第7話

「睦」

「ふぇ?」


 顔をあげると、ともちゃんが心配そうに私を見ていた。

 学校の窓は夕暮れに赤く焼かれている。

 口を開いたともちゃんは、なにかを飲み込むように微笑んだ。


「パフェ。食べに行こっか」


 慈しむような声。

 明らかに、なにもかも見透かされていた。

 逃げ出したい思いに駆られたけれど。


「……うん」


 昨日の今日で、私に行き場なんてない。


 -§-


「おいしーね」

「ほんと。近所にこんなお店があったなんて発見だよね」

「うん。はー、ベリーの酸味がすっきりして食べやすいな」


 砂糖みたいな香りがテーブルクロスからも立ち上っている気がしてしまう。

 ふわふわのパンケーキにたっぷりの生クリームが、ラズベリージャムに溶ける。


「んでもさ。パフェじゃなかったの?」

「むっちゃんソレ言うー? しょーがないでしょ。おいしそうだったんだから」


 ムスッと膨れるともちゃんのかわいい頬をつついて、パンケーキを頬張る。

 あまい。おいしい。しあわせの味。

 セットで頼んだホットコーヒーは、パンケーキの甘味で味わいが違う。

 普段お店で飲むコーヒーより風味が濃い。生クリームの甘いケーキが合ってすごく美味しかった。単品で飲んだらきっと苦いのに、まろやかで口当たりが優しい感じ。


「睦ってさ。ほんと一途だよね」


 頬杖をついてともちゃんが言う。


「にゃにが?」


 飲み込みながら聞き返したら変な声になった。

 恥ずかしい声に小さく笑って、ともちゃんが人差し指を振る。


「クイズ。むっちゃんは今、なにを考えているでしょう?」

「それクイズになるの」


 まるで朋華には私の考えなんてお見通しみたいだ。……実際、見透かされているんだろうけど。


「パンケーキとコーヒーのことだよ」

「はずれ」

「え? いや、はずれてないし」

「じゃ、惜しい。正解は」


 指で頬をつつかれる。ともちゃんの指先に生クリームがついていた。

 げ、やだ。恥ずかしい。紙ナプキンで頬をぬぐう私に、ともちゃんがささやく。


「カフェのこと。でしょ?」


 息を呑んだ。


「気晴らしってことで、ホントは聞かないつもりだったんだけど。睦のほうがバイトのことしか考えてないなら話は別。……今日も本当はバイトだったんでしょ? なにがあったの。教えて」

「べつに、なんでもないよ」

「睦はそう思ってない」


 見苦しいはぐらかしは通用しないぞ、という強い声。

 かなわない。


「……ケンカしたの。私はなんにも分かってないーってさ。ちょっと買い物に出ただけなのに」


 ともちゃんは追従も同情も口にせず、じっと私の顔を見ていた。

 気まずくてお尻を動かす。進行形で心を読まれている気がする。

 でも、読心術に身を任せた。ともちゃんなら私をどう裁くのか、気になった。


「お店って、近所じゃないんだよね」

「そう、まあ、うん。そうだね」

「近くにヤクザの事務所とかある?」

「え? いやないでしょ」


 思いがけない質問にともちゃんを見た。

 ともちゃんは、真剣な顔で私を見つめている。無責任な答えが恥ずかしくなって、語尾を濁した。


「……たぶん」

「最寄りの交番は場所わかる?」

「わ、わかんない」

「最近なにか事件あった?」

「ない……んじゃないかな。聞いたことない」

「普段は人通りがあるけど、夜はひと気がなくなる道とか知ってる?」

「そんなところあるの?」

「この辺で例えると、北口の薬局がある通り」

「……ああ……」


 返事してるうちに情けなくて泣きそうになった。

 ぜんぜん答えられることがない。


「通ってることと、知ってることとは違うんだよ。知らないことがパフェのお店ならいいけど、もし危険なことだったら? 迂闊に歩かせられないよ」

「そ、」


 その通りだと思うけど、こっちにだって言い分がある。


「それなら事前に教えてくれればいいじゃん! それに、だからってあんな……子どもみたいに」

は、守ってもらえる理由じゃないよ」


 奇妙にはっきりとした言葉。


「……ともちゃん?」」


 ともちゃんは感情の読めない顔を改めて、いたずらっぽく舌を出す。

 優しく、明るく、楽しそうに。いつもの魅力的な笑顔に。


「んふ、ごーめん。とにかく、子ども扱いはね。守ろうとしてくれる優しさの裏返しなの。邪険にしちゃだめだよ」


 ともちゃんはすごくかわいくて優しくて色っぽい。とてもいい子だ。

 こんなに素敵な女の子なんて、はいない。

 ……その先は、考えてはいけないのだろう。少なくとも、彼女から話してくれるときまでは。

 ともちゃんが椅子を動かして、私に肩を寄せてくる。


「ね。今度案内してよ。そのお店」

「あはは……今度、ね」

「見てみたいな。ロシアンブルーみたいな店長さん」


 ぎくりとして顔を見てしまった。

 ともちゃんは楽しそうに微笑む。

 黒い瞳は底知れない優しさで塗り固められている。

 果たして、私に聞き出せる日はくるのだろうか。


 -§-


 扉の前で立ち尽くしてしまった。

 いつもの洋風ドア。学校帰りのバイトの時間。

 私はもう一度足を挙げて、その場に下ろした。


「は……入りずらい」


 どんな顔して入ればいいんだろう。

 どんな顔をされるだろう。

 ウルカさんに謝らなくちゃ。

 マスターにも、シェナさんにも。

 ドアノッカーに手を伸ばして。


「…………」


 そっと、指を離した。

 閉ざされたまま、板のままのドアを見る。

 息をついて、回れ右。ゴミ捨て場を後にする。

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