上昇

 教室一つ分くらいの広さの四角い足場がある。それは一本の太い柱に支えられていて、壁とは隣接していない。四方の壁は足場から均等に一メートルほど距離を取り、天蓋という区切りはなく、気の遠くなるほど高く真っ直ぐ伸びている。足場の縁には一メートルほどの鉄柵が立ち、不意の落下を防いでいる。通路と足場の間には、可動式の床が渡されている。もふもふがまず渡り、栞もそれに続いた。


 辺りは明るかった。光源は足場の下から来ていて、可動式の床を渡るとき、栞は光源の正体を見つけた。足場の下には、一本の太い鉄柱が覗いている。それをずっと下に追うと、数メートルほどでエメラルドグリーンの液体に呑みこまれる。この、『エメラルドグリーンの液体』が、怪しく、眩く、光を発しているのだ。


 二人が足場に足をつけると、機械音が唸り始めて、可動式の床が通路側へと引っ込み始めた。栞は驚き、もふもふを見つめるが、もふもふは何事もないかのように、足場にちょこんと腰を下ろしている。


 栞はもふもふの傍によって、取りあえず膝と、手を足場につけた。なんとなく足場が動くような気がして、立ったままだと危ないと思ってそうした。案の定、足場は轟音を立てて動き始めた。


 栞の歩いてきた通路が段々と下に落ちていき、足場の影に呑みこまれる。足場は上へと上昇している。ちょうど、エレベーターのような具合だ。ただ、上昇速度が結構早くて、怖くて、栞は思わずその場に丸まって目を閉じた。もふもふが気を使ってか、尻尾を栞の胴に乗せて腹巻のようにしてくるのが、少しだけ有り難かった。





 絶叫マシーンを耐え忍ぶが如く震えていると、段々上昇速度が落ちて、最後はガクンっと足場が止まった。もふもふが尻尾を解いたので、もう安全かと目を開ける。


 まず、明るかった。それは朗らかな太陽光的明るさだった。視野内にまで寄ってきていたボロボロの天蓋の隙間を縫って、日の光が幾つもの柱を作っている。栞は天蓋を見上げて目を細め、それから、視線を落として一方の壁を見た。壁には――壁一面には、両開きの大きな扉が据えられていた。人の手では到底ビクともしなさそうな、重厚な洋装の扉だ。


 扉には王冠を被った人間らしき者の絵が描かれていて、彼は右手に金色の杯を持ち、豪奢な椅子に腰掛けている。瞳には実物の宝石が埋め込まれているのだろうか、キラキラと日光を反射している。瞳は赤で、ずっと遠くを見据えている。多分、偉い人なのだろうということだけは、栞にもよく分かった。


 栞が座ったまま呆けていると、もふもふが尻尾でぺしぺしと膝を叩いた。何か、焦っている様子だ。そのことに栞が気づくと、もふもふは尻尾の先を、扉とは真反対の方へ向けた。振り返ると、そこには壁に固定された梯子があって、それは天蓋近くのダクトへと伸びている。あれを登れと、もふもふは言っているのだろうか。


 栞は躊躇しつつも、もふもふにせっつかれる形で梯子へと急いだ。途中で、前触れもなく機械音が響き始めた。それは、足場が上昇していた時の駆動音とよく似ていて――。


 ガクンと足場が下降を始めた。


 弾かれたように走り出すもふもふ。その尻尾は栞の右手に絡みついていて、しかも恐ろしい程に強靭な力で、半ば引きずる形で栞を梯子へと引っ張っていく。


「あっ、わっ……!」


 栞は殆ど為すがまま、もふもふは栞を牽引して、二人は足場から梯子へと飛び移った。





 梯子へ絡みつき、足場が降りていくのを見守る。足場は最早、落下といっても差し支えない程の速度で下降し、瞬く間に小さな点となって闇に呑まれた。


 どれほどの高度まで来てしまったのか、栞には想像もつかない。


 もふもふは栞の腕に尻尾を絡めたまま、器用に梯子を登り始めた。負担のない程度に腕を引かれつつ、栞も梯子を登り始める。





 ダクトにはすぐに辿り着いた。ダクトは埃っぽく、破損個所があるのか、所々に陽が入ってきており明るかった。発光するようなキノコやカビは生えてはいなかった。ダクトを通っていると、時折、風の唸る音が大きく響いた。このダクトは外へ通じているのだろうか。栞はそんなことを思いながら、もふもふの小振りなかかとを追った。


 ある角を曲がった時、四角く切り取られた光が見えた。ダクトの末端に、どうやら辿り着いたらしい。栞はもふもふに着いて前進しつつ、眩い光に目を凝らした。今度は一体、どんな所へ出るのだろうか。これだけ登って来たのだから、まともな場所ではないのだろうけど。そう思いつつダクトを抜けて――。





 栞は死にかけた。

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