いけ好かない年下のイケメン(2/7)


 大石葵は月面の重力が苦手だ。人工的に加速されている為か、地球のそれと同じように調整されているにも関わらず、どうにも落ち着かない。そこまで考えて大石は自分の考えの矛盾に気付いて笑う。


 そもそも月面遺跡の発掘遺物は人工的な物なのであろうか? そもそも十数億年前に地球に生命と、生命の残滓を送り込んだ箱舟を人工物と呼んで良い物だろうか?


 そもそも、今地球に生きる人が作ったものでもないだろうに。


 ドーム状のレクリエーションスペースで上を見上げると


 出来れば、ツバサと一緒に見上げたいと思うのだが。彼女は彼女で月面に来ると忙しい。アルテ皇帝陛下が妙に彼女と懇意にしたがるのだ。生物として彼女たちは間違いなく同類であり。その上で月面人ルナリアンではない彼女を、皇帝陛下は気にかけて下さっているのだろう。


 それはそれとして、もう30を過ぎて。付き合いが20年に迫ろうというのに。未だに結婚出来ていない自分たちの都合も少しは考えて欲しいと思う。


 何度か告白じみた事はしたはずだ。一度ならず深い関係になった事もある。


 けれども彼女は、それでもこちらがそれを切り出そうとすると。何かと理由を付けて逃げていく。


 まるで怯えた猫だ。相応に懐かれているとは思うが。それでも相手は踏み込んでこない。強く抱きしめようとすれば、それだけでここから消えてしまいそうな危うさもあって、手詰まりとは言わないがどうにも決め手がない。



「うーん、これはこれは。大石中尉じゃありませんか。ここは地球が綺麗ですね? と世間話を始めるべきですかね?」


「稲葉中佐殿、残念ながら自分は異性愛者かつ長年攻めている相手がいますので」


「それは残念、まぁ流石に軽いジョークの類ですよ」



 稲葉中佐、彼が若干20代半ばの若さでこの地位にあるのは。間違いなくルナリアン戦役での活躍があっての事だ。パイロットとしての実力は自称公式共に1機と語る程でもないが。甘いマスクと社交的な性格。


 そしてなりより部下の無茶な発想を実現するという部分で、ハヤテ=ムーンフェイズから戦術眼を引いた程度の指揮官と評価すべきだろう。


 ただ人間的な魅力が同じならば、その上で男性である彼の方が男性社会である軍隊では出世しやすい。それだけの話である。



「それで、何か俺に用事でも?」


「うんまぁ、明日予定されている模擬戦についてちょっと話があってね?」



 その言葉に大石は居住まいを正す。月面帝国の宇宙服は地球で作られたものよりもずっと着心地が良いが。それでもスーツと同じくらいには気が引き締まる。


 そもそも大石は、この模擬戦の意図を理解出来ていなかった。


 旧式かつ既に生産ラインが停止しているX01を、エクスバンガード及びフルアーマーバンガードと月面で対戦させる。意味はあるだろう。人類最強の人型戦闘機械が何であるか決定する為の戦いというのは間違いなくロマンがある。


 だがそのロマンだけで100億近い予算を消費する意味はあるのかと問われると、首をひねらざるを得ない。そしてこの模擬戦を企画したのは彼なのだ、否応にも不信感とは言わないが、それに近い感情を抱いてしまう。



「……目的をお話して頂けると?」



 そして何より、ほんの少しだが。彼の眼を見ようとすると上目遣いにならざるを得ないのが気に食わない。15歳の時より背は伸びて、20歳を過ぎる頃には人並みの上背は手に入れた。けれどもそんな自分よりも数センチ背が高い。


 また、雰囲気は全然違うが。人たらしな所が八神を思い出させるのも彼に対するマイナスポイントだ。最も無自覚な部分が強かった八神とは違い。稲葉は半ば自覚的に自分の人懐っこさを利用しているのだが。



「うん、まぁツバサちゃんとのコミュニケーションだね。異文化交流って奴?」



 へらへらと、長身のイケメンは建前を吐いた。少なくとも大石はそう理解する。



「本当に、それだけが理由で?」


「うん、まぁね。そうだね大石中尉。ってどうやったら死ぬと思う?」


 

 その問いかけに対して、手を出さなかったのは。半ば奇跡であった。


 ギリギリと拳を握りしめる。実際に自分と、そしてツバサを狙った作戦は幾つか計画され、そして実行されている。そしてこれもまた、その目論見の一つなのだと早合点しそうになったのだ。


 だが、もしそうならば。ここで大石に開示する必要はない。だからこの気に食わない年下なイケメンの言葉をもう少しだけ聞くことにした。



「まぁ、僕も思考実験としてやってみたんだけど…… まぁ、割に合わないよね。どうしようもない、それこそ本気でやるなら月面遺跡最奥の超越知性案件だよ」



 まぁ、そもそも。最後のエイリアンよりも。月面の超越知性の方が恐ろしいんだけれどね。と稲葉中佐はおどけて笑う。


 ギリギリの一線を、いや自分のやっていることが地雷原でタップダンスを踏むのと同レベルであると理解した上で、この道化っぷりは一周回って恐れ入る。



「だから、異文化コミュニケーション。ですか」


「そう、実際に人類と戦うって事がどういうことなのか。彼女に経験して貰う。なんにせよ彼女は余りにもコミュニケーションの経験値が足りていない。あれじゃ下手に爆発すればどうなるか、中尉も理解はしているんでしょ?」



 稲葉中佐のツバサ=ムーンフェイズに対する、意外な程の理解の深さに。大石は内心舌を巻いた。大石が見る限り、ツバサと接触する人間の数はとても少ない。片手で足りる程度の人数。


 ああ、あるいは彼女の姉や、かつて恋していた男が口を滑らせたのだろうか。そんな邪推が頭を過るが、けれどその疑念はすぐに霧散する。この男がそんな真っ当な手段で情報を仕入れるとは限らないのだから。



「だがら、ルナリアン戦役の英雄をぶつける。西村最上級曹長と高橋中尉。君とツバサ君のエイリアン戦争における最強のコンビに立ち向かうなら、これ以上ない組み合わせだろう?」


「それを中佐はコミュニケーションと呼ぶのですか?」


「当たり前じゃない。どんな形であれ、コミュニケーションは相手を同格だと成り立たないんだからね」



 成程と、大石は苦笑する。この一見上から目線に見える若き中佐殿は。どうやら自分が思っていた以上に愉快で、そして苦労人、あるいはコミュニケーションをとる為の苦労を惜しまないタイプだと理解出来たのだから。


 自分の様に口下手なタイプとしてはうらやましくもある。



「しかし、こちらに対して何は注文は無いのですか?」


「そうだね、最後までツバサ君とどうなりたいのか考えていて欲しいかな。その上で人類に味方するもよし、一緒にツバサ君を倒すもよしだ。君が止めを刺すというのなら僕らはそれに協力するよ」



 そう告げて、稲葉中佐は手をひらひらと振りながら。レクリエーションルームを後にした。一人残された大石は、再び強化ガラスの向こうに浮かぶ地球を見上げてため息を付いた。


 青い星は、大石の悩みに何も答えを返すことなく。ただ静かに浮かび続ける。

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