1件目
来客
翌朝8時41分、俺は
地図を確認すると、駅から右代宮事務所までは徒歩10分の距離だ。俺は方向を確かめて駅を出た。
迷わないようになるべく大きな通りを進んでいくと、やがて見覚えのある道に出た。
外側から近づいて初めて、その雑居ビルのある通りの雰囲気が分かる。通り全体が、胡散臭いというか、いかがわしい雰囲気を醸し出していた。
まず、人通りが少ない。元々は商店街だったようだが、今開いている店は少なく、電飾が付いたけばけばしい立て看板は、明かりが消えている。閉まっている店は営業時間外か、店を畳んだかのどちらかだろう。
町並みも古ぼけていて元の活気はなく、街頭やレンガ塀でさえ、年月を経て疲れ切っているようだ。
そんな道を歩いていくと、昨日のビルが近づいてきた。やがてビルの入り口にたどり着く。入り口は両開きのガラス扉で、それを押し開けようとして、違和感を覚えた。
そういえば、昨日は非常階段から出入りした。正面から入っても大丈夫だろうか。
少し迷って、入り口を横切って非常階段に向かった。錆びた板を踏んで踊り場に出ると、重い鉄扉を静かに押してみる。鍵はかかってない。中に入ると、昨日見た通路が延びていた。相変わらず静まり返っている。廊下を歩いて事務所のドアの前に立つ。
恐るおそる、ドアをノックしてみた。
「どうぞ」
右代宮の返事だ。俺はドアを開けた。
パンッパパンッ!!
突然両側で破裂音が炸裂したので、俺はびっくり仰天して「ギャアッ!」と叫んだ。
そして漂ってくる、火薬の匂いと紙吹雪。
「はっはっはっは! びっくりした?」
「~~~びっくりするに決まってんでしょ!! なにすんですか!!」
入り口のすぐ脇に立っていたのは、クラッカーを持った右代宮と霜月だった。なんと、あの内気な霜月までもが、この狂気じみたサプライズに加担したらしい。
「新人バイトの歓迎だよ。虎太郎の初出勤を盛り上げようと思って」
「誕生日みたいな盛り上げ方しないでください!」
いきなり爆音に晒されたので、心臓がばくばくする。
「すまんすまん。ついテンションが上がってしまった」
抗議しても、右代宮はどこ吹く風だった。俺はため息をつく。
「それで、初出勤で俺は何をすればいいんでしょう」
「積極的だな虎太郎。ただなあ」
右代宮はうーんと唸った。
「今日の13時までは仕事がない。昼過ぎに依頼人が来る予定でね。それまでなにをしてもらおうかな」
「まさか、俺の初仕事が、これの片付けってことはないでしょうね」
俺は床に散らばったクラッカーの残骸を指さした。
右代宮は、ぽん、と手を打った。
「そうしよう! 依頼人が来るまで、みんなで事務所の大掃除だ」
完全に失言だった。しかも片付ける範囲が事務所全域に広がってしまった。
出勤早々重労働になりそうな気配に、俺は肩を落とした。
この部屋の掃除というのが、非常に難航した。
まず掃除に取り掛かろうとして判明したのが、右代宮と霜月には、整理整頓の能力が著しく欠けているということだった。
そうでなければ、ここまで部屋が散らかることもないだろうが。
「虎太郎、掃除って一体、何からすればいいんだ?」
言いながら、右代宮はやけにきれいな装飾の布を、雑巾にしようとしている。
仕方ないので、俺が指揮を執ることにした。
「えっと、じゃあまずスペースを作りたいので、いるものといらないものを分別します」
「断捨離か」
俺は部屋の隅に乱雑に積まれた段ボール箱を何個かもってきて、その辺に転がっていたペンで『いる』『いらない』と書き込んだ。
そしてちょっと考えた後、まずはボスの席周辺からスタートすることにした。
「右代宮さん、机の上から片づけようと思うんですけど、手伝ってもらっていいですか」
「オーケーオーケー」
俺と右代宮は机の前に立って、一つずつ品物を要・不要に分けることにした。
俺にはごみとその他の区別がつかないので、右代宮に確認しながら進めていく。
「本は、全部保管でいいですか?」
「んー、まあ一応そうしとこう」
その〝一応保管″というのが、この惨状の元凶だと思うのだが、今はそれを言っても始まらない。俺は、まずは本とわかるものだけを机の上から取り除いて、『いる』の箱に詰めた。
そもそも右代宮の机には、よくわからんものが多数置いてあった。
何語か読めない文書、古びた巻物、陶器製の小箱、用途不明なガラス細工。
何に使うのかわからないがなんとなく高価そうな品々を、右代宮は豪快にゴミに分別していた。
相変わらず額から角を生やしている霜月は、俺たちの様子を遠巻きに見ていたが、やがてちょっとずつ近寄ってきた。
そして、聞こえるか聞こえないかの小さな音量で尋ねた。
「なにかすること、ある」
「じゃあ、紙類だけ全部取り除いてくれない? あとで、右代宮さんにまとめてチェックしてもらおう」
「わかった」
霜月は雑然と散らかった中から、紙だけ集める作業をもくもくとこなした。
そうして30分間分別作業を進めていくと、ようやく机の表面が見えてきた。なぜ平らなはずの机に山ができるのか謎だったが、どうやら、机上ラックやレターケースに入りきらなくなったものを、その上に次から次へと堆積させた結果だったようだ。
「おお、虎太郎。机らしくなってきたな」
「よくこんなになるまで放置しましたね」
「整理したら、なんだかやる気が湧いてきたぞ。この調子で事務所もきれいにしよう!」
勝手がわかってきたので、そこからは作業がはかどった。
ごみ捨てを右代宮、掃除機を俺、窓や戸棚の拭き掃除を霜月が分担し、事務所は徐々に文化的な内装に戻っていった。
床に掃除機をかけていると、ヘッドが狸の信楽焼の足にぶつかった。
「この置物、なんでこんなとこに置いてるんですか? 捨てちゃダメなんですか?」
俺が狸を指すと、右代宮が間に割って入った。
「なんてことを言うんだ! タナベさんを捨てることは許さんぞ!」
なぜか急に迫真の演技をし始める。しかもそれがツボに入ったらしく、霜月が大きく噴き出している。
めんどくさいのでボケは無視した。
「置いとくんだったら、絶対お客さんに変だと思われるので、せめてきれいにさせてください」
「それはいいね。良かったなタナベさん」
右代宮はタナベさんの頭をなでなでした。
しょうもない茶番を挟みつつ、3時間後にはようやくまともな事務所になった。
室内にある物体は半分がごみだったらしく、それを外へ出したら、ずいぶん部屋が広くなった。拭き掃除もしたので不潔さもなくなった。これで、依頼人の信用を失って依頼が取り下げられるという事態は避けられそうだ。
掃除道具を片付け手を洗っていると、どこからともなく鈴の音がした。
顔を上げると、右代宮が窓越しに外を覗いている。
「依頼人が来た。虎太郎、迎えに行ってくれないか。外付けの階段から案内してくれ」
「わかりました」
俺がビルの外へ出ると、正面の入り口前に、ワンピースを着た女性が立っていた。大きな麦わら帽子をかぶっていてい、季節を感じさせるいで立ちだった。このさびれたビルが本当に目的地なのかどうか訝っているようだった。
ビルの脇から近づくと、女性が俺に気が付いた。
「あの、右代宮事務所にご用ですか」
「あ、はい、そうなんですが…」
女性は戸惑っている。
「事務所に案内します。こっちへ」
そう言うと、女性は心配そうに後からついてきた。
ただでさえ不審なビルなのに、非常階段から中に入るという構造に、一層不信感を募らせている。俺も理由がわからないのだから仕方ない。
事務所前に着くと俺はドアをひいて、依頼人を中へ招いた。
今度は、右代宮はクラッカーを鳴らさなかった。事務机の椅子に深く腰掛けて、手を組んでいた。今日の騒動を知らなければ、ものすごく風格を感じさせる格好だ。
「ようこそ。私が右代宮です。
「はい、そうです」
女性は部屋に入りつつ、きょろきょろと辺りを見渡して、言った。
「あの…思ったよりちゃんとした事務所なんですね」
それを家主に直接言うのもどうかと思ったが、大掃除のかいあって、多少は依頼人の信頼を得られたらしい。
雇用者の俺としてはほっとするばかりだった。
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