第2話

 ひょろりと背の高い人影がカウンターの向こうで揺れる。紐ネクタイをゆるく結び、ベストを着こなした彼の瞳は凍土の空と同じ青ロシアンブルー

 猫っぽい人、あるいは人っぽい猫かもしれない。

 猫の頭をした獣人だ。

 ひげをくゆらせ、猫顔を渋い笑みに緩ませるマスターはコーヒーサイフォンを爪でつつく。


「駆けつけ一杯、どうだ?」

「ん。いただくよ、マスター」


 余裕たっぷりな声を相手にすると、なんだか素っ気ない態度が出てしまう。格好つけてしまうんだと思う。自覚するとなんだか無性に恥ずかしい。

 マスターは首を曲げた猫背のまま、サイフォンのポットからカップに注ぐ。


「アイスにしなくていいの?」

「俺は猫舌じゃない」


 いつものやり取り。

 カウンターに並ぶ丸椅子に腰を


「砂糖はひとつ、ミルクはひと回し……っと。ほら、できたぞ」

「ありがと」


 赤くなりそうな頬を、うつむいて誤魔化す。この声で私の好みをささやかれると、不思議なくらい胸がすく。ゆるゆると回るコーヒーはミルクの模様が渦巻いていた。


「ふう。淹れたてのコーヒーはやはりいい」


 ほうっと猫の目を細めて息を吐く。そのふやけた顔に笑いが漏れてしまって、マスターが私を見た。


「マスター、コーヒー好き?」

「もちろん好きだ。でなきゃカフェなんかやらん」


 そりゃそうだ。


「この世界のコーヒーってどこで取れるの? 私のところは赤道近くの熱帯とか、高原とかだけど」

「うちも高原だな。ニースヘリア王国や協商連合から輸入してる。そのうちアスラキア近郊の高級品を自分で淹れてみたいな。あのあたりの豆は香りが全然違うんだ。まるで果物みたいだぞ。あれはブラックで飲むのが最高だな」

「へえ。私も飲んでみたいな」

「そのうち淹れてやる」


 ちょっと笑ってしまった。


「普通に、輸入してるカフェに連れて行ってくれればいいのに」

「……ふん」


 マスターはちょっと照れくさそうに鼻を鳴らす。

 かわいいと思う。彼も私には自分で淹れたコーヒーを飲んでもらいたいのだ。

 なぜって。彼はたいへんな変わり者だから。


「なんだ、もういるじゃないか。表の看板、間違えているぞ」


 鈴の音を響かせてドアが開いた。

 そこにいるのはまるでコスプレのような、鮮やかな赤毛の女性だ。

 ただし、瞳は金で瞳孔は縦に裂け、頭の脇から小さなトゲのような角がある。早い話が人間じゃない。ドレイクというらしい。

 ドレイクの女性を一瞥して、マスターはため息を吐く。


「間違いじゃねぇよ。準備中だバカ野郎」

「いらっしゃいませ、シェナさん」

「やあ睦。今日もかわいいな」

「ありがとうございます。でもシェナさんのほうがお綺麗ですよ」

「フフ。ありがとう」


 シェナさんは怖いくらいの妖艶な笑みを浮かべる。

 明るい話しかしないけれど、くぐる死線が凄みを裏打ちしているのだろう。

 そんな女性の強さを気にもかけず、マスターはぶっきらぼうに言う。


「で、オーダーは? ブレンドコーヒーでいいか?」

「バカ言え。あんな焦がした泥水を誰が飲むか。アップルジュースを……そうだな、ミントフレーバーで」

「へいへい」


 軽く受け流しているようで、人知れずしょげている。尻尾が垂れてるから分かる。

 この地域、コーヒーがまったく馴染まない。好んで飲む人がいないのだ。とんでもない場所にカフェを開いたものだと思う。


「なんの話をしていたんだ?」


 シェナさんは当たり前のように丸椅子に腰を、視線を合わせて優しく微笑んだ。美貌に内心で気おされる。


「あ、コーヒーの産地を聞いていたんです。高原で取れるって」

「ああ……そうだな。霊峰山脈が大陸のど真ん中にあるから、輸送費もそれほどかさまないのが救いと言えば救いかもな。緑茶を、とか言い出したら大陸を横断するから大変なことだ」

「そうなんですか。需要がないのに安く済むのはありがたいですね」

「ああ。需要がない品を輸送すると、距離以上に値が張るものだからな」

「お前ら、需要がないって言うな! ったく……ほら睦、裏で着替えてこい」

「はぁい」


 裏に行く前に、扉のスクリーンカーテンを巻き上げて札をOPENに裏返す。店舗を横切って奥のバックヤードに入って。

 暗がりに体が包まれた途端。

 深くて重いため息が出た。


「お前は……甘えてばかりじゃ……」

「……ねぇよ。……がってんのは……だ……」


 シェナさんとマスターの声が扉越しにぼやける。遠慮のない掛け合いが交わされているのだろう。

 私には見せない表情。

 積み重ねた時間だけに許される距離感だ。

 手狭な倉庫の一角に設けられたロッカーに向かう。


 たった数歩の距離が、ひどく遠い。

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