依頼
久山と名乗った女性は、遠慮がちに応接ソファに座った。右代宮は、いつのまにか淹れていたコーヒーをもって応接テーブルに運ぶ。昨日俺に出したのとは違う、ソーサー付きのちゃんとしたカップだった。それを依頼人の前に置き、「どうぞ」とシュガーポットも差し出した。久山は会釈した。
改めてよくみると、歳は20代後半くらいか。全体的に線が細く、薄着の割にほとんど焼けていない白い肌をしている。目じりが下降気味で、胡散臭い事務所に対する不安も相まってか、
右代宮が切り出す。
「それで、久山さんのは、どういった件でこの事務所に来たんですか」
久山は少し言いづらそうに、とつとつと話しだした。
「あの…この事務所って、なんでも依頼を受けてくれるというのは本当ですか?」
「もちろん、不可能なご依頼はお受けできません。まずは、久山さんが解決したいと考えている問題についてお聞かせいただかないと」
「そう、ですよね。でも、問題と言うか、そんな大げさなものじゃないんですけど…」
「ご心配なさらず。私たちはかなり手広くやっているので、お手伝いできることもあるかもしれません」
「そうですか」
はたから見ていても、初めは心配そうだった久山が、次第に右代宮に心を開いていくのが分かった。
普段のあっぱらぱーな振る舞いとは裏腹な、相手を短時間で信用させる話術には俺も舌を巻いた。職能なのか、それとも、元々持ち合わせている才能か。
俺は霜月と同様、依頼人の気を散らさないように、部屋の隅で静かに話を聞いていた。
久山は話を続ける。
「その、解決してほしいというのが、実は……。私、ストーキングされてるみたいなんです」
いきなり物騒な単語が飛び出したので、俺は目を丸くした。というか、それはどう考えても警察案件な気がする。
しかし、右代宮は異論を挟まず話を促した。
「それは、いつ頃からのことでしょう」
「1カ月くらい前からです」
「どんな人物ですか」
「私と同じくらいの歳の男性で、中肉中背の」
「面識や、見覚えはありますか」
久山は、なにかを思い出そうとするように左上の空中を見つめた。
「それがなんだか、見たことがあるような、ないような、よくわからないんですよね」
「そうなんですか」
不謹慎かもしれないが、俺は徐々に好奇心が刺激され始めた。なんだか、サスペンスかミステリードラマのようじゃないか。
それに久山の口調には、今にも危害を加えられそうという、切羽詰まったような雰囲気がない。ストーカーの話をしている割に、のほほんとした空気すらある。
「見覚えはあるような気はするんですけど、その人が、私の家の周りをうろうろしてたり、近所に来たりするんです」
「実は家が近所で、たまたまということはありませんか」
「いいえ。よくわからないんですけど、わざわざ電車で駅から来てるようなんです」
「話しかけられたりは?」
「いいえ。家とかを、じっと見てるんです、5分くらい」
「話しかけられたり、贈り物をされたりしたことは」
「それも、ないです」
うーん。本当に久山の言っているような行動をとっているとしたら、ただの誤解や、自意識過剰ということではなさそうだ。
ではなおさら、相談相手が違う気がする。俺は思わず口を挟んだ。
「あの、警察とかには相談されたんですか」
「え?」
久山は、俺が突然話しかけたので少し驚いた。
「ええと、警察、ですか…」
その時、久山は、なんというか不思議な表情をしていた。
非を指摘されたと思って怒るとか、実は警察に相談できないような後ろ暗い事情があるとか、はっきりとした感情ではない。
むしろ、警察という言葉の意味があいまいなような、質問の意味が分からないような、戸惑った表情をしていた。
助け舟なのか、右代宮が説明を引き取った。
「こういうストーカー事件は、実際に接触されたり、なにか危害を加えられたりするまで、なかなか警察が動いてくれないこともありますから」
「え、ええ、そうですね」
右代宮の説明に対して、久山はあいまいに頷いた。そういうものだろうか。
「それで久山さん、あなたは、私にどうしてほしいのですか」
「できれば、ストーカーの人が誰なのか、どうして私に付きまとうのか、知りたいんです」
俺はまたも首をかしげた。普通、近寄らないようにしてほしいとか、できれば証拠をそろえて警察に被害届を出したいとか、そういう依頼をするじゃなかろうか。
ストーカーの正体を知って、どうするつもりなんだ?
しかし、右代宮はもっと不可解なことを言った。
「そういった質問を、久山さんが直接したことはないんですか」
危機感のなかった久山も、この提案にはさすがに驚いたようだ。
「そんな、そんなことできないですよ。知らない人ですし、何を考えてるかもわかりませんし…」
「それもそうですね」
さっきから、久山も右代宮も何を言っているんだろう。俺は狐につままれたようだった。
久山は、おずおずと尋ねる。
「それで、依頼は受けていただけるのでしょうか」
どうするんだろう、と俺は右代宮をうかがった。
右代宮は一度コーヒーに口をつけ、カップを戻した。
「わかりました。そのご依頼、承りましょう」
右代宮は上品な笑顔で応じた。
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