッド」


2人に背を向け空に向かってそう呟く。


「じゃあ、そういう事だから。またきっといつか顔を出すよ。2年後にでも」


そう冗談めいた会話は考え込んでしまったリンカの耳には入らなかった。


シェッドが横に着き、忙しいなぁと一言ぼやいたかと思えば早々に入口へと進む。

そして扉を片手で開くともう片方の手で下を振り、どうぞ。とジェスチャーをした。


「ありがとう。」


快く対応に応じ彼の脇を通ると、クス。と一つ風と聞き違う程の声が聞こえたが、リンカは聞こえ無い振りをして気分は長い髪を最後に、足早に外へ出た。



図書館に来てから幾分の時間が経ったのだろうか。

空は未だ青空で、日が丁度真上に差し掛かる所だ。

商店街は先程通りざわざわと花の絶えない景色で、まばらに同じ花を頭に乗せた別者も居た。


目視では確認出来ないが何十万の種類しか無い花達ならではの、分かり易い個性を他で主張している可能性がある。


それより先程から此処彼処ここかしこで飛び跳ねる様に移動する青と白の花弁が見えて居るが、この色鮮やかな光景に、そのコントラストは目に留まった。


それに2つの花が常に人の流れから外れて不規則に視界へ現れる様は、屹度きっと息のあった2人なのだろう。


目に付いたら気になって仕方が無い。

シェッドには目もくれず人混みに飛び込む。

つい先程オレンジの屋根の店の奥から裏路地に入って行くのが見えた所だ。


何故かあのオダマキの二人組が重要なファクターになる様な気がする。いや、成って欲しい。


屈んで人混みを掻き分け、屋根を探すのに他は顧みなかった。


最初の場所からはそう遠くは無かった。

突き当たりまで進めばそこが目的の場所の筈。


しかし、目の前の期待に眼を眩ませすぎた。


頭に感じた寒気をこの時は微塵みじん危惧きぐしていなかったのである。




”Een mens! Er mens zijn!”

(人間だ!人間がいるぞ!)




…?!バレた…?!



リンカが反射的に頭に手をやると案の定そこに掛かって居たフードが無く、花弁ではなく馴染みのある癖毛に触れた。


屈んでいた腰はさらに屈み、ただ只管真っ直ぐに足を動かす。


頭を抱えていた手は無意識に後ろに倒れていたフードを深く抑え込み、頭を完全に覆う他出来無かった。



どうして…こうなった?



頭が回らない。視界が歪んでいく。足がもつれる。



見抜かれた…?いつから…?聖声の効果が無くなるなんて…


正体を見抜かれない限り聖声は解け無い筈なのに…!


一度フードが捲れた事で、危機感を決意した過去は一瞬の過去に過ぎなかった。


不安と焦りから地面に影が落ち、目は不自然な程焦点が定まらない。


疑問が思考を邪魔をする。その所為で置かれている状況に頭が着いて行かなかった。



あぁ…もう…



勝手に走り続けていた足も、遂には段々と疲れからそのスピードを緩めてしまう。額から汗が止まらない。



こんな風にすぐ忘れてちゃ世話無いのに…




先ずは焦るな…。可也かなりの歩数は稼いだ。多分オレンジの屋根はそう遠く無い。


今ある現状を打破出来るかもしれない。取り敢えず少しだけでも姿を隠したまま目指して走るしかない。まだ此処に居る事はバレてないはず…。

その希望に顔を上げた。








絶望。


その2文字がリンカの視界を暗くする。


先程まで向いていた一筋の光は、迷いや混乱で思考が停止したせいかその先をめていた。



只見上げる事しか出来ない彼女の目の前には、屈み込んで動けなくなった自分を、まるで見世物みせものの様に見下ろす花々がそこにあった。



表情は分からない。

ただ空を埋め尽くし、私を陽の光から遮る様にそこに立っていた。まるで何かの大きな怪物に飲み込まれそうなさま茫然ぼうぜんとする。






あれ、なんで、こうなったんだっけ…


花々が自分の周りで興奮じみた声を荒げているのが遠くに聞こえる。


なんで、走り出したんだっけ?なんで、目指してたんだっけ?




シェッド…置いて来ちゃったなあ…




遠くシロツメクサの顔がぎる。

自分は冷静だと思っていた。だけどそれだけだった。いざという時の頭の回転も、予想外の出来事に対する臨機応変さも、私には皆無だったのだと思い知らされる。


所詮人間。未知のものを目の前にすると、いとも容易たやすく小動物の様にただ怯えるしか無かったのだ…








第4章-fin-















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