第3節…ガマズミ

「あ、あった」


アネモネから言われた通り探していた本は先程の場所からそう遠くなかった。


「貴女がお探しの本は戻って反対側の角を曲がれば直ぐですよ」


そうにこやかに告げられたのだが…

言葉の裏には早く行け、と急かされていたと思う。


<花の生態>


それにしても今迄いままでの雰囲気と違って何ともな本だな…。

自分達で云う人間の仕組みみたいな物といえば分かり易いのだろうが、そもそも人間界特有の常識や考え方が此処に通用するのか?

…しかしすくなからず今迄出会った二体のという名の花達は此方の常識と大きく逸脱いつだつした行動は見られなかった。

余り期待は出来ないが、少しでも此の世界の何かが分かればいいけど…。


不安な鼓動を鳴らす胸を抑えつつ、本の適当なページを固唾を飲んで開く。


すると其処そこには、鮮やかで色取り取りに描かれた花の描画につらつらと丁寧な書体で生態が事細かに記載されていた。


正直気が抜け、それと同時に綺麗な光景に圧倒された。


先程から警戒し続けていた所為か、久しぶりの感覚に陥る。

加えて先程から色を見過ぎたのか少し目眩がした。

此の世界に来てから怒涛の勢いで未曾有みぞうの出来事に見舞われた疲労感からか、呪いにかかった様なこの感覚から抜け出せない。


他のページもめくって見ると、シロツメクサのページを見つけた。


いやに目の奥の毛様体筋もうようたいきんが何度も伸び縮みしているのが分かる。

しかしピントが何度もける感覚とは裏腹に、思考と手元はやけに明瞭としていた。


あの謎の花について何か分かれば意思疎通もしやすいのに。


しかし暈けた目で何とか端から端まで丁寧に読んでみたり、隠された文字がないか光に透かしてみても、書いてある事は殆ど藤の花を与えた以降一向に動かないこのポケットにある“ギミック”が説明していた事と何ら変わり無かった。


なんだ…ほぼ収穫なしか…シロツメクサの花言葉は幸運…。

是丈これだけでは情報収集の結果としては不満足だな…と溜息を吐いてリンカは本を閉じた。



ふと先程のアネモネの彼の発言を思い出す。

彼が此方を子供扱いしている時に発言していたのだが、どうやら花世界では産まれる時に頭に出る花の花言葉に沿って性格が決まるらしいのだ。


しかし、人類が人其々それぞれ個性がある様に、例え見た目が同じ種類の花だとしても中身は一概に全く同じ性格だと分類する事は出来ないそうだ。


其れこそ本当は人間同様見た目も此方こちらに分かりやすく他の同じ種類の花でも違った見分けが簡単に付けば良いのだろうが、こればっかりは日本人が外国人を見て違いが分からないと言っているのと同義だろう。


詰まりアネモネが言いたかった事は、同じ花の頭を持つ者達の根本的な行動や性格はほぼ同一視しても良い云う事。


こんな不思議な図書館を聖声で起こさせるだけあって彼は可也かなり重要なカギを握っている筈だ。



それはそうとして、花言葉と言えば先程閲覧した書物の幾つかを見る限りでは、此の花世界で云う花言葉の内容は人間界の花言葉の内容とおおむね一致していると言える。


他にも何か…と先程閉じた生態の本を戻そうと目を向けると表紙に花粉らしきものが付着している事に気がついた。


あれ…花粉なんて飛んでたっけ…


パッパと手で表紙を払うと、花粉が入ったのか目に激痛が走った。


「痛っ!!」


早急に洗い出そうと目に手を当てるが、たちまちの内に痛みが引いてしまう。


…?

痛みで出た泪が花粉を流したのか確かめる為、恐々こわごわと目を開ける。

すると先程まで手に持っていた本が違う本に変わっていた。



…いや、正しくは違う本ではない。本の名前が変化している。


<食骨花の裏言葉>


花の固有名詞なのか通り名なのかは判断付かないが、何にせよ聞いた事ない言葉だ。

しょくこつか…?と読むのだろうか。


不穏にも表紙のカバーに血が乾いた様な赤茶のシミが角から広がり異彩を放っている。


もう一度中を開いて見ると先程まで鮮やかに描かれていた花が何だかおどおどろしく、赤と茶のみで描かれた不気味な絵に変化していた。


ページの端々は裂けて皺になっており、文字も潰れて読み難い。


「なにこれ…」


悪寒が走り左手の傷も今迄に無いほど疼いて苦痛で顔が歪むが、この本から目が離せなかった。


何かの呪いか聖声か。何かしらほどこしてある事に変わりはない。


元に戻す方法が無いか探ってみるが、ほぼ全ての隣接した紙の所々が張り付くように付着していて、数頁ページしか読めそうにない。

此のまま無理矢理にでも捲って仕舞うと、十中八九紙が破れてしまうだろう。

さすがに図書館の本を破るわけにいかない。


数刻唸った末、光明こうみょうを見出そうと聖声が頭をよぎるが左手の傷を見て断念した。

私には今何も出来ないだろう…。




それに…又来そうな予感がする。

そう自分に言い聞かせて、未だ疼いている傷を隠す様に静かに本を棚に戻す。

名残惜しくも手を離すリンカは突如目を丸くした。


なんと本の表紙が元に戻っている。名前も元の生態本の儘だ。

先程の出来事は一体…?


心なしか胸がざわつき掻き乱される気もするが、考えても無駄な気もした。


兎に角頭を使い過ぎている。

この街にいきなり来たと思ったら何処に目を向けても鮮やかな光景な所為で色に当てられたんだろう、頭が正常に働いてないんだ。


リンカは気を取り直す様に一つ息を吐き、マントに付着した花粉を払い落としてその場を離れる。


少し後ろ髪を引かれる気持ちでもう一度振り返るが、何も言わずその場を後にした。






だいぶ歩いて近くまで来て見たが、どうやら此処からは逆光も無く良く見える。

あの例の規格外な大きさをしている花はガマズミだ。

直接は殆ど見た事が無いが、まあ絶対にあの様な巨大な姿はしていない。


拳大こぶしだい程の普通の花だった筈だ。

ここまでの大きさには何か理由が存在するのだろうか。


ほうけつつ花を見上げていると、横で足音が鳴り、不意に奥の角からシロツメクサが現れる。


彼は両手一杯に大量の本を抱えていたが、まだ彼が目の前の本棚から動かない様子を見るに、抱えている本の塔の頂上を伸ばす気でいる様だ。


遠くで見える限りでは医療関係の本が殆どの様だが、これは文字が読めたとしても未知の分野である。



「何してるんですか」



彼が本棚を漁っている背中に話しかけた。



「わあ、驚いた。本を危うく落とすとこだったよ」



嘘つき。分かってた癖に。

私が近付き始めた頃には右のつのが少し反応していた。

まあそれに気付いた事すら彼の計算の内だった様で右の角をわざとらしく私に突き出した。


「私を置いていくから。白い頭の誰かさんが」


リンカは角を掴んでシロツメクサの頭を揺らす。


「そういう君の頭も白いよ〜〜。ビ〜〜。」


う、そうだった…。慣れない嫌味なんか言った所為で、墓穴を掘った気分だ。

此奴こいつに馬鹿だと思われたくない。


フードごと頭を抱えながらシロツメクサを睨み付けると、目の前のこいつは元の本棚に顔を向け直しフッと鼻で笑った。


「腹立ってきた。」


「おやおや、僕は無関係だ。」


シロツメクサが抱えた本に頭を埋めてくすくすと笑うと角が頭に合わせて更に揺れた。


ハァ、調子狂う。こんなに普段人と話さないから尚更体力が削られた。


「あのさ…それより医学の本なんてやたら抱えてるけど?」


「これは今から借りるんだ」


「だから何の為にって聞いてる」


「ああ、まあ僕は人間界で云う医者だから」


「というと?」


「詰まりこれは花達を治す為の研究資料って事。

ミツバチってこんなに知識に貪欲だったかなあ。」


やれやれとでも言いたげな顔で溜息をついてくる。

と同時に本棚へと向けていた身体をリンカに向け、抱えていた本をようやく地面に置いた。


「後で好きなの読んでいいですよ。女王蜂」


シロツメクサが跪いて本を置いた事で彼の頭がリンカの目線より低い。

眼下に広がるシロツメクサの姿はなんて良い気分なんだろう。


「悪趣味をお持ちでいらっしゃる」


本の背表紙を数えている筈のシロツメクサがそう発したので、少し眉を寄せ目を逸らす。


「よし、これで終わりだね」


彼はいつの間に抜き取ったのか、先程本棚の前で右往左往していた正体であろう最後の一冊を、積み上げた本の一番上にそっと乗せる。


そしてシロツメクサは下を向きながら立ち上がり、拳を握った左手で胸に添えた。


「Het gras is de mensen. Glorie is een bloem van het veld. Het gras verdorst en de bloemen verdorren. Alle dingen moeten eindigen met alles. Het is de wet en de profeet. Wet van heilige stem gelijkwaardige uitwisseling」…「草は民。栄光を野の花。草は枯れ、花はしぼむ。万物これにて終わりは必ず。律法であり預言者の御触れである。」

「聖声”等価交換の法”」

<引用:コリントI 13章4節〜7節>

<マタイ 7章12節>


握り締めた拳を前に出し手を緩めた途端、本が宙にフワリと散る。一斉に本が開きページが風に吹かれた様にパラパラと捲れ、その隙間から文字が溢れる様に飛び出した。


文字の羅列は宙に円を描くように何重にも回り出すと、句読点の隙間から突然一列に並んで空の彼方へと消えていく。



文字が見えなくなった空を未だ見呆けていると、シロツメクサも同じく見上げていた様で


此れだけは好きなんだ。


とポツリ一言だけ放った。


「貴方が初めて聖声を見せてくれたのにも、今の出来事にも驚きました。」


「今のは出来事じゃない。必然だ」


そう言いながらシロツメクサは握った右手をリンカに突き出し、開いて見せた。


石…?


シロツメクサの手の平には、なんの変哲も無い石ころが転がっていた。


「等価交換の聖声はこう云う簡単な事に使うだけなら未だしも、下手すれば禁忌を侵す事にも使えるんだ。胸に覚えておくと良い。」


いつものヘラヘラした口調では無く、しかとそう言うのだ。

だから私が知らない章だったのか。



ちなみに今回は文字を転移したんだ。ここは広いから本を持ちながら移動すると効率が悪いだろう。だから文字を館長の所にある貸出用の本の下に飛ばして、文字を写す訳。」


「ここには貴重な本も多いから持ち出しが禁止なんだよ。それに文字が無い本があると貸出中が分かるだろう?」


この花はきっとこの世界の中でも奇特な存在なのだろう。


リンカはシロツメクサのいつにも増して落ち着いた声に、そっと目を閉じたのだ。






第3章−fin−

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