第8話

「睦」

「あ、ともちゃん?」


 翌朝早々に、ともちゃんが私の机に手を突いて顔を寄せてきた。


「顔を見れば分かるよ、まだカフェに行ってないんでしょ」

「う、うん。でもすぐ行くよ」

「すぐっていつよ」

「そのうち……そのうちね」


 ともちゃんは体を起こした。


「ほ、ほんとにすぐ行くから」


 私の念押しになにも言わず、ともちゃんは踵を返して教室から出て行った。

 そして、教室に帰ってくることはなかった。そのまま無断欠席してしまった。

 怖くなる。

 尋常でなく怒らせてしまったらしい。

 なにやってるんだろう、私。

 こっちの世界の親友にまで心配かけて。

 唇を噛む。

 それでも。

 まだ、カフェには行けない。


 -§-


 新しいバイトにも少し慣れてきた。


 -§-


 他の女子グループにお邪魔してお弁当を広げる。

 こっそり教室の机を見た。お昼休み、教室にともちゃんの姿はない。ここ数日はずっとそうだ。いつも、気づいた時には教室から出て行っている。

 でも、仮に気づいても、声なんてかけられなかったと思う。


「睦ちゃん? 食べないの?」

「あ、うん。食べる食べる。おなかすいたー」


 ともちゃんとは、あれから話していない。

 こうなって初めて知ったことがある。

 ともちゃんは人当たりがいい、と思っているのは私だけだったということだ。

 全然なにを考えてるのか分からない……そんな評価を受けていた。


 確かに考えが読めないときもあるけど、基本的にはあけすけで、人にやさしくすることを楽しめる素敵な女の子なんだけど。

 そして呆れたことに、私は相変わらず華の女子高生として片手落ちらしい。

 なんというか。

 大人しめの子でも、けっこう普通に男女交際とかあるのね……びびるわ……。


 -§-


「ともちゃん」


 ともちゃんは呆気にとられたように私を見上げた。

 ちょっと笑って、放課後の窓を指差す。


「今日、時間あるかな。帰り、一緒に行きたい場所があるんだ」

「……いいよ」


 ともちゃんは、うなずいてくれた。

 一緒に下校する。校門を出て周りに人が居なくなって、ようやく話を切り出せた。


「一週間ぶりだね」

「……まだそのくらいだっけ」


 私もうなずく。もう何か月も離れ離れだったような気がする。

 ふうっと息をついて、ともちゃんが私を振り向いた。


「カフェには行ったの?」

「まだ」


 声を続ける。


「でも、この後行く」

「……?」


 ともちゃんが訝しそうに私を見る。

 ちょうどそのとき、曲がり角にさしかかって、私はともちゃんの袖を引いた。


「こっち」

「どこに行くつもりなの?」

「私の家。キッチンがあればいいんだけど、自由に使えるのは自分ちだもん」

「そ、……そう」


 ちょっと怯んだようだった。

 思えばともちゃんには、そんなところがあったような気がする。気さくに接するくせに、踏み込もうとすると逃げてしまうような。

 それでも、見せてくれる優しさは取り繕ったものじゃないと思ったから、いつしか歩み寄ることをやめていた。


――いつも通っているからって、知っているとは限らない。


 きっと、そういうこと。


 -§-


「お、お邪魔しまーす……」

「誰もいないよ。夜まで帰ってこないの。共働きだからね」

「そ、そうなんだ」


 やけに緊張していておかしくなる。


「構えないでいいんだよ。私んちなんだから」

「しょうがないじゃん。友達の家に行くなんて初めてなんだもん」

「あ、やっぱり?」


 にらまれた。かわいい。


「さ、キッチンはこっち。下準備は終わってるから、そんなに時間はかけないよ」


 ダイニングに座らせて、私はキッチンで取りかかる。


「まだ?」

「もうちょっと」


「ねーまだ?」

「まーだー」


「おい、何分経ったか言ってみろ」

「……ご、ごふん?」

「この家は光速で動いてるの?」


 そんなに時間はかけないと言ったな。

 あれは嘘だ。


「ごめん……たっぷり一時間もかかった……」

「怒るよ? それか泣いちゃうよ? 暇すぎて」

「ごめんて」


 放っておかれた猫みたいに、ともちゃんがテーブルにごろごろして拗ねている。

 かわいいかよ。


「はい、おまちどおさま。ラズベリーのムース」


 小皿に切り分けたショートケーキを出す。

 起き上がったともちゃんが目を丸くした。


「これ、むっちゃんが?」

「ネットのレシピそのままだけどね。食べてみて」


 ともちゃんがフォークを恐る恐る刺し、すくって口に運ぶ。

 あっと声をあげて破顔した。


「おいし、これすごい! ムースだ!」

「ふふん。でしょう?」


 全身全霊でドヤリング。

 ……まぁ、毎日練習して、レシピ通り作るのに一週間かかったんだけど。カフェは現金収入がないので、別の短期バイトに入らなきゃいけなかったせいだ。うむ。


「これを手土産に、カフェに行くつもり。お詫びの品が欲しくて」

「そう。そんなの、いらなかったと思うけどな」

「私もそう思う。でも、手ぶらはどうしても嫌だったの」


 自分の手を見る。包丁扱いのミスで負った指の傷をテープで覆っている。


ままで戻るのだけは、嫌だったから」

「……そっか」


 ともちゃんはムースを見つめて、微笑んでくれる。


 それからともちゃんは、お皿に残ったクリームまで丹念にすくって食べてくれた。


「おいしかった。ごちそうさま」

「お粗末様でした」


 報告とお詫びのつもりで誘ったけど。本当にともちゃんを誘ってよかったと思う。

 綺麗に食べてもらうのが、こんなに嬉しいなんて

 こぼれてしまう笑顔のまま立ち上がる。

 もうすっかり夜が近いけど、まだ少し時間はある。


「さて。ともちゃんのお墨つきももらえたし、いこっか!」

「うん。いってらっしゃい」

「なに言ってるの。ともちゃんも来るの」

「え?」


 笑顔のまま固まったともちゃんに、会心の笑みで返す。


「見たいんでしょ? ロシアンブルー」

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