Mother instinct

かきくけこ

第1話 母性本能

「母性本能は、我が子を守るために母親が獲得したものではなく、胎児がわが身を守るため母親に獲得させたものだ、とする説。知ってるよな」

 僕の隣に座って、一世代ほど前のアナログな携帯端末で堂々とアダルトサイトを閲覧しながら、リカルドは言った。

「当然だろ。常識だ」

 僕はと言うと、会社から用意された自動車で、反政府ゲリラ組織へ武器と技術を提供するために荒野を運転している。

 目が痛くなるほど真っ青な空に浮かぶ、照りつける太陽を遮るものは何一つなく、暑い。AIによってその場にいる人間の体温を感知し、快適な温度に自動調整してくれるエアコンが恋しい。AIによってその場にいる人間ののどの渇きを感知し、適切なタイミングで水分を供給してくれる給水機が恋しい。AIによって――AIによって――

 そう、今やアメリカ合衆国をはじめとした世界中の先進諸国は、ありとあらゆる分野をAIの力を借りて動かしている。というか、身もふたもない言い方をすれば、人類のアナログな動きで十分まかなえてきた行動までAIに頼っているのだから、力を借りるという表現よりも、丸投げする――いや、依存する――まあ、適切な言葉が見つからないから、僕たちの脳内に埋め込まれた生活補助用のAIに代わりに適切な言葉を探してもらうと――支配されるのを支配している、といったところだろう。

 この通り、僕は自分の思考すら満足に行えない。いや、これは確かにぼくの意思だし僕の頭から出てきた言葉ではあるが、ある程度思考停止して考えることを放棄しても、脳内のAIが補助してくれるので、ねぼけていてもはっきりとした思考を手伝ってくれる。わかりやすくいえば(この説明も、半分AIの力を借りての言葉だけども)足の不自由な人間が杖を突いて歩くとして、その人間は杖を支配すると同時に杖に支配されている。自分の意思で杖と言う道具は支配できても、不自由な足はコントロール不能。であれば、杖側の視点で見れば、己の行動は使用者にゆだねられているが、同時に使用者の足の自由も自分が握っていることになる。

 だから僕のこの考えは僕自身の考えではあるけれども、その大半はAIに補助してもらっている。AIの力が無ければ僕の知能指数は子供未満だろう。しかし、それをひっくるめて、僕の思考だ。僕の未熟な思考を大人の立派な思考にするには、AIに補助してもラは無くちゃいけない。と、同時にAIに補助してもらうには、僕の未熟な思考が必要不可欠だ。

 丸投げすると言えば不適切だし、依存するともちょっと違う。そう、支配されるのを支配するというのが正しい言葉なのだ。


 卵が先か、鶏が先か――こっちのたとえもいいかもしれない。 


 さっき僕は自慢げに、自動車を走らせているなんて言ったけれども、この車もAI登載車なので僕自身操作することは特にない。ただ、自動車に物資の受け渡しと今後の交渉をする無駄な機能は搭載されてはいない。僕はただ言葉を話すだけ。そう、AIに補助された、僕の言葉を話すだけ。

 隣に座ってるリカルドだって、脳波で直接指示するタイプの携帯じゃなく、指でタップしたりフリックしたりする世代の携帯を使ってはいるが、その洗練された指さばきもAIによって補助された動きなのだ。たまにいるんだ、アナログ感が大事だとかどうのとのたまう輩が。

 もはや自分の肉体にアナログな部分など残されてもいない、歩くという行動にすらアナログ性を見出さず、無意識の処理に任せているような人間たちが、何を言っているんだという話である。

「じゃあよ。親父はどうなんだよ。その説だと、母親にしか母性本能はないことになるだろ。男にだって、小さい我が子を守りたいという本能はあるはずだ」

 思わず、コンマ数秒の短い溜息を吐いた。

 リカルドはばかだが、ここまでばかだとは思わなかった。常識と言うのは、高度な知識を無意識のうちに理解し処理するデシタル性の高いものに分類される。つまり、意識してやらなければいけないものはアナログ性(かつて原始人が体を温めるため、火をおこしたりするのに、道具を使ったりなど)で、無意識に任せても行えるものはデジタル性(今で言えば、部屋を暖かくしたいと思うだけで暖房が自動でつく。複雑な思考や意識した大きな行動は不要だ)だと分類されたのは”常識”だ。

 そう言った常識を努力して学習させる必要のないよう、AIが補助している。

 さっきも少し触れたが、歩くという行動も本当はかなり複雑な動きだ。いまでは当たり前の二足歩行技術も、かつては姿勢制御用の演算と、人間らしい速度を維持するのに恐ろしく苦労したという話じゃないか。

 それを人間は無意識のうちに行っている、本来アナログ的な思考をもってすればかなり複雑な”二足歩行”であるはずなのにも関わらず、すいすいち歩ける人間が多数だ。なぜか? それが常識であり、デジタル性だからだ。

 歩くという行動は、アナログ的な意思決定が無ければ行われない、歩きたくないのに勝手に歩く人間などいない。歩くという判断はアナログだ。だがそれ以降の複雑な処理は全てデジタルだ。僕たちは姿勢制御用の演算も、大幹の概念を意識したうえでの足運びも、計算する必要はない。それがデジタル性の高い行動であり、常識だからだ。

 そう言ったわけで、社会で生活していくうえで身に着くであろう常識なんかはAIのサポートにより、知らない者などゼロに近い社会へ変化している。まあ、ゼロでないことはここにいいるリカルドが証明してしまったが。

「父親には赤子が獲得させる母性本能は備わっていない。我が子を守りたい、愛おしいと思う感情は、ただ単に自分のDNAを受け継いだ生き物の生命を存続させたいという願い、己の一族を絶やすわけにはいかないという動物的使命感からくるものであって、母親のそれとは似て非なる物だって言われてるだろ」

「なんだ、そうだったのか」

「そうだったのか、って、お前いったい学校で何を習って来たんだ?」

「ランチの食い方」

「ばか」

「それと、親友の作り方も」

 リカルドがこちらに目線を移し、ニカッと笑う。

「よせよ、僕とお前はただの同僚だろ」

「冷てえなあ、お前」

「暑いからちょうどいいだろ。ほら、そろそろつくぞ」

 現地ゲリラ兵らの姿と、テントが見えてきた。


 僕たちの仕事は、戦争屋に近い。

 と言っても、僕たちがドンパチ撃ちあうことはあまりない、むしろ、ドンパチ撃ちたがってる連中に、武器と技術を与えてやる仕事のが多い。

 顧客の注文によって、武器とマニュアルだけを渡してやるときもあれば、短期間で統率の取れた動きにするため訓練しに行ってやることもある。

 あとは、まあ金次第で僕らも戦争に加わったりすることもあるが、値は張るので稀だ。

 車から降り、顔中に布をぐるぐるにまいた男たちの前に立つ。こう乾燥した気候だと、吹き荒れる砂塵で肌を痛めてしまうのでこういった対策は欠かせない。

「おい、リカルド」

 まだ端末をいじってるリカルドに怒鳴り、トランクから武器一式を出すように指示する。

 まるで古代の金銀財宝の詰まった宝箱を開ける冒険家のように、リカルドはつやつやのブラックボディの車のトランクを、がぱっと開けて、中から鈍い金属色のライフル銃を一丁だけ取り出す。

 細身の割に似合わず、恐ろしく頑丈なAK仕様のライフル銃は、素人にも扱いやすい、戦場の定番アイテムだ。

 壊れにくく、メンテナンスしやすく。余計な機能は取り除かれた至極シンプルな銃を、さらに改良させたのがわが社自慢のこのAK-26Lだ。

 銃身が細いので取り回しやすく、場所も取らない。おまけに従来のモデルよりも軽い。そしておもしろいのが、こいつには引き金が二つ付いている。上段の引き金はフルオート。下段は三点バーストになっている。

 弾倉も妙な形で、銃に対し平行になるよう、L字に曲がっている。こうすることで、銃を縦長の板を持つような感覚で扱える。

 他にもほめるべき点はいろいろあるが、ぶっちゃけうちでは結構安物の銃なので、わざわざ説明に熱が入るほどのもんでもない。割愛をさせていただく。

 あらかた銃の使い方を教えてやり、現金を受け取る。

「では、失礼します」

 リカルドと共に車に乗り込む。普通に考えて我々を殺すことによるメリットは無いが、万が一を考慮して、銃と僕らが一定の距離以上離れていなければ販売された銃はロックがかかり発砲できないようになっている。

 陽炎でぐらぐらと揺れたゲリラ兵たちが銃を掲げて手を振るのがサイドミラーから見えた。

 次第に砂塵にかき消され、その姿は見えなくなる。かなり遠く離れた。

 リカルドの端末に目をやる。まだアダルトサイトを閲覧していた。

「お前、仮にも仕事中なんだから慎めよな」

「いやあ。ちょっとしたテストをしたのさ」

「テスト?」

「ああ」

 僕が黙っていると、リカルドはなにも言わず、サンプル動画を再生させる。

 尻に蝶のタトゥーを入れた黒髪の女が、画面の向こうの紳士諸君らへ向けた性的アピールをするプロモーションビデオを観て、リカルドはにたにたと笑っている。

「おい。テストってなんだよ」

 普通、あの区切り方だったらテストが何なのか説明する流れだったろう。僕は心の中でそう毒づいた。

「ああー。たまに見れない時があるんだよ、エロサイト。特にああいうやつらの近くに立つと、途端にページにロックがかかってアクセス不可になる。ありゃどういう仕組みなんだ」

「ああ。それか。僕らが離れないと販売した銃は発砲できないようになる、というシステムは知っているだろう。あれと同じさ」

「同じ?」

「ああ」

 僕はリカルドの真似をしたつもりで、そこからあえて数秒間何も言わないでやった。リカルドは、むっとして僕の言葉の続きを求める。

「宗教上の理由や、個人が閲覧を望まない場合、あとは未成年者がいる場合は、ベビーAIが個人判別してそういうサイトへのアクセスが規制される。そういった人間たちへの配慮のため、自動でフィルタリングがかかるんだ。彼らの場合は、たしか法律でポルノ所持および閲覧は重罪に課せられるんじゃなかったかな」

「その国の法律によってアクセス制限されることは?」

「ないね。彼らは見れないけど、僕らアメリカ人にはそんな規制は無い。だから僕らだけが見れて、彼らがいるときは見れない。そういった配慮の強制装置がこいつってわけさ」

「なるほどね」

 リカルドは解に納得したようで、動画の視聴を続けた。どの層に需要があるのかわからない、バットマンの恰好をした女の性行為ムービーを大音量で。

「おい、"配慮"しろよ」

 僕はバカたれリカルド"個人"に対し、言った。


 補助AIには二種類ある。

 基本的に、考えることを手助けしたり、複雑な操作を無意識的に完了させることができるのはベビーAIによるものだ。

 ベビーの行動を監視し、問題点や不具合などがあれば、ベビーAIの一部を削除し、新たなベビーを追加させる。書き換えはできず、いらないものは消していき交信用の新しい我が子を組み込むのだ。

 少々わかりにくい説明となってしまったが、マザーはでっかく一個。ベビーは超複数体存在し、プログラム一行程につきベビー一体という役割だ。

 人間は日々成長する。その成長に追いつけるだけの好奇心旺盛な赤ん坊プログラムが必要になるが、わんぱく坊やの行動を制する母の存在は必要不可欠で、マザーがいなければベビーは不要なAIばかりが増え、本体の人間がバグる。かといってベビーが少なすぎると、人間は従来の成長速度に従って成長するしかなくなり、社会的な生活において非常に苦労する。国の制度で、12歳からこのAIを仕込むよう決められているのだけれど、たとえば、そう。成人するまで8年だ。8年もあれば人間はゆっくりと成長できる、しかし、完全には程遠い。20歳イコール立派な大人ではない。積み重ねてもろくに身に着かないでくのぼうも世には大勢いるので、8年経っても大した成長もない社会符適合者がいるのだ。

 そういった、劣った人――いや、遅れた者が最前線の者と同等に並べるよう、ベビーAIがある。ベビーの補助があればADHDやアスペルガー症候群、吃音や健忘症なんかに悩まされず、ごくごく普通の快適な社会生活を送ることができる。

 ベビーのおかげで、世界中エリートだらけだ。



 そんなベビーAIが、突如狂い始めた。


 

 アメリカ合衆国内部に手異常事態発生。同日同時刻にて、全AI導入市民に一斉に不調が起こり始めた。 

 症状は様々で、風邪のような具合の悪さを訴える者もいれば、体が思うように動かないといった者がいたり、あるいは突然死したり。本当に様々だった。

 無事だったものは一人もいない。というのも、前述した体の不調は無くとも、内部の不調を訴える者はAI所有者全員だからだ。

 頭がまわらない。うまくしゃべれない。昨日までできていたことが一切できなくなる。歩き方を忘れる。といった具合に、明らかなバグが発生した。


 直ちに技術研究部による調査が行われたが、異常は一切なし、正常値を示しながら、アメリカを混乱に陥れている。

 いったい、何がどうしてこうなったのか。


「というわけで、えー、つまり、あー……」

 僕の上司、デイヴィッド・ロウは今回の事態に関しての、いや。事件。やっぱり、自体。ああ、ちがう。事態だ。そう、事件に関して緊急会議を開いていて、僕もそれに参加している。

 デイヴィッドはバグったベビーのせいでうまくしゃべれないようだ。

 それは僕も同じで、頭の回転が以上に、ああ。以上に、くそ。異常に遅い。言葉が正しく出てこなくなっている。

 ベビーに頼りっきりだった部分が、ベビーの崩壊によって脆弱になっている。脆弱の使い方はこれで会っていただろうか。僕はじっと考えてみるが、ベビーの補助が役に立たないため、言葉のチョイスが正しいかどうかを知ることができないのを思い出した。

「調査隊の報告によると、ベビー事態に異常はない、が、これは明らかに異常事態だ。それでその。ああ……そうそう、どういうわけか、数兆体あるベビーAIのうちのほんの一握り、妙なソースコードが見つかったそうだ。通常それらの異常なコードはマザーによって即座に修正されるが、今回はどういうわけか、異常なコードが修正されず見逃されている。つまり、今回の件はマザー側の異常であると判断された」

「おかしいコードの出現が放置されているせいで、既存コードの大多数とかみ合わなくなり、結果今回のような事態を引き起こしていると?」

「そうだ」

 デイヴィッドが部下に頼み、パワーポイントの画面をスクリーンに投影させたのを、操作させるように頼む。ん? いや、スクリーンに投影させたパワポの画面? いや、最初の言い方ので合って……ああ。いらない思考が出てくる、話が進まない。

 部下は画面をスクロールさせ、今回の件を画像データにまとめたものを表示させるが、思うように操れず、下がりすぎたり拡大しすぎたりしてなかなか安定しない。

「へたくそ」

 会議のさなかだというのに、ベビーの制御の利かなくなったどこかの不届き者が、そんなことを言い放った。

「口を慎め、リカルド」

 リカルドだったのかよ。

「悪かったですよ、すいませんね」めんどくさそうに手を振るしぐさがチンパンジーを連想させる。

「まったく……話を戻そう。今回、政府からはいった依頼では、マザーAIの修正のため、ベビーの一斉削除を行う」

「一斉削除ですって」ぼくは叫んだ。

「そうだ、マザーにベビーを殺す指令を出して、ベビーAIのここ数日間の間に誕生したプログラムを強制削除させる。そうすれば、少なくとも今の事態を一時的に抜け出し、問題のあるコードをヒントに、改善させることができるdろう」

 デイヴィッドは自分の口を押えた。いよいよ脳にある言語野に異常ベビーの侵略が始まった。

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