第4話ヲタ君の家庭教師「御柱様」

高校時代、周りからヲタ君と馬鹿にされていた俺は、とある家庭教師の先生と出会った。


見た目は清楚な女子大生だが、その本性はまったくと言っていいほど真逆だ。


猫かぶりというか羊の皮というか、とにかく何枚の化けの皮を被っているのやら。


そんな先生だが、実はもう一つの顔がある。


この世とあの世の狭間にある境界線。


その境界線を踏み越えた先にある、怪奇な世界。


そんな怪奇な世界を、先生はまるで散歩でもするかのように、暗闇の中、嬉々とした瞳で歩んで行く。


そう、これこそが先生の本当の姿だ。


そしてこれから話す事は、日常と、非日常に彩られた、先生と俺が体験した、怪奇の一つ……。


暑い。


それにしても暑い。


冷房のリモコンを手に取り設定温度を上げつつ、部屋の時計をチラリと見る。


時刻は午後4時。


日も沈みかけ、外では忙しなく鳴き続ける蝉達に混ざり、ひぐらしのかん高い、


キキキキキ……。


という物悲しい泣き声が響いていた。


家庭教師の先生が午後1時に来てから早3時間、が、肝心な先生は来て早々、


「自習してろ」


の一言で、俺を部屋に閉じ込め、自分は一人家の中を何やら調べまわっている様子。


しかもこれが一度ではない、もうかれこれ3日は続いている。


俺の家庭教師として雇われた身なのだから、ちゃんと給金分は働いて欲しいものだが、先生のこの奇怪な行動には、一応訳があった。


きっかけは、俺が4日前に、この家で体験した話を先生にした事が、ことの始まりである。


以下、4日前の話。


俺は深夜トイレに行こうと目を覚ました。


前にも話した事があったと思うが、俺の住んでる家は、母方の祖父が用意してくれたもので、元々は失踪した祖父の弟さんが所持していた家だそうだ。


なにぶん古い日本家屋なので、俺と母親が住みやすいように所々リフォームはされているものの、伝統的な武家屋敷のような作りの家は、その静けさも相まって不気味に見えるものだ。


しかも先生曰く、この家は何かと訳ありで面白いとの事。


つまりは幽霊好きの先生から太鼓判をおしてもらったようなもの。


そんな家に一人暮らす俺の身にもなってほしいものだ。


悪態をつきつつ、俺は早々と用を足しトイレを出た。


月明かりに照らされた、薄暗い廊下を歩く。


みしみし、と歩く度に乾いた木が軋む嫌な音が、静寂に包まれた家内に響く。


バチッ、


突然何かが割れるような音がした。


家鳴りというやつか、思わずビクリと首がすくんでしまう。


反射的に近くにあった柱を掴んだ。


すると、何やら指にかすかな感触があった。


最初はただの柱についた切り傷かと思ったが、よくよく触ってみると、それは規則的な形の傷をしており、何やら柱に刻まれた文字の様なものだという事に気がついた。


気になった俺は廊下の明かりをつけ、再度その柱をよく見てみることにした。


この柱は、元々一階の居間に通じる入り口の柱だったのだが、そこにあった襖を先週俺が誤って破ってしまい、以来襖を取り外した場所でもあった。


そのせいで、今まで柱に文字が刻まれていたことに、気がつかなかったのかもしれない。


顔を柱に近づけ、文字らしきものを確認しようと目を凝らす。


何分古い柱で色も劣化しているため、字が読みにくい。


が、かろうじて読める部分があった。


フク。


カタカナだ。


フクと書いてある。


フク、福があるように、とか?


安直な考えだ、いや、名前か?


が、うちの親戚や先祖にフクなんていう名前は聞いた事が無い。


何だろう、そう思案していた時だった。


カチッ、


電気が消えた。


おいおいおいおいおい、


思わず身をすくめ辺りを急ぎ見渡す。


停電か?


直ぐにそう思い直し、配電盤のある場所へ向かおうとしたその時、


掴んでいた柱が、まるで氷柱のような冷たさに変わった。


「わっ!」


思わずその場から退いた、が、手だけが、まるで瞬間接着剤で固められたかのようにビクとも動かない。


そして次の瞬間、俺は柱の影に見てはいけないものを見てしまった。


いつの間に、本当にいつの間にかだった。


柱に寄り添うように、背中をべったりとくっつけた、着物を着た女性の後姿が、俺のすぐ目の前にあったのだ。


「あっああっ……!?」


口が回らない。


叫び声をあげようにも、それすらもできない。


金縛り!?


血が凍りそうなほどの悪寒が襲ってくる。


瞬間、視界が歪んだ。


同時に、突然頭の中に訳の分からない映像が浮かぶ。


何だ……これ?


激しい流水音。


すくい上げられ舞い上がる泥水。


これは、水、水の中?


「うぐっ!?」


喉が詰まるような感覚、息が、息ができない。


苦しい……助け……!


全身から力が抜け落ち、意識が遠のいていく、深い深い、闇の底に……。


こで俺の意識は途絶えた。


気がつくと、俺は居間の柱にもたれるようにして倒れていた。


どうやら朝方まで気を失っていたらしい。


以上、4日前、俺が家で体験した全てだ。


先生に相談したものの、まさかこんな扱いを受ける羽目になるとは、思っても見なかった。


さてどうしたものか、今日もこのまま日が暮れていくのか。


シャーペンを指先の上でクルクルと回しながら、窓の外で沈み行く夕日を眺めていた、その時だ。


バンッ、


と、襖を激しく叩きつける音が部屋の中に響いた。


すぐに後ろを振り返る。


思わず手からシャーペンが零れ落ちた。


「終わったぞ、ついて来い」


先生だ。


入り口で腕組しそれだけを言うと、今しがた上ってきたであろう階段を下りて行った。


「えっ?終わったって、ちょっ待ってくださいよ先生!」


突然現れて何言い出すんだこの人は。


俺は仕方なく立ち上がると、急いで先生の後を追った。


一階に下りると、先生が件の柱の側にいた。


正直あそこにはあまり近づきたくない。


トイレだって、わざわざ部屋から少し離れた来客用のトイレを使っている。


が、先生は俺に気づくと無言のままこちらを見た。


行かないとだよな……。


俺は肩を落としながら先生の元へ向かった。


「それで、何が……終わったんですか?」


嫌々そうに俺がそう聞くと、先生は何も言わずに柱の一部を顎で指した。


ん?


先生の指し示す場所に目をやると、そこには、


「ああっ!は、柱が削られてる!?な、何て事するんですか!?」


そう、柱の表面の一部が、何か刃物のようなもので削られていた。


この人は器物破損という言葉を知っているのか!?


「仕方ないだろ、お前のためにやったんだぞ」


「お、俺のため?器物破損が?」


「4日前、お前が死にそうな目にあっただろ?」


4日前、俺が気を失った事か?


「死にそうにって、確かに気を失いはしましたけど……第一何で削らないといけないんですか?」


俺が聞くと、先生は少し険しい顔になった。


そしてその瞳には、どこか妖しい光りも灯っている。


こんな時の先生はやばい。


何かある。


俺の中にある危険を知らせるアラートが、ドクンドクン、と大きな音を立て始める。


「柱に名前が書いてあっただろう、あれはな、名前だ」


「名前?確かフ、」


言いかけた瞬間、俺の口は先生の手によって乱暴に塞がれていた。


先生の手を払いのけ、抗議しようと口を開こうとした瞬間、


「名前を口に出すな、また死にそうな目に会いたいのか?」


冷たくそう言い放つ先生、俺は気圧される様にして黙ったままその場を後ずさった。


その時だった。


居間の奥にも、名前が書いてあった柱と同じ削り後が見えた。


いや、よく見るとそこだけじゃない、他の柱にもあった。


周りを急いで見渡す。


廊下側、階段下、台所へと通じる通路、柱という柱に、同じような削り後を見つけた。


「な、何なんですか一体、他の柱にも、な、名前があったんですか?」


俺がそう言うと、先生はその質問に答えるわけでもなく、柱を撫でるような仕草をしたかと思うと、独り言のように口を開いた。


「北海道の鉄道に、大正3年、常紋トンネルが開通した。が、その後昭和43年に十勝沖地震が起き、常紋トンネルの壁面が損傷してしまった。当時の技術だからな、修復に2年くらい掛かったそうだ」


北海道?常紋トンネル?


一体何の話だ?


そう思いつつも、俺は疑問をぶつける事はできなかった。


先生の瞳が、嬉々とした妖艶な光を纏っていたからだ。


その光に吸い込まれるように、俺は先生の話に再度耳を傾けた。


「改修工事を進めていた際、ある出来事があり、現場は騒然としたそうだ。壁面の中から、立ったままの姿勢の人骨が発見されたそうだ」


「じ、人骨!?」


思わずわめく俺に、先生は軽く頷いて話を続けた。


「その後、出入り口付近からも、大量の人骨が発見されたそうだ。関係者の証言によると、当時タコ部屋労働者という、劣悪な環境下で働かされていた人達がいてな、まあ中には服役中の犯罪者なんかもいたそうだが、そんな連中をトンネル工事で働かせていたそうだ。当時は重機なんかもなかった時代だ。工事は難航を極め、死者も多く出たらしい。そんな中働く労働者は本当に大変だったろうな。中には身よりもなく、北海道という厳しい環境化の中で、最早風前の灯といった死に際の労働者もいたそうでな、そんな人達を、人柱として生き埋めにしたんじゃないかと、言われている」


「ひ、人柱?人柱ってあの……?」


にわかには信じがたい話に、思わず反応してしまった。


人柱、人身御供とも呼ばれているあれか?


災害なんかに神に祈願する目的で、その土地に近しい者を生贄とし、生きたまま土に埋めたり、木に縛りつけ水に沈めたり……水に?


そこまで考え、俺はふと思考停止してしまった。


再び動き出す頭の中を、ゆっくりと整理する。


足元から這い上がってくるような悪寒が、俺の全身を舐めるように襲う。


粟立つような鳥肌を感じ、俺の体は、無意識に震えていた。


4日前、頭の中に浮かんだ映像は、水の中。


あれは、この柱に縛り付けられた、女の見た、最後の光景だったのか……?


愕然とする俺を他所に、先生は腰まである長い黒髪を掻き上げ、歩き出した。


そしてゆっくりと、削られた柱を見て周る。


悲しそうに、哀れみをかける様な目で、一つ一つの柱に、寄り添うようにしながら。


ここにある家の柱全てが、人柱に使われた木を利用したもの……。


もう何も言えなくなっていた。


なぜ、いったいなぜ人はこんなにも酷い事ができるのか。


以前、先生といった廃ホテルでも、同じような惨たらしい事件があった。


でも、これはそれとはどこか違う。


古い習慣?しきたり?


いや違う。


人間の、根本にある残虐性。


神のため、人のためと言いながら、人を殺める……。


矛盾だらけだ。


そんな事、絶対に許されるべきではない筈だ。


怒りがこみ上げてくる衝動に、俺は恐怖を忘れ歯軋りした。


「お前の祖父さん、いや、その弟さんか。一体何の目的で、こんな木で柱を作ったんだ。というより、どうやってこんな木を集めた?そしてこの家で……一体何をしようとしていたんだ?」


冷たく言い放つ先生に言われ、俺は何も答えられなかった。


怒りのせいではない。


ふと、見上げた視線の先に、何か文字らしきものを見つけたからだ。


それは、居間の奥、開け放たれた襖の奥にある、仏壇のある部屋。


ご本尊が祭られている横にある、大きな柱の横面に、それはあった。


体が自然と動き、俺はその柱に吸い寄せられるようにして向かった。


「おい、どうし……おい止めろ!それはまだ削ってないんだ、おい!見るな!!」


先生の怒鳴るような声が後ろから聞こえた。


が、俺は止まらなかった。


いや、自分では止められなかった。


柱に触れ、刻まれた文字に目をやる。


「○○……」


ふと、書かれている名前を口にする。


それは、


俺の苗字だった……。

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ヲタ君の家庭教師 コオリノ @koorino

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