看板と門と影

 雨と霧と煉瓦を見ながら、栞ともふもふは並んで歩いた。辺りに建物の影はなく、人の影も、生物の気配もない。二人は取りあえず唯々ただただ真っ直ぐ突き進んで、そしてようやく、一本のポールと六枚の看板を見つけた。それぞれの看板には矢印と英語表記の施設名が併記されており、少なくとも、この世界が英語圏のどこかに存在しているらしいことを教えてくれる。


 しかし栞はまだ八歳で、残念ながら英語は読めない。ただ、どの矢印に従おうとも、最低限、人と建物は在るらしい。なら、どれを選んでもいいや。そんな考えの元、栞は一番下の看板を選択する。


「いい?」


 栞が尋ねると、もふもふは「きゅうぅ」と声をあげた。英語圏の世界の住人なのに、栞の言葉が分かるのだろうか。それとも、ただ声をかけられたから、それに応えただけなのか。


 何はともあれ、栞が一歩踏み出すと、もふもふは隣を歩いてくれる。


『Einzig,Ripley,Joint weapons factory』(アインツィヒ:リプリー:共同兵器工廠)


 そう表記された看板に従い、二人は再び歩き始めた。




 暫く行くと、白い霧が陰り始めた。巨大な建物の影をバックに、灰色に濁っている。栞は一旦立ち止まり、もふもふも釣られて立ち止まる。二人の行く先に門がある。高さが五メートルはありそうな大きな門で、鋼鉄の柵はぴっちりと閉じられている。ただ、柵の支柱と支柱の隙間を、栞ともふもふなら通り抜けられそうだ。


 よく目を凝らすと、門柱の前に人影がある。栞ともふもふはゆっくりとその影に近づいた。霧の取り除かれた距離に立っても、人影は人影のまま、全身が真っ黒で、輪郭ははっきりしているのに、幽霊みたいに気配が薄い。栞ともふもふは手の触れられそうな位置に立って影を見上げているのに、その影は栞に全く気づかず、銃を提げて立ち尽くしている。


「あの……」

「…………」


 試しに、栞はちょっと触れてみた。人影は確かにそこにあって、指先には抵抗を感じる。でも、やはり人影は何事もないように立ち尽くして、霧の煙った遠くを見ている。


 とことこともふもふが走り出した。栞は驚いてもふもふの後姿を見送る。もふもふは影から三メートルほど距離を置き、踵を返し、駆け出した。俊敏な助走、そして跳躍、からのドロップキック。もふもふの短い両足が影にずむっと突き刺さる。でも、影はよろけることもなく飄々ひょうひょうとしている。どうやら、何をやっても無駄らしい。


 栞は尚も暴行を加えようとするもふもふを抱き上げ、鉄柱の合間をすり抜けた。何か起こるかと期待したが、別に警報が鳴ったり、警備員が駆けてきたりすることもなく、辺りは静かなままだ。


「行こっか」


 栞は呟き、もふもふを放す。二人の目の前には巨大な建築物の影がそびえている。霧の向こうのそいつを目指して、栞ともふもふは構内を進む。

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